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チェーホフ『桜の園』

-チェーホフなど今は読まれないが世界的戯曲の中でも屈指の名作ではないか?-

 神奈川県県央地区の当地では今が桜の満開です。当地のみならず、関東地方の広い地域は今週末が桜の見頃のピークであるようです。そんな折り、タイムリーなことにチェーホフの名戯曲『桜の園』を読みましたので、その読後感などを綴っていきたいと思います。

 『桜の園』、大変懐かしいです。高校2年生頃初めて読んだのです。その時読み終わって沸き立つような感動、もっと言えば得もいわれぬ至福感を覚えました。
 もっともこのような圧倒的感動体験は、当時何も『桜の園』に限ったことではなく、他の西洋文学で言えばヘルマン・ヘッセ『春の嵐』、アンドレ・ジイド『狭き門』、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』などでも味わいました。

 我が高校時代は、『フォレスタの「花の街」』などでも触れましたが、宗教的法悦(サマーディ)に近似していたと思しき没我状態の感動体験をしばしば味わえたのです。例えば、良い音楽を習った時、良い詩歌や文学作品に触れた時など・・・。
 以来45年以上経過して60も過ぎた今日読み直してみると、あの頃の命の底から沸き上るような感動などはもちろん起きません。では無感動だったかと言えばそうとも言えず、読後ただ静かな感動が訪れた、と言ったところでしょうか。

 『桜の園』は四幕の戯曲(劇)です。舞台は19世紀末のロシアのある地方の「桜の園」と呼ばれて名高い広大な荘園。そこに多くの桜が植えられていたためそう呼ばれたのです。その地主の邸内そして邸近くの野外が舞台です。
 登場人物はラネーフスカヤというこの荘園の女地主、17歳の娘アーニャ、24歳の養女ヴーリャ、兄のガーエフ、商人のロバーヒン、30歳近い万年大学生のトロフィーモフ、その他女家庭教師、邸の執事、小間使い、87歳の老僕、若い従僕など多彩です。

 時あたかも桜の花が満開のロシアの遅い春5月のある朝。長らくパリに滞在していたラネーフスカヤとアーニャらが桜の園に帰ってくるところからこの戯曲は始まります。
 とは言っても、地主一族にとって決して悠長な話ではないのです。先祖伝来のこの広大な所有地を手放さなければならない切迫した事情があるからです。

 以後女地主のラネーフスカヤを中心に、先ほど見た多彩な登場人物を自在に登場させ、かつ自在に語らせながらこの物語は進行していきます。
 ラネーフスカヤも兄のガーエフも事態の深刻さをよく認識していないところがあります。特に40代後半のラネーフスカヤは、金銭にはまるで無頓着な、いまだ夢見る少女のような貴族的気質なのです。

 しかし一度傾いた衰退の流れは誰にも止めることは出来ず、遂に桜の園は競売にかけられてしまいます。そしてこの名の通った由緒ある土地を落札したのは思いもしない登場人物で・・・。

 寒さが兆した同年のロシアの10月のある日、桜の園を明け渡しそれぞれにモスクワやパリや近くの町に散り散りになる旅立ち直前の邸内がラストの四幕です。汽車の時刻に合わせて一同が後にした園には、伐られる桜の木の斧の音が聞こえている・・・。

 あまり詳細に語らない方がいいと思いますが、そこに至るまでを、チェーホフは登場人物の口を借りながら、時に痛烈な諷刺やユーモアを交えながらも、基調は哀切で物悲しい劇として運んでいきます。
 チェーホフには他に、『かもめ』『ヴーニャ伯父さん』『三人姉妹』と合わせて四つの戯曲があります。いずれも世界戯曲史にあって不朽の名作との評価が高いようです。私はそのうち『桜の園』と『かもめ』しか読んでいませんが、中でも『桜の園』は世界文学史に残る屈指の名作なのだろうと思います。

 没落して先祖伝来の名園を手放さざるを得なくなったこの劇の地主一族の運命は、来るべきロシア革命(1914年)によって打倒された、(ピョートル大帝やエカテリーナ女帝が築き上げた)栄光のロマノフ王朝の雛型のようにも思われます。
 帝政ロシア末期の優れた作家チェーホフには、ロマノフ王朝の行く末が見えていたのではないでしょうか。

 病魔に蝕まれ小説執筆を断念したチェーホフは、死の1年前となる1903年、『桜の園』をモスクワ芸術座のために書き上げました。時にチェーホフ43歳。だから『桜の園』はその遺作となる作品なのです。

 今回気がつきましたが、『桜の園』は「-喜劇 四幕-」となっています。えっ、悲哀に満ちたこの戯曲が「喜劇」?それについてチェーホフ自身は何の注釈も残していないようです。だから私があてずっぽうに推察するにー。
 一個人の変転も、一族の没落も、一国の興亡も、この世の出来事はすべて「夢のまた夢」。インドのヴェーダ思想で唱える「幻影(マーヤ)」に過ぎないわけです。だとすると、いかに深刻に見えるような出来事も「神の戯れ(リーラ)」であり、その根っこにはコズミック・ジョークが潜んでいるのです。

 インド思想に直接触れていたかどうかはともかく、死を間近にしたチェーホフにはそんな達観があったのではないでしょうか。
 チェーホフは短編・中篇小説の類い稀な作り手でもありました。こちらは折りに触れて全集中の作品を読んできましたが、あらためてまた読み返してみようと思います。

 (大場光太郎・記)

参考
中央公論社版『世界の文学』「チェーホフ-桜の園」(神西清訳)
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