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夢の話(4)

 久しぶりの「夢の話」です。

 現住居に引越しした直後、分けてもどっさりある本や書類の箱を整理していたら、ある箱から2枚のノートの切り抜きが見つかりました。『んっ?』と思ってざっと目を通してみると、ずい分前の夢の忘備録のようです。後で読むつもりで、A4ビニールファイルに挟んでそのままになっていました。

 今回そのファイルの日刊ゲンダイの切り抜きなどを整理しようとして、中からその2枚のノート片が出てきました。少し丁寧に読んでみたところ、はじめに「夢見」についての所感が述べてあり、続いて同じ日の早朝に見た夢が記されています。また少しおいた日に見た二つの夢が記されています。
 いつの頃のものかというと、文中の「先日亡くなった安部公房」がヒントになりました。調べたところ安部公房(あべ・こうぼう-作家)は、1993年(平成5年)1月22日死去ですからその年のものであることが分かりました。ちょうど今から20年前、私が40代前半のことです。

 折角ですから、それをここに再録します。誤字や、少し直した方がいいかな、というセンテンスもありますが、当時そのままと致しました。なお読みやすいように各夢に見出しをつけ、また適宜段替え、行空けをしています。
 どうぞ皆さんご自由に夢分析、夢判断をされ、私という人間の心の奥深くにうごめく情動、情念や本質を暴き出してみてください(笑)。

                         *
1/27(水)曇
 昨深夜、「視力復活・眼筋トレーニング」(青春出版社、PlayBook 若桜木虔著)を読み、多少そのメソッドを試みる。
 そのせいで、脳あるいは心の深い処がやゝ刺激を受けたのか、明け方5時過ぎ頃、夢を見る。その直後目がさめたのであるが、その夢のシーンは一つながりのものとして、比較的ハッキリと印象深く、思い出せたのである。 
 
 本当に最近は、夢は見ているのだが、覚醒してからなかなか思い出せなくなっていた。覚えていても全体的夢のストーリーのほんの一部分のみ。そしてそれすらも、日常的な事共のうちに、たちまちにして忘れ去ってしまうという、甚だ情無い具合。

 先日亡くなった安部公房は、その直後の天声人語によると創作活動にあたって、「夢」をその創作上の大きな源泉として極めて重視していた旨(注 「由」の誤り)、「夢を見て、それを生々と想起出来ている時は、精神的に活性化している時である」というようなことも述べていたらしい。
 そうだ、「夢」を見て、それを出来るだけ生々と想起出来、それについて深く考える、又そこから現実生活上の養分を汲み取っていこうという姿勢は、一部の芸術家のみならず、私らにとっても極めて大切なことなのだ。

 そして「夢」を生々と想起する為のメソッドは確実に存在する。それは、案の条(注 「定」の誤り)今朝方割とハッキリ夢の一連を思い出せたように、ともすればこの年になると油断しているとどんどん機能が低下していきつつある、「大脳」を活性化し続けていけば良いのだ。
 要は「頭の少し深い部分」に鋭い刺激を与えるような、トレーニングを出来るだけ心がけるのだ。

 確かに、「夢を見ているか」あるいは「夢をハッキリと、一連のストーリー性のあるものとして思い出せるか」というのは、今現在の自分自身の頭と心が活性化されているか否かを確かめる、重要なバロメーターとなり得る。「夢を大切にしよう」。
 「幻のない国民は滅びる」(注 旧約聖書の言葉)。そう、「夢」も見れず、「幻-ヴィジョン」も持てないような人間は、滅びていくしかないのだ。
 という訳で、明け方の夢の概略。

家に侵入してきた怪しい男と立ち向かう母、逃げ惑う私

 今現実に住んでいる家とは、場所も家自体も違う家。大きく、幾分かは旧時代風の造りか。母と私が住んでいる、そして他の2・3人の身内がその中(1階)にいる。例によって色彩のないモノトーンの夢なので、一日のうちのいつのことなのかは思い出せない。

 その中に突然一人の初老(50代)と覚しきがっちりしたいかつい人相の男が現われる。明らかに襲撃の意図が感じられる。私は驚いて家の中を逃げ回る。その男に堂々と対決したのは、何と母であった。台所と覚しき部屋の中程に置かれたテーブルをはさんで、母は臆せずにその男と向かっている。他の人々はそのようすを見ながら立ちすくんでいる。
 やゝあって私は、ゆったりとした浴室に身を隠す。風呂に入る訳ではないから明りはつけず、暗い。こゝなら男に気づかれる気づかいはない。

 浴室と台所を隔てているのはガラス(上がスガラス、下が曇りガラス)の引戸である。私はその下にうずくまるようにして、スガラス越しに、男と母の対決のようすをこわごわ見ている。どうやら母は男を包ちょうで刺したようである。しかし、男はそれでも倒れるようすもない・・・。

 その家の外に出ている。かん木類の生えた丘のような感じで、私はそこを登っている。登っていると、中腹を過ぎた所に、件の男が立っているのを見つける。さっきは50代と思っていた男は、私よりやゝ年上位の感じで若くなってしまっている。
 私は驚いて、そこからガケの方に向かって走り出し、そこから飛び下りる。だいぶ高さがある、数メートル位だろうか?それでも何とかストンという感じで真すぐに足をついて下りたが、と同時に、その男も私と同じくやゝ離れた所に下りている。 (転載終り)

                        *
 そのあとの2月3日の二つの夢もご紹介する予定でしたが、内容的にこの夢以上のものではなく、長くもなりますので割愛することに致しました。

 上の夢について若干の分析をしてみます。家の中に侵入してきて母と戦い、なおも家の外まで執拗に私を追ってきた怪しい男とは、ユング心理学でいう「シャドー」だろうと思われます。
 シャドーとは「影の自分自身」なのですから、怖がって逃げ回っていてはいけないのです。第一いくら恐れて逃げても、この夢のように分身であるシャドーはどこまでもピタッとついてきます。

 逃げずに、夢主(むしゅ)自らがきちんとシャドーと立ち向かうことが必要です。この夢では逃げてしくじったため、その後もシャドーの夢は繰り返し見た記憶があります。しかしどれかの夢でしっかり向き合ったらしく、それ以来シャドーは夢に現われなくなったようです。

 (大場光太郎・記)

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