フォレスタの「港が見える丘」
-この歌の「あなたと私」の愛と別れの情感の襞(ひだ)の何と細やかなことよ !-
(『フォレスタの「港が見える丘」』YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=Ot7l-Y5jTug
この歌については去年の今頃取り上げるつもりでいましたが、何かの都合で時期を逸してしまい、今回あらためての公開となりました。
『港が見える丘』は昭和22年(1947年)4月発表とのことですから、ずい分昔の歌ということになります。歌ったのは平野愛子、この歌がデビュー曲だったようですが、幸運なことにいきなりの大ヒットとなり、今でもこの歌は終戦直後の流行歌として代表的な一曲となっています。
四方を海に囲まれた我が国は全国各地に「港」があり、したがって「港が見える丘」も到る所にあるわけです。そういう条件の丘ならどこでもこの歌の背景になり得る、と一応は言うことができます。
ただこの歌の雰囲気に最もマッチしているのは横浜で、この歌を作詞・作曲した東辰三にもこの地が念頭にあったものと思われます。
ご存知の方が多いかと思いますが、横浜にはその名もズバリ「港が見える丘公園」があります。この公園は1962年(昭和37年)、この歌に因んで命名されたものだそうです。
同公園は山下公園と並ぶ横浜市の観光公園で、この歌どうりに横浜港を見下ろせる高台に位置しています。
私は横浜港に接した山下公園は数回訪れ、その中にひっそりと建っている「赤い靴の女の子の像」にも二度ほど会ってきました。
余談ですがー。『みかんの花の咲く丘』記事の追記で、山下公園通りの対面の街区にあるホテルニューグランドについて少し触れました。戦前、作詞家の藤浦洸がこのホテルの3階に宿泊し、その窓越しに望む港夜景から名曲『別れのブルース』を着想した・・・。
そうしたら何と、この歌を名唱した吉田静さんが2月末、コンサートで同ホテルを訪れ同じく横浜港を見下ろししばし感懐に耽られた、というのです。
少し奇縁でもあり嬉しくもある、幾重ものシンクロニシティではありませんか !
話を戻しますが、港が見える丘公園にはいまだ行ったことのない私は、この歌の記事作成までは行きたいものと考えたのでした。昨年夏頃たまたま、郷土の歌人の斎藤茂吉展が同公園内にある神奈川近代文学館で開催されました。折角のいい機会だったのに、都合でとうとう行けなかったのが残念です。
同公園は、幕末の横浜港開港期にイギリス軍、フランス軍がこの地に駐留したのが始まりだと言います。そして興味深いことに、日本最初のフリーメーソンロッジが置かれたのもこの地だと言うのです。
またまた「フォレスタつながり」の余談です。ピアノ奏者の南雲彩さんが、最近記事のある人への返信で、凄いことにフリーメーソンへの関心を示しておられます。ですから私も一言述べたくなりました。(興味のない方は読み飛ばしてください。)
フリーメーソン(自由石工)の起源は、古代ソロモン王の神殿建設あたり(さらには古代バビロニア)まで遡る秘教的結社ですよね。キリスト教による抑圧で長く地下に潜り込み、中世のテンプル騎士団やローゼンクロイツの薔薇十字会などから養分を得て、1717年、ロンドンで「西洋の神秘の人」サンジェルマン伯爵らによって「近代フリーメーソン」(大東系)が設立され、後にフランス、ドイツなどでも大陸系として広がっていきました。
以後アメリカ独立戦争、フランス革命以降の近現代の主だった世界史的出来事へのフリーメーソンの影響は絶大なものがあります。ワシントン以下歴代米大統領の多く、連合国司令官のマッカーサーなどが最高位階(第33階級)のメーソン員だったわけですからね。(ついでに言えば、日米戦争を「主導した」山本五十六、米内光政ら海軍首脳もメーソン員。)
しかし「フリーメーソンそのものはニュートラル、善でも悪でもない」というのが、今現在の私の見解です。ただ18世紀ドイツのアダム・ヴァイスハウプトが設立した「イルミナティ」によって、悪魔的陰謀の血が注ぎ込まれたということは言えそうです。以後の米国はその流れを受け継いでいるわけです。
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『港が見える丘』は、港が見える丘という格好のロマンチックな舞台での、「あなたと私」の愛と別れを詩情豊かに歌い上げた作品です。
東辰三の歌詞は少し解釈が難しいところがありますがー。
1番全体の歌詞の感じから、既にして2人の恋の破局を予感させます。満開はとうに過ぎて「色褪せた桜」の頃に訪れたのです。2番は翌年くらいの同じ桜の季節の「霧の夜」、その時訪れたこの丘で2人は別れたわけです。
そして3番はその年の葉桜の頃、ヒロインは一人でこの地を訪れ終わってしまった恋の回想に浸っている、おおむねこのような事でしょうか。
「チラリホラリと 花片」、「キラリチラリと 花片」「ウツラトロリと 見る夢」など、独特の言葉が散りばめられています。さすがに当時もこのような言い回しはあまり使われなかったことでしょうが、平成今日ではなおのこと、なにやら遠い昔の「雅語」のようです。
それだけに余計、今流行(はやり)の歌の中の「君と僕」の即物的な愛には見られない、プラトニックな叙情性が感じられます。こういう純愛は終生の思い出として残るものなのでしょうし、とうの昔に失われた愛の形を歌ったこの歌も、今なお根強く歌い継がれています。
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この戦後すぐの名叙情歌を、小笠原優子さん、吉田静さん、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんという、かつての女声フォレスタフルメンバーが歌ってくれています。
最初に歌った平野愛子以降、美空ひばり、青江三奈、ちあきなおみ、石川さゆり、鮫島有美子ら多くの女性歌手がこの歌をカヴァーしていますが、このコーラスは『フォレスタの港が見える丘』としてそれらの人たちの歌と十分比肩し得ると思われます。
中でも、2番独唱の小笠原優子さん。ソフトな歌声といいお姿といい、この歌のヒロインそっくりなプラトニックな雰囲気を醸し出されています。そう言えばこの歌の小笠原さんのヘアースタイル、当時流行っていた女性の髪型ではなかったでしょうか?
そういうことも含めて、さながら女優さんと見紛うばかりに綺麗な、小笠原さん主演・主題歌の映画『港が見える丘』を観てみたくなります。
小笠原さんを含めた5女声、皆さん楽しそうにこの歌を歌っておいでです。桜に見立てたのか、淡いピンクのドレスも華があっていいですね。とこかく、5人総出演とは何とも贅沢で壮観です。
当ブログフォレスタ記事へのアクセスとして、以前から「中安千晶 矢野聡子 白石佐和子 小笠原優子 吉田静」というフレーズが時折り見られました。これは、以前の女声フォレスタがコンサート出演の際のステージでのポジションでしたよね。
2か月ほど前、これに加えて「中安千晶 矢野聡子 白石佐和子 小笠原優子 吉田静 これが一番いい」というようなフレーズで見えた人がいました。
根が正直なので言っちゃいます。私もつい『そうだよねぇ』と同感してしまったのです。
とは言っても、昨年加入した上沼純子さん、内海万里子さんにケチをつけるつもりは毛頭ありません。ただ『こうしてこの5人が一同に会することは、もうないのかもしれない・・・』などと考えると、ついノスタルジックな懐かしさに駆られてしまうのです。
(大場光太郎・記)
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