黒い森のマイスター
-ドイツ某市の市政功労者という、母校の先輩による寄稿文をご紹介します-
毎年12月になると、母校(山形県立長井高校)からの『鷹桜同窓会報』が送付されてきます。同会報の中の記事をこれまで何度か紹介してきました。
今回ご紹介するのは、赤間寛という人の「特別寄稿」と銘うった一文です。この人はもちろん母校出身者で、「昭和23年卒」ということですから、私のちょうど20年先輩ということになります。
ということは御年83歳くらいということになります。しかし冒頭の顔写真と途中の全身が写った写真を拝見するに、見るからにお元気で矍鑠たるご様子です。
私は諸般の事情からあと20年以上、つまり85歳くらいまでは現役として働きませんと、我が生活(生存)が成り立たないと今からそう覚悟しています。
しかし「仕事は人生であり、人生は仕事である」。これはアメリカの誰かの言葉ですが、人様が定年をとうに迎えている年になって、ようやく『確かにそのとおりかもしれない』と思い始めたウスノロな私めは、今後30年ほど仕事をして何とか人生の帳尻が合うくらいのものなのかもしれません。
その線上で目標としているのが、聖路加国際病院で80歳を超えても院長としてバリバリ仕事をこなしていた日野原重明先生であり、灘校名物国語教師で御年百歳の橋本武先生でした。その上さらに今回、母校の赤間寛先輩も加えさせていただきたくなりました。
それでは先輩の一文、以下に転載させていたたきます。 (大場光太郎・記)
*
特別寄稿 黒い森のマイスター
ドイツ バート・ゼッキンゲン市 市政功労者 赤間 寛
黒い森地方とは、ドイツ南西部に広がる広大な森林丘陵地帯で観光と温泉保養地の高原である。そこは樅(もみ)の木とドイツ唐松(からまつ)の深緑が見渡す限り山を覆い、黒く見えるところから黒い森と名づけられた。その中に固有的な文化と伝統を守ってきた町や村が点在する。長井市の姉妹都市バート・ゼッキンゲン市は前にライン河、後ろは黒い森に続く温泉療養の町で自然一杯の魅力を持っている。
黒い森の一例 (画像挿入-大場)
一、山歩きとマイスター
日本の大学でワンダーホーゲル部という山歩きのクラブ活動をよく聞くが、これはドイツ語で渡り鳥(ヴァンダーV.)の意味である。昔から黒い森にはマイスターの歴史がある。その当時、この資格を有得するには徒弟制度の中で、ゲゼルという専門職の資格を取ってから2年間、各地の親方を何人か廻って修業する。この間、全部歩いていくのが条件であったそうだ。だからゲゼルは渡り鳥のようなものだ。日本では山歩きにこの言葉が用いられたが、ドイツでは修業や生活の為に使われた言葉だ。今だにこの地方には家族連れで黙々と山野を歩く姿が見られる。何か職人根性のようなものが、脈々と息づいているようだ。私は黒い森郷土史研究家、バートさんからお話を聞き、マイスター制度を実感することが出来た。
二、黒い森人の特性と手工業
ここの人々は工夫を続けることでも有名である。この手作り根性が地場産業を守り続けてきた。その中で印象的なのが時計と特許スキーである。黒い森の中部にトリーベルクという村があり、その通りには柱時計とハト時計を作っている店が並んでいる。そこには昔、時計を背負い歩いて近隣諸国まで行商を行った時の人形が立っている。南部のベルナウ村ではエルンスト・ケッパーという人が1892年に中部ヨーロッパ最初のスキーを、更に1906年にドイツ帝国特許スキーを1万台も製作している。そして1908年にはショラッハ村のヴィターハルダーが世界最初のスキーリフトを発明した。近代文明の開発ではディーゼル機関自動車、ジェット機、テレビ等、多くのものをこの州で発明している。ベンツ、ポルシェは、いうまでもない。
三、長井スキーケッパーズ
前述のケッパー氏の孫さんであるシュトロマイアー氏から由緒あるケッパー氏の名を頂き、26年続けた長井ハイムスキースクールの名称を4年前に長井スキーケッパーズに改名した。その開講式にシュトロマイアー氏が娘さんと来市し、その式場、トランペットでファンファーレを吹いてくれた。2011年、私はゼッキンゲン市議会から市政功労者表彰を頂き感激したが、彼のファンファーレは、その功労メダルよりも重く私の胸にやきついている。同じ年に來市したシュタンツェルドイツ大使講演の中で「人間には落ちこぼれという言葉はない。必ず何かを持って生まれてくる」この一言を聴いただけで大使を長井市に招聘した甲斐があった。
後輩諸君、努力と根性を踏まえ目標に向かって頑張ってください。 (昭和23年卒)
(最後に一言)赤間大先輩、中には「努力嫌い」で「根性なし」のどうしようもない後輩(私です)もおりますが、あしからず、後輩の末席に加えてやってください。
転載元
山形県立長井高等学校『鷹桜同窓会報』(第31号7面)
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