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2012年12月

フォレスタの「蛍の光」

  行く年の川面(かわも)の灯影(ほかげ)揺らめいて  (拙句)

    (「フォレスタ - 蛍の光」YouTube動画)
     (この歌の動画は削除されました。)

 今年も残すところあとわずかです。年を送る歌としてちょうど折りよく、フォレスタコーラスが『蛍の光』を歌ってくれたではありませんか。そこで今年1年の「フォレスタコーラス」記事の締めくくりとして、この歌を取り上げてみたいと思います。
 『蛍の光』については、以前の『「蛍の光」あれこれ』記事などで述べています。そこでまずはその内容をざっと見ていきたいと思います。

                        *                  
 『蛍の光』は、「Auld Lang Syne」(オールド・ラング・サイン)というスコットランド民謡を原曲とする日本の唱歌です。原曲タイトルの意味は「久しき昔」となります。
 昔からスコットランドに伝わるこの民謡に新たな歌詞をつけたのが、ロバート・バーンズ(1759年~1796年)でした。バーンズにはこの歌以外にも、日本でもよく知られている『故郷の空』や『アフトン川の流れ』の原詩者として知られた、スコットランドの国民的詩人です。

 バーンズはこの民謡の以前からの歌詞を下敷きに、一から書き直しました。そうして出来上った歌詞は、旧友と再会し思い出話をしながら酒を酌み交わすという内容になりました。バーンズが新詞を作ったことにより「オールド・ラング・サイン」は、ハイドン、ベートーベン、シューマンといった大作曲家たちも伴奏をつけ、欧米、のみならず全世界に広まることになったのです。

 日本では明治10年(1887年)小学唱歌を編纂する時、稲垣千頴が独自性の高い訳詞を試みて採用され、これが『蛍の光』となったのです。同歌は明治14年(1881年)に尋常小学校唱歌として、小学唱歌集初編に初めて載せられました。
 それ以降、卒業式やその他数多くの場面で歌われたり演奏されながら今日に至っているわけです。なお元々の『蛍の光』は5番まであります。しかし戦後、3~5番の歌詞は軍国主義の色濃いという理由から、現在では2番まで歌うのが通例です。

 思えばこの歌を卒業式で、商店・デパートなどの閉店時のサインの曲として、紅白歌合戦で「行く年」を惜しむ歌として…これまで幾度歌ったり、聴いたりしたことでしょう。
 しかし私にとって、最も印象的な『蛍の光』があります。それは映画『哀愁』の中のワンシーンとしてです。

 映画『哀愁』は1940年公開のアメリカ映画です。主演はヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー。昔懐かしい白黒映画だったことが、この映画の全編に漲る叙情性と哀愁を一段と深めていたように思います。
 『哀愁』というのは、1949年(昭和24年)日本で公開された時につけられた邦題で、この映画を一言で要約するとつまりは「哀愁」ーなかなか秀逸なタイトルだと思います。
 
 原題は『WATERLOO BRIDGE』であるように、この映画はロンドン市街を流れるテムズ川に架かるウォータールー橋の回想のシーンで始まり、同橋での現実のシーンで終わります。その間第一次世界大戦から第二次世界大戦まで。第一次世界大戦中、欧州大陸に出征直前のイギリス軍将校ロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)は、バレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)と夜霧が立ちこめるウォータールー橋上で偶然出会います。

 たちまち恋に落ちた2人は、その夜やっとのことで“逢ひびき”を果たします。そしてとあるダンスホールで2人は、至福のダンスを踊り続け、午前零時を回ってその最後に生演奏されたのが『オールド・ラング・サイン(蛍の光)』だったのです。この曲に合わせて踊る2人のシーンが、この曲は「別れの歌」としての印象が強いせいか、その後の悲しい結末を暗示しているようで…。とても印象的で、あれほど甘美で切ない『蛍の光』はありませんでした。

 なお原曲は4拍子の曲ですが、この映画ではより哀愁味を出すためか、ロマンティックなワルツ(3拍子)として流されました。そしてこのワルツ曲が後に『別れのワルツ』として世界的にヒットしていくことになります。
 現在我が国で、多くの公共施設や商業施設での閉館、閉店直前のBGMとして流されるのは、この『別れのワルツ』(古関裕而編曲)なのです。

                         *
 なお「オカルティスト」(?)の私としては、極めつけの「蛍の光秘話」を述べないわけにはまいりません。

 『蛍の光』は、1万2千年前レムリア大陸が海中に没する時、「遠い未来の再会を約束して歌われた歌だった」と言うのです。アトランティス滅亡に先立つ数百年前のこと。スピリチュアル・ハイラーキー(霊的聖師団)から、予めその事態を知らされていた神官・女神官群は、それぞれの生まれ故郷に戻り、レムリアの民の苦痛を和らげるために励まし、口が海水につかるまでこの歌を歌いながら民と共に海中に沈んでいった・・・。

 実はその大危機をかなり前に知らされ、レムリアを脱出していた人たちがいました。レムリアの王・王女、大神官のアダマなど約2万5千人ほどの人たちは、現在の米国西海岸沿いの聖山シャスタ山の地中の洞窟に移り住み、そこに「テロス」という高度な地下都市を築いて今日に至っているといいます。(米国政府はかなり以前からその存在を知り、シャスタ山内部への侵入を試みるも、超テクノジーによるバリアーに阻まれ失敗に終わっている。)

 レムリアに縁深き地上の人たちとテロス市民との、『蛍の光』で約束されていた再会の時は迫っている・・・。

                         *
 男声4人と女声5人の混声フォレスタによる『蛍の光』の素晴らしさ(特に1番のアカペラコーラスは圧巻 !)は、各自お聴きになって実感していただくとしてー。ここからは今年1年の「フォレスタコーラス」記事の総括などを簡単にしていきたいと思います。

 何度も繰り返しますが、今年1月中旬たまたま『フォレスタの「別れのブルース」』を聴き、吉田静さんの独唱と3人の女声コーラスに大感激し、即フォレスタファンとなり『美しすぎる「フォレスタ」』記事としたのが始まりでした。
 以来書きも書いたり、この記事で35くらいになります。しょせん“素人のたわ言”ですから、的外れなことも多く、根がウカツで粗忽者の私ですから、つい失礼な「フォレスタ個人情報」に踏み込んだこともありました。

 中には『この記事は全削除した方がいいかな?』と思うような記事もあります。しかしその記事を「お気に入り」に入れてくださっている方もおられ、そのまま残しています。ご関係の方々、どうぞご寛恕賜りますようお願い申し上げます。

 その時々の季節などに応じて、私の独断と偏見によりフォレスタ曲を取り上げてきました。本当は全フォレスタ曲に寸評を加えていきたいところです。しかし今現在も新しい曲がどんどんアップされている状況ですから、物理的に不可能です。
 そこで今後とも、時々に感じた曲を、引き続き独断と偏見で取り上げていくことになろうかと思います。

 そもそものキッカケもあって、(皆様とっくにお見通しのとおり)私は基本的に女声フォレスタファン→吉田静ファンです。なるべく公平を期しつつも、つい吉田さん中心のローテーションになろうかと思いますが、このこともあしからずご了承ください。

 それと私の偽らざる感想と致しましては、現在休止中の小笠原優子さんと矢野聡子さんが復帰してこその「新編成女声フォレスタの完成」という気がします。小笠原さんと矢野さん、来年は復帰してくださるのでしょうか !?

 4月から多くのフォレスタ動画をアップしてくださっているeverstone04さんには、大感謝です。everstone04さんは「フォレスタ普及」の大功労者です。
 今現在までその動画を削除されていないBS日本テレビ様のご寛容にも、多くのフォレスタ動画ファンになり代わりまして感謝申し上げます。同動画には有形無形の「宣伝効果」があろうかと思いますので、どうぞ来年以降も存続出来ますよう、ご高配のほどよろしくお願い申し上げます。

 フォレスタコーラスのさらなる飛躍のために、“ひとしずく”ほどのお役にでも立てますよう、来年もフォレスタ記事をご訪問の皆様と有意義な「共同創造」が出来ればと考えます。

 ラブ・フォレスタ ! 良いお年をお迎えください。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『「蛍の光」あれこれ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-517d.html
『「蛍の光」は1万2千年前の歌だった?(1)~(6)』-「地底都市テロス・空洞地球」カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851721/
『美しすぎる「フォレスタ」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-1920.html

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「B層」とは何か

-日本を亡国に導くのは政官業+マスコミ。それを下支えしているのがB層だ-

 「B層」という言葉、当ブログの政治記事でも何度か使ってきました。私はこの言葉を「テレビなどのマスコミ報道を真(ま)に受ける大衆」というような捉え方で使ってきました。これは当らずと言えども遠からずで、一言で言うとB層とは、
 「マスコミ報道に流されやすい知能程度(IQ)の低い人たち」
のことだそうです。たとえば今回の衆院選で、あまり深く考えずに投票したり棄権した人たちです。

 しかし「知能程度の低い人たち」というのは少し言い過ぎだと思います。たとえば、IQが高く仕事がバリバリこなせるサラリーマンほど時間的余裕がなく、得られる政治的情報は夜のテレビの報道番組だけ、というようなケースが考えられるからです。
 ただ結果的には、一般大衆と同じような投票行動を取ってしまうわけですが。

 ところで最近、この「B層」が再び脚光を浴びているといいます。「再び」ということは、かつてこの言葉が話題・問題となったことがあると言うことです。
 それは、まだ記憶に新しい2005年の小泉政権による郵政選挙の時です。「B層」は郵政選挙の際、宣伝広告を行った広告会社が作った造語なのです。

 その広告会社は、こんな刺激的な言葉にどんな意味を込めたのでしょうか。
 「IQが比較的低いため、具体的なことは分からないが小泉純一郎のキャラクターを支持した層」を指して命名したものだったのです。(普段は、広告宣伝に乗って購買してくれる大衆を持ち上げておきながら、ヒドイと思いませんか?)

 当時の小泉政権は、「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」などのワンフレーズポリテックスをやり、郵政選挙では「郵政民営化、イエスか、ノーか」と極めつけのワンフレーズを連呼しました。
 これらはすべて、浮動層であるB層を狙ったものだったのです。

 しかしこれは小泉政権が初めてではありません。元祖ワンフレーズポリテックスは、ナチスドイツのアドルフ・ヒットラーです。ヒットラーの著書『我が闘争』には、「大衆は難しい演説などでは動かない。ただひたすら覚えやすい簡単な言葉をくり返すことだ」というようなことが書かれています。
 小泉元総理の懐刀だった飯島勲秘書官は、ひそかに『我が闘争』を読み大衆操作法を研究したと言われています。(飯島氏は今回、新発足の安倍内閣の参与として戻ってきた。)

 こうして国民は、小泉政権に高い支持率を与え続け、同政権の長期化を可能にし、郵政選挙では圧倒的議席を与えたのでした。
 その結果、小泉・竹中コンビによる米国言いなりの市場原理主義導入により、利益は外資に巻き上げられ、大都市と地方、大企業と中小企業、株主と社員、正規社員と非正規社員など格差社会となり、我が国衰退の大要因となったことはご案内のとおりです。

 そして今また、B層が「日本をダメにしている」と警鐘を鳴らしている人がいます。哲学者の適菜収氏です。同氏の近著『日本をダメにしたB層の研究』(講談社刊)が、発売後すぐに重版にかかるほどの人気になっているというのです。(この本の読者は「脱B層」であることでしょう。)

 同書では、現在のB層の典型的な特徴として、次のようなキーワードに左右されやすいとしています。
 「期間限定」「数量限定」「食べ放題」「産地直送」「有機栽培」「長期熟成」「秘伝」「匠」「隠れ家」「クーポン」「カロリー○%オフ」・・・。これらはみな、夕方のニュース番組などで盛んにやっているものばかりです。

 次に、合言葉は「コストパフォーマンス」だといいます。たとえば、かつて売れていたバンドが食い詰めた揚句の「再結成」に喜んだり、「女子会ブーム」に乗ったり・・・。
 これらはすべて、広告代理店が大衆を誘導するために作ったブームであるわけです。

 私は今まで「オレは脱B層だ」と思っていました。だからこそ、「オレは違うんだぞ」とばかりにB層という言葉を使ってきたわけです。しかし上のキーワードの幾つかに、ついふらふらとつられてしまうことがあります。私自身「B層度」が意外に高いのかもしれない、と反省させられます。

 思えば「B層」なるものは、いつの時代のどの国にも広く存在していたわけです。この国の戦前を考えてみるに、あの破滅的な戦争へと導いたのは、結局は「当時の国民自身だった」とも言えるのです。

 戦後の今日、すべての責任を軍部に押しつけています。が、軍部とて決してバカではありません。たとえば戦争の発端となった昭和6年の満州事変でも、現地の関東軍は国民の反応をジッとうかがい、「間違いなく国民の支持が得られる」という確かな感触を得たからこそ「暴走」したのです。日中戦争しかり、日米戦争またしかりです。

 政治やマスコミ報道をはじめこの国の各分野で、そして私たち国民自身に至るまで「質」が落ちていると言われています。以前述べたとおり、「右傾化」は、成熟などではなく逆に劣化を如実に示すものなのです。

 心ある識者たちが「だんだん戦前に似てきた」と憂慮している、まさにこの時。私たちB層国民は、危険な意図を隠した安倍自民党に圧倒的多数を与えてしまいました。
 今は戦前と違って、曲がりなりにも民主主義です。よって私たちは、この選択の結果責任をきっちり負わなければならないのです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』-「B層が会社と国をダメにしている」(12月20日11面)
関連記事
『安倍自民党に「お好きにどうぞ」と白紙委任状』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-bc05.html
『日本の右傾化は衰退の兆候だ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-06d6.html
 

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南雲彩さん、「ショパン ノクターン遺作」を独奏

 -いつの日か、私のお気に入りの「ノクターン第1番」独奏もお願いします !-

 今回は、フォレスタのピアノ奏者・南雲彩さんのブログ『今日のつぶやき』最近記事の話題を取り上させていただきます。

 南雲さんによりますと、19日(水)に行われた毎年恒例の赤羽フォレスタライブ(出演 歌:中安千晶、白石佐和子、吉田静 ピアノ:南雲彩)の中で、南雲さんが「ショパン ノクターン遺作」を独奏されたとのことです。
 南雲さんはいつぞやのフォレスタコンサートでも、滝廉太郎の『憾(うらみ)』を独奏されたようです。日頃は、縁の下の力持ちでフォレスタコーラスを支えてくれている南雲さんが、このようにスポットライトを浴びるということは、大変喜ばしいことです。

 この「ノクターン遺作」、以前YouTube動画で何気なく一度聴いたきりでした。今回の南雲さんの、「なぜこんな美しい音楽が作れたのでしょう~」評に俄然興味が湧き、早速この曲のYouTube動画を聴き直しました。(ご本人の生の演奏でないのが残念です。)

 実は数ある「ショパン ノクターン」の中で、私の一番の“お気に入り”は「ノクターン第1番」なのです。ショパンの曲はおおむねみな好きで、20代後半から30代半ばにかけて「ショパンピアノ名曲集」というようなカセットテープをよく聴いていました。中でも「ノクターン第1番」は繰り返し聴きました。
 さらに言えば、この曲は「ショパンの」というより、(私が聴いてきた範囲での)「クラシック 美しい曲マイベスト10」に入る曲です。

 「ノクターン遺作」に戻ります。
 聴いてみますと、なるほどこの曲はおっしゃるとおり「美しい曲」ですね ! 19世紀ヨーロッパのとある街並みの、静寂で瞑想的な夜が偲ばれます。またこの曲が「ピアノの詩人」の最後の曲かと思って聴きますと、胸迫るものがありますね。「第1番」と曲調が何となく似ているところもありそうです。
 「クラシック美しい曲コレクター」としての(ウソです)、私のお気に入りの一曲になりそうです。ありがとうございました。

 今まで「ノクターン」とそのまま覚えていましたが、その意味は「夜想曲」ということのようです。確か「セレナーデ」は「小夜曲」だったかと思いますが、するとハイドン、シューベルト、トセリなどのセレナーデは「夕べの曲」、一連のショパンのノクターンは「夜更けの曲」となるのでしょうか?
 たぶん、共に「君想う夜」の意味が込められているのでしょう。道理で、ロマンチックな名曲が多いわけです。

 南雲彩さんの『今日のつぶやき』は、シャープな文章が魅力です。時折り専門家の立場からクラシック音楽の紹介も盛り込まれ、つい『では聴いてみようか』となり、門外漢の間口が少しずつ広がり大変有意義です。

 ところでこの記事の中で南雲さん、「フォレスタでの私は、しっとり系でしょうか?」と、疑問を投げかけておられます。えっ、南雲さん。ひょっとして、当ブログ最近の『フォレスタの「赤いランプの終列車」』をお読みになられたのでしょうか?(だとしたら、冷や汗ものです。)

 南雲さんは、声楽の伴奏に出会うまでは、元気なパワー溢れる曲を演奏することが多く、ご自身ではたくましい曲が向いているのかな?と、お考えだったといいます。

 いやあ、意外でした。私は、南雲彩さんの楚々としたたたずまいから、ついそのような勝手な決め付けをしてしまったようです。
 それに私が聴いた最初のフォレスタ動画は「別れのブルース」で、この歌の南雲さんの印象も強かったのかもしれません。

 しかし考えてみれば南雲さんは、夥しいフォレスタ曲の3分の2以上を演奏されているのではないでしょうか。その中には、「さくら貝の歌」のようなしっとりとした叙情歌もあれば、「異邦人」や「桑港のチャイナ街」のような弾んで軽快なテンポの曲もあったわけです。何でもこなす「自在系」ですね。
 以後、大いに認識をあらためさせていただきます。

 (大場光太郎・記)

引用
南雲彩ブログ『今日のつぶやき』-「赤羽~~♪♪」
http://aya-nagumo-piano.blog.so-net.ne.jp/archive/c320793-1
参考
『ショパン ノクターン遺作』(YouTube動画 演奏:Atsuko Seta)
http://www.youtube.com/watch?hl=ja&v=eRqURo6FugA&gl=JP
『ショパン ノクターン第1番』(YouTube動画 演奏:ブルーノ・リグット)
http://www.youtube.com/watch?v=oz-Brag2iZI
『音楽ギャラリー田麦庵』(セレナーデなどクラシック小品の優れたmp3)
http://tamugian.jp/
関連記事
『えっ、モーツァルト「k448」を聴くと頭が良くなる !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-ccb0-2.html

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第2次安倍内閣スタート

 -「強い経済を取り戻すのが使命」という安倍新内閣。さてお手並みのほどは-

 26日、第二次安倍内閣が発足しました。
 安倍晋三首相は同日夜記者会見し、「国家・国民のために目前の危機を打ち破る覚悟で“危機管理内閣”を組織した」とし、全閣僚に経済再生・復興・危機管理に全力で取り組むよう指示した、といいます。
 特に経済再生については喫緊の課題だとし、大型の補正予算を編成する考えをあらためて示しました。

 上記は『朝日新聞デジタル』記事の一部を引用したものですが、同記事見出しは「経済再生に全力で取り組むよう指示、大型補正予算編成へ」となっています。さすがは最近すっかり自民党広報紙に様変わりした朝日らしく、安倍政権を後押しするような景気のいい見出しです。
 これで、発足直後の内閣支持率は相当高いものになるはずです。 

 前の民主党野田政権があまりにもひどすぎたのです。経済再生などそもそも期待する方が無理なのでした。
 その点自民党は、半世紀以上もの長期に渡ってこの国の政権を担っていた実績があります。そのノウハウの蓄積から、少なくとも民主党よりはうまくやれるはずですし、「特に経済再生については喫緊の課題」なのはそのとおりなのですから、スピーディに取り組んで確実な成果を出してもらわなければ困ります。

 安倍首相は、経済再生の柱は<大胆な金融政策、機動的財政政策、成長戦略の三本の矢>だとし、それを実行するための「危機突破内閣」の閣僚人事について、「総裁や代表経験者、次世代を担うリーダー候補が入閣した」とし、「人物重視、実力重視の人事だ」と自画自賛しまくっています。

 んっ、本当か?と、その顔ぶれを見てみるに、実情は、安部首相の自画自賛とは裏腹に、3年半前下野した時と何ら変わり映えのしない「旧態依然、人材払底閣僚人事」ではないですか。
 その最たるものは、副総理兼財務相兼金融相となった麻生太郎氏です。麻生財務相はご案内のとおり、09年総選挙で民主党に惨敗して下野した時の首相ですよ。それが何の反省もなく、ゾンビのようにまたぞろ復活してくるのです。

 それも経済再生の要となる財務相として。「マンガは読めても漢字が読めない」と小学生にまでバカにされたご仁が、果たしてこの差し迫った「国家財政の数字が読める」ものなのでしょうか。
 麻生氏が本当に経済、財政通なら、前の麻生政権を襲った未曾有(「みぞゆう」ではない、みぞう)のリーマンショックの時に、有効な手が打ていたはずでしょう。小泉政治とともに、この時の失敗が今日の日本経済失速の要因の一つとなっています。

 「お友だち内閣」の復活などいちいち挙げていけばきりがありませんが、経済再生関連として、その名もズバリ経済再生相の甘利明氏を挙げないわけにはいきません。
 この甘利氏、前も経済産業相でしたが、「あまり」実績の聞こえてこない大臣でした。そして聞こえてくるのは、電力業界ベッタリ、根っからの原発推進派という噂のみです。

 そもそもこの狭い国土に54基もの原発を造り続けたのは、旧自民党政権なのです。なのに福島原発事故の反省などどこ吹く風、安倍首相は再稼働どころか、新原発建設の可能性まで示唆しています。
 「安い」「クリーン」「地方再生」という三拍子そろった、「超臨界圧石炭火力発電システム」という、原発に変わる優れた発電システムを採用する気などさらさらないのです。

 安倍首相は、「強い経済を取り戻すのが使命」と言っています。ただしその使命は、来年夏の参院選、せいぜい消費税引き上げが実施される再来年春までです。それ以降はまったく別で、「強い国防軍を創設するのが使命」に間違いなく変わるはずです。

 安倍首相は前の「美しい国」もそうでしたが、今回も「危機突破」「国土強靭化」「国防軍創設」・・・。勇ましい言葉だけが先走り、なおかつ自分の言葉に酔いすぎるクセがあります。こういう自己陶酔型リーダーは危険なのです。いい例がヒットラーです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『安倍自民党に「お好きにどうぞ」と白紙委任状』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-2490.html
『公共事業と金融緩和で日本経済は良くなるか』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-2490.html

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フォレスタの「ちんちん千鳥」

-今回はつい「吉田静礼賛」に。他の女声フォレスタファンの皆様ごめんなさい-

    (「フォレスタ - ちんちん千鳥」のYouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=a4lXVFO1oAY

 女声フォレスタの「ちんちん千鳥」を初めて聴いたのは今年1月のことでした。その時、導入部の4女声の凛とした立ち姿から、ふとデルフォイ神殿などに仕える巫女(みこ)が連想されました。この歌に限ってなぜ?と考えてみるにー。
 一つは4女性が身に着けているエレガントなこの衣裳ですね。次に何となく荘重な感じのピアノのイントロ。(演奏しているのは南雲彩さんか吉野翠さんか?曲の感じから南雲さんかな)。さらには夜明け前を思わせる、深いブルーの背景・・・。

 そういうのがあいまって、そんな突拍子もない連想が起こったものなのでしょう。

 また例によって余計な私見を申し述べればー。
 無数の人でごった返している今の世の中、人々の脚光を浴びる立場に就くことは、そうそう願って出来ることではありません。
 しかしこの人たちは現にそういうお立場に就いていらっしゃいます。それに見合った「魂の履歴」がないと適うことではないはずです。だから名だたる神殿の巫女はともかく、皆さん、今のお立場に相応した輝かしい過去世をお持ちだとしても不思議ではないと思うのです。

 この童謡は、詩人の北原白秋(きたはら・はくしゅう)の詩に作曲家の近衛秀麿(このえ・ひでまろ)が作曲し、大正10年に発表された作品です。
 白秋の詩の初出は(大正7年発刊の)童話雑誌『赤い鳥』でした。と、また『赤い鳥傑作集』(新潮文庫)を繰ってみるに、『雨』『赤い鳥小鳥』『からたちの花』などとともに、この童謡が確かに載っていました。
 『ちんちん千鳥』のタイトルの下にカッコ書きで、(こもりうた)とあります。あゝそうか、北原白秋の子守歌としては『揺籃のうた』の方が有名ですが、この歌も実は子守歌だったんだ !

 至ってシンプルな北原白秋のこの詩。しかし詠み込まれている叙情には深いものがあります。それを十分に汲み取った上での、「詞曲一体」のような近衛秀麿のメロディ。
 そう、確かにこの歌は子守歌に違いありません。そうして一曲完成したこの歌を何と言えばいいのか。民族の古い深層的心に触れるような、言いようのない懐かしさがあります。

  しらじらと氷かがやき 千鳥鳴く 釧路の海の冬の月かな  (石川啄木『一握の砂』より)
 啄木の有名なこの短歌がそうであるように、まさしく「千鳥」は冬の季語です。

 我が国童謡の揺籃期(ようらんき)にして全盛期だった大正後半の優れた童謡群は、互いに影響し合っているようなところがあります。例えばこの歌の「ちんちん千鳥は親無いか」という一節は、鹿島鳴秋の詩になる『浜千鳥』の「青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が」と響き合っている、と思うのですがいかがでしょうか。

 この歌では、白石佐和子さんの1番独唱もさることながら、吉田静さんの存在感が凄いですね。2番独唱もそうですが、3番輪唱の吉田さん。1対3ながら、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんという先輩たちを向こうに回して、一歩も後に引かない堂々たる歌唱です。
 それにしても吉田さん、前の輪唱パートを歌っている3人の声に引っ張られずに、よく歌えるものです。「さすがプロ !」と感心してしまいます。

 この歌の動画には、私などよりずっと秀逸な「吉田静評」コメントがありますので、以下に転載します。

この歌は、吉田さんの圧倒的な歌唱力と存在感がすごいです。

吉田さんは日ごろは黙々と低音部を受け持ち、素晴らしいハーモニ­ーをかもしだしておられますが、ソロ歌手としてもこのような非凡­な力量をお持ちであるが故に、縁の下でも比類ない輝きを放ってお­られることが実感できる一曲です。 (転載終わり)

                        *

 ここから話はいきなり変わりますがー。

 先日長野県中川村でフォレスタコンサートがあったようです。「おっ、フォレスタ、天上から舞い降りて、おらが街にも来てくれるのか !?」と期待を持った全国のファンの方たちも多かったかと思います。
 それはともかく、下は同コンサート終了後の画像です。


メッツォ・ソプラノ吉田静のビタミンCちゃん日記

 また例によって、断りなしで吉田静さんのブログ『ビタミンCちゃん日記』から借用しました。(吉田さん、もしこれをご覧ならどうぞお許しください。)
 白石さん、中安さん、吉田さんという美女三人。皆さん、にこやかでいい表情ですね。「良い仕事をした !」という充実感、満足感が伝わってきます。私は根が正直なもので言っちゃいます。中でも吉田さん、オーラ活き活き、いやいっそ「フェロモン出まくり」とでも言ってしまおうか、ひときわ輝いて映っています。(独り言)吉田さんって、こんなに可愛い人だったんだ !

 吉田さんの迷惑顧みず、きょうはクリスマス・イヴだから、特別にもう一枚奮発しちゃえ !(笑)

メッツォ・ソプラノ吉田静のビタミンCちゃん日記

 これはフォレスタとは別の最近のコンサートで共演した、お二人との画像です。吉田さん、お二人を「美人の」と形容しておられます。しかしまたまた私が思うに、真ん中の吉田さんが一番の「美人」でしょ。その上本当に「華」があります。
 吉田さんの合わせた両手、「みんなハッピーになりますように☆」という、さりげないメッセージのようです。

 励まし、癒し、なごみ・・・。吉田静の「音楽の力&笑顔の力」は凄い !

 度々『ビタミンCちゃん日記』にお邪魔しながら、的外れかもしれませんが、今年は吉田さんにとって少し「試練の年」だったのかな?などと感じました。生まれて初めて大切な声が出なくなるなど。しかしそれが厄落しとなったのか、それ以後何か吹っ切れたように感じられ、何よりです。

 吉田静さんの一ファンとして、来年のさらなるご活躍を期待したいものです。とは言っても、プレッシャーには感じないでくださいね。自然体の「笑顔ピカピカのしぃちゃん」をお見せくださればそれで十分です。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
『「赤い鳥運動」について』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-4908.html

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2012年12月22日何も起きなかった

 -結局、この日は何も起きなかった。しかしそれによって、私たちに課せられている「目覚め」が免除されたわけでは決っしてない-

 「2012年12月22日本当は何が起きる?」。しかし結果として何も起きずに、いつもと変わらぬ日常のうちにこの日が過ぎました。

 それにしても、「2012年12月22日」への関心の高さはもの凄いものがありました。11月28日、それまでチラホラ見受けられた検索フレーズを借用して『2012年12月22日本当は何が起きる?』記事を公開しました。
 するとその当日から、このタイトルどおりの「2012年12月22日本当は何が起きる?」が、当ブログ検索フレーズランキング1位を連日独占し続けたのです。

 こんなことは当ブログ史上(笑)かつてなかったことです。さすがに何事も起こらなかった23日は、現金なもので潮が引いたように減少しましたが、22日までのトータルのユニークアクセス数(純訪問者数)は「11,803人」、アクセス数は「14,274件」となっています。
 これらのことから、いかにこの日が広く関心を持たれていたか、私自身認識を新たにさせられました。

 ご存知のとおり、この日は「人類滅亡の日」「世界の終わり」として、世界的に注目されていたのです。
 例えば米国ミシガン州とコネティカット州は、終末論の過熱に対応して、小学校を20日と21日に休校としたそうです。また中国では人類滅亡を唱える約千人が拘束され、アルゼンチンでは聖なる山での集団自殺を防止するため入山を禁止したといいます。

 驚くことに、米航空宇宙局(NASA)も黙ってはいなかったのです。何と公式ホームページで「世界は終わらない」とマジでコメントし、約4分半の映像まで公開しています。
 2012年12月22日が人類滅亡や世界の終わりを意味するものではないことは、同記事で述べたとおりですが、前世紀末のノストラダムス予言と同じような捉え方をしていた人々が多かったということなのでしょう。

 大騒ぎした割りには「2012年12月22日」、結局何も起きませんでした。これをどう解釈すべきなのでしょうか。
 実は「マヤ暦」は何種類もあり、肝心のマヤ族の中には「マヤの暦が2012年12月22日で終わりになる、というのは真実ではない」と唱える長老もいたのです。

 この説を最初に世界的に広めたのは、確かマヤ暦の研究家だった故ホゼ・アグエィアス博士だったかと記憶しています。
 「2012年12月22日」から逆算して、25年前の1987年8月16日から3日間、アグエィアス博士の提唱によってマヤや南米や富士山など世界中の各聖地で「ハーモニック・コンバージェンス」という祭典が行われました。これによって地球に張り巡らされていた「通過不可能な輪」が解かれ、地球人類はようやく銀河系市民の仲間入りできることが可能となった、と言われたのです。

 率直に申し上げて、私はむしろ私たちの「目覚め」を促すようなショッキングな出来事が起こった方がよかったのでは、と考えています。
 ただ誤解しないでください。私の言うショッキングな出来事とは、昨年の3・11&福島原発事故のような物理的出来事のことではありません。それは「スピリチュアルな目覚め」を促す出来事ということです。

 例えば、地球上空に(誰もが可視できるような)UFOの大群が出現したとか、地球外生命体(宇宙人)との出会いが実現したとか・・・。
 それによって、私たちのこれまでの生き様や価値体系を根底から見直さざるを得なくなるような出来事、ということです。

 しかし結果として何も起こらず、世の中は常なるさまですし、街行く人々もいつもと少しも変わりなし。この日何も起こらなかった以上、きのうに続くきょうが、きょうに続くあしたが・・・この先ずっと続いていくのでしょう。
 そんな日常の中で私たちは、ともすれば「自動操縦装置」的生き方に埋没していくことになるのでしょうか。

 「私たちは、日常生活に埋没することの恐ろしさを知らなければならない」(ある人の言)

 そんな私たちをよそに、特にこの国で顕著なように、(「闇の勢力」発令の人類家畜化計画による)政治など私たちの預かり知らぬ権力レベルでは、私たちをさらにがんじがらめに管理するための「生き(息)苦しい」体制が着々と進行中です。
 はっきり申し上げておきますが、私たちは動物に非ず、「神の子」です。私たちの一定数以上が覚醒すれば、「悪盛んにして天に勝つ」この状況を根本から覆すことができるのです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(12月24日号5面)
関連記事
『2012年12月22日本当は何が起きる?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-f091.html
『ハーモニック・コンバージェンス』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post.html
『「自動操縦装置」で生きるなかれ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-5dcb.html

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公共事業と金融緩和で日本経済は良くなるか

 -当面景気は上向くかもしれない。しかしトータルで考えると相当ヤバイらしい-

 自民党の安倍総裁は選挙中、景気浮揚をしきりに訴えていました。その経済政策を名づけて、「安倍」と「エコノミクス」から「アベノミクス」と言うのだそうです。
 えっ、安倍晋三の「経済政策」?「戦争屋」としてならよく認識してるけど、経済通とは一度も聞いたことないぞ。どうせ、米国御用達学者の誰かの入れ智恵によるものなんだろ。

 確か安倍晋三が自民党総裁に返り咲いて、真っ先にぶち上げたのが「改憲」と「国防軍創設」でした。小泉元総理がやりたかったのが郵政民営化だったように、安倍が再内閣で何としてもやりたいのがそれであることは明らかです。
 それには出来るだけ多くの票を集めて、民主党から政権を奪い、かつ安定多数以上の議席を確保したい。選挙中にわかに言い出した経済対策は、有権者への蒔き餌(まきえ)だったのです。

 それに、2014年4月からの消費税引き上げを実施するには、何としても「物価目標2%」などを掲げて国民に好況感を与えなければなりません。どうやら「消費増税」は、財政危機にあえぐ米国からの秘密指令のようですから、実施しないわけにはいかないのです。道理で“アメリカ様命”の財務省が、“操り人形な”野田をせっ突いてやらせたわけです。

 ともかく。「アベノミクス」の大きな柱は、金融緩和・円安誘導と公共投資だというのです。これにつられて、長期化するデフレ不況に苦しみ、その言葉を信じて「何としてでも景気浮揚してくれ」と、藁にもすがる思いで自民党に一票を投じた有権者も多かったことでしょう。

 衣の下に鎧を隠しているのは見え見えとしても、アベノミクスという経済政策によって、本当にデフレから脱却でき、景気が良くなるのだったら大いにけっこうなことです。
 しかし「安倍の円安政策は危険なインフレターゲットであり、日本を滅ぼす」と警鐘を鳴らす専門家もいます。円安による金利上昇によって、ハイパーインフレや金融セクターの崩壊を招く恐れがある、というのです。

 金子勝慶大教授も安倍の経済政策に疑問を投げかける一人です。以下に、『日刊ゲンダイ』の連載コラム「金子勝(慶大教授)の天下の逆襲」の直近記事を転載します。  (大場光太郎・記)

                         *

公共事業と金融緩和で日本経済は良くなるか

 
12月16日の衆院選は、投票率が史上最低になる中、自民党が290議席を超え、自公で320議席以上を確保した。
 支持率わずか20%の自民党が単独過半数を握った。政党政治は民意を全く反映しなくなるだろう。バブル崩壊以降、銀行の不良債権問題から福島原発事故に至るまで、誰一人として責任をとらない中で、その原因をつくった自民党政権になる。この国は滅びの過程に入った。

 思い起こしてみよう。
 「失われた20年」の間、公共事業で景気対策を行ってゴマカし、財政が悪化すると「構造改革」をとる。それが格差や貧困を拡大し、デフレが強まると、また景気対策に逆戻りするというように、常に2つの政策の間を揺れてきた。また逆戻りしただけである。
 その間、日銀の金融緩和政策をエスカレートさせてきた。

 小泉政治の結果、日本は格差と貧困が拡大し、雇用が壊れ、給料が下がり続けてきてしまった。このデフレをつくり出した張本人である自民党が、デフレの原因を日銀のせいにして、安倍自民党総裁は、大規模公共事業を行い、日銀に無制限に国債を引きうけさせる“劇薬”に手をつけるつもりだという。

 だんだん戦前とそっくりになっている。日銀法改正、憲法を改正して集団的自衛権に国防軍の創設、教育委員会の独立性を奪っていく。
 こんなタカ派路線をとれば、アジアで孤立し、ますます貿易収支は悪化するだろう。
 いまや中国、韓国への輸出が全体の3割を占め、アジア全体では5割以上に達している。日本経済は悪化するに違いない。

 それでなくても、小泉「構造改革」によって日本企業の競争率はガクンと落ちている。企業は内部留保をため込むだけで、技術開発を怠り、リストラして技術者を流出させたからである。スパコンでは決定的な後れをとり、ソフトやコンテンツを生み出す力も弱く、IT革命に取り残された。
 スマホの端末も本当に日本製が生き残れるのか分からない状態だ。

 公共事業を拡大し、日銀による無制限の金融緩和をしただけでは日本企業の競争力低下は止まらない。確実に「失われた30年」に向かうだろう。
 唯一の希望は、安倍首相の能力では政権が1年ももたないだろうということである。  (転載終わり)                         

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フォレスタの「赤いランプの終列車」

 -今は昔となってしまった、何とも郷愁的な男と女の別れの名場面を歌った歌-

   (「フォレスタ-赤いランプの終列車」のYouTube動画)
    http://www.youtube.com/watch?v=amAdmEM1FSo 

 小学校1年生当時、私が最初に覚えた流行歌は三浦洸一の『落葉しぐれ』だったことは同名の記事で述べました。この歌や『お富さん』『リンゴ村から』『別れの一本杉』などが、それに続く歌だったかと思います。
 おかしなもので流行歌というものは、母が歌っているのを聞いたり、ラジオから流れていたりすると何の努力感もなしにすぐに覚え、歌の意味も知らずに口ずさんでしまうものです。
 
 『赤いランプの終列車』。春日八郎(かすが・はちろう)が歌っていますが、この歌の主体は女性だと思われます。大倉芳郎のこの歌の歌詞は少し難しいところがありますがー。
 夜霧が立ち込めるある夜更け、とある駅から男が終列車に乗り込んだ。それをプラットホームにたたずむ女が、赤い(テール)ランプの列車が離れ去っても、いつまでもたたずみ見送っている、という設定だと思われます。

 列車・汽車での別れは格好の歌の場面であるようです。この歌や『なごり雪』などはその代表例と言えます。歌のみならず、映画でも、洋画・邦画ともに感動的な列車での別れのシーンを描いた名画がけっこうあったように記憶しています。

 同じ「終」でも終電車ではこういう叙情性はかもし出せません。その電車に息せき切って乗り込んで帰る所は、都電でいえばせいぜい東京のベットタウンの町田市、所沢市、我孫子市くらい。手を振って見送ってくれた彼女とは翌日すぐに会い、「やあ、ゆうべはどうもね~」ではあまりさまになりません。

 『赤いランプの終列車』での男は、行ったきりの片道切符なのです。「いつまた逢える旅路の人か」。新幹線など「け」もなかった当時、このフレーズには真実味がこもっています。

 この歌は春日八郎(1924年~1991年)にとってデュー作でもあり、出世作でもありました。
 たまたま浅草でクラシックの正統派歌手・藤山一郎のステージを見て歌手を志し、春日は故郷の福島県から上京してきます。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、いつぞや記事にした新宿の「ムーラン・ルージュ」で活動するもなかなかヒットに恵まれず、苦しい下積み生活を強いられました。

 1947年、キングレコードの第1回歌謡コンクールに合格し、準専属歌手にはなれたものの無給で、3年間ほど進駐軍の商品を横流しする闇商売に手を出していたといいます。そんなある時、同じく準専属歌手だった妻恵子の紹介で、当時名の売れた作曲家だった江口夜詩(えぐち・よし)と知り合ったのが、春日にとっての大きな転機となりました。
 と言っても、江口はいきなり歌を作ってくれたわけではありません。春日は江口の家に毎日のように通い、掃除をしたり肩をもんだりしながら、曲を作ってもらえるよう願い続けたのです。

 江口に「低音が出ないし、声が細い」と指摘されてもめげずに、河原で土砂降りの中発声練習をしたりと必死に努力しました。それが実り、ようやく江口は新曲『赤いランプの終列車』を作曲してくれたのです。
 同曲を吹き込んではみたものの、「無名のオレが売れるわけない」と、ヒットしなかった場合を想定して、新聞社に入ろうと履歴書まで書いたといいます。

 曲が作られた翌年の1952年(昭和27年)12月発売され、予想しない大ヒットとなりました。以後続けて発表された『別れの一本杉』『お富さん』なども次々に大ヒットし、春日の活動は一気に広がることになったのです。(以上4項、『ウィキペィア』-「春日八郎」の項などを参考)              
 私が物心ついた頃、春日八郎は既に三橋美智也と並ぶ歌謡界の大歌手でした。そんな春日にもこんな苦労話があったとは。少し長めでしたが、ざっと見てみました。

                         *

 4人の男声フォレスタによる『赤いランプの終列車』。春日八郎の元歌とは少し雰囲気が違うようですが、なにせ半世紀ものへだたりがあるのですから違って当然です。
 しかし時代がどう変われど、「愛別離苦」はこの人間世界の普遍的テーマです。そのへんの人生上の機微をうまく汲み取って、男声フォレスタが新感覚で捉え直した『フォレスタの赤いランプの終列車』になっていると思います。

 バスの大野隆さん、バリトンの川村章仁さん、テノールの横山慎吾さんと澤田薫さん。この歌、ほとんど独唱はなく4人全員によるフルコーラスですが、高音、低音ほどよくミックスされた、実に聴き応えのある良いコーラス曲になっています。
 昔懐かしい哀愁の名場面ここに蘇えれり、と言った感じです。「哀愁」と書いてふと思いましたが、この歌、ビビアン・リー主演の名画『哀愁』がヒントになったのかもしれない・・・。

 ここで勝手なお願いですがー。男声フォレスタには、冒頭の『落葉しぐれ』『リンゴ村から』『別れの一本杉』も、今後是非歌っていただければと思います。

 歌の2番から終列車はプラットホームを離れていくわけですが、それに合わせて、画面下の歌詞の字幕もシーソーのように揺らしていますし、歌っている4人の映像も少し激しく動かしているようです。これは滅多に見られない試みです。
 年配の方ならご存知かと思いますが、昔の夜汽車は確かにガタン、ゴトンとよく揺れましたよね。番組制作スタッフはあの感じを出したかったのではないでしょうか。
 深いブルーに夜霧が流れているような背景といい、視聴者も女性と一緒に終列車を見送っているような気分にさせる、なかなか考えた演出だと思います。

 この歌では、吉野翠さんのピアノ演奏に触れないわけにはいきません。吉野さんは、「吉野さん」というより「翠ちゃん」とつい言いたくなるような小柄で可愛い人ですが、なかなかどうして。やる時はやるんです。
 この歌では気合が入りまくっています。まるでピアノの神様が舞い降りて別モードになったかのようです。

 「吉野翠パワー炸裂 !」という感じです。特に2番と3番の間奏は圧巻で、吉野さんの独奏会のようです。私が聴いた範囲では、『花かげ』『フランチェスカの鐘』『雨のブルース』など印象的な吉野さんのピアノ演奏がありますが、この歌は、フォレスタにおける「吉野翠代表曲」と言っていいように思います。
 この歌の吉野さんのピアノ演奏から、しっとりした叙情的な曲なら南雲彩さん、弾んで軽快な曲なら吉野翠さん、と勝手に決め込んでしまいました。

 (大場光太郎・記)

参考
春日八郎『赤いランプの終列車』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=1iwzAxTIPAs
 (当時の世相をしのばせる映像つき)
関連記事
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
『三浦洸一「落葉しぐれ」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-049e.html
『「ムーラン・ルージュ新宿座」のトップスターだった人』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-5e93.html

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安倍自民党に「お好きにどうぞ」と白紙委任状

 -その気になって、増税、原発、TPP、果ては改憲、国防軍。何でもやってくるぞ-

 関連記事にも書いたとおり、私自身「再生か亡国かの重大選択選挙」と位置づけていたのが今回の総選挙でした。
 事前の新聞・テレビ各社の予測により、民主党から自民党に逆・政権交代しそうなことは分かっていました。と言うのも、政局の重大な節目節目で政治的潮流を決める鍵を握っているのは、実は大手マスコミだからです。

 残念ながら多くの国民は、新聞・テレビが流すご託宣(報道)に懐疑を抱き、それに影響されず、自分の頭で考えた投票行動を取るほどには成熟していません。だから自ずとそうなるわけです。

 それにしても結果的に、自民党に294議席、その友党の公明党に31議席、自公に絶対安定多数を超える「325議席」。与えすぎでしょ、いくら何でも。
 今回は、民主党政権の3年3カ月の失政・悪政に絶望し、「民主党は絶対ノーだ !」という気持ちは確かに分かります。かく言う私だって同じ気持ちだったのですから。しかしだからと言って、「民主党ノー = 自民党イエス」じゃないでしょ。そういう短絡捉え方こそ、大マスコミの思う壺なのです。

 何度もくり返しますが、「消費増税」「原発」「TPP」という三大争点に限ってみても、消費増税法案成立を巡って民自公3党密室談合をしたことで明らかなように、自民党と民主党の間に違いはほとんどありません。
 だから毎度申し上げてきたとおり、三大争点を巡る本当の対立図式は「民主vs自民」ではなく、「民主、自民、公明vs第三極」であったはずです。

 そして本当の意味での第三極とは、大マスコミが喧伝した維新の党ではありません。維新は橋下と石原の野合により、政策的に自民党などと大差ない、自民党補完勢力であることがはっきり見えてきたではありませんか。
 三大争点などで自公民と鮮明な違いを見せたのが、日本未来の党をはじめとした少数政党です。がしかし、政官業のパシリの大マスコミは「自公民+維新vs真第三極」という本当の対立図式は隠して報道しないです。

 国民有権者がいかに大マスコミの誘導・歪曲・偏向報道に左右されやすいか。自公に絶対安定多数を与える一方、白昼堂々「核武装論」を唱える石原慎太郎が党首を務める維新の党を、第3党(54議席)に躍進させたことからも読み取れます。
 そして大マスコミの「真第三極隠し」がまんまと功を奏して、未来の党(9議席)など「民意」を本気で汲もうとしている良識ある党は大惨敗です。

 今回は「裏切り民主党」によって政治に対する絶望感から、投票率は60%を切り過去最低だったようです。つまり今回自公が絶対安定多数を得たとしても、7、8割超の国民有権者が自民ないしは公明を支持したということではないのです。
 ざっと計算すると自公に投票した有権者は、全体の3割強に過ぎないのではないでしょうか。なのにフタを開けて見ると「自公325」の絶対安定多数。選挙区で一人だけが当選し、他の候補者への投票は大量に死に票となる、今の小選挙区制の怖さです。

 自公に民主や維新など、そのシンパとなるのだろう「右傾化」政党を含めると全480議席中436議席にも達します。この国の「批判勢力」は消滅したも同然です。おぞましい大政翼賛政治が再来しかねない政治状況が出来上がったのです。
 これはどう考えても健全な議会制民主主義国家の姿じゃありませんよ。こういう政治状況形成に加担している新聞・テレビの罪は万死に値します。

 ともかく、これで自公が提出する問題法案は片っ端から成立です。ご案内のとおり、自公合わせても参院では過半数に届きませんが、もう事実上の「ねじれ解消」です。ある法案が参院で否決されても、衆院に戻して数の論理で再可決すればオーケーなのですから。実際以前の安倍政権下で、何度もそういう場面を見せつけられましたよね。あれの超拡大版を嫌というほど、今後何年も・・・。あゝ嫌だ、嫌だ、勘弁だ。

 (大場光太郎・記)

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小沢氏、首相官邸前デモに参加

 -当然国内マスコミは無視だろうが、海外メディアはしっかり発信しているぞ-

 「日本未来の党」の小沢一郎氏が14日夜、首相官邸周辺で行われている原発再稼働抗議デモに参加したようです。
 以下はそのもようを伝える『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版』の記事の転載です。
 http://jp.wsj.com/article/JJ10349037927040093431916971459393829926412.html

                       *

 日本未来の党の小沢一郎氏は14日夜、国会周辺で毎週金曜日に行われている原発再稼働に抗議するデモに参加した。

 未来は衆院選の公約の柱に脱原発を掲げている。小沢氏は国会正門前に集まったデモの参加者を前にマイクを握り、「この総選挙において脱原発の声は必ずしも広がっていない。私どもは多勢に無勢の中で一生懸命、脱原発で頑張っている」と語り、未来への支持を訴えた。小沢氏の滞在時間は10分足らずだった。 

[時事通信社]  (転載終わり)


 小沢一郎(以下敬称略)は「日本未来の党」立ち上げの立て役者でありながら、現在無役です。しかし結党間もない「未来」は、選挙を知り抜いた小沢抜きでは考えられず、公示以来小沢は八面六臂の活躍です。

 四国の山の中の部落で、2、30人ほどの聴衆相手に第一声を放ったかと思えば、一転東京のど真ん中に現れたり。野田佳彦の千葉4区に三宅雪子候補の陣中見舞いに電撃的に訪れてスタッフを大感激させたかと思うと、久しぶりで地元岩手に入ったり・・・。
 とにかく神出鬼没、変幻自在といった感じでした。

 なお小沢ら「反消費増税派」を党外に追いやった野田佳彦は、やっぱり卑怯にも比例名簿に自分の名前をしっかり載せました。万一の場合を考えて保険をかけたのです。これが、曲がりなりにも与党党首のすることなのでしょうか。現職総理で二股をかけたのは、“サメの脳みそ”と呼ばれた森喜朗元総理以来二人目だそうです。
 ちなみに野田が党外に押しやった小沢一郎は、選挙区一本です。「負けたら引退する」と自ら退路を断っています。

 その小沢一郎が金曜日の夜、首相官邸周辺で行われている原発反対デモに飛び入り参加したというのです。同デモについては以前の記事でも取り上げましたが、何とまだ続いていたわけです。
 小沢が言うように、3・11&福島原発事故以来さすがに国民の意識が徐々に(良い方向に)変わりつつあるのかな、と思わせられます。

 ともかく。突然の小沢登場にデモ参加者の意気も一段と上がり、大盛り上がりだったようです。
 これも以前伝えましたように、小沢は自民党時代原発建設推進の立場にあり、それが福島の事故につながったことを深く反省しています。小沢の「脱原発」に賭ける思いは半端なものではないのです。

 小沢一郎の所属する日本未来の党は「卒原発」カリキュラムを掲げており、当然大飯原発の停止、大間原発の建設中止をはじめ「卒原発カリキュラム」を組んでいますので、以下に紹介します。

(1)前提環境の整備
~動かさない、造らない、ゴミを増やさない、値切らない~
1.大飯原発は即時に稼働停止する(他の原発再稼働も認めない)。
2.大間等の建設中を含む原発新増設を禁止する。
3.高速増殖炉もんじゅと六カ所再処理工場は即時に廃止する。余剰プルトニウムは不動化処分にする。
4.核拡散と原発リスク拡大を促す原子力輸出を禁止する。
5.使用済み核燃料の総量規制を実施し100年間の乾式貯蔵場所の社会的合意をつくる。
6.原子力損害賠償金額を大幅に引き上げる(最低20兆円規模にする)。
7.世界最高水準の放射性物質・廃棄物規制体制の確立と安全基準の改訂・適用。
8.各原子炉の危険度総合評価の実施とランク付けに沿った廃炉計画を策定し実施体制を構築する(炉の寿命は最長でも40年)。
未来の党「「卒原発カリキュラム」骨子」より http://www.nippon-mirai.jp/curriculum/index.html

 さらに「卒原発」のための代替エネルギーとして、小沢の腹案には「超臨界圧石炭火力発電システム」があることは直前の記事で見たとおりです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『「卒原発」のための新エネルギーがあるじゃないか !』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-9631.html

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「卒原発」のための新エネルギーがあるじゃないか !

 -こんな画期的エネルギーがありながら、この国を牛耳る暗黒勢力は伝えない-

 過日の『「日本未来の党」結成-自公民密室談合勢力の明確な対立軸』である人が、同記事への反論をされました。どうもその人は北海道にお住まいの主婦の方のようです。この人の場合あくまでも主婦目線で「原発は必要」と訴えているのです。
 原発関連についてなかなか勉強もしているようです。同文で紹介した脱原発方針のドイツでも、代替エネルギーが見つからず脱原発をすると高コストになる、だから脱原発は止めようという動きが起こり始めていることなどを述べておられます。

 確かに真冬では-20℃くらいにまで冷え込む北海道では、冬場の電力エネルギーなどの確保は切実な問題です。年々真夏日が長期化する関東以南の夏場とはちょうど表裏の関係です。

 しかし思い起こしてみてください。昨年の福島第一原発事故以来、今春野田政権が大飯原発再稼働にゴーサインを出すまで、我が国に54基もある全国各地の原発はまったく稼動していなかったのです。そのため電力消費量が最大となる昨夏は「電力不足」がしきりに問題となりました。
 しかしどうでしょう。結果的に深刻な電力不足などただの一日も来たすことなく、大過なく乗り切れたではありませんか。昨冬も今夏もそうでした。

 つまり我が国は、原発抜きの従来の水力、火力発電などだけでも十分対応できることが証明されたのではないでしょうか。
 「各原発をフル稼動させなければ、原発建設をさらに推進しなければ、この国のエネルギー消費がまかなえない」というのは、経済産業省、各原子力機関、東電など各電力会社など原子力利権勢力+マスコミによるプロパガンダなのです。
 「原発推進」を唱える、自民党、民主党、公明党などは同利権構造にしっかり組み込まれています。

 百歩譲って、原発抜きの現状エネルギーだけではこの先本当に深刻なエネルギー不足をきたす、と仮定しましょう。さきほどの北海道主婦さんの心配もそこにあったわけです。(この人は猛女らしく、「生活」「未来」事務所に電話でかみついたようです)。
 しかしご安心ください。私も今の今まで知りませんでしたが、ノーベル賞山中教授のiPS細胞ばりの世界に先駆けた新エネルギーが、この日本でもうじき完成しそうだというのです。
 以下は、それを伝える『日刊ゲンダイ』(12月15日3面)記事からの転載です。

                         *

小沢構想 卒原発これが切り札だ !

「安い」「クリーン」「地方再生」の三拍子

◆原子力ムラ、大メディアが"封印"する最新技術

「脱原発は絵空事だ!」「卒原発なんてできるわけがない」――。今回の衆院選、“原発推進派”の多くは“脱原発派”を批判し、発電コスト高などを理由に「脱原発は現実的ではない」と切り捨てている。

だが、本当にそうなのか?

脱原発は非現実的なのか。答えは「ノー」だ。

メディアは一切報じないが、実は原発に代わる画期的な「発電システム」がもうすぐ日本で完成しそうなのだ。

三菱重工など国内重電メーカーが開発した「超臨界圧石炭火力発電システム」などと呼ばれる技術がそれだ。未来の党の小沢一郎が、卒原発の“切り札”として構想を温めてきた。この発電方法、とにかく「スゴい」のひと言だ。

「簡単に言えば、石炭を使った火力発電ですが、従来の石炭発電とは、まったく違うシロモノです。石炭をガス化した燃料ガスと蒸気を使ってタービンを回すことで、ネックだったCO2やススの発生を大幅に抑制することに成功した。さらに、水分が多くエネルギー効率の悪い『クズ炭』と呼ばれる国内炭も効率よく燃やせる。この発電システムを使えば、国内炭だけで100年以上の発電需要を賄えるといわれています。原発をやめてこのシステムに移行すれば、100年かけて自然エネルギーの研究ができるわけです。原発推進派は『原発をゼロにすれば雇用が失われる』と言うが、この方法なら、閉山された各地の炭鉱がよみがえり、地方の活性化にもつながるのです」(経済ジャーナリスト)

この発電システムは、電力9社と電源開発(Jパワー)が出資する株式会社「クリーンコールパワー研究所」(福島県いわき市)が5年前から研究を開始。ほぼ実験段階を終え、来年4月に商品化される。クリーンコールパワー研究所の担当者がこう言う。

「CO2排出量は従来比20%減で、環境汚染物質もかなり低減できます。石炭なので原価も安く、発電コストは1キロワット時あたり40円台の太陽光に対し、たったの5~8円しかかかりません。実験用では発電量25万キロワットですが、実用化後は、50万~60万キロワット(原発は1基100万キロワット)になります」

原発立地地域への交付金も含めた原発のコストは1キロワット時あたり10円超ともいわれるから、実に半額で済む計算なのだ。

この技術には世界中が注目している。欧米諸国や東南アジアの関係者がひっきりなしに「クリーンコールパワー研究所」を見学に訪れ、この最新システムを次々と採用。日本の重電メーカーに発注しているという。信じられないことだが、知らぬは日本の国民だけなのである。

「これが本格普及すると、本当に原発ゼロが可能になります。ただ、そうなると原発を維持したい電力会社や経産官僚は都合が悪いので、国内での情報発信を“封印”しているのでしょう。3・11以降、メディアもこの発電技術をほとんど報じていません」(政界関係者)

卒原発は決して夢物語ではない。原発推進派のネガティブキャンペーンにダマされてはいけない。   (転載終わり)

関連記事
『「日本未来の党」結成-自公民密室談合勢力の明確な対立軸』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-6323.html

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テレビという周波数コントロール装置

 今回ご紹介するのは『プレアデス+かく語りき 地球30万年の夜明け』という本の中の一節です。あるいはご存知の方がおられるかもしれませんが、この本は今から20年ほど前米国で出版された「チャネリング情報本」です。
 この本については、いずれあらためて取り上げたいと考えていますので、今回はごく簡単にしか触れません。

 「プレアデス+」は、プレアデス星団を中心とした意識の集合体で、既に物理的な身体は有しておらず、自由自在な「意識体」(複数)としての存在であるようです。
 また「プレアデス+」は地球人類より数万年以上進化しており、「私たちは、あなた方地球人の未来です」というような意味深な記述もあります。地球&地球人類が大転換を遂げるという「今この時」、世界中に数百万人ほどいると言われる「光の家族」をサポートするために「過去に戻ってきた」というのです。

 この本は今やスピリチュアル関係者の間では古典化していますが、中で述べられている「プレアデス+メッセージ」はまさに驚愕の連続です。今回はその中で「テレビの本質」に関わる情報のみ以下に転載することにします。

 私は現在大新聞不購読の上無テレビ生活ですが、皆さんのほとんどは“テレビ漬け”な日々であることでしょう。どうぞこの情報をじっくりお読みいただき、“テレビ依存症”から徐々にでも脱け出してください。  (大場光太郎・記)

                         *

 現代の工業技術こそ周波数コントロールのための最大の武器の一つです。娯楽や便宜をはかるためのさまざまな機械が売られていますが、これはすべて、周波数コントロールに関係しています。あなた方にテレビを捨てることを強く勧めます。テレビは、毎日、毎日、あなた方の意識を操作するために使われている第一番の道具です。この実験はきわめて精妙に仕組まれているため、あなた方はテレビを見ることを通して、潜在意識のレベルで病気にかかってしまいます。ですから、いま一つの世代全体がテレビを見ることによって自殺しつつあります。そして、その過程で医療機関をサポートしています。

 あなた方がどんなに精神を高めることが可能な存在であり、かぎりない可能性を秘めた存在であるかというテレビ番組を見ながら、潜在意識のレベルでは、あなた方が独自の思考をすることを妨げる周波数による攻撃を受けているのです。(略)人間の皆さん、目を覚ます時間ですよ。

 テレビでの潜在意識コントロールの大部分は、地球外存在との協力のもとに開発された技術を使ってなされています。人間の意識を混乱させるために潜在意識コントロールを用いることは、世界的なプログラムになっています。(略)テレビの影響力はきわめて浸透性が高く、あなたがどんなに明確な理解を維持しようとしても、あなた方の振動周波数に対するこの技術のコントロールを覆すことはできません。

 あなた方の感情的な肉体を主食としている存在がいるということは前にもいいました。彼らにとってテレビがいかに巧妙な道具になっているか分かるでしょうか。世界中で、何十億という人間が、テレビで何かを見ては感情のジュースを大気圏に吐き出しています。あなた方を怒らせるために、戦争を作り出す必要はもうありません。映画を作ればよいのですから話は簡単です。

 テレビを見る必要のある人たちは、彼ら自身の頭脳のなかにある豊かな情報源、そして、また、彼らのまわりにあっていつでも入手できる情報源を活用していません。まったくの話、もしあなた方が進化したいと願うならば、新聞は読まないでください。ラジオを聞かないでください、テレビを見ないでください。ある一定期間マスコミを完全にシャットアウトして、混乱、焦燥、ストレス、多忙、無用なさまざまな誘惑の周波数から自分を解放すれば、明確になりはじめるでしょう。そうすれば、あなた方自身の内部で進行していることに耳を傾けることができ、この世界のなかで迷子になることなく、この世界をフルに生きることができるようになるでしょう。あなた方は明確になるでしょう。これはいくら強調してもしすぎることはありません。  (転載終わり)

引用
『プレアデス+かく語りき 地球30万年の夜明け』-「第8章 究極の暴虐のおよばないところ」より (著者:バーバラ・マーシニアック、訳者:大内博、太陽出版刊)

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安倍晋三の国防軍は実は「国亡軍」だ !

 -「国防軍」を創って誰が得する?全国民は大損。肝心のアメリカ様も喜ばない?-
 
 終盤に差しかかった衆院選挙戦、大メディアの予測によると、安倍自民党の圧勝に終りそうな雲行きです。それはそうでしょう。新聞・テレビは「今回の総選挙は、民主党と自民党の戦い。それに維新の党がどう絡むかだ」などと、変てこな構図を勝手にこしらえ、国民に「これでもか」と押し売りしているのですから。

 野田民主党も安倍自民党も、原発推進、消費増税推進、TPP推進と、今回の三大争点においてほぼ一致しています。だから民主vs自民という対立構図は、まったくのデタラメなのです。
 この三大争点で民主・自民と際立った違いを見せているのは、「日本未来の党」などです。だから本当の対立構図は「自公民+維新vs未来など真第三極」となるはずです。しかし米官業御用達の新聞・テレビは、これら「真第三極」の動向を意図的に伝えようとしていません。
 そして今や自民党補完勢力バレバレの、石原・橋下の“野合”維新だけが第三極であるかのような偏向報道に終始しているのです。

 戦前の朝日新聞などの軍部翼賛報道を、平成今日の新聞・テレビが繰り返しているのです。本来なら「卒原発」「反消費増税」「反TPP」という、一番真っ当なスローガンを掲げている「未来」などにもっとスポットライトを当てた報道をしてしかるべきです。
 しかし今や腐臭を放つ大マスコミは決して真実を報道しようとしない。これでは政治的意識レベルの高い国民有権者ほどドッチラケです。

 事前に「自民圧勝」が見えている選挙では、無党派層や若者層の棄権が増えて投票率が下がることが予想されます。そうすると全国に強固な支持組織を持つ自民や公明などがさらに議席数を上積みする。ますます悪循環です。
 世論誘導・世論操作によって、この最大の要因を作り出している、新聞・テレビの責任は極めて重いと断ぜざるを得ません。

 ともかく。安倍自民党に「安定多数」を与えてはいけません。自民党の安倍晋三総裁は、選挙前から三大争点、景気対策、震災復興、原発事故収束など肝心な事はそっちのけで、「国防軍の創設」「改憲」などと、国民にとっては大迷惑な“アナクロ”発言を繰り返しています。

 安倍晋三は国防軍を創ってどうしたいのでしょうか?
 まず考えられるのは、「親米右翼」の安倍としては、米軍と一体化した軍事行動が取れるようにしたいのでしょう。
 その前提となる集団的自衛権については、有難いことに“談合三兄弟”の野田民主党が既に同自衛権行使容認の方向性を打ち出してくれています。

 選挙結果にもよりますが、「自民+民主+公明+維新」が大連立を組むことも考えられます。これは「右傾化大連合」というべきで、これだけで衆参両院議員数とも8割以上に達しそうです。国会における憲法改正議決は簡単に通ることになるのです。
 現憲法の、特に「戦争放棄」を謳った第九条改悪のための条件が整うのです。大援軍の新聞・テレビが後を引き継いでくれます。以心伝心で例によって「憲法改正は絶対必要だ」とガンガン大キャンペーンを張り、国民投票に必要な「賛成過半数」に世論を誘導してくれるのです。

 こうして国防軍は国民に認知され、米国が先回りして“火種”を仕掛けておいた世界中の紛争地に、米軍の金魚の糞のようにどこにでもヒョイヒョイついていくことになるのです。
 先の戦争の悲惨な教訓などなんのその。当然ドンパチが起こり国防軍に多数の死傷者が出ます。公務員である今の自衛隊員で足りるわけがなく、当然「徴兵制」が実施されます。しかし若者を中心に兵役拒否が続出し、つまりは「国民皆兵制」に移行します。

 次に考えられるのは、「日中戦争」に対する備えとしての国防軍の必要性です。親米は裏を返せば「反中国」ですから、安倍の頭の中にはそのことも当然織り込み済みのはずです。
 石原老害が火をつけ野田が火に油を注いだ尖閣問題で、いま日中関係は最悪です。その上国防軍を標榜するウルトラ右翼の安倍が首相になればとうなるのか。両国がかつてない緊張状態になることは明らかです。

 今や米国を抜いて最大の貿易相手国になりつつある中国と、これ以上トラブルを抱えてどうするのでしょうか。すべてに輸入頼みの我が国がこうむるダメージは計り知れません。

 仮に全面的な「日中戦争」が現実になれば、結局は人口数や国土面積で十倍もの中国に適うはずがありません。嫌な想定ながら、最終的に物量戦となり、日本国土全体が焦土と化し日本人が全滅しても、向こうの国の国土と人口はまだ9割残る計算になるわけです。   
 さらに中国がミサイルで、ピンポイントで我が国の54基もの各地の原発を狙ってきたら?それこそ目も当てられないほどの地獄絵図です。

 日中とも大損害、特に我が国にとって超大損害です。「日中もし戦わば」、高見の見物で、極東における軍事的プレゼンスが得られ、なおかつ日本近海の豊富な資源を虎視眈々と狙っている米国の思う壺です。

 それに肝心の米国では、「戦争屋」の大ボスのD・ロックフェラーが失脚し、ユダ金の勢力地図が大きく変わっている可能性があります。「銀行屋」のロスチャイルドが米国と世界のコントロールを取り戻したとなると、米国の「世界戦略」の見直しがあってもおかしくはありません。
 最近の『日本の右傾化は衰退の兆候だ』で見たとおり、欧米の有力紙誌が「日本の右傾化」に懸念を表明しているのはその表われなのかもしれません。

 そうなると折角国防軍を創ってもアメリカ様にはそっぽを向かれるわ、近隣の中国・韓国・ロシアからは要らざる警戒・反発はされるわ。我が国は北朝鮮と並ぶ「世界の孤児」となりかねません。

 維新の党の石原“老害”党首の核武装論とともに、安倍晋三の国防軍創設構想は「国亡」への片道切符です。今回の総選挙で安倍自民党や民主・公明・維新などその友党に投票する国民有権者は、無批判に安倍自民党などをヨイショする大マスコミとともに、後々しっかりと結果責任を取ることになることを覚悟すべきです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『日本の右傾化は衰退の兆候だ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-06d6.html
『安倍晋三、自民党総裁再就任の危うさ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e0bf.html
『尖閣・日中対立とユダ金米国のシナリオ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0d40-1.html

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フォレスタの「冬景色」

-『早春賦』『朧月夜』『夏は来ぬ』などと共に「日本的原風景」の名叙情歌-

   (「フォレスタ - 冬景色」のYouTube動画URL)
    http://www.youtube.com/watch?v=0abTHEWi_Jw
   

  冬景色   (作詞、作曲:不詳)

さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず、岸の家。

烏(からす)啼(な)きて木に高く、
人は畑(はた)に麦を踏む。
げに小春日ののどけしや。
かへり咲(ざき)の花も見ゆ。

嵐吹きて雲は落ち、
時雨(しぐれ)降りて日は暮れぬ。
若(も)し灯火(ともしび)の漏れ来(こ)ずば、
それと分かじ、野辺(のべ)の里。

 「さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の 舟に白し、朝の霜。」
 立ちこめていた霧のヴェールが上がるとともに見えてくる海辺の冬景色。何とも心にくい歌い出しではありませんか !
 以下に続く、野辺の里の昼と夕べの冬景色のさまも極めて視覚的、絵画的で、一つ一つの情景が目に浮かぶようです。

 この歌は大正2年(1913年)刊行の『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出の文部省唱歌です。
 それからずっと遅れて、戦後昭和生まれの私も、ちょうど小学校5年生(昭和35年)の初冬頃に学校の音楽の授業で習いました。どなたもそうだったことでしょうが、東北の山国にはさすがに「さ霧消ゆる湊江」という景色はなかったものの、おおむね自分の郷里の冬景色そのままの歌と捉えていました。

 かくも格調高く美しい文語調のこの歌を、大正初期から私らの世代までの小学生たちは当たり前のように学校で教わったのです。もろちん国語の授業ではないのですから、この歌の難解な詩語の意味を一々読み解いてもらったわけではありません。
 しかし実はそんなことはどうでもいいのです。その時は分からずとも、少年期にこういう良い歌を習い覚える、ただそのことに意義があると思うのです。

 それによって知らず知らずのうちに「情操」が育まれ、心の奥深くに詞とメロディが沁み込んでいきます。沁み込んだ証拠として、半世紀を過ぎた今でもこの歌の歌詞をほぼそのまま口ずさめるのです。
 この歌は平成19年(2007年)、「日本の歌百選」に選ばれました。

 『冬景色』の舞台となったのは関東以南の地方のように思われます。この歌には北国の冬には付き物の「雪」が出てきませんから。
 「小春日」「かへり咲の花」「時雨」。これらはすべて初冬の風物詩(季語)です。「さ霧」(「狭霧」。「さ」は霧の美称を表わす接辞)も晩秋から初冬にかけて発生しやすい気象現象ですから、この歌は、晴れた初冬の穏やかな小春日和の一日を詠んだ歌と言っていいのでしょう。

 ただ「麦を踏む」だけは少し季節がズレているようです。俳句的には「麦踏(むぎふみ)」は春(早春)の季語ですから。「霜柱で根が浮き上がってしまうのを防ぐため、またいたずらに伸びては株張りが悪く収穫が少ないので、たくさん株を出させるために麦踏を行う。」(角川文庫版『俳句歳時記-春の部』より)
 この歌を、早春にほど近い「春隣(はるどなり)」の頃の歌としても、いっこうに差し支えありません。ただ私は全体的な雰囲気から、ちょうど今頃の「初冬の歌」としたいのです。

                          *

 この「日本的原風景」の名叙景歌を、フォレスタコーラスが歌ってくれています。男声4人と女声4人の混声コーラスです。

 1番独唱は矢野聡子さん。一人前面メーンに立っての、矢野さん独特のうんとキーの高い歌声です。後に続く男声コーラスが低い音程に聴こえてしまうほどです。
 「楝(おうち)散る川辺の宿の 門遠く水鶏(くいな)声して・・・」。
 『夏は来ぬ』4番の矢野聡子さんの歌声には、本当にジ~ンとさせられました。また『湖畔の宿』でも独唱し、そしてこの歌でも海辺の情景を熱唱していて。「水辺の歌なら矢野聡子」ということなのでしょうか?

 例えば「矢野聡子さんの復帰はいつですか?」。矢野さ~ん、皆さんお待ちかねですよーッ。早く戻ってきてくださ~い !

 2番は一転して、大野隆さん、川村章仁さん、榛葉樹人さん、横山慎吾さんによる男声コーラスです。先ほど述べたように、矢野さんの後で一オクターブ低く聴こえますが、これが普通なんでしょうね。
 2番後半からの、男声にかぶさる女声の斬新なスキャットあたりから、混声コーラスの醍醐味発揮という感じです。

 冬景色ということで雪をイメージしたのか、矢野聡子さん、中安千晶さん、吉田静さん、白石佐和子さん4女声の純白のドレス、とっても素敵です。いえ、この歌の混声コーラス、それ以上に素敵です !

 (大場光太郎・記)

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『フォレスタコーラス』カゴリー 
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同じ事二度ある仕組?

  同じ事二度くり返す仕組ざぞ、このことよく腹に入れておいて下されよ、同じこと二度。 (昭和二十二年八月二日『日月神示』)

 今から71年前の昭和16年(1941年)12月8日未明、旧日本海軍が米国ハワイ州の真珠湾を攻撃し、日米戦争の火蓋が切って落とされました。以来3年8ヶ月余、同戦争が続くことになったのです。
 その結末が日本にとってどれだけ悲惨なものであったか、どなたもよくご存知のことでしょう。そしてそのことが、米国隷属というイヤな後遺症としてこの国に今日にまで深刻な影響を及ぼしていることも。

 昨年のこの日、『もう一つの12月8日未明』という記事を出しました。これによって、真珠湾攻撃による日米開戦は、この現象世界の単なる突発的な出来事ではなかった可能性があることを確認しました。

 ごく簡単におさらいすればー。真珠湾攻撃を遡る6年前の同日、つまり昭和10年(1935年)12月8日未明、ある重大な出来事が起こっていたのです。
 それは当時の旧天皇制国家による、大本(おおもと)教団に対する「2度目」の弾圧事件の発生です。その後何年にも渡って続くことになる同弾圧は、世界の近代宗教弾圧史上類を見ないと言われるほど過酷なものでした。どれだけ凄まじいものだったか、心ある方は『もう一つの12月8日未明』をご一読ください。

 聖師と呼ばれていた大本の中心者の出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)が出獄してきたのは、じつに6年8ヶ月ぶり(この年月数にも暗合あり)となる昭和17年8月7日のことでした。その時王仁三郎は「ワシが出てきた時が戦(いくさ)の負け始めじゃ」と言っています。事実同月すぐのガダルカナル島での大敗北によって、日本の負けが決定的になったのです。

 出口王仁三郎は後にこうも言っています。「今回の大戦で何の罪もないのは世界中で大本だけじゃ」。実際バチカン(ローマカトリック)だって、英仏米フリーメーソン連合国を嫌ってナチスドイツに肩入れしたのですから。大本は幹部たち三千人以上が投獄され、全国の施設が歌碑のたぐいに至るまで破壊されました。結社は強制的に解散させられたも同然ですから、「無罪」なのは当たり前なのです。
 それに弾圧の根拠とされたのは治安維持法違反、不敬罪の二つでしたが、治安維持法違反は昭和17年に無罪確定、不敬罪も戦後すぐに無罪となりました。

 昭和10年の第二次大本事件と、昭和16年の真珠湾攻撃と。同じ「12月8日未明」の符合は何を物語るのでしょうか。他に幾つも暗合が重なり合っており、大本研究者にとって単なる偶然で済まされるものではないのです。
 大本教祖・出口直(でぐち・なお)に、艮金神(うしとらのこんじん-実は地球国祖・国常立大神)から降ろされたお筆先『大本神諭』は有名です。その中で、以下のようなことが繰り返し出てきます。

 「大本は日本と世界の型をするところ」
 「大本に起きた事が世界に響いていくのじゃから、箸が転げ落ちたことまで書きとめておいくだされよ」
 「大本が潰れれば日本も潰れる」

 出口王仁三郎は事件前「大本は宗教などでは断じてない」と言っていたといいます。では大本は一体何だったのでしょう。ある研究者は「神劇団だったのだ」と言っています。どういうことなのでしょうか。
 神の地上代行者の出口王仁三郎によって集められた大本関係者たちによって、日本と世界を「立替え、立直し」するのための“雛型”が演じられていたというのです。もちろんこれは邪神たちに知られ、妨害されてはいけない正神界の最重要機密事項ですから、真相を知っていたのは出口王仁三郎ただ一人です。

 この神劇は、神界の国祖大神の御意思が、幽界を経て現界の大本の出口聖師に伝わります。聖師はその御意思を汲んで神劇団員(大本信徒ら)や状況を動かします。(神幽現・三界移写の法則)
 そうして大本で演じられた型が、やがて日本と世界に拡大していくという神秘極まりない仕組なのです。(大本、日本、世界拡大の法則)

 中でも「12月8日未明の型」は、そのスケールにおいて前代未聞だったと言えます。全国数百万人の大本信徒はもとより、遠山満、北一輝といった右翼の大物、時の日本政府、いな昭和天皇までをも巻き込む壮大なスケールの神劇だったのですから。

 「12月8日未明」などの暗合から、第二次大本事件は日米戦争、敗戦、占領に至った先の戦争の型と捉えがちです。しかしどうもこれは違うようです。
 先の戦争の型は、大正10年に起きた第一次大本事件だったのです。

 そこで冒頭の、昭和22年の『日月神示』(ひつくしんじ)の「同じ事二度ある仕組」という預告となるわけです。ご存知の方も多いかと思いますが、『日月神示』は一時大本に関係していた画家の岡本天明師に、戦争末期から降ろされた神示です。『大本神諭』と同じ国祖系神示です。
 第一次と第二次では「激烈深刻さ」において比較になりません。その第二次大本事件の拡大版はまだで、今後日本を中心として世界に起きるのだとしたら・・・。

 今日の日本政界の大混迷、まず「大政翼賛連立」ありきの今回の総選挙、世界的金融危機、長期化する不況、失業者・フリーターの拡大、モラルの低下。増大する社会不安、ネット規制などの言論統制強化、強まる官僚支配、集団的自衛権行使容認・国防軍創設・改憲・核武装論、右傾化する主要各政党、無批判に翼賛報道を垂れ流す言論機関・・・。
 かつての「天皇中心主義」が「米国中心主義」に変わっただけで。「この道はいつかきた道」。戦前とのあまりの相似形に、背筋に寒さを覚えるのは私だけでしょうか。「大難を小難に、小難を無難に」と祈らずにはおられません。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『もう一つの12月8日未明』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-5be6.html

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日本の右傾化は衰退の兆候だ

 「この道はいつかきた道」。安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
  (寺嶋眞一氏)

 『日刊ゲンダイ』に、「金子勝(慶大教授)の天下の逆襲」という連載コラム(隔週火曜日掲載)があります。金子勝氏といえば、以前見ていたテレビ朝日の『朝まで生テレビ』の常連コメンテーターとしてよく出演していて、あまり多弁な人ではないながら、核心を衝いた発言をしていました。
 その金子教授、最新の同コラム「日本の右傾化は衰退の兆候だ」というタイトルの一文を載せています。興味深い一文なので以下に掲載します。

 とその前に、例によって私の拙い前説を述べていきます。

 私自身以前の政治記事の中で何度か「国が下り坂になるとナショナリズムが台頭してくる」と述べました。
 つい最近の尖閣問題に見られる「反中国感情の高まり」など、確かに国民の間の右傾化傾向は顕著になりつつあるようです。そしてこの時代は、出口の見えないデフレ不況、政治的混迷、異常な事件の頻発・・・。
 もう67年を数える戦後日本の歩みの中で、今ほど国民が将来不安を抱え、閉塞感が満ちている時代はなかったと思われます。

 戦後日本の中で一番活力があったのが、高度経済成長期の昭和4、50年代でした。ではその頃右傾化の嵐が吹き荒れていたでしょうか。いいえ、決してそんなことはなかったのです。あの頃は国民全体が「明日への希望」に目を向けることができ、エネルギーのベクトルはそちらに向けられ、余計な変なことに目を向けずに済んだのです。

 こうしてみると、今の時代の「右傾化」「ナショナリズム」は少なくとも前向きで建設的なベクトルではなさそうです。安倍晋三自民党総裁が「国防軍の創設」など戦前回帰的なことを唱えているように、逆に後ろ向きなベクトルといっていいようです。
 政治の世界でいえば、安倍自民党以外にも、野田民主党はこれまた右傾の松下政経塾党といっていい状況です。維新の党もまた然り。選挙後はこれら右傾談合勢力が翼賛的に連立を組むことになるのでしょう。

 GDP、国としての格付け、車・家電などの国際的競争力、就業人口数、子供の学習力・・・。どれもかつては日本が世界に誇れたものですが、国際的各指標から見て軒並み低下しています。
 本来ならばエネルギーはそれらの指標を押し上げる方向に向かうべきなのに、そのような強いエネルギーに乏しいがために、弱いエネルギーがつい横路に逸れ自己陶酔的な右傾化、ナショナリズムに向うのだと思われるのです。 (大場光太郎・記)

                         *

金子勝(慶大教授)の天下の逆襲「日本の右傾化は衰退の兆候だ」

 以前、このコラムで、安倍晋三と石原慎太郎の名前をあげ、外国メディアが日本の右傾化を懸念していることを紹介した。
 ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、CNN、ブルームバーグ、英エコノミスト誌、ルモンド・・・とキリがないが、海外の主要メディアは一斉に日本の右傾化を批判している。

 つい最近は「ソフトパワー」で有名なハーバード大のジョセフ・ナイ教授が、「日本のナショナリズムは衰退の兆候だ」という一文を、英フィナンシャル・タイムズ紙に寄稿している。ナイ教授は、世論調査によると安倍首相が誕生することになるが、日本の右傾化は衰退を意味するという。日本が衰退し内向きになることで、アジアが不安定化するのを懸念しているのだ。
 アメリカまでが、日本の右傾化に不安を強めていることに注目した方がいい。

 ところが、日本のメディアはどうだろうか。正面からの右傾化批判は、ほとんど見られない。かつてなら朝日、毎日は、強く批判したはずだ。日本のメディアも衰退の兆候が表われているのではないか。
 それは、政治部の記者が政策をきちんと勉強せず、御用達の言うがままで政局報道に明け暮れているからだろう。記者たちはどんな政策を選択したらいいのか、国民に問いかけることが出来なくなっており、結局、日本の右傾化を招いているのだ。

 大手メディアは、原発報道ですでに国民から見放されつつある。そのうえ、小泉劇場政治に乗った反省もなく、暴走老人の石原慎太郎やテレビ瞬間芸の橋下徹を無批判に取り上げ、政策がコロコロ変わってもきちんと批判しないで追いかける。
 安倍晋三は「国防軍だ」「改憲だ」「日銀法の改正だ」と、戦時中のような政策を次々に打ち上げているが、大手メディアは、まさか、こんな政策によって日本が良くなると信じているわけじゃないだろう。なぜ正面から批判しないのか。

 その一方で、「未来の党」については政策の中身ではなく、小沢色が強いウンヌンと、自民党とまったく同じトーンで批判しているのだから支離滅裂だ。「卒原発」は朝日、毎日の主張と変わらないはずなのに。これでは日本の衰退は止まらない。 (転載終わり) 

引用
『日刊ゲンダイ』(12月5日7面) 
関連記事
『寺嶋眞一先生とのやりとり』 
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-ee75.html            

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この国の重大な選択選挙に思うこと

 「誰がこの者に敵対できようか・・・とりこになる者はとりこになっていく」 (『ヨハネによる黙示録』より)

 ヨハネ黙示録の「この者」とは、キリスト教的文脈で言えば「サタン」「年古し蛇」「龍」などと呼ばれる反キリスト存在です。大げさなことを言うようですが、現下の我が国の政界、官界、財界プラス大メディア、つまりこの国の支配構造をまるごと奥からコントロールしている勢力の核が「これ」だと思われるのです。

 それは戦後の我が国にとって、一言で言えば「米国」という国名を挙げれば事足りるのかもしれません。
 それでは漠然とし過ぎるというのであれば、ロスチャイルド&ロックフェラー、ユダヤ国際金融資本(ユダ金)、イルミナティ、フリーメーソン、ジャパンハンドラーズ・・・。

 外部の者にはうかがい知れないそれらは、実態がよく掴めず、一見互いに何の関係もなく存在しているように思われます。しかし実は根っこではしっかり手を握り合っているのではないでしょうか。
 「新世界秩序(NWО)」「世界統一政府」「グローバリズム」「新自由主義」・・・。これら耳障りのいいスローガンは、それらが等しく共有するサタニズム的意図を秘めたものなのでは?

 これに魔素直に乗っかっているのが、我が国の政官財+マスコミです。
 イラク戦争当時、某民放情報番組で、外務省ОBの岡崎某なる者がいみじくも言っていました。「アングロサクソンは歴史上一度も戦争に負けたことがない。だから日本は、孫子の代までアングロサクソンについていくのが一番間違いない道なんだ」。
 まあ、東大法学部を出て、外務省高官を務めた知的エリートがこれかよ。私は憤りを通り越して呆れ果ててしまいました。

 我が国のご主人筋の米国は、歴代大統領を見ても分かるとおり、英国と並ぶアングロサクソン国家と言えます。
 確かに我が国は、先の戦争で米国から徹底的に叩きのめされたのでした。その結果内務省をはじめとした当時の官僚群は、途端に「アングロサクソンコンプレックス」に罹ってしまったのです。

 当時の官僚たちのDNAをそっくり受け継いでいるのが、今の「霞ヶ関官僚群」です。だから先の岡崎行彦(あっ、言っちゃった)のような発言になるわけです。
 財務省、外務省、経済産業省、防衛省・・・。各省次官以下高級官僚はすべて米国の方を向き、その顔色ばかりうかがっています。中には外務省ОBの孫崎享氏のように驚愕の「日米関係の真相」を暴露したり、天木直人氏のように小泉ポチ公のイラク戦争追随に抗議し中東大使を辞任した骨のある人もいますが、ごく少数です。

 官僚たちの姿は、昭和30年代初頭の文壇にセンセーションを巻き起こした、沼正三の『家畜人ヤプー』そのものです。尾篭な話ながら、この売国奴連中はご主人の米国様の汚物だって嬉々としてほおばりかねないのです。

 戦後政界もそのとおりです。
 佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎、森喜朗・・・。彼らは主に自民党清和会の流れですが、徹底的な「対米隷属派」です。ここで一々検証しませんが、彼らはすべて小沢一郎など比較にならないほどの巨悪連中です。しかし不思議なことに、清和会の大物は誰一人逮捕者を出していません。目の前に動かぬ証拠を突きつけても検察は見て見ぬふりです。それどころか、対米隷属のご褒美に、ほとんどが戦後歴代の長期政権になっています。

 ひるがえって徹底的に「迫害」を受け続けてきたのが旧田中派、経世会です。筆頭が田中角栄です。名高いロッキード事件、口火を切ったのは日本議会ではなく、米国議会における何とか証言でした。一報を聞いた角栄が、「しまった。ユダヤにやられた」と叫んだのは有名な話です。
 まさにそのとおり。田中角栄は米国に相談なしで(相談したら出来なかった)日中国交回復をやり、米石油メジャー抜きの中東産油国からの直接原油輸入を計画していました。田中は「世界帝王」D・ロックフェラーの逆鱗に触れたのです。

 田中角栄の愛弟子だったのが小沢一郎です。小沢は民主党代表だった09年初頭、「我が国を守るには米第七艦隊だけで十分(あとの全米軍はどうぞお引取りいただきたい)」と“不用意”発言をしました。
 東京地検特捜部が動き出し、大久保元秘書が「冤罪」逮捕されたのはその直後です。一昨年も述べたことですが、東京地検特捜部は元々は、後にCIAへと発展していくことになるGHQの特殊部門が創設した組織なのです。

 どちらも悪名高い旧自民党派閥ですが、自主独立志向の経世会と対米隷属志向の清和会と。米国へのスタンスの違いで、これだけの落差があるのです。

 取りとめのない一文になりましたがー。
 今回の総選挙の「原発」「消費増税」「TPP」という三大争点のすべてに「米国」が深刻な陰を落としています。今回の選挙の選択とは突き詰めて言えば、「米国、是か非か」に尽きるです。
 この際言っておきますが、「米国についていけば孫子の代まで大丈夫」などという変な「安心理論」は、もう通用しません。それどころか超悲惨な近未来が待ち受けています。賢明な読者の方はとうにお分かりだと思いますが。

 (大場光太郎・記)

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ペルセポネの略奪

 前回は、竪琴の名手であるオルフェウスが、亡き妻エウリュディケをこの世に連れ戻すべく「冥府下り」をした物語を見てきました。この物語の中でオルフェウスの奏でる妙なる竪琴の音色に、さしもの冥王ハデスも心を動かされ「よかろう」となったのでした。
 分けても深く感動したのが冥王の妻であるペルセポネでした。ハデスによる「エウリュディケ連れ戻し許可」は、ペルセポネの強い執りなしがあったからなのです。

 もっとも、折角妻を取り戻しかけたオルフェウスでしたが、ハデスから「何事があっても決して後ろを振り返っはならない」と固く言い渡されたにも関わらず、つい後ろを振り返りすべて水泡に帰してしまいました。
 こうして「オルフェウスの冥府下り」は一大悲話となったのでした。

 実はペルセポネが冥王の妻となるに至った次第も「悲話」であるのです。今回はその悲話について見ていきたいと思います。

                        *

 ペルセポネはそもそもは「コレー」と呼ばれた、ゼウスとデメテルの娘でした。ある時ペルセポネ(コレー)は、ニューサという山地の麓の野原でニンフ(妖精)たちと花を摘んでいました。
 すると、とある場所に、ひときわ美しい水仙の花が咲いているではありませんか。つい美しい水仙に魅せられたペルセポネは、その花を摘みたくなって、ニンフたちから離れてしまいます。

 と、その時です。急に大地が裂け、地の底から、ヨハネ黙示録の「死を司る第4の騎士」さながらの、黒い馬に乗ったハデスが現れたのです。そしてハデスは、次の瞬間ペルセポネをかっさらって、冥府に連れ去ってしまったのです。
 ハデスは以前から美しいペルセポネに目をつけ、自分の妻にしようと機会をうかがっていたのでした。

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ペルセポネの略奪 (レンブラント画)

 
愛する娘が行方知れずになったことを知った母デメテルは半狂乱になり、オリュンポスの神々に娘の行方を尋ねて回りました。その結果太陽神ヘリオスの語るところにより、娘は冥府に連れていかれたことを知ったのです。

 ゼウスの数多い“臨時妻”の一人だったデメテル女神は、すぐさまゼウスに抗議に向かいます。しかしゼウスはまったく取り合おうとしません。それどころか、「冥府の王であるハデスなら夫として不釣合いではあるまいて」と、平然と言い放ったのです。
 これを聞いたデメテルは、娘の略奪にゼウスも一役買っていたことを知り、激怒します。

 実は豊穣の女神であるデメテルはオリュンポスを去り、姿を隠し、大地に実りをもたらすことを止めてしまったのです。そのため地上は、たちまち大飢饉に見舞われる深刻な事態となってしまいました。

 一方冥府に連れ去られたペルセポネは、丁重に扱われたものの、自分から進んで来たわけではないため、冥王ハデスのアプローチにも首を縦に振ることはありませんでした。

 豊穣の女神デメテルのサボタージュに大弱りなのが主神ゼウスです。たまらず智恵の神ヘルメスを遣わし、ペルセポネを開放するようハデスに伝えました。ハデスもしぶしぶこれに応じ、ペルセポネは開放されることになります。

 その時ハデスは、ペルセポネにさりげなくザクロの実を差し出しました。それまでは頑なに拒み続けてきたペルセポネでしたが、ハデスが丁重に扱ってくれたこと、何より空腹に耐えかねて、ザクロの実にあった12粒のうち4粒(6粒とも)を食べてしまいます。
 これが実は、ハデスの巧妙な罠だったのです。

 こうしてペルセポネは母デメテルの許(もと)に無事帰還しました。しかし娘から「冥府のザクロを食べてしまった」ことを聞かされたデメテルの嘆くまいことか。
 我が国の『古事記』神話でも、黄泉の国(よみのくに)に身罷ったイザナミは「黄泉戸喫(よもつへぐい)」したため、自力では黄泉の国から出られなくなったのでした。オリュンポス神話でも、「冥界の食べ物を食(しょく)したる者は冥界に属すべし」という神々の取り決めがあり、そのためペルセポネは、イヤでも冥界に属さねばならぬ身となったのです。

 母デメテルは神々の法廷に進み出て、「娘は詐欺的行為により無理やりザクロを食べさせられたのだ」と、無罪を訴えます。しかし神々の取り決めを覆すことは出来ませんでした。ただ最終判決には恩情的なところもありました。
 判決主文にいわく、「一つ。被告ペルセポネは、食(しょく)したるザクロの数だけ、すなわち一年のうち三分の一(または二分の一)を冥府にて過ごすべし。二つ。残りの期間は地上にて過ごすを可とするものなり」

 こうしてペルセポネは、やむなくハデスの王妃として嫁いでいきました。その結果、母デメテルは娘が冥府にいる時期は、地上に実りをもたらすことを止めてしまったのです。これが、ギリシャ神話における「冬という季節」の始まりとされています。
 またペルセポネが地上に戻る時期は、母デメテルにとって喜びが地上に満ち溢れる季節、つまり「春という季節」なのです。そのことからペルセポネは、冥王の妻でありながら「春の女神」とも呼ばれています。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「ぺルセポネー」の項
関連記事
『ギリシャ神話』カテゴリー(直前の『オルフェウスの冥府下り』シリーズあり)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html

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「未来の党」比例40%、76議席固めた !?

 -この国の悪政治状況の根本的改革のため、新党「未来」の大躍進を望む !-

 嘉田由紀子滋賀県知事(62)を代表とする「日本未来の党」(以下「未来」と略記)が旗揚げしました。「未来」の第一の旗印は「卒原発」です。が、「未来」は近未来政権与党を目指そうかという志の高い政党ですから、もちろんそれだけではありません。
 消費税反対の「脱増税」、女性の社会参加を進める「活子供・女性」、品格ある自主独立外交を進める「誇外交」などなど。どれも皆心ある国民有権者が求める政策ばかりです。

 こういう政策は、米官業利権にガチガチに取り込まれている自民、民主、公明など既成政党が打ち出そうにも打ち出せない画期的な政策です。
 多くの国民は、消費増税法案の時のように国運を左右するような大事な問題で、国民の意思とは無関係に密室談合で勝手に決めてしまう自公民談合政治に危うさを感じています。
 しかしどの党も過半数を取れる見込みがない状況を見越して、早くも選挙後自公民による連立の仕組みだけが決まっているシラケた状況でした。

 このヒドイ状況に一役買っているのが大マスコミです。新聞・テレビは国民有権者に「自公民+維新の中からどれかを選べ」と言わんばかりの報道を連日繰り返しているのです。どっちに転んでも選挙後に待ち受けているのは、この国の破滅につながりかねない翼賛政治です。「脱原発」「反増税」「反TPP」という選択が予め封じ込められている、絶望的な状況でした。

 しかしここに「未来」の登場です。「卒原発」に象徴されるように、「自公民+維新」という不毛な選択とは対極的な選択が可能となる政党が誕生したのです。
 例によって米官業旧勢力のパシリに堕している大マスコミは、直後から「未来」バッシングにおおわらわです。それにモロに影響される層は致し方ありません。それでも大マスコミの意図に反して、結成わずか数日なのに「未来人気」急上昇のようなのです。

 世界の国々の中でも「闇の勢力」のコントロールが厳しいのが日本です。しかし「ネット市民」を中心にそのガチガチの呪縛に気づき、目覚め、「草の根民主主義」が着実に広がりつつあります。「未来人気」はその証明のように思われるのです。

 公示直前ながら、では「未来」はどれくらいの議席を獲得出来るのでしょうか?
 『日刊ゲンダイ』(12月1日号3面)で「比例区」に絞った予測をしていますので、以下に転載します。  (大場光太郎・記)

                        *

これは絵空事ではない 未来の党 比例で40%、76議席を固めている

 電撃的に旗揚げし、選挙をガ然、面白くさせた嘉田新党、「日本未来の党」は果たして、どれくらい勝てるのか。大マスコミは「準備不足」や小沢一郎が背後にいることを理由に冷ややかだが、「未来」の選挙関係者の見方はまったく違う。彼らが描く「比例で80議席」は、決して大風呂敷ではない。

大マスコミの予想は無意味

 大マスコミの世論調査は、自民がトップで維新が続き、民主が3番手というのが多い。
 比例の投票先は自民が二十数%、民主は十数%、維新は民主を若干リードで、小沢の「国民生活」などは数%にとどまっている。
 この通りの結果になれば、政治は何も変わらないが、朝日新聞ОBで政治評論家の国正武重氏はまったく別の見方をする。

 「ハッキリ言って、日本未来の党が旗揚げする前の調査は意味がないと思いますよ。卒原発、消費増税反対の未来ができたことで、大きな変化が起きると思う。とくに女性や若者の票を取り込むだろうことから、大新聞のこれまでの世論調査とはまったく違う結果になると思います」

 国正氏によると、小選挙区制では「3~5%の理論」というのがあるという。

 「無党派層の3~5%が動くだけで選挙の流れが一変するのです。既成政党の票は固定票プラスαの無党派層。このαが変われば、オセロゲームのように選挙結果が変わります。今度の選挙は7割の有権者が関心を持ったり、選挙に必ず行くと答えている。3・11後初の国政選挙であることも大きい。無党派層の数%が選挙に行けば、投票率がグンと上がる。当然、その投票先は既成政党ではないし、石原、橋下ファンが固定化している維新でもない。未来がその受け皿になれば、選挙はガ然、面白くなってきます」

無党派層の3%が動けば小選挙区も激震

 実は未来の選挙関係者も同じような見方をしている。
 参考にすべきは7月に投開票された山口県知事選だ。
 自民・安倍総裁の地元で、保守の牙城といわれた山口で、自民党の山本繁太郎氏が取った票は25万2000票。辛うじて逃げ切ったが、脱原発を掲げて挑んだ飯田也氏も18万5000票を集めた。その差はたった7万票、飯田氏は有権者の35%をかき集めた。
 その飯田氏が未来の副代表になり、山口県知事選のリベンジをするのだ。

 「脱原発を掲げたところ、保守の山口で35%の票が出たのは非常に大きい。全国規模になれば、比例で40%くらいの票を集められる」と選挙関係者はソロバンをはじいている。
 「40%といえば、前回の衆院選で民主党が比例で取った42%に匹敵する。この選挙で民主は87議席を取りました。自民党は26%で55議席。自公をあわせると38%で76議席でした。となると、未来も比例で76議席超はいく。これは決して、皮算用ではありませんよ」(未来を取材している選挙関係者)

 小選挙区は候補者が出揃うこれからだが、そこでも「3~5%の理論」を当はめると、大躍進が期待できる。
 少なくとも、76プラスα。これだけの議席が期待できれば、未来は間違いなく台風の目になるし、大新聞の選挙予想は大外れということになる。  (転載終わり)

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フォレスタの「津軽のふるさと」

 -小笠原優子さんのご結婚&ご懐妊(?)を祝して、代表的なこの歌を-

     (「フォレスタ 津軽のふるさと」YouTube動画)
      https://www.youtube.com/watch?v=Skd393bpGjw    


  この歌、美空ひばりの歌であることは知っていましたが、『愛燦燦』や『川の流れのように』などとともに比較的美空の晩年の歌かな?と思っていました。しかし今回調べましたら、この歌は、昭和27年(1952年)の美空ひばり主演映画『リンゴ園の少女』の挿入歌だったというのです。
 映画『リンゴ園の少女』の中で歌われた歌として『リンゴ追分』なら知ってはいましたが、『津軽のふるさと』もこの映画の中で歌われた歌だったとは !

 当時は『リンゴ追分』の方が爆発的にヒットし、130万枚と数ある美空ひばりの歌の中でも「レコード売り上げ」5位を記録しています。(1位は『柔』の190万枚)
 しかし美空ひばり亡き後、より叙情的な『津軽のふるさと』の良さが身にしみて感じられてきたのか、ご年配の方でこの歌を絶賛し、中には美空の代表曲の一つに挙げられる人もおられます。

 歌詞は、東京などに出荷され八百屋さんの店に並べられたりんごが、遠い津軽のふるさとをしみじみ思い出し懐かしんでいるという内容だと思われます。がこれは、「りんごの気持ち」に仮託した、津軽の離郷者のしんみりした望郷歌なのです。
 こんな大人の歌を、当時15歳の美空ひばりはいとも容易(たやす)く歌えてしまうのです。「天才少女歌手」と讃えられたゆえんです。

 この歌の独唱パートを担当しているのは、「いま噂の」小笠原優子さんです。小笠原さんはご存知のとおり、津軽(青森県)のご出身ですから、言わばご自分の「ふるさとの歌」を歌っているわけで、感慨もひとしおだったことでしょう。

 この歌のとおり、津軽(青森県)は言わずと知れたりんごの名産地です。青森ほどではないかもしれませんが、山形の私の郷里もそうでした。山の方に少し歩けばりんご園が方々にあり、秋ともなると各りんご園の木々には真っ赤なりんごがたわわに実っていました。
 小笠原さんは青森県上北郡のご出身なのでしょうか?少女時代は同じようにりんごをいっぱい見ながら、食べながら過ごされたのでしょうね、きっと。

 小笠原さんの高く澄んだ「gently voice」から、「ふるさと津軽」への熱い想いが伝わってくるようです。

 小笠原優子さんは吉田静さんとともに独唱曲が多く、当ブログのフォレスタコーラス曲として『花言葉の唄』『アカシヤの雨がやむとき』『四季の雨』など、小笠原さんソロ曲をよく取り上げています。
 小笠原さんはかつて「ミス東京音大」に選ばれたほどの美貌ですが、フォレスタ画像として『かなりや』とともに、この歌は小笠原さんの美貌が際立っている双璧だと思います。

 東北では、小野小町の出身地とかで秋田県が美人が多い県(「秋田美人」)として有名です。しかし青森県も実はそうだったのでしょうか?それとも小笠原さんだけが突出した存在だったのでしょうか?ともかく小笠原さん、鄙(ひな)には稀な美少女として、地元にいた頃は近隣近郷の男子たちが大騒ぎだったことでしょうね。

 いえいえ、ひとり小笠原優子さんのみならず。上古は飛鳥時代の「采女」(うねめ-宮廷女官)ではないけれど、女声フォレスタ加入資格として、歌声とともに「容姿」も大きな要件であるようです。吉田静さん、白石佐和子さん、中安千晶さん。皆さんどこに出られも目立つであろうほどの美人です。
 と、今回は肝心の歌やピアノ演奏についてのコメントはそっちのけ。小笠原さんの美貌にくらくらし、つい「美人談義」になってしまいました(笑)。

 ええい、こうなったら最後まで脱線しちゃえ。と、これまた余談の余談ですがー。

 私個人の好みとして。数ある女声フォレスタの衣裳(ドレス?コスチューム?)の中で、この歌の衣裳が一番好きです。他の歌でもよく見かけますが、紫色でエレガントで。体にぴったりフィットしていて、左肩脱ぎに爽やかなお色気があって。これを身に着けて歌っている時の皆さん、本当にお綺麗です。 

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタコーラス』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html

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