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笹目仙人と夏八木勲氏(1)

 -好漢は好漢を呼ぶ。ナイスガイの夏八木勲氏と笹目仙人との意外な接点-

  5月11日、俳優の夏八木勲(なつやぎ・いさお)氏が鎌倉の自宅で亡くなりました。根っからの役者人生と言うべきで、昨年からすい臓がんを患い入退院を繰り返しながらも仕事を続けていたということです。享年73歳でした。

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 慶応大仏文科中退の夏八木勲氏(1939年東京生まれ)の、俳優としての出発点は俳優座養成所だったようです。後に「花の15期生」と呼ばれることになったメンバーの一人で、同期には原田芳雄、林隆三、村井国夫、前田吟、地井武男、栗原小巻、太地喜和子など錚々たるメンバーがいます。

 俳優座養成所卒業後すぐの1966年(昭和41年)、『骨までしゃぶる』で映画デビューし、以後アクション映画、時代劇、やくざ映画やテレビドラマなど数多くの作品に出演してきました。
 代表的作品は、映画『野生の証明』や『戦国自衛隊』、NHK連続テレビ小説『鳩子の海』(1974年)など。また原発事故を題材にした昨年公開の映画『希望の国』での演技が評価され、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。

 夏八木勲氏の数多くの出演作には主演ももちろんありましたが、どちらかと言うといぶし銀のように渋い演技が光る名脇役の印象が強い俳優でした。その飾らない朴訥とした風貌もあいまって、一本筋が通った気骨のようなものを感じ、私としては好きな俳優の一人でした。
 地井武男氏、三國連太郎氏などの訃報もまだ新しいのに、惜しい名優がまた一人逝ってしまったか、との感を深くします。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 と、俳優としての夏八木勲氏はどなたもよくご存知でしょうからこのくらいにして、ここからは同氏と意外な人物との接点について紹介していきたいと思います。

 意外な人物とは、過去に何度か当ブログでも取り上げてきた「笹目仙人」こと笹目秀和師です。
 笹目秀和(ささめ・しゅうわ)師については「初めて聞いた」という読者の方も多いかと思われます。そこで少し長くなりますが、以前の『笹目秀和師に託された重大な大本神業』の要約などから、夏八木勲氏との接点に至るまでをざっと見ていきたいと思います。

 笹目秀和師は中央大学法科の学生だった大正時代後期、一人で中国大陸旅行に出たことにより運命が激変します。
 まず白頭山(ペクトゥサン)の天池(チョンジ)の洞窟に隠棲していた当時二百余歳のリョ・リンライ神仙に逢い、東亜の大地における同師の重大使命を告げられます。

 「蒙古の地が汝(なんじ)を待っている」とのリョ神仙の言に従い、ただちにモンゴル平原に向かいました。かの地で王族の血を引く女性と義母子の契りを結ぶなど数奇な巡り会いを重ねながら、モンゴル国独立の礎となる人材育成に同地、中国、日本を奔走することになるのです。

 獅子奮迅の働きの結果、モンゴル人の優秀な留学生6人を日本に連れてきて早稲田大学などに送り込むことに成功しました。その過程で多大な援助を受けたのが大本聖師の出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)でした。
 大陸に戻るにあたって笹目師は、お礼のため京都は綾部の大本教団本部を訪ねました。時に昭和10年12月初旬。なぜか笹目師の来訪を知っていた出口聖師やその補佐役の出口日出麿(でぐち・ひでまる)師から重大な大本神業を託されます。

 「大本の御神体」を崑崙山頂のある場所に埋めてきていただきたい、というのです。恩人から「これを頼めるのは、笹目さん、あなたしかおらんのや」とまで言われれば断るわけにいきません。
 それにかの地で笹目師を待っているというシュロ神仙は、かつてリョ神仙から「12年後に会うことになる」と言われており、この時がちょうど12年目だったのです。
 幾重にも折り重なった神界の深いはかり事と言うべきです。  (以下次回に続く)

 (大場光太郎・記)

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