フォレスタの「流浪の民」
-今年は、「ザ・フォレスタコーラス !」と言いたくなるこの歌からスタートします-
(「フォレスタ流浪の民」YouTube動画)
(この歌の動画は削除されました。)
今年最初の「フォレスタコーラス」です。それに打ってつけの『流浪の民』を最近フォレスタが歌ってくれています。最初聴いた時、新編成の男女フルメンバーによるこの混声コーラス&ピアノ演奏のド迫力に圧倒されてしまいました。
フォレスタコーラスについては、またのちほどあらためてコメントするとしてー。興味深いものがありますので、少し長めですが「流浪の民」の内容や背景を見ていきたいと思います。
「流浪の民」は1840年、ドイツロマン派の作曲家ロベルト・シューマン(1810年~1856年)が作曲した歌曲です。「3つの詩」作品29の第3曲で、ドイツ北部出身で当時有名な詩人だったエマニュエル・フォン・ガイベル(1815年~1884年)の詩に曲をつけたものです。
その時シューマンは既に、名ピアニストのクララ・シューマンと結婚していました。しかしクララの親が結婚に大反対で、それを巡って裁判中でした。ようやくこの年「結婚を認める」旨の判決が出て、それまでピアノ曲が多かったシューマンは取り付かれたように歌曲作りに熱中しました。そのため、1840年はシューマンにとって「歌の年」と言われています。
『流浪の民』はその中でも代表的歌曲と言っていいようです。いかにも充実した実りの年の作品らしく、この曲全体にエネルギーが漲り、それが曲のすみずみまで行き渡っているように感じられます。
日本語の訳詞は石倉小三郎によるもので、フォン・ガイベルの原詩を超える名訳との評価が高いようです。ただこれから少し見てみますが、「原詩との乖離(かいり)が大きい」という批判もあります。
原詩のタイトル「Zigeunerleben」は「ツィゴイナーレーベン」となるのでしょうか?「ツィゴイナーの生活」または「ツィゴイナーの人生」という意味のようです。
「ツィゴイナー」とは定住しない移動型民族を指しており、いわゆる「ジプシー」として知られた文字どおり流浪の民のことです。そう言えば確か、サラサーテのバイオリンの名曲『チゴイネルワイゼン』も同じようなテーマの曲でしたよね。
19世紀前半はまだ「ヨーロッパの森」が豊かだったのでしょう。ドイツのとある地方のぶなの森蔭を流浪の民の一団が一夜の住まいとしている、その情景を歌い上げた名曲です。
定住の地を持たずに集団で流浪して行くのです。自由さ、気安さとは裏腹に、どこに行っても余所者なのです。そこには悲哀も当然あることでしょう。がしかし(この歌とは何の脈絡もありませんが)、
手鞠唄かなしきことをうつくしく (高浜虚子)
のように、叙事詩的に高らかに美しく歌い上げています。
今回このフォレスタコーラスを聴いて、「ニイルの水に浸されて きららきらら輝けり」の「ニイル」というこの歌唯一の固有名詞が気になりました。何やらドイツ語風な名称のようですから、今ジプシーたちが野宿している場所のすぐ近くを流れる川の名前か?と思いました。事実石倉訳ではそう読み取れます。
しかし少し調べてみたところ、二イルはドイツとは何の関係もない、遥か南はエジプトのナイル川であることが分かりました。
「んっ、ナイル川?」。しかし実はここに、『流浪の民』の秘密が隠されていたのです。原詩を忠実に訳すと次のようになるようです。
「ナイルの聖なる流れのほとりで生まれ、スペインの南国の光に肌を焼いて」
つまり「ニイルの水」は、流浪の民(ジプシー)のそもそもの出自を指しているのです。それを示すように、「ジプシー」は英語ですが「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失し「ジプシー」(Gypsy)の名称となったと言うのです。
「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」
これは当時中学生だった横田めぐみさんの歌が残され、まだ記憶に新しいフレーズです。遠い昔、絶世の美女かつジュリアス・シーザーやアントニオとの世紀の恋で名高いクレオパトラ女王死後、プトレマイオス王朝は衰退、滅亡していきます。モーゼのド派手な「出エジプト記」とは比ぶべくもないものの、やはり故国を追われてスペイン辺りに落ちのびた人々がいたとしても不思議ではありません。
ただ、エジプト出身説は俗説との見解もあるようです。しかし少なくともフォン・ガイベルの原詩は、ツィゴイナー(流浪の民)の出自はエジプトとしています。軽快で弾むようなテンポのこの曲の底流に潜む哀切感、この歌のドラマ性の源はここにあるように思われます。
*
今さら言うまでもなく、フォレスタは全員音楽大学出身者です。したがって、クラシック歌曲の定番と言っていいこの『流浪の民』は、学生時代から各自相当練習もし発表もしてこられたことでしょう。
そのため皆さん、こんな難しい(と素人には思われる)合唱曲を余裕で楽しんで歌っているように見受けられます。
しかしそこはプロの声楽家集団のこと、とにかく「凄い !」の一言です。人間の為す事に完璧などと言うことはないのかもしれませんが、これは完璧に迫るコーラスだ、と言えると思います。
お一人お一人がプロの声楽家としの力量を持ちながら、コーラスの「一曲完成」という目的のために、各自の持てる力を結集した時に生まれる大きなパワーに圧倒されます。聴き応え十分で、まさに圧巻、壮観です。
この歌の南雲彩さんのピアノ演奏も素晴らしいです !
最近の男声フォレスタの『群青』演奏も少し聴きましたが、あの歌といいこの歌といい、「南雲彩の本領発揮」という感じがします。ピアノの表現者、ピアノの求道者としての鬼気迫る感すら覚えるのです。
【付記】 「ジプシー」は、現在の我が国では差別用語、放送禁止用語に該当する言葉とみなされ、代わりに「ロマ」と言うようになっているようです。しかしロマは移動型民族の多くを占めるとは言え、ロマ以外の民族も存在します。
それに私は以前『差別用語・考』で表明しましたように、差別用語、放送禁止用語は「特定の言葉への差別」であり「言葉狩り」になりかねないと考えています。よって今回はあえて「ジプシー」を使わせていただきました。
(大場光太郎・記)
参考
『ウィキぺディア』(「流浪の民」の項)と共に、下記サイトを参考にしました。
『流浪の民』http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/akd/zigeuner.html
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コメント
初めまして。
何時も楽しく拝見しています。
素敵な記事のUP,ありがとうございます。
一年ほど前、♪流浪の民 を番組宛にリクエストした一人として、楽しく有意義に拝読いたしました。
仰る通り、メンバーの方々の演奏は勿論のこと、南雲さんの演奏も素晴らしいですよね。
大晦日にお聴き出来て最高!!でした。
♪モルダウ など、他の合唱曲もお聴き出来れば嬉しいですが。。。♪
投稿: みすず | 2013年1月 7日 (月) 19時01分
みすず様
こちらこそ初めまして。コメントありがとうございます。またいつもご訪問くださっているとのこと、重ねて感謝申しあげます。
『流浪の民』本当に良いコーラスですね。私としては、『別れのブルース』をいつまでもフォレスタ代表曲としておきたいので、「それと並ぶ代表曲」と形容しておきましょう。(『別れのブルース』は女声の、『流浪の民』は混声の代表曲と分ければいいのかァ。)
そうですか、この歌を一年前からリクエストされていたのですか。確かにもっと早く歌ってくれていておかしくない曲だったと思いますが、大晦日に願いが叶ったのですから、最高でしたね。
『モルドウ』はスメタナ作曲でしたか?じっくり聴いたことはありませんが、雄大な感じの良い曲でしたよね。フォレスタには今後、クラシックのおなじみの歌を折りにふれて歌っていただきたいですね。ありがとうございました。
投稿: 時遊人 | 2013年1月 7日 (月) 20時25分