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童謡「背くらべ」

 -この懐かしい童謡を述べながら、後半はつい余計な深読みをしてしまいました-

    (「せいくらべ」YouTube動画-独唱している女性歌手名は不明)
     http://www.youtube.com/watch?v=v9tMRD25aGE


     背(せい)くらべ

        作詞:海野厚、作曲:中山晋平

  柱のきずは おととしの
  五月五日の 背くらべ
  粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
  計ってくれた 背のたけ
  きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
  やっと羽織の 紐(ひも)のたけ

  柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
  遠いお山も 背くらべ
  雲の上まで 顔だして
  てんでに背伸(せのび) していても
  雪の帽子を ぬいでさえ
  一はやっぱり 富士の山


 『背くらべ』は、『鯉のぼり』とともに「こどもの日」の代表的な童謡です。
 何年か前のこどもの日に車で少し遠出してある所に立ち寄った際、ふとこの歌が思い出されました。
 「柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ ・・・」
 『思えば遠くに来たもんだ』、いろんな意味で・・・。口ずさみながら、涙がこみ上げそうになりました。

 『背くらべ』を作詞した海野 厚(うんの あつし/1896年-1925年)は、静岡県豊田村曲金(現・静岡市駿河区)の裕福な農家の出身(ただし後に没落)で、7人兄弟の長兄です。旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学するため地元の静岡を離れ一人上京しました。
 童話雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋に認められ、海野は童謡作家となりました。

 この歌の背景にもなりますが、実家には3人の妹と3人の弟がいました。中でも17歳年下の春樹は、海野にとって特別に可愛い存在だったといいます。しばらく帰っていない地元で暮らす可愛い弟。もう2年も帰省していないが、弟は大きくなっているだろうか?元気に暮らしているだろうか?そんな切ない思いが、童謡『背くらべ』の歌詞には込められているというのです。

 この作品は兄に背の高さを測ってもらった弟の視点で書かれています。しかし実際の海野厚はこの歌の兄の立場(7人兄弟の長兄)でした。柱の傷が去年のものではなく一昨年なのは、この頃東京に出ていた(早稲田大学在学中)厚が帰省できなかった時のことを弟の気持ちになって書いたからだといわれています。
 都会の生活にも慣れ、俳句や童謡の世界に没頭した海野は、病弱だったこともあり、1919年を最後に地元の静岡には帰郷していなかったのです。

 中山晋平らとともに『子供達の歌』を出版し、雑誌『海国少年』の編集長も務めた海野でしたが、1925年5月20日、結核のため28歳の若さで亡くなっています。
 才能を十全に開花させることなくして夭折した海野厚は、作品自体少なく、『背くらべ』は代表作といってよさそうです。

 『背くらべ』は1919年(大正8年)、雑誌『少女号』に詩が掲載され、曲(中山晋平作曲)としては1923年(大正12年)に発売された『子供達の歌 第3集』が初出です。2007年(平成19年)、「日本の歌百選」に選ばれました。

 と以上見ましたとおり、この歌は、年の離れた弟春樹への想いから発した真情を童謡にしたものであることは疑う余地もありません。
 ただこの童謡が作られた当時の日本の置かれた立場を視野に入れると、無意識的だったにもせよ別の「背くらべ」が見えてきそうです。以下はそれに基づいた私流の深読みです。

 『背くらべ』が発表された大正時代中期は、明治期からの「脱亜入欧」「欧米列強に追いつき、追い越せ」という掛け声とともに、殖産興業、富国強兵に邁進し日本が精一杯「背伸」していた時期でした。
 この童謡2番に、その辺の事情が暗に示されていると思われるのです。
 「富士の山」は日本人の心の拠りどころ、シンボリックな山ですから、「日本」を表わしています。対して「てんでに背伸 していても」、富士の山にはとても適わない遠い山々を「欧米列強」に比定してみると面白いと思います。

 ところで明治維新から昭和20年(1945年)の敗戦までと、それから平成今日までの戦後日本の歩みは、不思議にパラレルで、どこかシンクロしているところがあります。

 かつての欧米列強式の帝国植民地主義は、今日では「グローバリズム」「新自由主義」「市場原理主義」などの美名に装いを変えています。が、根っこは同じ、「弱肉強食」の獣的な「競争原理」なのです。
 この「獣的競争原理」を標榜する(ユダ金・イルミナティ主導の)米国にひれ伏し猿真似しているのが、おらが国の「政官業」リーダーたちです。

 学業、ビジネス、スポーツ、芸事、習い事・・・。あらゆる分野で適度な競争は必要です。その意味で「良きライバル」の存在は、眠っていた潜在能力を引き出し、向上させてくれる尊い磨き石といえます。
 しかし「力づくで」「他を蹴落として」「ブラフをかけて」「他が持っているものを強奪して」の、獣的競争原理はいかがなものか。少なくとも、そんな行き方は日本の行き方ではありませんよ。魔違えてはいけません。

 今から20年近く前、船井総研創業者の船井幸雄氏が、資本主義の終焉を予告し、これからの人類のあり方として「エゴからエヴァへ」と提言したことがありました。「エゴ」とは我欲の競争原理、「エヴァ」とは互恵の共生原理です。
 実際もう、米国流の獣的競争原理の「強欲資本主義」では立ち行かない土壇場まで来ているのです。これは別に論ずべきことですが、日本は世界に先駆けて「エヴァ(大調和)の型」を出すべき聖使命の国なのです。魔違えてはいけません。

 「幼な児たち(の遊び)は天国の型」
 まこと子供たちが無邪気かつ天真爛漫に遊びに興じている姿こそ、天使そのものの姿ではありませんか。そこには当然ながらお金も、変な差別や規制やコントロールも何もないのですもの。なのに子供たちは自分たちが決めたルールでうまく、元気一杯遊び回り、「今ここ」(be-here-now)に生きる喜びを全身で真素直に表現しているのですから。

 さて今日の大人社会は「何の型」なのでしょうか?こどもの日のきょう、私たち大人も童心に帰って、子供たちの遊び興じるさまを身をかがめて学び直したいものです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『背くらべ 童謡・唱歌 歌詞と試聴 - 世界の民謡・童謡』(+『ウィキペディア』)
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/seikurabe.htm

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