八木重吉記念館(3)
草に すわる
八木重吉
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
ここで八木重吉(やぎ・じゅうきち)の生涯をざっと見ていきたと思います。
八木重吉は1898年、東京府南多摩郡堺村(現在の東京都町田市相原町)に生まれました。神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)を経て、東京高等師範学校の英語科を1921年に卒業。兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)、次いで1925年から千葉県の柏東葛中学校(現・千葉県立東葛飾高等学校)で英語教員を務めました。
神奈川県師範学校在学時より教会に通いだすようになり、1919年には駒込基督会において洗礼を受け熱心なクリスチャンになりました。1921年頃から短歌や詩を書き始め、翌年島田とみと結婚した後は詩作に精力的に打ち込みました。1923年のはじめから6月までにかけて、自家製の詩集を十数冊編むほどの多作ぶりであり、1925年には、刊行詩集としては初となる『秋の瞳』を刊行しました。
同年、佐藤惣之助が主催する『詩之家』の同人となり、この頃から雑誌や新聞に詩を発表するようになりましたが、翌年には体調を崩し結核と診断されてしまいます。茅ヶ崎で療養生活に入り、病臥のなかで第2詩集『貧しき信徒』を制作したものの、出版物を見ることなく、翌1927年29歳で亡くなりました。
5年ほどの短い詩作生活の間に書かれた詩篇は、2000を優に超えます。短い詩が多いのが特徴であり、103篇をおさめた『貧しき信徒』には、10行を超えるものはたった2つしか見られません。
1982年には筑摩書房から『八木重吉全集(全3巻)』(2000年に増補改訂版全4巻)が、1988年には同社のちくま文庫から『八木重吉全詩集(全2巻)』が出版され、彼の全貌をたどることが容易になりました。 (参考『ウィキペディア』「八木重吉」の項)
現・東京都町田市相原町の生家に設けられたのが、今目の当たりにしている「八木重吉記念館」だったのです。1984年の開館だそうです。
夕方5時近くで急いで帰りたい気分あり、庭園から遠目で眺めただけでどの建物が記念館なのかわかりませんでしたが、重吉生存時からあった土蔵を改造したのがそうであるようです。
同記念館を開館し、今日まで管理してこられたのは、重吉の甥の八木藤雄氏です。
手前に立っている人が八木藤雄氏
つまり生家の土蔵を改造して記念館とした「八木重吉記念館」は、東京都や町田市による公設ではない、私設、自前の記念館なのです。だから金ぴかの箱物などではあり得ないわけです。でも私などは、
(こういう記念館こそ望ましい。変な色がついていないこういう記念館が各地にもっとあればなあ)
と、正直思いますね。
「日本一小さな記念館、文学館だけど、日本一大きな心を伝えている」
とは、館長の八木藤雄氏の言葉です。並々ならぬ自負が伝わってくるようです。
土蔵の1階、2階とも展示室になっており、詩稿や著書や手紙、写真や詩人・高村光太郎による直筆の『定本八木重吉詩集』序の原稿など約3千点余を収蔵、展示しているそうです。
この日は夕方ということもあり、辺りはひっそりとしていて人影はないようでした。しかしこれまで同記念館を訪れた人はけっこう多いようです。
八木藤雄氏の語るところでは、「ふらりと立ち寄った人が、自殺を思いとどめ生きる勇気を与えられ、帰っていったことも何度かあった」ということです。
それが八木重吉の「詩の力」なのかもしれません。本シリーズ冒頭にその三篇の詩を掲げました。これらの詩から伝わってくるのは「やさしい心」です。それと感じるのは、八木重吉の心の奥から湧いてきた想いをそのまま詩として表わしていることです。
頭の中でこねくり回した言葉ではないわけです。それゆえ、窮地にある人ほど八木重吉の純粋な想いがびんびん感じるのかもしれません。
これからどこまで歩いていかなければならないのか、気が気でない私が同記念館の庭園にいたのは10分弱でした。館内には入れませんでしたが、それでも私にとっては大きな発見だったと思います。バスに乗ったのではまず気がつけなかったと思いますから。
(いつか中に入ってゆっくり見てみたいものだ)
そう思いながら、同記念館を後にまた歩き出したのでした。(なかなかバス来ず、結局相原駅まで1時間強歩きましたよ。ア~ア、疲れた !) - 完 -
八木重吉記念館 (無料開放)
〒194-0211 東京都町田市相原町4473
TEL 042-783-1877 要電話予約(午後5時以降)
(大場光太郎・記)
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コメント
こんにちは。
お疲れになったことでしょうが、きっと大場さんは八木重吉に呼ばれたのでしょうね。
私は若い時からの八木重吉のファンです。
昭和42年の頃に発行された八木重吉詩集などを何冊か持っています。いずれも20代前半に買ったものです。
純粋な心、深い信仰、そこから生まれた詩は、今もなお新鮮で美しいと思います。
なお昭和43年発行の日本詩人全集全34巻(新潮社)には八木重吉は収められていますが、金子みすずは載っていません。私も金子みすずはずっとのちになって知りました。
投稿: 露 | 2013年6月 3日 (月) 19時00分
追伸
私は八木重吉の詩集をかれこれ45年程前から持っていることになります。
20代の頃好きだったのは「静かな 焔(ほのお)」(秋の瞳より)です。
各(ひと)つの 木に
各つの 影
木 は
しずかな ほのお
投稿: 露 | 2013年6月 3日 (月) 19時16分
露様
コメント大変ありがとうございました。昨夜は取り込んでいて返信遅くなりましたことお詫び申し上げます。
今回のことを「八木重吉に呼ばれた」と言っていただき嬉しく思います。
露様は昭和前半頃からの八木重吉ファンとのことですが、
凄い年季が入っていますね。あの当時は「詩集ブーム」で、各出版社が競うように詩集を出していましたよね。今思い出しましたが、その中のどこかの出版社かの日本の詩人シリーズに八木重吉の詩集もあり、手に取ってパラパラとのぞいた記憶があります。その時その詩集を買わなかったところをみると、彼の詩精神が理解できるレベルではなかったのだろうと思われます。
「純粋な心、深い信仰、そこから生まれた詩は、今もなお新鮮で美しいと思います。」は、さすがは八木重吉詩を長年よみこんでこられただけに、簡潔かつ的確な批評と、感じ入りました。
「しずかな 焔」、確かに味わい深い詩ですね。たった4行の詩ですが、この詩が内包しているものはなかなかに深いものがあるように感じられます。
投稿: 時遊人 | 2013年6月 4日 (火) 12時49分