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くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の

                             正岡 子規

  くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

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《私の鑑賞ノート》
 中学2年生の頃たまたま手にした詩歌の本で、初めてこの短歌を知ったのだったと記憶しています。もちろん深い意味など分からず、この中で歌われている情景を私なりにイメージし、清新な感動を覚えたのでした。

 この短歌を鑑賞する場合、まずは詠まれた背景を知っておいた方がいいかもしれません。
 正岡子規晩年の明治33年(1900年)4月21日の作です。もうこの頃は脊髄カリエスの病状がかなり進行し、弟子たちが名づけた東京根岸の子規庵(しきあん)の一室で臥せりきりの日々なのでした。

 子規が臥せっている部屋に面して小さな庭がありました。「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」の身には、したがってこの庭だけが唯一の外界であり自然であったわけです。体から膿がドロドロ流れ、時に激痛が襲う状態にも関わらず、子規の創作力は衰えることなく、子規庵の庭の四季の移ろい、草花のさまなどを俳句・短歌として多く詠んでいます。
 この歌は、その中でも代表的な短歌と言ってよさそうです。

 中学2年時の私は早合点して「くれないのバラの花」をイメージし、それでつい嬉しくなったのだったかもしれません。がしかし、それは間違った読み方です。
 子規が詠んだのは「くれなゐの薔薇の芽」であり、薔薇の花ではありません。


                      薔薇の芽

 子規の眼にはまず、二尺(約60cm)ほどに伸びたくれない(紅色)の薔薇の新芽に向けられます。その鋭い観察眼はその先の小さな針(トゲ)をも見逃しません。
 そして次に薔薇の木全体に視線を移します。見れば、薔薇の木、新芽を包むように、しっとりと春雨が降っているのです。

 俳句及び短歌の革新として「写生」を唱えた正岡子規の面目躍如たる写実的な短歌と言えそうです。しかしたとえば「やはらかに」という表現が、薔薇の芽の針と春雨の二つの事物に掛かっているように、単なる無味乾燥な写生歌ではない、繊細な叙情味が醸し出されているように思われます。

 正岡子規の凄いところは、凄まじい闘病の身でありながら、作品にはそれが微塵も感じられないことです。いなむしろ爽やかな清涼感すら覚えるのです。

 子規はこの歌を詠んだ4ヶ月後に大喀血し、2年後の明治35年(1902年)9月19日に亡くなりました。享年34歳。

  くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

 (大場光太郎・記)

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