« 製造業の衰退を物語る就労人口減少 | トップページ | 市川団十郎さん逝去 »

立春大吉

  立春の雲東(ひんがし)に流れけり  (拙句)

 本日2月4日は立春です。文字通り「春立つ日」ですから、暦の上ではこの日が春の始まりということになります。私は最近あまり俳句を作っていませんが、プロの俳人や全国に大勢いらっしゃる俳句愛好家の方々は、「この日をもって春」と俳句的頭脳回路を切り替え、やおら春の句を作られることでしょう。

 しかし立春とは言ってもそれは暦の上、歳時記の上のことであって、現実的感覚ではまだまだ冬の続きです。
 ご存知かと思いますが、「立春」とは1年365日を二十四等分した「二十四節気」の一つです。「立夏」「立秋」「立冬」「春分」「秋分」「夏至」「冬至」と並んで、特に重要な季節の変わり目となる日でもあります。

 我が国で二十四節気は奈良時代から用いられてきましたが、元々は中国伝来の暦法に基づくものです。そして本場中国ではどのようにしてこの二十四節気を定めたかといいますと、古代中国における文化の中心だった黄河以南地域の気候が基準になったのです。
 上古の律令国家日本は何でも唐の制度を真似(今日米国を真似ているように)、暦も直輸入でしたから、気候・風土の違いから暦上と現実の季節感にはどうしてもズレが生じてきます。

 立春などはその最たるものの一つですよね。二十四節気で立春の一つ前は「節分の鬼」さえ震える「大寒」ですからね。大寒の次がいきなり立春なんてそりゃないぜ、てなもんですが、実際旧暦ではそうなっているのですから仕方ありません。
 今は定かではありませんが、昔の雪国の小中学校では夏休みを短縮し、その分「冬休み」というのが半月ほどありました。それが記憶では2月上旬ではなかったか、と思うのです。雪の降らない地方でも余寒たっぷりですが、雪国の2月は根雪の真っ最中なのです。

 しかし寒さがまだまだ厳しい2月上旬に早めに立春にした、というのは昔の人の智恵でもあったのかもしれません。
 「冬来たりなば春遠からじ」
 これは詩人シェリーの有名な詩句ですが、どこの国のどこの地域の人であっても、春は待ち望まれる季節です。ならば実際はどうあれ、暦の上だけでも早いとこ春にしちゃえ、ということではなかったのでしょうか。(これは単なる憶測です。)

   早春賦    作詞:吉丸一昌、作曲:中田章

 春は名のみの 風の寒さや
 谷のうぐいす 歌は思えど
 時にあらずと 声もたてず
 時にあらずと 声もたてず

 氷融け去り 葦はつのぐむ
 さては時ぞと 思うあやにく
 今日も昨日も 雪の空
 今日も昨日も 雪の空

 春と聞かねば 知らでありしを
 聞けばせかるる 胸の思いを
 いかにせよとの この頃か
 いかにせよとの この頃か

 『早春賦』の歌詞を掲示するのはこれで3度目です。とにかく早春の季節感をこれほど見事に捉えた歌は他にないと思います。今ころの季節、毎年何度かは口ずさむ歌です。
 この歌を吉田静さんが、1月中のフォレスタ外の2度のコンサートで既に歌われたようです。『聞いてみたかったなぁ』というのはともかく。この季節、当ブログの以前の『早春賦』記事へのアクセスがボチボチ増えてきます。

 同時に時折り見受けられるのが、「早春賦の季節はいつ?」という検索フレーズです。これについては、昨年2月の『北の子は遊び疲れて・・・』記事の中で既に私なりの回答をしておきました。
 要約すればー。一言で早春とはいっても、地方によって季節感はだいぶ異なり、一概に「この時期だ」と断定はできない。したがってその人が早春賦をふと思い出し、口ずさんでみたくなったその時がその人にとっての「早春賦の季節」なのではないだろうか、というものでした。

 ところで本記事のタイトルとした「立春大吉」についてです。
 近年年明け、私の所に郷里のお寺から郵便物が届きます。新暦、旧暦の暦、ご住職がパソコンで作成したお寺の会報などとともに、「立春大吉」と大書され、それに重ねて大きな朱印が押してある真っ白いお札が入っているのです。
 ご存知の方がおられるかしれませんが、立春大吉のお札は昔から曹洞宗の専売特許だったようです。

 昔はご住職が、近隣の檀家の家を一軒一軒訪ねて手渡ししたものなのでしょう。しかし当今は私がそうであるように、どこのお寺でも檀家衆が遥か遠方に散らばっているケースが珍しくありません。そこで各寺院とも、何かの連絡は郵便でということになってきているのでしょう。

 ちなみに当家のお寺(南陽市下荻)のご住職は、現在40代前半の若い僧侶です。何年か前の亡母の法事の折りお話をさせていただきましたが、私の高校のずっと後輩なのです。勢い話が盛り上がったわけですが、長井市近郊のお寺のご次男で、近年こちらのお寺に赴任しているということでした。
 しかし法事の最中は、和尚さんの読経に神妙に聞き入り、深く首を垂れていたことは言うまでもありません。

 皆様におかれましても「立春大吉」でありますように。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『早春賦』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-c727.html
『北の子は遊び疲れて・・・』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7db5.html

|

« 製造業の衰退を物語る就労人口減少 | トップページ | 市川団十郎さん逝去 »

身辺雑記」カテゴリの記事

コメント

♪早春賦。。。立春の声を聞くと、私もこの歌が聴きたくなります。 仰る通り、歌詞と言いメロディーと言い本当に素晴らしいと思います。
女声のみ、あるいは混声でしかお聴きしていませんでしたが、男声FORESTAでお聴きした時、とても新鮮に感じました。
男声だけでも素敵なんですね。。。♪
静さんの♪早春賦。。。私もお聴きしたいです。

長野県 安曇野市では、毎年4月末に「早春賦を歌う集い」があるようです。 信州住まいの私、一度行きたい…と思いながら果たせないでいます。

投稿: みすず | 2013年2月 4日 (月) 18時33分

みすず様
 いつもご訪問いただきありがとうございます。またこのたびのコメント、重ねて御礼申し上げます。
 『早春賦』、本当に素晴らしい名曲ですね。私もこの記事を出した手前、夕方男声フォレスタの『早春賦』を聴いてみました。久しぶりでしたが、重厚なハモリの良いコーラスですね。これを聴いて「マイ・フォレスタコーラス」で取り上げたくなりました。「冬の歌」などをあと少し片づけ(笑)、遅くとも今月中には取り上げたいと思います。
 安曇野市で「早春賦を歌う集い」があるそうですが、そう言えばこの歌の歌詞は、信州安曇野が舞台だったのではなかったでしょうか?『フォレスタの「早春賦」』作成まで調べておきます。

投稿: 時遊人 | 2013年2月 4日 (月) 19時34分

 本記事は2013年2月4日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。なお本記事、暦上の立春の昨日4日、当ブログアクセスランキング12位に躍り出していました。今からちょうど4年前の記事ですが、いい機会なので今回懐かしく読み返しました。地味なテーマながらしっかりした内容の記事(←手前味噌)で、『俺の記事作成力だいぶ落ちたんじゃないか?』と反省させられます。あの頃は今より余裕があったから可能だったわけですが・・・。

投稿: 時遊人 | 2017年2月 6日 (月) 11時18分

この記事へのコメントは終了しました。

« 製造業の衰退を物語る就労人口減少 | トップページ | 市川団十郎さん逝去 »