八木重吉記念館(2)
素朴な琴
八木重吉
このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう
法政大学多摩キャンパス入り口を過ぎても、当然ながらバスはやってきません。そこでなおも歩くことに決め、どんどん先に歩いていきました。
そのうちТ字路となり、相原駅方面となる右に曲がるべく、道路を横切って反対側に行きました。この通りは町田街道と呼ばれる道路で、それまでの道よりも少し広くなり、両側に歩道もついています。
反対側の歩道を歩こうとしたら、Т字路のすぐのお屋敷の皐月などがこんもり植え込まれた庭園の一角に、
「八木重吉記念館」
と、白地に黒い字で書かれた横書きの案内板が目に飛び込んできました。
(八木重吉?聞いたことある名前だぞ)
そこまで約20分ほど歩きづめで少しくたびれたせいか、どんな人だったかすぐには思い出せません。その案内板を見ながら何秒か経って、わが頭脳回路はやっと、
(あっ、そうか。あの八木重吉か !)
という情報を伝達してきました。
八木重吉(やぎ・じゅうきち)は、大正・昭和初期頃の詩人だったのです。
それより何より、当ブログを開設した年の2008年9月にこの詩人の代表作『素朴な琴』を取り上げたではありませんか。
(そりゃ、大変だ !)
俄然興味を覚えた私は、はじめて歩みを止めて同記念館の外観を眺めることにしました。手前の庭園は広く、皐月や樹木などがほどよく植え込まれてます。その中の右にくねった通路を登った上に赤いトタン屋根の建物が2、3棟並んで建っています。
それは小山の際にあり、建物から先には新緑の樹木が繁っています。一部に真直ぐに伸びた竹の一群も認められます。
(注 こちらは別の案内板、左が「生家」石塔)
(あの建物全体が記念館なのだろうか?)
それにしては何とも地味な記念館ではありませんか。どう見ても農家風の造りで、それに少し手を加えたくらいにしか思えないのです。
当今は記念館流行(ばやり)で全国各地に「○○記念館」があり、その多くはうんと金をかけて造った壮麗な箱物だというのに・・・。
庭園の目立つ所に、やっぱりありました ! 代表作の『素朴な琴』を刻んだ石碑が。これは八木重吉自筆を拡大して石に刻んだもののようです。
この詩を冒頭に掲げましたが、今では中学校の教科書に載るほど有名らしいです。しかし私など「昭和30年代少年」は学校で習った覚えがなく、正直に言いますが、こんな良い詩を知ったのはブログを開設した年だったように記憶しています。
当ブログカテゴリーに『名詩・名訳詩鑑賞』を加えることにし、にわかに備えつけの詩集を漁っているうちたまたまこの詩を発見したのです。
彼とほぼ同時代を生き、そして同じく昭和初期に若くして世を去った詩人に金子みずずがいます。金子みすずも私たちが子供の頃は無名の女流詩人で、その名とその詩が広く知られるようになったのは最近のことです。
あるいは八木重吉もそれと似たケースだったのかもしれません。
進行方向に歩くと、植え込みの中に「詩人八木重吉生家」という石塔が建っていました。すると八木重吉はこの家で生まれ、生家をそのまま彼の記念館にしたわけです。 (以下次回に続く)
(大場光太郎・記)
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