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フォレスタの「うれしいひなまつり」

  三月の甘納豆のうふふふふ   坪内稔典


    (「フォレスタ - うれしいひなまつり」YouTube動画)
     (この歌の動画は削除されました。)




 『うれしいひなまつり』は、うんと子供の頃に習って、どなたも歌ったことのある懐かしい歌であることでしょう。3月3日の「桃の節句」のひなまつり。立春からおよそ1ヶ月が経過し、いやが上にも春めいて感じられる「この佳(よ)き日」です。

 ひなまつりの主役は女の子ですから、子供時代、この日についての思い出はあまりありません。むしろ思い出すのはつい最近、5年前(2008年)の3月3日のことです。(またまた個人的なことで長くなりますが、どうぞご寛恕のほど。)

 「フォレスタコーラス」でも何度も取り上げてきましたが、その頃私は音楽サイト『二木紘三のうた物語』の各歌に定期的にコメントをしており、前日の3月2日夜も『赤い靴』に長文コメントをしました。
 私が小学校に入学したばかりの昭和31年4月、父が死去し、父の葬儀後、3歳だった下の妹の菊子が隣県の親戚の叔母に(事前の予告なしに)引き取られていった、そしてその年の秋、菊子はあっけなく死んでしまった・・・。
 その次第を綴った一文でした。

 私は『こんなコメントを出したからには、当分他の人のコメントは止まるかもしれない』と心配していたのです。しかし翌3日の朝に早速、私のそのコメントを読んでの感想を寄せられた方がいました。「れいこ」様とおっしゃる当時70代半ば過ぎの方でした。
 れいこ様コメントと、続く私のお礼コメントは以下のとおりです。

                        *
大場様、涙を流しながらコメントを読ませて頂きました。
昭和31年は、もう私は結婚しておりました。この時代に
こんな生活をしておられる人がいることを知らないで過ごした
時代でした。お母様のお心の中に最後まで一緒におられた妹さん
きっと今はあの大空の中で、楽しい語らいをなさっていらっしゃる
ことでしょうね。横浜の山下公園の中にある「赤い靴の像」の
小さな女の子の姿が目に浮かびます。私もこの歌は大好きで
こども時代から口ずさんでおりました。一つの歌中には、人
それぞれの思い出があることを、改めて痛感しております。
お母様、妹さんを思い出すたびに、大場様のご長寿を祈って
いらっしゃることでしょう。

 投稿 れいこ│2008年3月3日(月)08時19分

れいこ様

 お読みいただいたうえ、暖かいご感想までたまわり、まことにありがとうございました。
 本日たまたま「ひなまつり」です。お蔭様で、半世紀余り経ってようやく、妹・菊子への良い手向けができた思いです。(妹は、私の中では今でも3歳のままです。)
 私は業務の関係で、月に一、二度は神奈川県庁にまいります。今度余裕をもって出て、県庁から近いですから、山下公園まで足をのばして、「赤い靴の像」に会ってこようかなと考えております。
 れいこ様。どうぞご健勝でお過ごしくださいませ。

 投稿 大場光太郎│2008年3月3日(月)15時29分     (転載終わり)

                        *
 れいこ様はその後も、「うた物語」中の『故郷を離るる歌』『母さんの歌』『谷間のともしび』の私のコメントに感想をお寄せになり、当ブログ開設当初からの読者にもなっていただきました。
 09年秋頃、ある歌を巡って大コメント合戦になった出来事があり、私もそれに加わったことから責任を感じて「うた物語」から離れました。それ以来れいこ様ともいつしか疎遠になってしまいました。今あらためて申し上げたいと思います。
 「れいこ様。どうぞご健勝でお過ごしくださいませ。」

 「雛祭り」の起源は、「人形(ひとがた)」で身体の穢れを祓い川に流した祓(はらい)の行事がまずあり、それに「雛(ひいな)遊び」の習俗が習合(しゅうごう)し、江戸時代に今日の形に整えられたということのようです。

 零落の極みだった父の死の直後、隣県に里子にもらわれていき、あっという間に死んでしまった菊子は、我が家の「罪やケガレを身に負(お)」った人形(ひとがた)のようなものだった、と思います。小さな身にはとても負いきれないほど重いものを背負わされて・・・。
 顔かたちも定かではない菊子には、『すまなかった』と、今でも心のどこかで負い目を感じているのです。

                        *
 「うれしいひなまつり」なのに、つい湿っぽい話になってしまいました。
 さあ、ここからは本来の「うれしいひなまつり」にしていきましょう。

 この歌を、吉田静さん、中安千晶さん、白石佐和子さん、矢野聡子さんの4女声が歌ってくれています。吉田さんの楽しく弾んだ1番独唱から、矢野さんの4番まで四人四様の独唱とコーラスです。
 ひなまつりは女の子のお祭り。皆さん「うれしいひなまつり」の思い出がいっぱいあることでしょう。それを懐かしく思い出してか、とっても「うれしい」コーラスです。

 皆さんあでやかで、おひな様かはたまた官女か。いずれがあやめかかきつばた。(この例えは違いますか?)
 一くくりに「女声フォレスタ」とはいっても、生い立ち、育った環境、個性、声質などみな違うわけです。この4女声、どんな少女だったのだろう?興味が湧いてきます。そこでこの歌を歌っておられる感じから、一言で表現してみました。

 吉田さんは「おてんばな少女」、中安さんは「おっとりした少女」、白石さんは「しっかりタイプの少女}、矢野さんは「夢見る少女」。(「ブー、全然あってな~い !」「それはどうも失礼いたしました」)

 ところで矢野聡子さん、今年のひなまつりはどちらでお迎えなのでしょう?
 一口で「海外」と言っても広うございますから。アメリカ?何州の何市?「矢野聡子さん 海外はどこの国ですか」「矢野聡子さんのご主人は外国人ですか」「矢野聡子さんの復帰はいつですか」
 小笠原優子さんの近況はかなり明確になりましたが、矢野さんはファンがやきもきするくらい依然秘密のヴェールに包まれています。

 さて2番の中安千晶さん独唱に、「よく似た官女の白い顔」というフレーズが出てきます。中でも「官女」。私は『中安さん。“かんじょ”じゃなく、“かんにょ”と歌ってもらいたかったなぁ』と、以前から思っていたのです。確か私は「かんにょ」と教わったように記憶していたからです。
 今回この問題(?)を取り上げるにあたり、念のため辞書をあたってみました。ところがない、目を皿にして探しても「かんにょ」がどこにも。『もしや?』と思って「かんじょ」の項をあたってみました。すると「かんじょ【官女】」とあるではありませんか。

 中安さん、ごめんなさい。それにしても私の勘違いだったのでしょうか?
 些細なことになおこだわるようですがー。「かんにょ」の方が語感がやわらかく、この歌にはふさわしいと思うのですがねぇ。それに「女」を「にょ」と読む例は、今も多いのだし。例えば、「女性」(通常は「じょせい」ですが時代劇などでは「にょしょう」)、「女官」(にょかん)、「女身」(にょしん)、「女体」(にょたい)・・・。

 おっと。これ以上踏み込むと、いくら「桃の節句」とは言え「桃色話」が止まらなくなりそうなので、「じょにょじょにょ談義」はこの辺でお終いとさせていただきます(笑)。

 (大場光太郎・記)

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『父と妹の死の頃』(「二木紘三のうた物語」-『赤い靴』の私のコメントの主な部分の転載です)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-665c.html
『三月の甘納豆』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-8d1c.html

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