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2013年3月

私が選ぶ「フォレスタ曲ベストテン」

 -以下に私の独断と偏見で選んでみましたが、皆様のベストテンはどうでしょう?-

 直前の『フォレスタの「七里ヶ浜の哀歌」(パートⅡ)』の末尾を、この旧バージョンをフォレスタ「マイベストテン」に加えたいと思います、というように結びました。
 しかし実際には、その時確かなマイベストテンがあったわけではありません。ただ何となく『あの歌とあの歌とあの歌と・・・』というようなフォレスタ曲がある程度あったことも確かです。
 折角の機会ですから、漠然と思い描いていたことをこの際はっきりしてみようと思います。

 ところで最初男声合唱としてFORESTA(フォレスタ)が結成されたのが2001年、オーディションによって初代女声が発足したのが2006年。既にかなりの「歴史」を有するわけで、その間歌ってきた歌は、男声・女声・混声合わせてゆうに数百曲以上になるのではないでしょうか?
 曲のジャンルも、唱歌・童謡・民謡・歌謡曲・軍歌・外国歌曲・・・とさまざまです。

 この中から「真のフォレスタベストテン」を選ぶのは、専門家でも難しいのではないでしょうか?それを(小さな声で話しますが)20代前半の2、3年市民コーラスをかじった程度の私めが、無謀かつ大それたことに「フォレスタ・マイベストテン」を選ぼうというのです。
 だからこれは「素人の素人による素人のためのベストテン」でありますことをご理解たまわりますよう、よろしくお願い申し上げます。

 パンパカパ~ン !! と言うことで、「独断と偏見で選ぶフォレスタ・マイベストテン」、早速発表したいと思います(大げさですみません)。

   1 別れのブルース
     http://www.youtube.com/watch?v=5J0WpJpMN70

    (以下順不同)
    七里ヶ浜の哀歌(旧バージョン)
     
http://www.youtube.com/watch?v=tO76LnwCBDg
    みかんの花咲く丘
     
http://www.youtube.com/watch?v=9ffRwJ6TswQ
    揺籃のうた(旧バージョン)
     
(この歌の動画は削除されました。)
    桑港のチャイナ街
     
(この歌の動画は削除されました。)
    汽車三部作
     
(この歌の動画は削除されました。)
    夏は来ぬ
     
(この歌の動画は削除されました。)
    赤いランプの終列車
     
(この歌の動画は削除されました。)
    流浪の民
     
(この歌の動画は削除されました。)
    旅愁(旧バージョン)
     
(この歌の動画は削除されました。)

    (番外編)
    まほろば
     
http://www.youtube.com/watch?v=fNGJbDrdSB0

 ご覧のとおりベストテンと言っても、「1 別れのブルース」以外は順位をつけていません。これは『別れのブルース』だけが私にとっての不動の1位、逃げるようですが、あとは順位をつけるのが難しかったことによるものです。
 フォレスタ記事最初となった『美しすぎるフォレスタ』以来の読者の方はお分かりかと存じますが、以来40曲以上取り上げてきた中からの選出が大半です(例外は『桑港のチャイナ街』と『まほろば』)。

 どこかの記事でも述べたことですが、(YouTube動画の)フォレスタ曲の私の聴き方は時々に公開したい曲を中心にその時聴きたい曲ばかり繰り返し聴く方式です。だからすべての曲をじっくり聴いてきたわけではなく、実際まだ聴いていない曲もかなりありそうです。
 それらの曲を今後聴いて『おっ、これは良いぞ』となって、新たに「マイベストテン」に食いこんでくる曲がないとは言えません。

 それでは、各曲について簡単に見ていくことにしたいと思います。

 『別れのブルース』は初めて聴いたフォレスタ曲で、その圧倒的な感動から「即フォレスタファン」に参入することとなった記念碑的な「不滅のフォレスタ曲」であり、今後とも首位の座が揺らぐことはありません。
 同じ吉田静さん独唱曲として『桑港のチャイナ街』だけを挙げました。本当はまだまだ挙げたいのですが、そうなると「吉田静曲ベストテン」になりかねませんので・・・。この曲は、『別れのブルース』『汽車三部作』を経て、私をして「吉田静ファン」を確定させた曲とだけ今は言っておきます。

 『七里ヶ浜の哀歌(パートⅡ)』『みかんの花咲く丘』については、直近記事でたっぷり触れましたのでそちらをお読みください。
 『揺籃のうた』は、童謡揺籃期かつ爛熟期であった大正赤い鳥運動の影響から生まれた『かなりや』『浜千鳥』『赤い靴』『ちんちん千鳥』『雨降りお月さん』『どこかで春が』などの代表曲として選びました。決め手は完成度の高い初代女声のコーラスです。

 『夏は来ぬ』は、『早春賦』『花かげ』『朧月夜』『若葉』『四季の雨』『野菊』『冬景色』『雪の降る街を』などの四季折々の名叙情歌の代表として選びました。決め手はやはり、この歌の4女声の秀逸な独唱及びコーラスです。
 『旅愁』は、『故郷』『里の秋』『故郷を離るる歌』など望郷歌の代表曲として、同じく女声コーラスの見事さで選びました。この曲については、新旧両バージョン甲乙つけ難し。

 毎度言うことですが私は総じて女声フォレスタファンなので、男声曲をじっくり聴く機会があまりありません。『ともしび』『夜霧のブルース』『北帰行』など数々の名唱がある中で、今回は『赤いランプの終列車』を唯一選びました。
 いつかじっくり聴かせていただいて、「男声フォレスタ・マイベストテン」を選べたらと思います。

 『汽車三部作』『流浪の民』は、フォレスタ混声の最高傑作として選びました。両曲はまるで感じの違う曲ですが、コーラスのレベルとして甲乙つけがたい最高水準だと思われます。
 それからすればオリジナル曲の『まほろば』、この混声コーラスも素晴らしく『ひょっとして上の2曲をしのぐかもしれないぞ』と思って、「番外編」として挙げさせていただきました。

 以上挙げた「10曲プラスワン」以外にも、当フォレスタ記事として出しただけでも、『花言葉の唄』『花の街』『アカシヤの雨がやむとき』『高原の宿』『船頭小唄』『さくら貝の歌』『津軽の故郷』など愛着のある歌はまだまだあります。
 なお昭和40年以降の歌は、今回ベストテンにも入らず当フォレスタ記事でもあまり取り上げていません。これはただ単に「古い歌好き」の私の好み、これぞ独断と偏見の極みです。今後じっくり聴き、記事としても取り上げていければと考えます。

 (大場光太郎・記)

【追記】
 その後思い立って、各歌にYouTube動画URLを付すことにしました。そこで残念なことがありました。私自身久しく聴いていなかった『夏は来ぬ』が視聴できないのです。BS日本テレビかDVD販売元のコロンビアかが、収録曲の一つである同曲を削除したものと思われます。今後こういうケースが増える事態も考えられますが、元々違法なのですから仕方ない面もあります。

 気を取り直して「繰上げ当選曲」(笑)で穴埋めすることにしました。
 それは次の「2曲」です。何で2曲なのか、私にもよくわかりません(笑)。思うに、この両曲は同票数だったということなのではないでしょうか?(いつもの小話)「いつ誰が投票したんだよ。まさか不正選挙じゃあるまいな」「そ、そんな。滅相もない」

    花かげ
     
(この歌の動画は削除されました。)
    さくら貝の歌(新バージョン)
     (この歌の動画は削除されました。)

関連記事
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html  

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安倍“特高”政権で強まる言論統制

 以下は『日刊ゲンダイ』(3月27日号2面)記事の転載です。

                        *
自民党 ТPP反対を口封じ  

テレビ番組にイチャモン


 自民党の大西英男衆院議員(66)の国会質問に対し、「言論弾圧ではないのか」と怒りの声が噴出している。

 発言が飛び出したのは21日の衆院総務委員会のNHK予算審議。質問に立った大西議員は、テレビ朝日の「モーニングバード」(14日放送)に出演した元外務省国際情報局長の孫崎享氏(69)を名指しで批判。ТPPの交渉参加を決めた安倍首相の方針について「日本は米国の植民地にされるのではないか」といった懸念を示した孫崎享氏の論評にイチャモンをつけたのだ。

 〈私は孫崎享氏の今日までの政治的な発言について調べてみた。とんでもない〉〈国益に反する〉と続けた上で、孫崎享氏が過去にNHKにも出演していたことにも触れ、松本正之NHK会長に見解を求めたのである。
 しかしこの質問はハッキリ言って異常だ。国会議員が民放番組のコメンテーターの論評や問題提起した発言を国会で問題視すること自体がおかしいし、それに対してNHK会長に答弁を要求するのもスジ違いだ。

 「これがまかり通るなら、テレビに出演するコメンテーターは皆、口をつぐむか、当局寄りの発言しかしなくなる。戦前の特高警察の『言論統制』と同じ。さすがに、ネット上では『予算委員会を人質に、大西議員がNHKに孫崎享氏を起用しないよう“恫喝”したのに等しい』と批判が出ているのです」(政治ジャーナリスト)

 孫崎享氏が言う。
 「大西議員は私の著書を熟読したとブログに書いていますが、私の著書には、大西議員が国会で指摘したような内容はどこにも書いてありません。つまり、自身の誤った妄想で、言論を封じ込めようとしている。これは大変、危惧する事態です」
 孫崎享氏の指摘は、多くの国民が感じていることだ。口封じしようとしているのは、それほどТPPが国益に反する協定という裏返しじゃなのか。  (転載終わり)

【私のコメント】
 この国の言論統制傾向は何も今に始まったことではありません。
 2001年の「9・11」以降強まってきた、21世紀という清新な新世紀に逆行した傾向性です。9・11は、当時のブッシュ“ネオコン”政権以下多くの米国関係機関が関与した「闇の勢力」総がかりの自作自演だったことは、今や公然の秘密です。
 これを発端とした「対テロ戦争」「イラク戦争」という米国の世紀の犯罪行為に、唯々諾々と加担し続けたのが小泉政権でした。この辺からにわかに言論統制が強まっていったのです。

 以後郵政選挙で国民が自公に圧倒的議席数を与えたことにより、小泉亜流の安倍前政権では、盗聴法などの危ない法案を数に物言わせて強行採決でバンバン成立させました。
 この傾向は政権交代しても受け継がれました。福島第一原発事故で菅政権及び原子力各機関の目も当てられない不始末を覆い隠すため、時の枝野幸男官房長官は「不都合な真実」を表に出させないためネット規制を指示し、実際幾つものサイトが閉鎖に追い込まれました。

 だから今回の孫崎享(まごさき・うける)氏発言に対する大西議員の圧力は、そういう言論統制強化の流れを踏まえて起こった出来事と見ることができます。その流れに沿って、大西議員には「これくらいの恫喝は許されるだろう」と安直に思ったに違いないのです。
 しかしこれはやはり「異常」です。与党権力による、見過ごせない民主主義国家にあるまじき言論封殺行為です。こういうことがたび重なって、つまりは戦前・戦時中の特高警察的な息苦しい国家体制になってしまうのです。

 親玉の安倍晋三首相は戦前回帰的な全体主義(ファシズム)的傾向の強い御仁です。と言うことは、民主主義、国民主権を軽んずる思考を隠し持っているということです。
 戦時中の東条英機か平成の安倍晋三か。長期政権を目論む安倍政権下で、完璧な「言論封殺・言論弾圧」体制が完成しそうな、いなそれ以上の嫌な事態が起こりそうな予感がますますしてきます。  (大場光太郎・記)  

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「花いちもんめ」のことなど

  村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ   寺山修司

 今月の11日に引越してから2週間、おかげ様で徐々に新住居での生活環境が整いつつあります。

 旧住居も当厚木市の郊外に近いところでした。そこから1キロとは離れていないものの、この付近はさらに一歩郊外感が増したような所です。とは言うものの市街化区域であることに変わりはなく、どこもかしこも立錐の余地もないほど住宅が建て込んでいます。
 ただ少し高台の新住居地から西に百メートルも行かないうちにガクンと下段となり、それから西向こうはしばらく市街化調整区域、田んぼなどが広がり家は疎らになります。

 その境目の所に近年市営球場が建てられたのです。つまり新住居となる○○荘のすぐ近くに球場があるのです。
 これだって今に至る市財政赤字の元となった箱物の一つに違いなく、プロ野球だって呼べそうな立派な施設と広さで、でっかいナイター照明が8基ほどにょきにょきと聳え立っています。
 グランドの一部が新住居前の道から見られ、青々とした芝生の上で球児や市民らが動き回っている姿を垣間見ることもあります。日曜日には威勢のいい掛け声が聞こえてきたりします。平日の夜でも練習していることがあり、9時頃までナイター照明が灯っていて、その頃帰宅するとドストライクの眩しい光を投げつけてきます。

 新住居の周辺は閑静な住宅街で、昭和52年築の我がアパートだけが例外で隣接している家は皆立派です。東角の私が借りた部屋のお隣さんもそうで、けっこう広い庭があり手入れの行き届いた花々がいっぱいあります。
 私もかつて下手の横好きで通信教育のガーデニング講座をかじったことがありますので、外出時フェンス越しのその庭を眺めながら道に出て行きます。いつかの正午過ぎには私より少し年配くらいの奥さんが花の手入れ中でした。犬が吠えたので、「こら、静かにしなさい」と言いつつ「どうもすみません」というので、私も軽く挨拶しながら通りました。

 アパートの北隣は車が何十台も置けそうな広い土の駐車場です。ネットフェンスの一部が開いていてアパートからも行き来できます。この駐車場の中ほどに立って西の方を望むと、市民球場の西の彼方に大山(おおやま)の雄大な全容とその右に連なる丹沢連峰がくっきりと眺められます。
 『安アパートにしては贅沢な借景だぞ』と、一人悦に入りながら眺めています。

 反対の南側には住宅地の道路があり、その向こうには広い公園があります。さらに向こうは3階建形式の団地群が十何棟か連なっています。
 主にそこの子供たちなのでしょう。公園の一部には滑り台やブランコなどがあり、それらの遊具やグランドで遊び回って遊んでいる元気な姿がよく見られます。

 同公園の向こう際に、数本の染井吉野が植えられています。私の住居はアパートの2階角ですが、張り出したベランダのある南側の窓越しにそれがよく見えるのです。だから契約後下見をした今月上旬、そこから桜の木を見た時は、これぞ借景、『どこにもお花見に行かなくても花が見られるぞ』と思ったものでした。
 それが今年はお彼岸の中日前には開花し、3月下旬の今が満開、いな既に散り始めているのですから。

 別に事務所を借りる余裕も仕事量もない私は、以前からずっと自宅で仕事をしてきました。新住居で事務室に充てたのは中ほどの4.5帖の洋間です。ここが知恵の絞りどころ、ここにいかに効率よく事務机や本棚などを収納するかが問題でした。
 結果ぎゅうぎゅうにモノを詰め込んで、未だ雑然としながらも何とか業務の出来る態勢になりました。

 25日(月)夕方この部屋で仕事をしていました。市内に隈なく網羅された当市防災無線スピーカーから、夕刻を告げる「夕焼け小焼け」のチャイムが流れてきました。これはブログ開設年に『厚木市と♪夕焼け小焼け♪』シリーズで紹介したとおり、厚木市で戦前から後半生を過ごしたこの名童謡の作詞者の中村雨虹(なかむら・うこう)に因んだものです。
 春と秋は夕方このメロディが鳴り出すと、時刻はちょうど5時なのです。

 このメロディが流れてほどなく、女の子たちの元気な声が公園の方から響いてきました。
  ♪勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、・・・ ・・・ あの子が欲しい、あの子じゃ分からん、この子が欲しい、この子じゃ分からん、相談しよう、そうしよう

 『あゝ、花いちもんめかぁ』
 声はすれども姿は見えず。子供の声は高くてよく徹ります。分けても女の子の声は。

 それにしても嬉しいではありませんか。21世紀の現代っ子たちがこんな昔のわらべ歌を歌いながら遊んでいるなんて。親が教えたのか、学校で教わったのか。とうに歌われなくなって、今では滅びたも同然と思っていたのに・・・。

 花曇りの花冷えの夕方、女の子たちは元気いっぱい「花いちもんめ」を15分ほども歌っていました。そのうちサーっと潮が引くように、女の子たちの「勝ってうれしい花いちもんめ ・・・」の声が聞かれなくなりました。
 辺りは静寂になり、俄かに外が暮色に包まれた気配を感じました。

 (大場光太郎・記)

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チェーホフ『桜の園』

-チェーホフなど今は読まれないが世界的戯曲の中でも屈指の名作ではないか?-

 神奈川県県央地区の当地では今が桜の満開です。当地のみならず、関東地方の広い地域は今週末が桜の見頃のピークであるようです。そんな折り、タイムリーなことにチェーホフの名戯曲『桜の園』を読みましたので、その読後感などを綴っていきたいと思います。

 『桜の園』、大変懐かしいです。高校2年生頃初めて読んだのです。その時読み終わって沸き立つような感動、もっと言えば得もいわれぬ至福感を覚えました。
 もっともこのような圧倒的感動体験は、当時何も『桜の園』に限ったことではなく、他の西洋文学で言えばヘルマン・ヘッセ『春の嵐』、アンドレ・ジイド『狭き門』、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』などでも味わいました。

 我が高校時代は、『フォレスタの「花の街」』などでも触れましたが、宗教的法悦(サマーディ)に近似していたと思しき没我状態の感動体験をしばしば味わえたのです。例えば、良い音楽を習った時、良い詩歌や文学作品に触れた時など・・・。
 以来45年以上経過して60も過ぎた今日読み直してみると、あの頃の命の底から沸き上るような感動などはもちろん起きません。では無感動だったかと言えばそうとも言えず、読後ただ静かな感動が訪れた、と言ったところでしょうか。

 『桜の園』は四幕の戯曲(劇)です。舞台は19世紀末のロシアのある地方の「桜の園」と呼ばれて名高い広大な荘園。そこに多くの桜が植えられていたためそう呼ばれたのです。その地主の邸内そして邸近くの野外が舞台です。
 登場人物はラネーフスカヤというこの荘園の女地主、17歳の娘アーニャ、24歳の養女ヴーリャ、兄のガーエフ、商人のロバーヒン、30歳近い万年大学生のトロフィーモフ、その他女家庭教師、邸の執事、小間使い、87歳の老僕、若い従僕など多彩です。

 時あたかも桜の花が満開のロシアの遅い春5月のある朝。長らくパリに滞在していたラネーフスカヤとアーニャらが桜の園に帰ってくるところからこの戯曲は始まります。
 とは言っても、地主一族にとって決して悠長な話ではないのです。先祖伝来のこの広大な所有地を手放さなければならない切迫した事情があるからです。

 以後女地主のラネーフスカヤを中心に、先ほど見た多彩な登場人物を自在に登場させ、かつ自在に語らせながらこの物語は進行していきます。
 ラネーフスカヤも兄のガーエフも事態の深刻さをよく認識していないところがあります。特に40代後半のラネーフスカヤは、金銭にはまるで無頓着な、いまだ夢見る少女のような貴族的気質なのです。

 しかし一度傾いた衰退の流れは誰にも止めることは出来ず、遂に桜の園は競売にかけられてしまいます。そしてこの名の通った由緒ある土地を落札したのは思いもしない登場人物で・・・。

 寒さが兆した同年のロシアの10月のある日、桜の園を明け渡しそれぞれにモスクワやパリや近くの町に散り散りになる旅立ち直前の邸内がラストの四幕です。汽車の時刻に合わせて一同が後にした園には、伐られる桜の木の斧の音が聞こえている・・・。

 あまり詳細に語らない方がいいと思いますが、そこに至るまでを、チェーホフは登場人物の口を借りながら、時に痛烈な諷刺やユーモアを交えながらも、基調は哀切で物悲しい劇として運んでいきます。
 チェーホフには他に、『かもめ』『ヴーニャ伯父さん』『三人姉妹』と合わせて四つの戯曲があります。いずれも世界戯曲史にあって不朽の名作との評価が高いようです。私はそのうち『桜の園』と『かもめ』しか読んでいませんが、中でも『桜の園』は世界文学史に残る屈指の名作なのだろうと思います。

 没落して先祖伝来の名園を手放さざるを得なくなったこの劇の地主一族の運命は、来るべきロシア革命(1914年)によって打倒された、(ピョートル大帝やエカテリーナ女帝が築き上げた)栄光のロマノフ王朝の雛型のようにも思われます。
 帝政ロシア末期の優れた作家チェーホフには、ロマノフ王朝の行く末が見えていたのではないでしょうか。

 病魔に蝕まれ小説執筆を断念したチェーホフは、死の1年前となる1903年、『桜の園』をモスクワ芸術座のために書き上げました。時にチェーホフ43歳。だから『桜の園』はその遺作となる作品なのです。

 今回気がつきましたが、『桜の園』は「-喜劇 四幕-」となっています。えっ、悲哀に満ちたこの戯曲が「喜劇」?それについてチェーホフ自身は何の注釈も残していないようです。だから私があてずっぽうに推察するにー。
 一個人の変転も、一族の没落も、一国の興亡も、この世の出来事はすべて「夢のまた夢」。インドのヴェーダ思想で唱える「幻影(マーヤ)」に過ぎないわけです。だとすると、いかに深刻に見えるような出来事も「神の戯れ(リーラ)」であり、その根っこにはコズミック・ジョークが潜んでいるのです。

 インド思想に直接触れていたかどうかはともかく、死を間近にしたチェーホフにはそんな達観があったのではないでしょうか。
 チェーホフは短編・中篇小説の類い稀な作り手でもありました。こちらは折りに触れて全集中の作品を読んできましたが、あらためてまた読み返してみようと思います。

 (大場光太郎・記)

参考
中央公論社版『世界の文学』「チェーホフ-桜の園」(神西清訳)
関連記事
『フォレスタの「花の街」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-6dd3.html

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フォレスタの「七里ヶ浜の哀歌」(パートⅡ)

 -これぞ「祈りの歌唱」の極み、深い浄化と癒しが得られる名コーラスである-

    (「フォレスタ  七里ヶ浜の哀歌」YouTube動画旧バージョン)
     http://www.youtube.com/watch?v=tO76LnwCBDg


 つい先日『フォレスタの「七里ヶ浜の哀歌」』記事を公開し終えてから、この歌の関連フォレスタ動画を発見しました。
 前回取り上げたのは新バージョンで、何とこの歌には旧バージョンがあったのです。この旧バージョンをつい最近(3月16日)「hskjik」さんがYouTubeにアップしてくれました。

 この動画を見つけた私は、取るものも取りあえず聴いてみました。いやあ、素晴らしい !  この一言です。だいぶ前のТVCMのもじりではないけれど、「あっちもいいけど、こっちもねぇ」。
 なおhskjikさんによるYouTube投稿はこの動画一本だけです。いかにこのフォレスタ曲への思い入れが深いか分かろうというものです。

 そう言えば(と、今になってゴニョゴニョ言い出すようですが)、この旧バージョン、昨年の今頃削除された以前のフォレスタ動画にあったような、なかったような・・・。
 ともあれ。『フォレスタ 七里ヶ浜の哀歌』という旧バージョンをフォレスタファンに知っていただきたく、今回異例ですが、同じ歌を二度にわたって取り上げることとした次第です。

                       *
 このバージョンは、中安千晶さん、小笠原優子さん、榛葉樹人さん、川村章仁さんという女声2人男声2人、計4人のフォレスタ混声です。

 新バージョンと同じく1番独唱は中安千晶さん。「新」独唱が良かったのはもちろんですが、こちらの中安さんの歌唱は“特筆もの”だと思います。
 おそらくこのコーラスは、女声フォレスタ結成(2006年)からそんなに年が経たない頃の収録だと思われます。少女のようにどこかあどけない中安さんの、初々しくひたむきに歌う姿には好感が持てます。
 もちろん歌う姿だけではなく、その歌唱には本当に心揺さぶられるのです。

 2番独唱は小笠原優子さんです。小笠原さんは今現在、花子ちゃん子育て中で活動休止中にも関わらず、中安さんと女声フォレスタで1、2を争う人気ぶりです。このお2人によるソロの競演というのも嬉しい限りです。

 初めて聴いた時、中安さんのソロで涙腺が緩んだこともあってか、小笠原さんの歌声を聴いた途端たまらず涙がドッと溢れてしまいました。
 2番の歌詞の情景を十分把握された上での、小笠原さんの持ち味であるやわらかで表現力豊かな歌声、たまりません。

 余計なことながらー。この歌の小笠原さん、お若いですね ! 「ザ・美魔女」に対して失礼ながら、「可愛い優子さん」という意外な一面を見せてくれています。

 3番前半の榛葉樹人さん(テノール)、川村章仁さん(バリトン)という高低2人の前半の重厚な歌唱、後半は小笠原さん、中安さんの女声2人による哀切な歌唱。まさに圧巻です。特に榛葉さん、身長ジャスト160cmの私とさほど変わらない(余り関係ないか?)小柄なのに、声量豊かでとにかく歌がうまいです !
 終いの「帰れ早く 母の胸に」の繰り返し。2度目は思い切ったアレンジだと思いますが、最後は4人の息がピタッと合った終わり方で感動しました。

 この歌のコーラスの良さは、女声お2人のソロのうまさ、それを支える他の3人の絶妙なハーモニーなどにありそうです。各パートごとに巧みにアレンジされた音大出身ならではの高度なコーラス法で、男女混声コーラスの魅力が遺憾なく発揮された芸術的コーラスと言えそうです。

 このコーラスを、数多(あまた)あるフォレスタ曲の中の「マイベストテン」に加えたいと思います。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「七里ヶ浜の哀歌」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-faad.html 

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日々雑感(15)

  マガジンをパラパラと読む春の風   (拙句)

 18日は時ならぬ突風が吹き荒れる春の嵐、かと思えば翌19日はうって変わって初夏を思わせるような汗ばむほどのぽかぽか陽気。目まぐるしく天候の変わるきょうこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

 そう言えば19日午後、近くの小学校伝いの道を通った時校舎にほど近い校庭の一角にまぶしいくらいに黄色い菜の花花壇が認められました。『もうすっかり春だなあ』と思う間もなく、今度は校庭際の桜並木が目に入ってきました。驚いたことに、遠目にも開花しているのが分かったのです。
 なお近づいて仰ぎ見るに、まだ2分咲きといったところですが、確かに1年ぶりにぱっちりと開花した桜の花に違いありません。3月に入ってからの暖かい陽気に、『今年の桜早そうだぞ』とは思っていましたが、いくら何でも早過ぎないか、と思ってしまいます。

 そうでした。このたび1週間ほど記事更新が出来なかったお詫びと、引越しの次第を語るつもりなのでした。

 11日の引越し当日の朝緊急コメントしましたとおり、NТТの光フレッツの設備構築とかで、当日はおろか1週間後の「17日でないとネット接続ができません」というのです。5日にNТТに連絡して、6日の返事がそれなのです。
 『設備構築って、そりゃおたくの都合でしょうに』。でも向こうさんの言い分では「3月は引越しが多い月で工事が目一杯ですから」と言うことなのです。

 まあそんな時期に、設備構築なるものが必要な所に引っ越さなければいけない私が悪いのです。とは言っても、アベノバブルではなかった、アベノミクスなどという俄か景気とは縁もゆかりもない私としては、数年前のリーマンショック以来のダメージで、生活防衛上より家賃の安い所に引っ越すことはやむを得ざる仕儀なのです。

 旧住居から1キロとは離れていないものの、バス停もスーパーなども遠くなりました。その上私自身は特に気にしていませんが、建物は昭和52年築と「昭和を感じさせる」古い木造のアパートです。   
 大きさは3畳の台所、4.5畳の洋室、6畳の和室。そこに私が一人で住むのですから十分な広さと言うべきですが、何せ荷物が多すぎて果たして全部収納できるかどうか心配だったのです。

 例えば、大小和洋ダンス4つ、仏壇、スチール机3つ、スチール袖机2つ、スチール本棚1つ、木製本棚3つ、カラーボックス20以上、お決まりの洗濯機、冷蔵庫などなど。それに大小ダンボール箱に詰め込んだ荷物が百個以上。中身は亡母の処分し切れなかった着物類や食器類それに本や書類がごっそり。
 なおなお布団3セットほど、むき出しで(どういうわけか)石油ストーブ3個、扇風機+冷風扇3個。水呑百姓の子せがれとしての存在証明上処分するわけにいかない太郎村以来の父母の形見の鍬などなど。あ~あ。

 自分で新住居の寸法を当って図面化し、各箱物の寸法(タテ×ヨコ×高さ)を測って、空いた時間に、あっちこっちに動かしながら一つ一つ固定していきました。その結果ぎゅうぎゅうながら何とか全部納められそうだという結論を得たのです。
 畳一枚分とその半分の3段の押入れがあったのが大助かりでした。

 どなたも一度や二度は引越しされたことがあるでしょうからお分かりでしょうが、引越しの前も後も、準備、荷造り、各関係先への手続き・届出、荷解き、片付けなどが大変です。
 私の場合こんな時でも業務第一で生活の資を得る算段をせねばならず、相模原市の会社に伺ったり、各役所を走り回ったり、肝心の書類作成をしながら、その合間合間の片付け・整理整頓です。多くは仮置きの上、まだ開けていないダンボール箱が30個以上、6畳間に積み上げてあります。

 私の性分として、旧住居以上に良い住居への“栄転”ならブログで前もって大々的にアピールしたことでしょう(笑)。しかし今回はその反対だったわけで、実は何の断りもなく知らんぷりして引っ越すつもりでした(笑)。しかし図らずもネット接続不可状態が1週間ほど続く事態となり、白状せざるを得なくなりました(苦笑)。

 当分ここに住むことになろうかと思いますが、終の棲家にするつもりは毛頭ありません。ここのところ下降状態が続きましたが、そろそろ上昇機運に転じてもいい頃合いだぞ、と考えているきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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フォレスタの「七里ヶ浜の哀歌」

 -2年前の東日本大震災の大津波で「犠牲」になられた2万余柱の尊き御魂に、慎しんでこの歌そしてこのコーラスを捧げます。-

    (「フォレスタ - 七里ヶ浜の哀歌」YouTube動画)
     (この歌の動画は削除されました。)


       七里ヶ浜の哀歌  (作詞=三角錫子、作曲=インガルス)

    1 真白き富士の根(ね) 緑の江の島 
         仰(あお)ぎ見るも 今はなみだ 
      帰らぬ十二の 雄雄(おお)しきみ魂(たま)に 
         捧げまつらん 胸と心
 
    2 ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原
         風も浪(なみ)も 小(ち)さき腕に 
      力もつきはて 呼ぶ名は父母(ちちはは) 
         恨(うら)みは深し 七里ヶ浜辺(しちりがはまべ)
 
    3 み雪(ゆき)は咽(むせ)びぬ 風さえ騒ぎて 
         月も星も 影(かげ)をひそめ 
      み魂よ何処(いずく)に  迷いておわすか 
         帰れ早く 母の胸に
 
    4 み空にかがやく 朝日のみ光 
         暗(やみ)にしずむ 親の心 
      黄金(こがね)も宝も 何しに集めん 
         神よ早く 我を召せよ
 
    5 雲間(くもま)に昇りし 昨日の月影
         今は見えぬ 人の姿 
      悲しさ余(あま)りて 寝られぬ枕に 
         響く波の 音もたかし
 
    6 帰らぬ波路(なみじ)に 友よぶ千鳥に 
         我もこいし 失(う)せし人よ 
      尽(つ)きせぬ恨(うらみ)に 泣くねは共ども 
         今日も明日(あす)も かくてとわに 


 そう言えばフォレスタコーラス、『まだ七里ヶ浜の哀歌、歌ってないなぁ』と常々思っていたのでした。そうしたら、このたび遂にこの歌がYouTube動画にアップされたではありませんか。それも特上のコーラスで。
 フォレスタのこの歌については後ほどあらためて取り上げるとして、まずは例によってこの歌にまつわる事柄から述べてきたいと思います。

 とは申しましても、この歌について述べたいこと、述べるべきことは多々ありそうです。今回は草案なしのぶっつけ本番ですから、あっちこっちの脱線が大いに懸念され、かつまたやたら長い一文になるやもしれません。
 私としては「1週間の春休み」をいただいた埋め合わせ(笑)のつもりですが、最後までご一読いただければ幸いに存じます。

 さてこの歌は、明治43年(1910年)1月23日、逗子開成中学校ボート部部員12名を乗せたボートが七里ヶ浜付近で転覆し全員死亡した事件が発生した、それを悼んで歌われた歌であることはどなたもご存知のことでしょう。
 作詞したのは三角錫子(みすみ・すずこ)という当時38歳の系列校・鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教師でした。原曲はアメリカ人ジェレマイア・インガルス作曲の賛美歌でした。

 逗子開成中学校における追悼法会で鎌倉女学校生徒らによって初めて歌われ、大正4年(1915年)レコードが発売され、またその後演歌師が歌ったことにより全国的に広まっていくことになりました。
 この歌の歌い出しを取って、『真白き富士の根』または『真白き富士の嶺』というタイトルで呼ばれることもあります。

 文芸評論家の柄谷行人(からたに・こうじん)の『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)という著書の中に、この歌の背景や真相を掘り下げた優れた論考があります。それによりますと、作詞した三角錫子は清教徒系のクリスチャンであり、だからこそつい最近まで不明だったインガルスの白人霊歌の原曲も知り得たわけです。
 しかし三角は、それ以前に徳富蘆花の『不如帰(ほととぎす)』から決定的な影響を受けており『七里ヶ浜の哀歌』の歌詞にもそれが及んでいる、と柄谷は言うのです。『不如帰』は結核に冒された薄幸の女性・浪子がヒロインで、明治期に一世を風靡した大ベストセラー、それ以降の大衆に与えた影響は凄まじいものがありました。

 それ以降結核は「文学的な病」となりましたが、三角錫子自身も結核だったのです。三角は49歳の若さで世を去りましたが、この歌4番の「神よ早く 我を召せよ」の歌詞は、三角自身の文学的希求も込められていそうです。

 私がこの歌を初めて聴いたのは中学校3年の1学期でした。東京・鎌倉への修学旅行直前に国語の先生だったТ先生が歌ってくれたのです。このТ先生の授業は灘校の橋本武先生ばりにユニークで、その次第は幾つかの記事で既に書いています。
 Т先生は当時30代半ばの女性教師で、この人も実は結核で、ために婚期を逸したと噂されていたのです(ただし私が離郷後ご結婚されたよし)。その知識の該博なこと、今客観的に判断しても田舎の中学教師にはもったいない人だったと思います。

 Т先生は私の1年時の担任でもあり、入学時から目をかけていただき、中学3年間を通して他の男子生徒がやっかむくらいひいきにしていただきました。私が「文学のイロハ」を教わり文学開眼したのはこの先生のおかげです。
 それは、その後の私に信じられないほど豊かな情操世界をもたらしてくれました。しかし反面、私の深い部分を「文学的なるもの」が占めることとなり、実生活において今日までつぶしの利かない人生にしたことも紛れもない事実です。

 決して美人とは言えませんでしたので(先生ごめんなさい)恋心などはまるで抱きませんでしたが、Т先生ほど私を高く買ってくれた人は我が半生に他におりません。先生の期待に背く生き方ばかりしてしまいましたが、その意味でТ先生は私にとってありがたい最大の恩師です。

 今から25年ほど前、それも元旦の午前中に江ノ島から「真白き富士の嶺」を仰ぎ見たことがあります。江ノ島内の神社参拝に向かう途中江ノ島大橋から眺められたのです。当日は大快晴、ピンと張りつめた冷気の中で遠く望まれた富士山の姿は秀麗で気高くもありました。
 向かったのは大勢の参拝客でごった返す江ノ島神社ではありません。その前の道路を通り、木立に覆われた山坂道を左に右に曲がり石の階段を登った小高い処にある児玉神社です。

 初めて聞く人も多いかと思いますが、この神社は日露戦争最大の功労者である児玉源太郎大将を祀った神社なのです。そして驚くのが、ここの神職は、当時も今も極めて珍しいと思いますが、山本白鳥(やまもと・はくちょう)とおっしゃる女性宮司なのです。
 山本宮司は当時30代半ばくらいの華奢で細面な凛とした人でした。私より若い2人と共に、児玉大神の拝殿で山本宮司のよく透る、厳かな祝詞奏上に深々と頭を垂れ、続いて児玉大将の大きな肖像写真が掲げられた社務所での山本宮司との直会(なおらい)の次第などは『児玉神社参拝記(1)(2)』に記しました。

 鎮魂歌であるこの『七里ヶ浜の哀歌』が戦時期、最も劇的な場面である人によって歌われたことがあります。私はその場面を昭和前期(戦前、戦中期)の「隠れた名場面」と考えているのですが、ご興味がおありの方は『もう一つの12月8日未明』をお読みください。

 冒頭の献辞で、東日本大震災の大津波で亡くなられた方々をあえて「犠牲」と表記しました。私は今もって大震災&福一原発事故は米国「闇の勢力」によって仕掛けられたもの、との疑念を拭い去ることができないのです。大地震直後に発せられた次のツイッター文をお読みください。

原田武夫@本人、です。「地震とは、起きるものではなく、起こすものである。2004年以降、そうなっている。知らないのは日本人だけだ」米側関係者から伝わってきた言葉。要注意。

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フォレスタの「故郷を離るる歌」

 -離郷の動機は千差万別、各人各様の「故郷を離るる」物語がおありでしょう-

    (「フォレスタ - 故郷を離るる歌」YouTube動画)
     https://www.youtube.com/watch?v=jwrQ5DVXtmA
    (everstone04さん提供のフォレスタ動画は削除されました。代わって、
     敗戦後のドイツ人の祖国への帰還画像版の動画に差し替えました)
     


  故郷を離るる歌   (作詞:吉丸一昌、ドイツ民謡)

園の小百合、撫子(なでしこ)、垣根の千草。
今日は汝(なれ)をながむる最終(おわり)の日なり。
おもえば涙、膝(ひざ)をひたす、さらば故郷(ふるさと)。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

つくし摘みし岡辺よ、社(やしろ)の森よ。
小鮒(こぶな)釣りし小川よ、柳の土手よ。
別るる我を憐(あわれ)と見よ、さらば故郷。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

此処(ここ)に立ちて、さらばと、別(わかれ)を告げん。
山の蔭の故郷(ふるさと)、静(しずか)に眠れ。
夕日は落ちて、たそがれたり、さらば故郷。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。


 
卒業、新学業、就職の季節です。今は、そういう事情によって故郷を離れて異郷に移り住む人たちが大変多い時代です。その意味で、この『故郷を離るる歌』をたまたま聴いたりすると、ジーンと熱いものがこみ上げてくるという人も多いのではないでしょうか。

 それほど、この歌は「離郷の名曲」として我が国で長く愛唱されてきました。
 しかし冒頭掲げましたとおり、この歌はもともとはドイツ民謡です。もう少し踏み込んで言えば、この歌の原曲が長らく分からず最近ようやく分かったことには、ドイツの「ラウテ(昔の弦楽器)の歌 9」の『喜び、悩みのなかの愛』にある353番目の曲(歌)で原題名は『Der Letzte Abent』であるようです。

 原曲は、日本人観光客に人気が高いロマンチック街道の出発点となるドイツ中部のフランケン地方の民謡でした。
 日本語の訳詞は、先月取り上げた『早春賦」』の作詞者として名高い吉丸一昌の名訳になるものです。
 ドイツ語の原詞も同じく、故郷を離れて遍歴修業に旅立とうとしている若者の心情を歌った内容です。ドイツではご存知のとおり、中世あたりから若者が各地のマイスター(名工)を訪ねて、そこで特定の技能を身につけるため一定期間修業する徒弟制度が一般的でした。

 ただ原詞は、「故郷にいる恋人との別れのつらさ」がメーンとなっています。「オラー、あの娘と離れ離れになりたくねえよぉ~」という未練たっぷりな歌なのです。ですから、吉丸一昌名訳詞のような「園の小百合」も「なでしこ」も原詞には出てきませんし、最後の「さらばふるさと」も「さらば恋人」となっています。

 ここからは、いつもお決まりの「わたくし事」で申し訳ありません。
 私は今から5年前となる2008年3月11日、『二木紘三のうた物語』のこの歌に少し長いコメントを出しました。私自身の離郷時の思い出を綴ったものです。時は昭和43年3月10日夜から11日未明にかけて。
 ちょうど45年前のことなので感慨深くもあり、主要部分を以下に転載させていただきます。

                        *
 昭和30年代半ば過ぎまで、私の田舎では出征兵士を見送る遺風が残っていました。当時私は、山形の田舎町の母子寮にお世話になっている小学生でした。寮の先輩の多くは、中学を卒業して就職のため上京していきました。その見送りに私も、毎年のようにかり出されました。
 地元の駅頭で、先輩は、見送りの者らと中学の応援団員らに囲まれて、応援団長のかけ声で始まる中学校の校歌や応援歌などに送られて、列車に乗って行ったものでした。

 しかし私が就職のため首都圏にやってきた昭和43年には、もうそんなことも行われず、一人寂しく故郷を後にしました。気の合う級友らとは(高校)卒業式終了後、N市内のコーヒー店でお別れ会をし、親戚や知人には前日から当日に挨拶を済ませていましたし。
 夜10時過ぎの上野行きの夜行列車だったと思います。駅の周辺には、雪がはだらに残っていました。汽車を待つ間、それまでの故郷での思い出のあれこれが、浮かんでは消えたり、ただボーッとしていたり。気になっていた、同じクラスだった女生徒の白い顔がパッと浮かんだり…。

 でもそんなことよりも、これから先の未知の土地での生活の不安感の方が、圧倒的でした。逆説でも何でもなく、まるで山形から首都圏への「都落ち」の心境でした。出来れば故郷を離れたくはなかった。いつまでも住み続けたかった…。
 地元での就職の失敗が、そんなささやかな望みを打ち砕きました。歯車が狂い、故郷を押し出されるようにして、首都圏へ。

 夜汽車に乗り込み、外は真っ暗ですからそのうちぐっすり寝込みました。あくる日の午前3時頃、ググッとブレーキをくれて停まり、それで目が覚めました。見ると宇都宮駅。しばらく停車していました。車窓の遠方に目をやると、宇都宮市街は、まだ未明の暗さの底に沈んでおりました。建て混んだ家並みの上空に、下弦の赤い月が大きく浮かんでいました。心細い身にはこたえる、異郷の不気味な光景でした。
 『オレは、ホントに一人ぼっちなんだな。』
                         *
    虫の夜故郷喪失して久し   (拙句)
 以来、首都圏何千万人かのうちの平凡な無名の一人として、悲喜交々をいっぱい(どちらかというと「悲」の方を多く)味わいながら生きてきました。
 今でもあの時の赤い月が、ふっと甦ってくる時があります。たいがいはピンチの時です。ハッとなって思うのです。『何もなしでこっちに来たんじゃないか。失うものなんて何もないじゃないか。出来るだけのことは、やってみろよ』。すると、たいがいの窮地は切り抜けられます。
 幾十星霜。覇気のなかった私も、この激動の時代の荒波を多少なりともかぶって、精神的に少しはタフになったのでしょう。  (転載終わり)

                         *
 昨年削除された以前のYouTube動画の時から、女声フォレスタのこの歌は時折り聴いていました。
 削除後1、2ヶ月ほど経った頃、「フォレスタの故郷を離るる歌 聴かれない」というような検索フレーズで訪問された人がいました。よく見ると「言語 Chinese」なのです。日本へ留学生として来ている中国人なのでしょうか。「故郷を想う心」に、国境などないわけです。
 それとともに、フォレスタは中国の人も聴いているのか、とつい我がことのように嬉しくなりました。

 その時以来私も密かにもう一度聴いてみたいと思っていましたが、昨年暮れeverstone04さんがついにこの歌をアップしてくれました。

 この歌自体名曲であることは言うまでもありません。それに加えて、小笠原優子さん、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんという初代女声フォレスタによるコーラスがたまらないのです。

 以前取り上げた『旅愁』『揺籃のうた』などもそうですが、この歌のコーラス、やわらかく、落ち着いた、和みの女声コーラスで心にしみ透ります。
 メッツォ・ソプラノの吉田静さんの加入前なのでしょうが、よく聴きますと小笠原さんと白石さんが低音部を担当されているのか、やはり高音、低音のきちんとしたコーラスになっています。

 この4女声の「故郷」と言えばー。
 小笠原さんが青森県、白石さんが東京都内、矢野さんが千葉県、中安さんが東京都八王子市。小笠原さんだけが遠い故郷のご出身で、後の3人は近県ないしは都内、白石さんに至っては23区のうちの東京下町のご出身ではなかったでしょうか。

 小笠原さんのこの歌への想いはひとしおでしょう。
 では白石さん、矢野さん、中安さんには故郷がないかというと、そんなことはないと思います。いくら近くても生まれ育った町こそは故郷。またそれぞれイメージとして描いている故郷がしっかり心の中にあって、それがこの『故郷を離るる歌』のコーラスとなって表現されているように思われます。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「早春賦」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-dd81.html
『フォレスタの「旅愁」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-6635.html
『フォレスタの「揺籃のうた」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-5cf9.html

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ТPP後の日本について考える

 -「ユダ金企業の、ユダ金企業による、ユダ金企業のためのТPP」に参加表明しようとしている安倍晋三は、ユダ金米国に国を売る売国奴・国賊だ !-

 直前のТPP草案告発記事では、少し(かなり)嫌な近未来の一端を述べました。だってそうでしょう。ТPP協定締結は事実上我が国の「第2の敗戦」とも言うべきものなのですから。当時との違いは、国内挙げての抗議も抵抗も抗戦もほとんどなかったことです。戦後60有余年経って、国民は皆米国に対して従順な「家畜人ヤプー」と化してしまったということです。
 敗戦後の現実として、厳しい「第2の占領」が待っています。この国は、ユダヤ国際金融資本(ユダ金)という偽ユダヤの悪魔企業に乗っ取られ、蹂躙されてしまうのです。

 ТPPの問題点として、ざっと思いつくだけでもー。
 現在の我が国の国民皆保険制度は崩壊します。ユダ金ロスチャイルド指令による、小泉・竹中コンビによる新自由主義・市場原理主義の導入によって、この国は格差社会(階級社会)化が進みました。近未来は、一部の富裕層以外はうかうか病気にもなれないのです。
 その関連で言えば、ユダ金系列企業が医薬品を独占しロクでもない薬を売りつけ、優れた治癒効果のある後発医薬品(ジェネリック薬品)は市場から締め出されることになるのです。

 小泉政権下の郵政民営化で民営化された、郵貯やかんぽ約350兆円をユダ金系保険業界が虎視眈々と狙っています。そもそも米国が毎年のように「年次報告書」という秘密指令書によって小泉政権に民営化を迫ったのは、これが目的だったのです。
 ТPP後は大手を振って郵貯・かんぽの分捕りをしにきます。国民の資産がどんどん米国に流れていくのです。

 ロックフェラー系企業の中にモンサント社という企業があります。あのベトちゃん・ドクちゃんを生んだベトナム戦争中の枯葉剤を開発・販売して大儲けした悪魔企業です。このモンサント社、今は遺伝子組み換え食品に表紙替えしています。
 モンサント、密かに日本での遺伝子組み換え食品の流通を画策しているのです。ТPP締結後は、現在の食料品に見られる「遺伝子組み換え食品は使用していません」は表示されなくなります。

 ユダ金、偽ユダヤ、イルミナティ、レプティリアン(爬虫類型生命体)の血流を汲む欧州貴族系冷血白人種・・・。高度なオカルティストでもある「彼ら」は、「日本民族の真意義」を日本人以上に知り抜いています。「彼らの悪目的」の前にいつも立ちはだかるのが日本民族、目障りで仕方ないのです。
 遺伝子組み換え食品を与えることによって、日本民族の遺伝子を根本から破壊しようと企んでいるのです。

 その他。今既に若い世代を中心に日本語の語彙が極端に貧困になっていることなど、戦後日本文化は相当破壊されていますが、ТPP後はそれにさらに拍車がかかります。
 ユダ金企業の意向に逆らう国は、ТPP草案にあるとおり、超国内法で訴えられ国として莫大な賠償金を支払わせられます。
 それに後発参加の日本は、既に参加表明している米国など10ヵ国余が突きつける条件を原則呑まなければなりません。一度参加すれば(893組織でもあるまいに)途中下車は許されません。・・・

 とにかくТPPとは、一言で言えば、
 「ユダ金企業の、ユダ金企業による、ユダ金企業のためのТPP」
であることは明らかなのです。
 以上、ТPP参加は日本にとって「第2の占領」に他ならないこと、お分かりいただけたでしょうか。

 その上ТPP参加は、ただでさえ厄介な東アジア近隣関係に深刻な影響を及ぼします。中国、北朝鮮、ロシア関係がこれまで以上に険悪化する可能性があります。いざとなったら、米国への隷属を深める我が国に対して、3カ国のいずれかによる軍事行為の口実をさらに与えたことになるのです。
 特に中国です。ТPP協定は、アメリカが脅威を感じるほど経済大国化、軍事大国化しつつある中国に対する牽制の意味があるものです。これまで以上に日本を敵視し、より明確に仮想敵国とみなしてくることを覚悟すべきです。

 最近記事でもみたように、我が国は東アジアにおいて極めて危うい地政学的立場にあります。さながら「高次連立近隣方程式」の解を求めるような難解さなのです。
 外交・安保上の一つ一つの問題解決には、関係国とのバランスを考慮した高度な外交力がなければなりません。一つの国に過度に寄りかかれば寄りかかるほど、他国との関係はギクシャクし緊張状態が高まります。

 安倍政権は、そういうシビアな「近隣外交アセスメント」をほとんどしないまま、米国奥の院の圧力に屈してТPP参加に突っ走ったのでしょう。
 だって総選挙では「ТPP断固反対」を掲げながら、政権を獲るとともに「ТPP賛成」に変節したのですから、安倍政権や経済産業省・外務省にそれを求めるのは土台無理と言うものです。

  さらに忘れてならないのは、ТPPは、NWО(New World Order)「世界新秩序」などと略すと聞こえはいいが、つまりは666勢力による「世界統一政府」樹立の重要なステップであることです。こんなおぞましく危険なものを本当に容認していいんですか、という話なのです。
 なおNWОについては、また別の機会に見ていくことにしたいと思います。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『全国民必読 ! リークされた米ТPP草案の仰天中身』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-482a.html

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全国民必読 ! リークされた米TPP草案の仰天中身

 -確実視されているТPP参加表明はおそらく「日本の終わり始めなり」となる-

 前回紹介した、米国市民団体が米国のTPP草案(TPP秘密協定)をすっぱ抜いて報道した重大問題について、我が国マスコミでは『日刊ゲンダイ』が唯一取り上げています。報道内容を録画した、約15分ほどのYouTube動画のポイント個所を的確に捉えているのです。

 衆院選を「ТPP反対」で戦いながら、いざとなると米国奥の院・ユダ金の恫喝にビビり、ゴニョゴニョ言いながらつまりは「ТPP賛成」。普段の威勢の良い「日本を守る」などはしょせん右翼趣味なお坊ちゃまの机上の夢想。実は「日本を売る」詐欺的手法で国民を騙したのです。政党こそ違え「シロアリな野田」と同じ穴のムジナであることを自ら暴露してしまったわけです。

 安倍政権の詐欺の片棒を担いでいるのが新聞・テレビという劣化マスゴミで、ТPPの真相・恐ろしさを知りながら大本営発表に終始しているのです。

 毎度のマスコミマインドコントロールによって愚民化されたおらが国のB層大衆は、「ТPP賛成 60%超」の支持を与え、売国安倍政権の「ТPP参加」を後押しする体たらくです。(つまりは国民自体が「売国体質」なのではないか?)
 それを見て売国安倍首相は、来週13日にも「ТPP参加正式表明」する予定です。

 この状況から、平成に入る直前に出されたある人(故人)の「大警世の書」を思い出します。今はまだその戦慄の全貌を明らかにする段階ではありません。が、今回のТPP参加表明が「日本国民に悪魔の正体を骨身に沁みて分からせる」ための重要なステップになる、私ははっきりそう認識しています。

 ТPP賛成の国民の皆さん、もう後戻りはできませんよ。「苦難最も強い時」に「こんなはずじゃなかった」などと言わないでよ。悪魔勢力を日本列島に引き寄せたのはあなたがた自身なのですからね。今は曲がりなりにも民主主義で主権在民、今回は、かつての「軍部が・・・」と同じ論法は通用しませんぞ。  (大場光太郎・記)

                       *

米告発番組が物議 リークされたTPP草案 売国の中身

『日刊ゲンダイ』(3月6日号3面)

ヤバイのはコメだけじゃない!

 TPP参加に突っ走る安倍政権への批判が噴出しているが、新たにとんでもない事実が判明した。米国と参加国の〝秘密交渉〟で詰められていた「TPP草案」が外部に流出し、そのデタラメ実態が白日の下にさらされたのだ。

 問題のTPP草案は、米市民団体「パブリック・シチズン」がリーク情報をもとに告発したもの。米独立系放送局「デモクラシー・ナウ」の番組上で暴露された。その内容には驚きを通り越して、背筋が寒くなる。

 告発によると、草案は全26章から成るが、日本で議論になっているコメなど貿易関連のテーマはわずか2章のみ。残りは、いかにして米国企業に強大な権限を与え、各国の権限を奪い取るかに割かれているという。

「貿易自由化」は表向き、実質は米企業の〝世界支配〟

 市民団体のロリ・ウオラック氏は、(TPPは1%が大多数の人々の生存権を奪うツールだ)とこう告発している。
〈TPPは表向きは貿易協定ですが、実質は企業による〝世界統治〟です〉〈各国が国内法や司法を使って権利を守ろうとしても、企業は別建ての司法制度を持ち、お抱え弁護士たちがインチキ国際法廷に加盟国の政府を引きずり出し、無制限の賠償を命じる〉

地産地消、国産品愛好もダメ

〈地域産業の優先を禁じ、地産地消や国産品の愛好は許されない。環境や人権に配摩する商品も提訴されかねません〉

 米企業は医薬品や種子の独占権を強化し、薬価をつり上げるため、後発医薬品(ジェネリック薬品)の販売を阻止する案も画策。各国の金融規制を緩和し、高リスク金融商品を禁止できなくする、とも警告している。

 さらに、〈600人の企業顧問に草案へのアクセス権を与えながら、米上院貿易委員会も蚊帳の外。貿易協定という名の『企業の権利章典』の中身は見られない〉 とも指摘。徹底した秘密交渉に加え、〈交渉内容は、締結後4年間は非公開という密約もあった〉 というからムチヤクチャだ。

 15分間の告発番組には、米テキサス企業協会の関係者がパーティーでスピーチをしている映像が流される。その内容も仰天で、「ТPPは市民の意見におかまいなく、企業利益を最大にするものだ」と大ハシャギしているのである。
 安倍は、こんなインチキ協定にノコノコと参加しようとしているのだ。

 元外交官で評論家の天木直人氏がこう言う。

「このリーク情報は昨年の大統領選のときに公表されたものですが、これまで一切報道されてこなかった。参加国の国民に知れたら、ただでさえ交渉が難航しているTPPはますます糾弾される。だからオハマ政権が隠蔽し、米国民をもダマし続けてきたのです。日本は交渉のテーブルに着いたが最後、あらゆる市場を開放させられ、経済は崩壊し、国民の食も健康も米国に支配されてしまうでしょう。逆らえば、米企業が法外な賠償金を求めて訴えてくる。国はひとたまりもありません。 当然、日本政府と役人はすべてを知っているはずですが、日米安保条約の密約と同じでヒタ隠しにしているのです」

 野党はきのう(4日)の代表質問で、「TPP参加は国民を欺く『安倍トリック』だ」とか批判していたが、論より証拠だ。このデタラメ草案と告発番組を国会で取り上げ、安倍政権を徹底的に追及すべきだ。  (転載終わり)

問題の動画
『アメリカ市民団体がTPPについて報道した驚異の内容とは』
http://www.youtube.com/watch?v=HLVKAalmD48
関連記事
『全国民必聴 ! 米市民団体によるТPP報道の驚愕内容』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-ab9d.html
『マスコミ、ТPP報道でまたも大本営発表』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-d3e3.html

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全国民必聴 ! 米市民団体によるTPP報道の驚愕内容

 -TPPは、1%のユダ金米国企業の利益独占目的であることが明白。この事実をひた隠す安倍政権、霞ヶ関官僚、財界、マスコミは悪魔勢力に国を売ったも同然だ !-

 新聞・テレビなどマスコミは決して報道しないことでしょうが、アメリカの市民団体がTPP協定の悪魔的危険性を告発しています。その市民団体による告発報道の動画が存在するのです。
 いやあ、『実態はそんなものだろう』とうすうす感じてはいたものの、ここまでヒドイとは ! 絶句です。

 私がとかく言うより、この問題を取り上げた天木直人(あまき・なおと)氏の、阿修羅掲示板に投稿された説得力ある一文がありますので以下に転載します。
 同文中にも同動画URLがありますが、念のためここでも掲げておきます。

  『アメリカ市民団体がTPPについて報道した驚異の内容』(YouTube動画)
   http://www.youtube.com/watch?v=HLVKAalmD48

 この動画、1回限りではなく何度も繰り返し聴いてとことんご理解ください。そして理解した皆さんが、この動画の存在を友人・知人に拡散していくのです。ブログやツイッターをお持ちの方フルに拡散してください。
 マスコミマインドコントロールに毒され「TPP賛成」に傾きつつあるB層世論を「草の根民主主義」でひっくり返しましょう !

 何しろTPPは、この国の存亡、つまりは我々国民の生命財産、子々孫々にまで深刻な悪影響を及ぼしかねない由々しき問題なのです。売国奴隷の安倍首相、霞ヶ関官僚ごときに唯々諾々と従い、歪曲され誤導されたマスゴミ世論に騙されるわけにはいかないではありませんか !

 天木直人氏は、小泉政権時レバノン大使だった人です。小泉元首相という元祖売国奴首相(本当の元祖売国奴首相は吉田茂-米国スパイコードネーム「ヨハンセン」)による米国隷従のイラク政策に抗議し、同大使を辞任した、稀に見る気骨ある外交官でした。
 なお天木氏の一文が掲載された阿修羅掲示板スレには夥しいコメントが寄せられており、中に傾聴に値するコメントが幾つもあります。心ある方はそちらも併せてお読みください。  (大場光太郎・記)

                       *
米国市民団体がTPPについて報道した驚愕内容   天木直人

http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/594.html

TPP交渉の最大の問題はその交渉内容が公表されないことである事を知っている人は少ないと思う。

 なぜ交渉内容が公表されないのか。 それはその内容が公表されればそれぞれの国民がみずからの利益を奪われる事を知って怒り出すからだ。交渉が中止に追い込まれかねないからだ。

 そしてTPP協定の危険性の最大のものは、企業が国を相手取って訴訟を起こせるといういわゆる悪名高いISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)が盛り込まれている事にある。

 このTPP協定の秘密性と危険性をいち早く見抜いて告発したのが米国の市民団体であったということは何と言う皮肉だろうか。

 私は読者の一人からの情報提供で以下のようなサイトの存在を知った。

 まずこれを黙ってみていただきたい。

  http://www.youtube.com/watch?v=HLVKAalmD48

 ここで流されている米国の報道録画は衝撃的だ。

 この録画を日本の国民が知ったらTPP協定などとんでもないという事になる。

 これまでの国内の議論がすべて吹っ飛ぶ事になる。

 なにしろオバマ政権そのものが米国議会に隠してTPP交渉を進めていたからだ。

 ひょっとして米国議会はオバマ大統領にTPP交渉の交渉権を剥奪するかも知れない。

 ただでさえオバマ政権と議会は財政削減などで緊張関係にある。

 もし議会がオバマ大統領にTPPのさらなる交渉を許すとすれば、他国との交渉で徹底的に米国企業と米国民の利益を確保することを命じる時だ。

 しかし米国がそのような態度でTPP交渉に応じるなら、そしてその事を各国の国民が知る事になれば、各国政府はそんな米国の交渉を許すはずはない。

 だから各国の政府もまた、自らの国民に隠して米国とTPP交渉を行なって来たに違いない。

 米国と結託して国民を裏切ってきたのだ。

 しかし情報は必ず漏れる。

 各国の政府はみずからの国民の突き上げを食らって米国との交渉で抵抗を示すしかない。

 オバマ政権が10カ国とのTPP協定交渉に手間取っている理由はここにある。

 そんなTPP交渉に、国民を欺いて参加する事を宣言する安倍首相は、この映像が全国の国民の知るところになれば、売国奴呼ばわりされるだろう。

 何が「日本を取り戻すか」だ、「日本を売り渡す」だろう、と反発をくらう。

 一つのユーチューブの画像が野田政権を倒した例を我々は知っている。

 あの公約違反はしませんと叫んだ選挙前の野田演説だ。

 それを繰り返し流された野田首相は、その公約を破って消費税増税に突き進んだ事によって自滅した。

 この映像が繰り返しユーチューブで流されたら安倍首相は窮地に立たされることになる。

 TPPに反対する国会議員はこの映像を国会で取り上げろ。

 日本のメディアはもはや嘘を言い続けて安倍政権を擁護する事はできない。

 そんな事をすればメディアもまた売国奴呼ばわりされることになる。

 米国の市民団体が告発したTPP秘密交渉を報じたこのユーチューブの画像が安倍自民党政権を倒す事になるかも知れない予感がする(了)。  (転載終わり)

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「私学の雄」早稲田大学の凋落(2)

 -大激動、超変革のこの時代、最早権威やブランドだけの大学は通用しない-

 ところで早稲田大学(以下「早大」)のみならず、首都圏全体の私立大学をみた場合総崩れ状態です。今年度の私大の志願者数は、全国的には前年比5%増加したのに、都内の中央、東洋などの多くが志願者を減らし、今や人気トップの明治も2013年度は109,312人と前年より4,008人も大幅にダウンしています。
 これは就職氷河期の今日、首都圏大学の名を捨てて出身地大学の実を取る、という堅実な傾向性の表れなのかもしれません。 

 中でも気になるのが早大で、(今年度)106,768人と(前年度)1,759人ダウンしています。数年前に明治に人気のトップを奪われ、ブランドイメージでも慶応(以下「慶大」)に大差をつけられているのです。
 例えば、慶大と早大を併願した受験生がどちらも合格した場合、今の学生は「8対2」で慶大への入学を選択するといいます。30年前だったら、その場合早大に入学する学生が多かったわけです。

 代々木ゼミナール入試情報センター統括本部長の坂口幸世氏は、早慶の逆転の原因は、意外なことに「バブル崩壊にあった」と次のように分析しています。
 「90年代にバブルが崩壊し、就職を意識すると、政治、法、文学に強い早稲田より、経済を売りにする慶応の方が時代に合致してきたようです。学生たちも、時代の潮流を敏感に察知しているのだと思います」

 同氏はもうひとつ気になることとして「早稲田の慶応化」を指摘しています。
 「20年前、30年前の受験者は、慶応は系列校からの進学組が多く、その独特のカルチャーに馴染めるかという不安がありました。しかし、現在は早稲田も付属・系列化しており、あまり差がない。そうすると、単純に就職に有利な慶大の方に受験者の目は向いていきます」

 早大ОBでフリーキャスターの梶原しげる氏(法学部卒)は嘆いています。
 「2対8といえば、完敗もいいところ。早稲田こそが私大の雄だと自負してきた我々おじさん世代には、隔世の感があります。こうなると、野球やラグビーの対抗戦の呼称も、『早慶戦』から『慶早戦』に変えなくてはいけなくなる。ただ、早稲田ОBというのは、慶応ОBの強固な団結と違い、大学への帰属意識が極端に薄い。<そんなの関係ねぇ>というОBも多いですね」

 今は猫も杓子も「調査」の時代、卒業者の「満足度調査」というのがあるそうです。
 それによりますと、「卒業生満足度調査」で1位は北海道大学、2位は東北大学、3位は一橋大学と続き、4位に慶応大学がランクされています。
 この調査でも早大は20位に低迷しているのです。(ちなみに、かの東京大学は15位と、こちらもまったく振るわない。)

 「卒業生の満足度」は、母校への寄付金にそのまま跳ね返ってくるわけです。
 昨年の寄付金は慶大の37億円に対し、早大は21億円。卒業者数が多いことを考えれば、早大ОBのケチぶりが分かるのです。

 最後に私学経営の要となる、両校の収入規模の比較です。
 早大の予算規模は年865億円で、慶大の519億円を上回ります。しかし慶大は付属病院も含めれば、年間2000億円に達します。収入規模としては、早大は慶大にはるかに及ばないのです。

まとめ

 「こうなると、いずれ明治にも抜かれ、『慶明戦』を指をくわえて見ている時代になりそうだ」と、『早稲田の凋落が止まらない 上、下』を特集した日刊ゲンダイ記者氏は結んでいます。
 明治期に大隈重信によって創立され、以後百何十年も「私学の雄」として君臨してきた早稲田大学が、ここにきて急凋落を見せている。以上見てきましたように、それにはバブル崩壊という事態、早大自体の理念・哲学の欠如、系列化など運営方針のまずさ、収入規模などさまざまな要因が複合していたわけです。

 この時代の激しすぎる変化の嵐は、分野のいかんを問わずいかなる「権威」も安閑とはしていられないということを早大凋落は物語っているようです。
 他方、秋田国際教養大学(公立)という創立わずか9年(2004年)の地方大学が、東大など旧帝大系を脅かす偏差値にまで急成長し、注目を浴びている例もあります。大分県に2000年に創立された立命館アジア太平洋大学(私立)などは、就職実績で、今回早大と対比させた慶大を脅かす存在になりつつあります。

 その意味ではまさに「大学下克上時代」とも言えそうです。しかし今挙げた両校は、ともにグローバル時代を見据えた、国際的に活躍できる優れた人材育成カリキュラムを組むなど、必死で自助努力しているのです。
 方や、早大のみならず我が国一の大学としてあぐらをかいてきた東大は、ようやく重い腰を上げて昨年あたりから「グローバル対応」の検討に入った段階です。

 亡国官僚・政治家を大量に育成してきた東大法学部などロクなものではありません。大学も今までのランク付けなどクソ食らえ、ガラガラポンで一からやり直し。これでいいのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』-「早稲田の凋落が止まらない 上・下」(2月27、28日号)
関連記事
『「私学の雄」早稲田大学の凋落(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-023e.html
『明治大学のこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-3ea3.html
『「秋田国際教養大」急成長の秘密』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-c7ce.html
『「就職偏差値」が異様に高い2つの地方大学』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-7c4c.html

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「私学の雄」早稲田大学の凋落(1)

 -ライバルの慶大と比して各指標で遅れをとっており、「再逆転はない」と言う-

 早稲田大学(以下「早大」)と言えば「私学の雄」。長らく全国の高校生にとっての憧れであり、腕に覚えのある受験生にとっての目標であり続けてきた「ブランド大学」です。

 しかしたとえば、人気企業の採用数ではライバルの慶応大学(以下「慶大」)に圧倒されるなど、最近早大の凋落が止まらないというのです。大学の序列は大きく崩れ、もはや私学の雄という呼び名は早大には似合わなくなってきているようです。

 おそらく創立者の大隈重信が泉下で嘆いているであろうような早大の凋落ぶり、その現状を少し見ていきたいと思います。

 一昔前まで、早大のイメージは「自由な校風」「質実剛健」などでした。今ざっと思いつくだけでも、寺山修司(中退)、野坂昭如(中退)、筑紫哲也、田原総一朗、久米宏などなど。多士済々な人材を輩出しています。しかし今はどうか。
 「慶大生はゴキブリなのです」。ある企業の人事担当者が、某ノンフィクション作家氏にそう語ったといいます。これは悪い言葉ではなくむしろ褒め言葉なのです。つまり慶大生は「ガッツがあってへこたれない」というのです。早大生に比してどこかひ弱で「おぼっちゃん」的イメージのあった慶大生ですが、今や早大のお株を奪ってしまった感じです。

 人事担当者はさらに踏み込んで以下の趣旨のことを語っています。
 まず同程度の偏差値で入学したはずの早大生は、優秀な学生と悪い学生の差がはっきりしていると言います。ところが慶大生は優秀な人材しかいないと言い切っているのです。採用担当者はバランスを考え、意図的に多くの慶大生をふるい落とすのですが、それでも最終的に慶大生が“ゴキブリのように”残ってくると言うのです。気がつけば、採用候補者は慶大生ばかりという現象が多々起こるそうです。
 
 どうしてこんな逆転現象が起きてしまったのでしょうか?
 就職活動を取ってみるとー。早大でも学生の就職支援を怠っているわけではなく、むしろ就職課職員は学生が1年次から手取り足取り支援を行っているといいます。だが、この過保護方針によって逆に自助努力を妨げ、学生を甘やかすまことになっているのです。
 一方慶大は就職ガイダンスの類いをほとんど開かず、学生は自分で考えて行動するしかなく、おのずと独立心が芽生えるわけです。自然と「質実剛健の気風」が慶大生の間に浸透していくのです。

 そもそも慶大と早大では、入試問題からして学生に求める理念が違うといいます。
 早大の入試問題はオーソドックスで、予備校でしっかり勉強すれば都会のもやしっ子でも受かるレベル。対して慶大は、今年の総合政策学部の入試で数独を出題したように、受験テクニックだけでは歯が立たないのです。
 いわば「早大は凡人の頂点を探し、慶大は玉石混交の中から天才を育てようとしている」わけです。
 以上のように分析している某大学教授は、「これほど大学の哲学が違ってしまっていては、早稲田が慶応に圧倒されるのも当然なのです」と結んでいます。

 早大の凋落は、11年度採用人数からも明らかです。
 学生数からみて、早大生は慶大生の1.5倍もいます。しかし三菱商事への入社数は慶大49人に対し、早大は半分以下の24人。電通も慶大の35人に対して、早大は21人。IТ、ベンチャーの人気企業もことごとく慶大生に侵食され、体育会系のリクルートでさえ、慶大23人に対して早大は18人しかいないのです。

 慶大は元々「経済学部」が看板です。ビジネスマン養成所的な色彩があるのですから、銀行、商社を中心に大企業の採用が多くて当然との意見もあります。一方の早大は法学、文学、マスコミ系には絶対的な優位性を保ってきました。
 しかし、実は早大はここでも慶大の後塵を拝しているのです。昨年の新司法試験合格者数は、慶大186人(中央大、東大に次いで3位)に対し、早大は155人(4位)。公認会計士試験合格者数でも、慶大210人(1位)に対し、早大は169人(2位)。資格取得まで負けているのです。

 残念ながら、「早大がこの先、慶大と肩を並べる日は来ないかもしれない」とみられてます。「♪都の西北 早稲田の森」の私学の雄がどうしてこうも凋落したのでしょうか?
 次回もう少し探ってみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(2月27日号9面)「早稲田の凋落が止まらない 上」

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フォレスタの「うれしいひなまつり」

  三月の甘納豆のうふふふふ   坪内稔典


    (「フォレスタ - うれしいひなまつり」YouTube動画)
     (この歌の動画は削除されました。)




 『うれしいひなまつり』は、うんと子供の頃に習って、どなたも歌ったことのある懐かしい歌であることでしょう。3月3日の「桃の節句」のひなまつり。立春からおよそ1ヶ月が経過し、いやが上にも春めいて感じられる「この佳(よ)き日」です。

 ひなまつりの主役は女の子ですから、子供時代、この日についての思い出はあまりありません。むしろ思い出すのはつい最近、5年前(2008年)の3月3日のことです。(またまた個人的なことで長くなりますが、どうぞご寛恕のほど。)

 「フォレスタコーラス」でも何度も取り上げてきましたが、その頃私は音楽サイト『二木紘三のうた物語』の各歌に定期的にコメントをしており、前日の3月2日夜も『赤い靴』に長文コメントをしました。
 私が小学校に入学したばかりの昭和31年4月、父が死去し、父の葬儀後、3歳だった下の妹の菊子が隣県の親戚の叔母に(事前の予告なしに)引き取られていった、そしてその年の秋、菊子はあっけなく死んでしまった・・・。
 その次第を綴った一文でした。

 私は『こんなコメントを出したからには、当分他の人のコメントは止まるかもしれない』と心配していたのです。しかし翌3日の朝に早速、私のそのコメントを読んでの感想を寄せられた方がいました。「れいこ」様とおっしゃる当時70代半ば過ぎの方でした。
 れいこ様コメントと、続く私のお礼コメントは以下のとおりです。

                        *
大場様、涙を流しながらコメントを読ませて頂きました。
昭和31年は、もう私は結婚しておりました。この時代に
こんな生活をしておられる人がいることを知らないで過ごした
時代でした。お母様のお心の中に最後まで一緒におられた妹さん
きっと今はあの大空の中で、楽しい語らいをなさっていらっしゃる
ことでしょうね。横浜の山下公園の中にある「赤い靴の像」の
小さな女の子の姿が目に浮かびます。私もこの歌は大好きで
こども時代から口ずさんでおりました。一つの歌中には、人
それぞれの思い出があることを、改めて痛感しております。
お母様、妹さんを思い出すたびに、大場様のご長寿を祈って
いらっしゃることでしょう。

 投稿 れいこ│2008年3月3日(月)08時19分

れいこ様

 お読みいただいたうえ、暖かいご感想までたまわり、まことにありがとうございました。
 本日たまたま「ひなまつり」です。お蔭様で、半世紀余り経ってようやく、妹・菊子への良い手向けができた思いです。(妹は、私の中では今でも3歳のままです。)
 私は業務の関係で、月に一、二度は神奈川県庁にまいります。今度余裕をもって出て、県庁から近いですから、山下公園まで足をのばして、「赤い靴の像」に会ってこようかなと考えております。
 れいこ様。どうぞご健勝でお過ごしくださいませ。

 投稿 大場光太郎│2008年3月3日(月)15時29分     (転載終わり)

                        *
 れいこ様はその後も、「うた物語」中の『故郷を離るる歌』『母さんの歌』『谷間のともしび』の私のコメントに感想をお寄せになり、当ブログ開設当初からの読者にもなっていただきました。
 09年秋頃、ある歌を巡って大コメント合戦になった出来事があり、私もそれに加わったことから責任を感じて「うた物語」から離れました。それ以来れいこ様ともいつしか疎遠になってしまいました。今あらためて申し上げたいと思います。
 「れいこ様。どうぞご健勝でお過ごしくださいませ。」

 「雛祭り」の起源は、「人形(ひとがた)」で身体の穢れを祓い川に流した祓(はらい)の行事がまずあり、それに「雛(ひいな)遊び」の習俗が習合(しゅうごう)し、江戸時代に今日の形に整えられたということのようです。

 零落の極みだった父の死の直後、隣県に里子にもらわれていき、あっという間に死んでしまった菊子は、我が家の「罪やケガレを身に負(お)」った人形(ひとがた)のようなものだった、と思います。小さな身にはとても負いきれないほど重いものを背負わされて・・・。
 顔かたちも定かではない菊子には、『すまなかった』と、今でも心のどこかで負い目を感じているのです。

                        *
 「うれしいひなまつり」なのに、つい湿っぽい話になってしまいました。
 さあ、ここからは本来の「うれしいひなまつり」にしていきましょう。

 この歌を、吉田静さん、中安千晶さん、白石佐和子さん、矢野聡子さんの4女声が歌ってくれています。吉田さんの楽しく弾んだ1番独唱から、矢野さんの4番まで四人四様の独唱とコーラスです。
 ひなまつりは女の子のお祭り。皆さん「うれしいひなまつり」の思い出がいっぱいあることでしょう。それを懐かしく思い出してか、とっても「うれしい」コーラスです。

 皆さんあでやかで、おひな様かはたまた官女か。いずれがあやめかかきつばた。(この例えは違いますか?)
 一くくりに「女声フォレスタ」とはいっても、生い立ち、育った環境、個性、声質などみな違うわけです。この4女声、どんな少女だったのだろう?興味が湧いてきます。そこでこの歌を歌っておられる感じから、一言で表現してみました。

 吉田さんは「おてんばな少女」、中安さんは「おっとりした少女」、白石さんは「しっかりタイプの少女}、矢野さんは「夢見る少女」。(「ブー、全然あってな~い !」「それはどうも失礼いたしました」)

 ところで矢野聡子さん、今年のひなまつりはどちらでお迎えなのでしょう?
 一口で「海外」と言っても広うございますから。アメリカ?何州の何市?「矢野聡子さん 海外はどこの国ですか」「矢野聡子さんのご主人は外国人ですか」「矢野聡子さんの復帰はいつですか」
 小笠原優子さんの近況はかなり明確になりましたが、矢野さんはファンがやきもきするくらい依然秘密のヴェールに包まれています。

 さて2番の中安千晶さん独唱に、「よく似た官女の白い顔」というフレーズが出てきます。中でも「官女」。私は『中安さん。“かんじょ”じゃなく、“かんにょ”と歌ってもらいたかったなぁ』と、以前から思っていたのです。確か私は「かんにょ」と教わったように記憶していたからです。
 今回この問題(?)を取り上げるにあたり、念のため辞書をあたってみました。ところがない、目を皿にして探しても「かんにょ」がどこにも。『もしや?』と思って「かんじょ」の項をあたってみました。すると「かんじょ【官女】」とあるではありませんか。

 中安さん、ごめんなさい。それにしても私の勘違いだったのでしょうか?
 些細なことになおこだわるようですがー。「かんにょ」の方が語感がやわらかく、この歌にはふさわしいと思うのですがねぇ。それに「女」を「にょ」と読む例は、今も多いのだし。例えば、「女性」(通常は「じょせい」ですが時代劇などでは「にょしょう」)、「女官」(にょかん)、「女身」(にょしん)、「女体」(にょたい)・・・。

 おっと。これ以上踏み込むと、いくら「桃の節句」とは言え「桃色話」が止まらなくなりそうなので、「じょにょじょにょ談義」はこの辺でお終いとさせていただきます(笑)。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『父と妹の死の頃』(「二木紘三のうた物語」-『赤い靴』の私のコメントの主な部分の転載です)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-665c.html
『三月の甘納豆』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-8d1c.html

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芥川龍之介生誕121周年

-今日の日本文学の衰弱は、芥川、太宰、三島の死が要因の一つかもしれない-

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 久しぶりで「グーグル変わりロゴ」に関する記事です。
 3月1日のグーグルトップ面がご覧のとおりのロゴになりました。調べましたら、「芥川龍之介 生誕 121周年」。すると、上部が壊れた朱塗りの寺院のような建物は、芥川の作品『羅生門』から取って羅生門、手前の階段に腰を下ろしている人物が芥川龍之介その人と言うことになるのでしょう。

 それにしても1892年3月1日、東京京橋の生まれで「生誕121年」とは。時代の大きな区切りである一世紀以上前になるわけで、ずい分昔の人といった感じがします。
 我が国の年号に直すと明治25年、明治時代そのものがほぼすっぽり100年以上前ということになり、つまり「明治は遠くなりにけり」ということにもなりそうです。

 ただ明治末期から大正初期、芥川は旧制第一高等学校、東京帝国大学英文科(大正2年入学)に学ぶ学生期です。そして昭和2年7月24日、35歳の若さで服毒自殺を遂げています。
 と言うことは、ほぼ大正期に、芥川龍之介の豊穣な作品群(主に短編)は集中していたと見ていいようです。

 テレビやネットなど情報が分散化した今日では、かつてほど近代日本の文豪たちに関心が寄せられず、その作品も読まれなくなってきています。しかし私が若かった昭和30年代、40年代はまだまだ活字文化が主流で、例えば夏目漱石、森鴎外などは知的礼賛の対象でした。
 その中でも最も人気が高かったのが芥川龍之介でした。「小説の神様」と呼ばれたのは志賀直哉でしたが、中学生の私などは芥川こそ小説の神様的存在でした。

 例えば当時読んだ『蜘蛛の糸』。のっけから、のけぞるような難解かつ絢爛な仏教用語が散りばめられ、精緻な文体、その構成の妙と合いまって、『世の中にこんな天才がいたのか』と、度肝を抜かされました。

 作品集巻末の略伝がまた凄いのです。第一、そもそもの出生からして常人離れしています。伝説かどうかは知りませんが、いわく「辰の年の辰の月の辰の時刻に生まれた。よって『龍之介』と名づけられた」というのですから。もうそうなると、凡俗の域を遥かに超えたまさに「神の領域」に迫る話です。
 それに旧制第一高等学校卒業、東京帝国大学英文科を2位の成績で卒業などという、絵に描いたような超エリートコースが加わるわけです。

 だったら、戦後間もなく玉川上水で入水自殺した太宰治だって東京帝国大学卒業なのだし、もう少し神格化されてもよさそうなものでしたが、国語の先生はなぜか太宰には触れませんでした。そこで中学2年の終わり頃から、私はこっそり『晩年』などから読み始めましたが・・・。

 太宰の無頼ぶり、くり返す自殺未遂、愛人との入水自殺。とても中学生などには推奨される作家ではなかったということなのでしょう。
 ただ今では、過去の作家では漱石の『こゝろ』を押さえて『人間失格』が文庫本売り上げナンバーワンなど、太宰治はダントツ人気となっているようです。

 ここ2年ほどで『杜子春』と『河童』を読みました。『杜子春』は東大在学中に鈴木三重吉の「赤い鳥」に発表されたもの、方や『河童』は晩年の作品。両者には作風の変化がだいぶ見られます。
 『杜子春』は児童文学という範疇に収まらない、大人の鑑賞に十分堪ええる作品で、これが一童話雑誌に発表されたところが、大正時代の文化レベルの高さを物語っています。
 『河童』は河童の世界に仮託した、人間社会への痛烈な諷刺であり、透徹した文明批評であるように思われます。

 芥川は、出生がそうであるように、その生涯の閉じ方も劇的で当時の社会に強い衝撃を与えました。死の直前、「ただボンヤリとした不安」という謎の言葉を友人に書き遺したことは有名です。
 『河童』に見られる厭世観、いよいよ無機質的になりゆく近代化への絶望感、天才ゆえの精神病理・・・。それらすべてを引っくるめての「ボンヤリした不安」だったのか、芥川ならぬ身には分からないところです。

 (大場光太郎・記)

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