フォレスタの「雪の降る街を」
故郷(ふるさと)の雪明り街想ふかな (拙句)
『雪の降る街を』は、私が雪国の郷里町で過ごした十代の頃から知っていました。高校時代、現実のおらが「雪の降る街」を歩きながら、なるほど雰囲気をうまくつかんだ歌だなと思う一方、少し違うかな?という感じもしたのです。
どことなくハイカラな歌詞とメロディから、この歌は雪国の本場とは違う街を歌った歌なのではないだろうか?と。
例えば、東京のような大都会にたまにどっさり降った雪の感興を歌った歌なのでは?と。一面の雪景色というものは、普段見慣れた街の様子を一変させ、常ならぬ叙情的な街の姿を現わすものですから。
しかし今回この歌を取り上げるにあたって調べてみましたら、意外な事実が分かりました。この歌は、作曲した中田喜直(なかだ・よしなお)が昭和27年(1952年)、山形県鶴岡市で見かけた雪景色がこのメロディが生まれるそもそもの発端だった、というのです。
その時のようすを、『山形県鶴岡市観光連盟ホームページ』が述べていますので以下に紹介します。
昭和27年は前年から大雪の年で、自作の学園歌発表のため夜遅く鶴岡駅に着いた作曲家・故 中田喜直氏(平成12年5月没)は、出迎えの地元音楽愛好家菅原喜兵衛氏の馬そりに乗り彼の家へと向かった。その夜は珍しく風もなく、雲の合い間で上弦の月が輝き、遠くは月山、近くは金峯・母狩の雪に包まれた山並みが見えた。雪の影があざやかな晩だった。月の光の中から舞い落ちてくる雪の花びらは温かい頬に触れては消えた…。 (転載終わり)
そうだったのか。東京などの“俄か雪降り”ではなく、正真正銘の雪国の街の情景が元となって作られた歌だったんだ ! それにおらが出身県内の鶴岡市がこの歌の舞台だったとは !
しかしそうは言っても、鶴岡市はおらが郷里町とはだいぶ離れています。
おらが置賜(おいたま)盆地は山形のデープな内陸部、最上川の源流地域であり、最上川は山形市近郊を過ぎてなお北へと流れ、『奥の細道』で松尾芭蕉が「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだ(秋田県に近い)大石田町や新庄市で急に西に曲がり、「暑き日を海に入れたり最上川」(芭蕉)の大河となって日本海に注ぐ河口域が酒田市、その下(南)が鶴岡市です。
酒田、鶴岡は、江戸時代から日本海航路によって関西商人などとの交易が盛んな土地柄であり、中学校の国語の先生いわく「あっちの人の話はよ、『来(こ)られんけんや、来(く)るばってんこん』などと、何しゃべってんだがえっこ(さっぱり)分がんねぇ」と。(分からないことでは我が郷里のズーズー弁も人後に落ちないのを棚に上げ)私などは、その話を聞いて毒気に当てられ、『そだなどこ(そんな所)の人どは付き合いたくねえなぁ』と思ったのでした。
今はもちろんそんなことはなく、未だ足を踏み入れたことのない鶴岡市ですが機会があれば訪ねてみたいものです。
それはともかくー。鶴岡市ではそれを記念して、毎年2月に行われる「鶴岡音楽祭」で、フィナーレに『雪の降る街を』が歌われるそうです。そして作曲した中田喜直存命中は、毎年本人が鶴岡市に出向き、自ら指揮を取っていたといいます。没後は中田幸子夫人がその任に当たっています。
ちなみに今年の「鶴岡音楽祭2013」は2月3日(日)午後1時30分開演(鶴岡市文化会館)で、特別ゲストの中田幸子さん、ソプラノの釜洞祐子さん、指揮の工藤俊幸さん、山形交響楽団の演奏で行われます。
さてこのような経緯によって作られたこの曲の初出は、昭和26年(1951年)NHKラジオで放送された連続放送劇『えり子とともに』の挿入歌としてだったようです。この放送劇の作家だった内村直也が作詞したのです(鶴岡市の記述と時期の食い違いがあるようですが、鶴岡市の方の誤記でしょうか?)。それで人気が出て、高英夫(こう・ひでお)の歌唱によりレコードも製作されヒットしました。
この歌はその後、NHK『みんなのうた』放送開始直後の昭和36年(1961年)、立川澄登(澄人)と東京少年少女合唱隊によって歌われ、国民に広く浸透していくことになりました。
*
この歌を、男声4人(大野隆さん、川村章仁さん、榛葉樹人さん、横山慎吾さん)、女声4人(小笠原優子さん、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さん)の混声フォレスタが歌ってくれています。
『雪の降る街を』は、我が国の代表的な冬の名曲と言っていいかと思います。男声と女声がほど良くミックスされた混声コーラスは、歌全体を通して重厚、荘重な感じをかもし出しており、この歌の名曲たるゆえんをあますところなく引き出しているように思われます。
時として雪とは厄介で難儀なものですが、かくも格調高く歌われてしまうと「雪もまんざら捨てたものじゃないぞ」と思わせられます。
推察するに、このコーラスは女声フォレスタが初結成された2006年の年の収録だったのではないでしょうか?(注 実際は2008年の収録)
まあ、後列で歌っている横山慎吾さんのぶっきらぼうなザンキリのような髪型だこと。その後今日の芸術家然と洗練されたヘアースタイルへと変貌することになったのは、女声加入効果の賜物でしょうか?(笑)
それに、前列女声4人の皆さんのお若いこと !
その中で今回は、普段あまり取り上げる機会のない中安千晶さんに少し注目してみたいと思います。
最近ではすっかり淑女美が増し加わった中安さんですが、この時は初々しい美少女といった面持ちで歌っておいでです。今より心持ち頬のあたりもふっくらしていたようです。少し緊張気味に歌っておられ、それがまた何とも可愛いのです。
「雪月花」の雪の有する独特な叙情性と幻想性はありながら。実際の「雪の降る街」は、寒冷さや白一色の単一の色調から、ともすれば気が滅入ることもあるものです。
その気分がこの歌では、「一人心に 満ちてくる この哀しみを」や「だれも分からぬ わが心 この空しさを」という詠嘆となって表れています。
もしそれだけで終わっていたなら、この歌はどうしようもない暗い歌になってしまいます。それを救っているのが、各番の最終の「あたたかき幸福の ほほえみ」「緑なす春の日の そよかぜ」「新しき光ふる 鐘の音」というフレーズです。
この後半の明るい転調こそは、戦後間もない当時の日本社会の、より良き未来への「希望」であり「祈り」であったと思われます。そして今日に至るもこの歌が歌い継がれているゆえんも、ここにあるのではないでしょうか。
【付記】文中の(注)につきましては、東海林太郎さんのコメントをお読みください。
(大場光太郎・記)
参考・引用
山形県鶴岡市観光連盟サイト『鶴岡音楽祭』
http://www.tsuruokakanko.com/season/fuyu/ongaku.html
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
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コメント
DVDの第二章の特典に収録風景がありました。その中で「雪の降る街を」がノーカットで収録されていました。収録したのは、2008年だそうです。皆さん若いですね。
投稿: 東海林太郎 | 2013年2月 2日 (土) 00時00分
またまた貴重な情報、ありがとうございます。
そうでしたか。DVD第二章に、この歌の完全収録版が。本文の該当部分に「注」を入れさせていただきます。今後ともよろしくお願い致します。
投稿: 時遊人 | 2013年2月 2日 (土) 13時12分