« 笹目仙人と夏八木勲氏(2) | トップページ | アベノミクス終焉の予兆 »

フォレスタの「菩提樹」

-ヘッセの『青春彷徨』という小説の題名をふと・・・。「青春の夢と憧れ」の名歌曲-


    (『フォレスタ 菩提樹』YouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=ZEBz3nwWjmI


 フランク・シューベルトの『菩提樹』は、ロベルト・シューマンの『流浪の民』とともにクラシックを代表するほどポピュラーな歌曲なのではないでしょうか?
 以下少し長くなりますがー。「知るを楽しむ」、まずもって私自身が楽しむためにこの歌に関連する事柄を述べていきたいと思います。

 『菩提樹』は、シューベルトが1827年に作曲した連作歌曲集『冬の旅』(作品89、D911)に収められた作品です。
 『冬の旅』は、1823年作曲の『美しき水車小屋の娘』と同じく、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩集から採られたものです。2部に分かれ24の歌曲からなります。

 この歌曲集の主人公である若者は、失恋の痛手から住み慣れた街を捨てさすらの旅を続けて行くという設定です。全曲を通して「疎外感」、「絶望と悲しみ」、「決して得られないもの、もう失われたものへの憧れ」に満ちています。
 そして唯一の慰めである「死」を求めながらも旅を続ける若者の姿は、現代を生きる人々にとっても強く訴えかけるものがあるとされ、彼の三大歌曲集(『冬の旅』『美しき水車小屋の娘』『白鳥の歌』)の中でも最も高い人気があります。

 シューベルトは、1823年に体調を崩し入院して以来、健康状態が下降に向かっていました。友人たちとの交流や旅行は彼を喜ばせましたが、体調が回復することはなく、経済状態も困窮のまま、性格も暗くなり、次第に死について考えるようになります。とりわけ、ベートーヴェンの死は、彼に大きな打撃を与えました。シューベルトがミュラーの『冬の旅』と出会ったのは、1827年2月のことでした。彼はこの詩集の、絶望の中で生きなければならない若者の姿に、自分を投影したのだろうと言われています。

 同歌曲集中最も有名な『菩提樹』は第1部の5番目に収められています。
 冬の夜、恋人の住んでいる街から去って行きさすらいの旅に出た失意の若者は、泉のほとりに繁る菩提樹の前を通りかかります。街からさほど離れているわけではなく、かつて若者はこの木陰を訪れてはいつも甘美な物思いに耽っていたのでした。

  

 ここで「菩提樹」という木についてざっと見ていきたいと思います。
 菩提樹は中国原産の落葉高木です。高さは10mほどで、花期は6・7月頃で淡黄色の花を咲かせます。日本へは臨済宗開祖の栄西(えいさい)が中国から持ち帰ったと伝えられ、各地の仏教寺院によく植えられています。

 と言うのも、ご存知のとおり、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたことで知られているためです。この木の下で結跏趺坐(けっかふざ)して深い瞑想に入っていたお釈迦様は、前方の空に輝く明けの明星を見て宇宙的真理を悟られたのでしたか?
 この木の名の由来もそこにあるわけです。(「菩提」とは、サンスクリット語「bodhi」を音訳した仏教の根本概念で、「悟りの果としての智慧」の意味) ただし「お釈迦様の菩提樹」は本種ではなく、クワ科のインドボダイジュのことであるようです。

 こうしてみると、菩提樹は見た記憶がありませんが、ユーラシア大陸に広く分布している樹木だったわけです。
 この歌の原題は「Der Lindenbaum」というようですが、「ダー リンデンバウム」となるのでしょうか?(「Der」は英語のTheと同じような定冠詞なのでしょう。)
 『えっ、リンデンバウム?』 そう言えば私が中学生の頃、確か梓みちよだったか『リンデンバウムの木の下で』という歌を歌っていたよなぁ。

  リンデンバウムの木の下で
  あなたとわたし
  楽しく すごしましょう
  リンデンバウムの木の下で ・・・

 当時は何も知らず、『リンデンバウムというハイカラな木は、どんな木なんだべ』と頓珍漢なことを思っていましたが、実は菩提樹のことだったのか。

 お釈迦様の出現により、菩提樹はインド、中国、日本などでは神聖な木となりました。ひるがえってドイツ人のルーツであるゲルマン民族ではどうだったのでしょうか?
 ゲルマン人はリンデンバウム(菩提樹)を母なる木として特別の愛情を抱き、この木の下に村人が集まりダンスをし、裁判が行われました。この木はゲルマン人の愛と豊穣と良き家庭の女神であるフレアの木だったのです。

 神聖ローマ帝国のミツバチの牧草地であり、カード遊びでリンデンバウムは自由な農民階級のシンボルとされました。対してキリスト教は、フレア・リンデを破壊しマリア・リンデに変えたのでした。
 なおまだ記憶に新しい東西ドイツ統合の記念に、ドイツの地理的中心地であるニーダードーラにリンデンバウムが植樹されたということです。 (この項、フロンティア出版刊浅井治海著『樹木にまつわる物語-日本の民話・伝説などを集めて-』の「7.ヨーロッパの民俗との対比」の項を参考)

                        *
シューベルト「菩提樹」  近藤朔風訳

1.
泉にそひて、繁る菩提樹、慕ひ往きては、
美(うま)し夢みつ、幹には彫(ゑ)りぬ、ゆかし言葉、
嬉悲(うれしかなし)に、訪(と)ひしそのかげ。

2.
今日も過ぎりぬ、暗き小夜なか、眞闇に立ちて、
眼(まなこ)とづれば、枝は戦(そよ)ぎて、語るごとし、
来(こ)よいとし侶(とも)、こゝに幸あり。

3.
面をかすめて、吹く風寒く、笠は飛べども、
棄てゝ急ぎぬ、遙(はるか)離(さか)りて、佇まへば、
なほも聴こゆる、こゝに幸あり。

 名前が出てくるたびに思い出していきますが、近藤遡風(こんどう・さくふう)も堀内敬三と並んで中学・高校音楽での懐かしい名前でした。この歌の格調高い文語体の訳詞は、今なお歌い継がれています。近藤遡風は1915年(大正4年)35歳で世を去った人です。するとこの訳詞はゆうに100年以上もの長い間日本人に親しまれ、歌い継がれてきたことになります。

 先ほど『冬の旅』は、「疎外感」「絶望と悲しみ」など暗い情念が全体のモチーフであることを見てきました。しかし近藤遡風訳詞の『菩提樹』に限っては暗い影は見られず、むしろ一陣の夜の涼風が吹きぬけるような爽やかさが感じられるのです。
 この人の訳詞は原詩に忠実なのが特徴らしいですが、しかし彼の心のどこかに「菩提樹 = 釈迦の悟りの木」という意識があったのではないでしょうか。私などはこの訳詞から、「青春の夢と憧れ」「青春の祈り」のようなものを感受してしまいます。

                        *
 フォレスタの「菩提樹」。吉田静さん、小笠原優子さん、白石佐和子さん、3人の女声によるコーラスです。
 この歌は『流浪の民』などとともに音大生時代そうとう歌い込んでこられたのでしょう。さすが皆さん、余裕で楽しんで歌っておられるようです。

 私はこの歌はもう少し大人数で歌うものというイメージがありましたが、意外や3女声のみ。しかしよく聴いてみますと、やはり吉田さん、小笠原さん、白石さんの3人だけで十分ですね。シューベルトの原曲と近藤遡風の訳詞による「菩提樹の情景」があますところなく、表現されていると思います。

 全体的にお3人のコーラスの妙を讃えるべきですが、今回は特に2番の転調のフレーズを独唱されている吉田静さんに注目してみたいと思います。
 いやあ、このフレーズの吉田さんの独唱を何と表現しようか。この訳詞冒頭を借りて、泉の底からこんこんと湧き出るような清らで豊かな声量、とでも表現しましょうか。

 ともあれ、「オペラ歌手吉田静の本領発揮」といった素晴らしい歌唱です。『別れのブルース』『女の意地』など流行歌路線だけの吉田さんではないのです。
 (でも私のようなガサツ者にはオペラはイマイチどうも・・・。やはり流行歌路線の吉田さん派ですね。)

 『フォレスタの「津軽の故郷」』でも述べましたが、この歌は私の好みのドレスで。合成して3人を近づけた画面がありますが、このシーンなどは皆さん本当に美しく「三人のミューズ」と讃えたくなります。

 末尾ながら。南雲彩さんのピアノ演奏も“聴きもの”です。
 心身ともに「菩提樹世界」に没頭しておられるようです。際立っているのは南雲さんの手の動きです。なかんずくしなやかな指の運び。「ビアノの魔術師」リストにも迫ろうかというほど長くて(少しオーバーでしたか?)、繊細で芸術的な指の動きです。

 (大場光太郎・記) 

参考・引用
『ウィキペディア』-「冬の旅」「ボダイジュ」の項                

|

« 笹目仙人と夏八木勲氏(2) | トップページ | アベノミクス終焉の予兆 »

フォレスタコーラス」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。