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日々雑感(15)

  マガジンをパラパラと読む春の風   (拙句)

 18日は時ならぬ突風が吹き荒れる春の嵐、かと思えば翌19日はうって変わって初夏を思わせるような汗ばむほどのぽかぽか陽気。目まぐるしく天候の変わるきょうこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

 そう言えば19日午後、近くの小学校伝いの道を通った時校舎にほど近い校庭の一角にまぶしいくらいに黄色い菜の花花壇が認められました。『もうすっかり春だなあ』と思う間もなく、今度は校庭際の桜並木が目に入ってきました。驚いたことに、遠目にも開花しているのが分かったのです。
 なお近づいて仰ぎ見るに、まだ2分咲きといったところですが、確かに1年ぶりにぱっちりと開花した桜の花に違いありません。3月に入ってからの暖かい陽気に、『今年の桜早そうだぞ』とは思っていましたが、いくら何でも早過ぎないか、と思ってしまいます。

 そうでした。このたび1週間ほど記事更新が出来なかったお詫びと、引越しの次第を語るつもりなのでした。

 11日の引越し当日の朝緊急コメントしましたとおり、NТТの光フレッツの設備構築とかで、当日はおろか1週間後の「17日でないとネット接続ができません」というのです。5日にNТТに連絡して、6日の返事がそれなのです。
 『設備構築って、そりゃおたくの都合でしょうに』。でも向こうさんの言い分では「3月は引越しが多い月で工事が目一杯ですから」と言うことなのです。

 まあそんな時期に、設備構築なるものが必要な所に引っ越さなければいけない私が悪いのです。とは言っても、アベノバブルではなかった、アベノミクスなどという俄か景気とは縁もゆかりもない私としては、数年前のリーマンショック以来のダメージで、生活防衛上より家賃の安い所に引っ越すことはやむを得ざる仕儀なのです。

 旧住居から1キロとは離れていないものの、バス停もスーパーなども遠くなりました。その上私自身は特に気にしていませんが、建物は昭和52年築と「昭和を感じさせる」古い木造のアパートです。   
 大きさは3畳の台所、4.5畳の洋室、6畳の和室。そこに私が一人で住むのですから十分な広さと言うべきですが、何せ荷物が多すぎて果たして全部収納できるかどうか心配だったのです。

 例えば、大小和洋ダンス4つ、仏壇、スチール机3つ、スチール袖机2つ、スチール本棚1つ、木製本棚3つ、カラーボックス20以上、お決まりの洗濯機、冷蔵庫などなど。それに大小ダンボール箱に詰め込んだ荷物が百個以上。中身は亡母の処分し切れなかった着物類や食器類それに本や書類がごっそり。
 なおなお布団3セットほど、むき出しで(どういうわけか)石油ストーブ3個、扇風機+冷風扇3個。水呑百姓の子せがれとしての存在証明上処分するわけにいかない太郎村以来の父母の形見の鍬などなど。あ~あ。

 自分で新住居の寸法を当って図面化し、各箱物の寸法(タテ×ヨコ×高さ)を測って、空いた時間に、あっちこっちに動かしながら一つ一つ固定していきました。その結果ぎゅうぎゅうながら何とか全部納められそうだという結論を得たのです。
 畳一枚分とその半分の3段の押入れがあったのが大助かりでした。

 どなたも一度や二度は引越しされたことがあるでしょうからお分かりでしょうが、引越しの前も後も、準備、荷造り、各関係先への手続き・届出、荷解き、片付けなどが大変です。
 私の場合こんな時でも業務第一で生活の資を得る算段をせねばならず、相模原市の会社に伺ったり、各役所を走り回ったり、肝心の書類作成をしながら、その合間合間の片付け・整理整頓です。多くは仮置きの上、まだ開けていないダンボール箱が30個以上、6畳間に積み上げてあります。

 私の性分として、旧住居以上に良い住居への“栄転”ならブログで前もって大々的にアピールしたことでしょう(笑)。しかし今回はその反対だったわけで、実は何の断りもなく知らんぷりして引っ越すつもりでした(笑)。しかし図らずもネット接続不可状態が1週間ほど続く事態となり、白状せざるを得なくなりました(苦笑)。

 当分ここに住むことになろうかと思いますが、終の棲家にするつもりは毛頭ありません。ここのところ下降状態が続きましたが、そろそろ上昇機運に転じてもいい頃合いだぞ、と考えているきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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