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梅雨晴れ間(5)

  初めての駅降り立ちし梅雨晴れ間   (拙句)

 私の営業努力の甲斐あって(?)、あたかも夏至の記念すべき21日(あまり関係ないか?)新しい顧客を得ることができました ! 雨がそぼ降る同日夕方、先方の社長さんと電話でお話し「熱心だから、今回の(○○業許可更新)申請、おたくに頼もうか」ということになったのです。

 「善は急げ」その実は「社長の気が変わらぬうちに・・・」、というのもこんな不景気な情勢下「仕事もねえしよ、許可の更新もう止めようかと思ってんだ」というのを、必死の説得で何とか翻意していただいたからなのです。
 「社長さん、もしよろしければ明日の夕方3時頃訪問させていただき、詳しいお話をさせていただきたいのですが」と一歩踏み込むと、「ああいいよ」と二つ返事で社長さん。

 「よっしゃー !」というわけで、前夜のうちに一通り訪問準備し、22日昼過ぎ同社に向かうべく外出したのでした。
 前日までのぐずついた天気とはうって変わったいい天気。遠出するには好都合な陽気です。「遠出」というのも、同社は横浜市都筑区内にあり、交通手段を調べた結果東急田園都市線の鷺沼駅まで行かなければならないのです。同駅はもう川崎市多摩区なのですから、だいぶ迂回する感じです。

 地元の小田急線本厚木駅から相模大野駅へ。そこで同線江ノ島方面行きに乗り換え、2つ目の中央林間駅に行きます。この駅が田園都市線の始発駅です。この付近は確か今から30年ほど前「金妻ブーム」を巻き起こしたTBSドラマ『金曜日の妻たちへ』の舞台となった所だったと思います。
 当時(今とは違う)仕事で、車でよくこの辺にも来ました。確かに新興の高級住宅街もあるものの、『ドラマのような美人なセレブ妻、ホントにいるんかいな?」といぶかしく思ったものでした。

 それはさておき。田園都市線に乗るのは、これが初めてです。私鉄はどこも似たり寄ったりですが、何でも初物は新鮮な期待をいだかせてくれるものです。
 そういえば昔私の若い頃、野口五郎の『私鉄沿線』が大ヒットしました。この歌は当時の私の大のお気に入りでレコードも買い、繰り返し聴きました。もちろんイメージは「おらが小田急沿線」。
 しかし首都圏だけでも私鉄は縦横、放射状に幾つもあり、それぞれの私鉄の星の数ほどの甘酸っぱい「私鉄沿線物語」があったわけです。

 ぶっつけ本番なもので、話があっちこっちに脱線してなかなか前に進みませんねぇ(笑)。実際の運行はもちろん脱線などせず(「したら大変じゃないかよ !」・怒)、南町田駅、東長津田駅、あざみ野駅、多摩プラーザ駅などと滞りなく進み目指す鷺沼駅に着きました。
 駅広場に降り立ちますと、街路樹も豊かに繁り、緑陰越しの小ジャレていい感じの街並みを夏の日差しが浮かび上がらせています。

 15分ほど待つと目指すバスがやってきました。やはりそこは抜け目なく「東急」バスです。一番前の座席にすわり、通り過ぎる見知らぬ街並みを眺めながら乗っていました。
 と、「横浜市都筑区」の大きな標識のある辺りまでやってくると、前面のフロントガラスに雨粒がかかり出したではありませんか。『何だよ、結局きょうも雨かよ』 そういえば、バス待ちの間日が翳ってきたのが気がかりだったのですが。いくら何でもきょうはいらないだろう、ともちろん傘は持っていません。

 目的のバス停で降りたところ、雨は小降りで難儀を感じるほどではありません。目指す会社の位置は事前にネットの「マピオンマップ」で調べてあります。印字したのを見ながら歩くこと数分、3時少し過ぎていましたが、同社のある街区にまっすぐ行けました。閑静な高級住宅街の趣きです。
 ただ同地図では街区のどこかまでは分かりません。比較的広い街区ですが、角の住居から時計周りに訪ね歩くことにしました。しかしなかなか見つからないのです。結局グルッと回って起点の住居に戻る一つ手前、つまりすぐ裏のお宅が目指す会社だったのです。(逆時計回りにすればすぐだったのに。)

 分からなかったのも無理はなく、会社の看板らしきものがないのです。表札を頼りに、玄関のチャイムを押すと奥さんが出てこられ、同時に外の右手の方から「お~い、こっちだよ」という野太い声がしました。振り向くと、体格の立派な社長さんが手招きしています。奥さんも「あちらです」といいます。
 そちらに行くと、社長さんは家の裏手の半地下に降りた所のドアを開き、「ここだ。入れよ」と促します。

 中にお邪魔させてただくと、「散らかってるけど、まあ座れや」と机側に座って社長。すすめられるままにイスに座らせていただきました。
 挨拶もそこそこにいきなり仕事の話になりました。電話でもそうでしたが、話し方は終始上のようなべランメー口調です。堂々たる体躯といいその風貌といい、何やら昔の古武士を連想させます。

 お話をお伺いすると私より4歳ほど年長で、地元の名の通った建設会社の取締役を務め退職後会社を興した、ということです。
 話が進むうち、「実はよ、俺は山登りが本業で会社の方はまあ言ってみれば余興のようなもんだな」と社長。「えっ、そうなんですか?」と私。
 何でも山登りは大学時代から始め、「あまり熱中して、おかげで1年留年しちゃったよ。ハハハハッ」ということなのです。

 ひとしきりその話で持ちきりになりました。
 「剣(岳)や穂高(岳)にも登られたんでしょうね」「おお、登った、登った。おたくが知ってる山はほとんど登ってると思うよ」
 続けて聞こうと思いましたが、あとは山の名前が出てきません。
 「これが去年登った山だよ」
と、すぐの書棚からアルバムを出して見せてくれました。

 10枚ほどの美しい拡大した山岳写真です。白い雪をいただく高峰はいいとして、下界の景色がどうも違います。
な、なんと、それはチベットの山だったのです。視野の狭い私はてっきり日本各地の山だけかと思っていましたが、登山仲間と20日間ほどいてきたということです。
 中に1枚ひときわ抜きん出て鋭い白雪の高峰をバックに社長が中央に立っている写真がありました。
 「この山は何という山ですか」「アンナプルナだよ」

 最近話題になった、80歳過ぎてエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎の話題にも及びました。
 「1億5千万円もかけりゃあな」と、皮肉まじりに社長。
 ベルトで上から吊るしてもらい三浦氏本人はただ足を前に出せばよかっただけ、カメラが回っている時だけそれらの仕掛けを外し、さも通常の登山をしているように見せかけたことなど、いろいろな裏話が聞けました。

 今年の9月初旬からは約1ヵ月の予定で、スイスアルプスだそうです。
 「いやあ、最高ですね」と驚きました。が、ツーリストを通さず仲間うちでの企画なので、往復の航空費、ホテルの宿泊費、ワイン代、食費などすべて込みで50万円かからないそうです。海外旅行などついぞ縁のない私にも、格安なのは何となく分かります。

 なお話が進んでいくうち、この社長さん、何と私と同じ山形県出身であることが分かり、ひとしきり山形の話題で盛り上がりました。小学生の頃は流れの急な最上川で泳ぎ、水泳を覚えたといいます。
 「おたくが来なけりゃ、今頃はプールで泳いでる時間だよ」
 何でも、毎日1000~2000メートル泳ぐのを日課にしているとのことです。いやはや何とも恐れ入った元気さ、パワーです。

 都合1時間半以上お話させていただきましたが、あまり仔細に紹介するのも何なので、と言いつつけっこう紹介してしまいましたが(笑)、「折角のご縁だから、これを機会にまたいろいろ頼むよ」と言っていただき、5時少し前同社を辞したのでした。
 曇ってはいるものの、既に雨は止んでいました。

 (大場光太郎・記)

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