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三島由紀夫との決闘の夢

                        
 ある明け方、三島由紀夫の夢を見た。
 夢主(むしゅ)である俺のすぐ前に三島が不意に現れたのだ。俺はぎょっとして、目の前の三島にただ見入るだけだった。
 三島は晩年そのままの姿だった。短く刈り込んだ頭髪、精悍なそれでいて隠しようもない知的な顔立ち、トレードマークの半袖の黒いポロシャツ、ボディビルで鍛えた逞しい二の腕、白いズボン。つまり一部から近代ゴリラと揶揄されたあのままの姿だったのだ。
 (三島さん。俺は若い頃確かにあなたに心酔していた。しかしそれは昔のこと、今はやっと三島さんの呪縛から解き放たれたんだ。なのに一体今時分、何の用です?)
 訝しがりながら俺は三島を見続けた。しかし三島はなおも無言である。言葉の魔術師が言葉を発しないからには、こちらとしてはより一層無言の意味を探らねばならない。それは書かれた言葉、発せられた言葉の含意を読み解くより、遥かに難しい。無学な俺にそんな芸当出来るわけがないではないか。
 (三島さん、何か言ってくださいよ。)
 見つめ返すと、三島は唇の一方の端を吊り上げる例のニヒルな笑みを浮かべた。そしてよく見ると、いつの間にかその右手にはナイフが握られているではないか。俺の目はナイフに吸い寄せられた。万事伊達好みな三島らしく、それは西洋風装飾のある洒落たナイフだった。
 俺は三島出現の意味をようやく悟った。
 (さては三島由紀夫、この俺と決闘したくて現れたんだな。)
 俺には三島と決闘するつもりなどまったくない。それに三島が決闘を仕掛ける意図がさっぱり分からない。でも相手がナイフを持って待ち構えている以上、否も応もない。
 (でも、俺は素手で何も持ってないぞ。)
 と思いながら、自分の右手を見るとあるではないか、ちゃんと。いつの間にか、俺も武器を持っていたのだ。しかし我が武器を見てがっかりした。それは桃色の柄が少し長い、貝印の剃刀。おふくろがよく使っていたあの剃刀だ。
 (ちぇっ。関の孫六並みの名刀ならともかく。こんなので三島に立ち向かってもとても勝ち目はないわ。)
 そんな俺の落胆を見逃す三島ではない。次の瞬間、ナイフを上段に振りかぶった三島が斬り込んできた。
 (やられる !)
 袈裟懸けに斬りつけられた。その部位に鈍痛を覚えた瞬間、目が覚めた。

                        *

  三島死してより予言者の不在かな   (拙句)


 11月25日は42回目の「憂国忌」です。
 昭和45年(1970年)のこの日、三島由紀夫は循の会の主要メンバーを引き連れ、都内新宿区の自衛隊市谷駐屯地に乗り込み、2階の総監室に乱入しました。下の広場に同駐屯地内の自衛隊員を集めさせ、総監室バルコニーから自衛隊員の決起を促す演説をぶったのです。しかし集った自衛隊員たちは決起どころか、三島の演説がかき消えるほどの野次と怒号の嵐を浴びせかけたのでした。三島は早めに演説を切り上げ、隊員の森田必勝とともに総監室で自決したのです。享年45。

 今も三島由紀夫については否定的な見方、いな嫌悪感すら覚える人が多いことでしょう。ですから私もこれまで、三島については最小限の言及に抑えてきました。
 事件当時私は21歳でした。これは私の重要な「精神史」の一こまですから、この際告白します。私は、事件の起こる2年ほど前から「三島思想」に心酔していたのです。きっかけは19歳の時『仮面の告白』を読んだことでした。そして気がついた時には、文学よりも思想家としての三島に傾斜していくことになったのです。

 その頃の私は山形から出てきたばかりの田舎者、首都圏周縁部の当地での生活にマゴマゴ、オロオロ。弱虫な私のバックボーンになりそうな、劇薬のような「強い思想」が必要だったのです。
 『葉隠入門』『文化防衛論』『尚武の心』『若きサムライたちに』『討論 三島由紀夫vs東大全共闘』などをむさぼり読みました。 そのくらいでしたから、三島事件にはもの凄い衝撃を受けました。

 確かに映画『人斬り』では、薩摩藩士田中半兵衛(人斬り半兵衛)を演じた三島による、映画のラスト近くの迫真の切腹シーンがありました。また本の中にも自決を仄めかす部分がありました。
 しかしまさか本当に腹を切って自決してしまうとは。どうやら三島思想を「文学的に」捉えていたらしい私には、想定外だったのです。

 事件のショックから完全に立ち直るには、10年以上の長い歳月を要しました。そして三島や事件のことを客観的に捉えられ出した30代半ば過ぎ頃になってはじめて、まともに三島の文学作品を読むことができたのです。

 今回紹介したのは、40代初め頃実際見た夢に少々(大いに)アレンジを加えたものです。この夢が象徴するものは何かなど今もって分かりません。しかし夢の中で三島と至近距離で対峙出来たということは、それだけ三島を客観視し出したことの表われだったのだろうか、などと考えたりもします。

 (大場光太郎・記)

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