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易水送別

       駱賓王

  此 地 別 燕 丹    此の地 燕丹(えんたん)に別れしとき
  壯 士 髪 衝 冠    壮士 髪(はつ) 冠(かん)を衝けり
  昔 時 人 已 沒    昔時(せきじ) 人已(すで)に没(ぼっ)し
  今 日 水 猶 寒    今日(こんにち) 水猶(なお)寒し

…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… 
駱賓王(らくひんのう) (?~684年)
 義烏(浙江省)の人。少年時代から詩の才能を認められたが、素行はおさまらず、博徒と交際していた。皇族道王につかえ、武功・長安の主簿を歴任したが、高宗の末年、政権を握っていた則天武后に上書していれられず、臨海(浙江省)の丞に左遷され、不平を抱いて辞任した。高宗の死後、則天武后が帝位についた光宅元年(684年)、徐敬業が武后打倒の軍をおこしたとき、賓王はその幕下に加わり、檄文を起草した。武后はこの檄を読み、顔色をかえて、賓王を見方にしなかったのは宰相の責任だと言った。敬業の軍が敗れたあと、賓王は消息を絶ったが、伝説によれば杭州の西の霊雲寺に住んでいたという。
 初唐四傑の一人。いま『駱丞集』4巻または『駱臨海集』10巻が残っている。 (岩波文庫版『唐詩選下』より)

《私の鑑賞ノート》
 冒頭の「此の地」とは、易水(えきすい)という川のほとりを指しています。「易水」は、現在の河北省易県付近に源を発する川で、今の大清河の支流にあたります。

 この詩で以下に詠まれているとおり、この辺りは(古代中国)戦国時代に「燕(えん)という国があった所でした。
 戦国末期、燕の太子の丹(たん)は、強大化しつつあった新興国秦(しん)の王である政(せい-のちの始皇帝)に恨みを抱き、荊軻(けいか)という剣客を秦都に送って暗殺させようとしたのです。

 すべての準備が整って、ある日の朝、荊軻は秦都咸陽(かんよう)へと出発することになりました。それで太子丹は臣下とともにこの易水で送別の宴を催すことにしたのです。
 見送る方も見送られる方も、これが死出の旅であることが分かっています。よって丹以下みな喪服である白装束を着ての宴でした。

 そもそも「易水の別れ」は、司馬遷(しばせん)の『史記』の叙述が初出です。中国の歴史書『史記』は本来「列王伝」や「宰相伝」が主体です。しかしなぜか、「刺客列伝」という傍流で描かれている「易水の別れ」が古来最も有名な場面の一つなのです。

 宴たけなわとなり、主役である荊軻がおもむろに立ち上がり歌を歌い始めます。筑(ちく-琴に似た楽器)の名手の演奏に和しながら。

  風蕭蕭兮易水寒     風蕭々(しょうしょう)として易水寒し
  壮士一去兮不復還    壮士一たび去って復(ま)た還らず
     (『史記』原文)

 初めは悲愴調を強調する「変緻(へんち)」という調べで歌い、後で高ぶった感情を表現する「羽声(うせい)」に転じました。
 駱賓王のこの詩では「壮士 髪 冠を衝けり」と荊軻自身の事のように描いています。しかし『史記』の記述では、目を怒らせ「髪 冠を衝けり」となったのは、それを聴いて悲憤慷慨(ひふんこうがい)の極地に達した太子丹以下臣下たちであったのです。

 送別の宴が終わると、荊軻は車に乗り真直ぐに秦地に向かい、二度と振り返ることはしませんでした。
   風蕭々として易水寒し
   壮士一たび去って復た還らず
 これぞ男の究極のダンディズム、その壮烈たるやいわく言い難し。
 秦始皇帝の阿房宮(あぼうきゅう)で何があったか、荊軻がどうなったか、これも多くの方が既にご存知のことでしょう。

 この五言絶句の題は『易水送別』。易水のこの地は戦国の昔から「送別の地」として有名でした。遥か時代が下った唐代初期、駱賓王はこの地でたまたま人を見送ることがあったのです。
 略歴で見たとおり、駱賓王も義侠心に富む人物だったようです。現実のある人の送別から飛躍して、伝説の「義侠の士」荊軻の故事に連想が及んだのもむべなるかな、という気がします。

 (大場光太郎・記)

参考図書
岩波文庫『唐詩選下』(前野直彬注解)
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『風蕭々として易水寒し(1)』
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『風蕭々として易水寒し(4)』
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