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芥川龍之介生誕121周年

-今日の日本文学の衰弱は、芥川、太宰、三島の死が要因の一つかもしれない-

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 久しぶりで「グーグル変わりロゴ」に関する記事です。
 3月1日のグーグルトップ面がご覧のとおりのロゴになりました。調べましたら、「芥川龍之介 生誕 121周年」。すると、上部が壊れた朱塗りの寺院のような建物は、芥川の作品『羅生門』から取って羅生門、手前の階段に腰を下ろしている人物が芥川龍之介その人と言うことになるのでしょう。

 それにしても1892年3月1日、東京京橋の生まれで「生誕121年」とは。時代の大きな区切りである一世紀以上前になるわけで、ずい分昔の人といった感じがします。
 我が国の年号に直すと明治25年、明治時代そのものがほぼすっぽり100年以上前ということになり、つまり「明治は遠くなりにけり」ということにもなりそうです。

 ただ明治末期から大正初期、芥川は旧制第一高等学校、東京帝国大学英文科(大正2年入学)に学ぶ学生期です。そして昭和2年7月24日、35歳の若さで服毒自殺を遂げています。
 と言うことは、ほぼ大正期に、芥川龍之介の豊穣な作品群(主に短編)は集中していたと見ていいようです。

 テレビやネットなど情報が分散化した今日では、かつてほど近代日本の文豪たちに関心が寄せられず、その作品も読まれなくなってきています。しかし私が若かった昭和30年代、40年代はまだまだ活字文化が主流で、例えば夏目漱石、森鴎外などは知的礼賛の対象でした。
 その中でも最も人気が高かったのが芥川龍之介でした。「小説の神様」と呼ばれたのは志賀直哉でしたが、中学生の私などは芥川こそ小説の神様的存在でした。

 例えば当時読んだ『蜘蛛の糸』。のっけから、のけぞるような難解かつ絢爛な仏教用語が散りばめられ、精緻な文体、その構成の妙と合いまって、『世の中にこんな天才がいたのか』と、度肝を抜かされました。

 作品集巻末の略伝がまた凄いのです。第一、そもそもの出生からして常人離れしています。伝説かどうかは知りませんが、いわく「辰の年の辰の月の辰の時刻に生まれた。よって『龍之介』と名づけられた」というのですから。もうそうなると、凡俗の域を遥かに超えたまさに「神の領域」に迫る話です。
 それに旧制第一高等学校卒業、東京帝国大学英文科を2位の成績で卒業などという、絵に描いたような超エリートコースが加わるわけです。

 だったら、戦後間もなく玉川上水で入水自殺した太宰治だって東京帝国大学卒業なのだし、もう少し神格化されてもよさそうなものでしたが、国語の先生はなぜか太宰には触れませんでした。そこで中学2年の終わり頃から、私はこっそり『晩年』などから読み始めましたが・・・。

 太宰の無頼ぶり、くり返す自殺未遂、愛人との入水自殺。とても中学生などには推奨される作家ではなかったということなのでしょう。
 ただ今では、過去の作家では漱石の『こゝろ』を押さえて『人間失格』が文庫本売り上げナンバーワンなど、太宰治はダントツ人気となっているようです。

 ここ2年ほどで『杜子春』と『河童』を読みました。『杜子春』は東大在学中に鈴木三重吉の「赤い鳥」に発表されたもの、方や『河童』は晩年の作品。両者には作風の変化がだいぶ見られます。
 『杜子春』は児童文学という範疇に収まらない、大人の鑑賞に十分堪ええる作品で、これが一童話雑誌に発表されたところが、大正時代の文化レベルの高さを物語っています。
 『河童』は河童の世界に仮託した、人間社会への痛烈な諷刺であり、透徹した文明批評であるように思われます。

 芥川は、出生がそうであるように、その生涯の閉じ方も劇的で当時の社会に強い衝撃を与えました。死の直前、「ただボンヤリとした不安」という謎の言葉を友人に書き遺したことは有名です。
 『河童』に見られる厭世観、いよいよ無機質的になりゆく近代化への絶望感、天才ゆえの精神病理・・・。それらすべてを引っくるめての「ボンヤリした不安」だったのか、芥川ならぬ身には分からないところです。

 (大場光太郎・記)

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