フォレスタの「ラ・ノビア」
(「フォレスタ ラ・ノビア」YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=oNIYUGOx9qs
『ラ・ノビア』(La Novia)は、チリの音楽家ホワキン・プリエートが1958年に作詞作曲した、スペイン語で「花嫁」を意味する歌曲です。1961年、、イタリアの人気歌手トニー・ダララがイタリア語でカバーしたことで、世界中へのヒットに繋がっていきました。(なお、トニー・ダララの「ラ・ノビア」は、日本では当初「涙の結婚」という邦題がつけられていた。)
日本ではあらかわひろしが邦訳し、人気歌手のペギー・葉山が1962年(昭和37年)にこの歌をカバーし、当時の我が国は空前のカンツォーネブームだったこともあり、大ヒットしました。
あるサイトにこの歌に関する思い出話などが寄せられていました。その中の一つ。
ある結婚式で、同じ結婚式の歌だからと勘違いしたのか、KYなことに、参列した男性がこの歌を最後まで歌いきったのだそうです。
会場中が一気にシラけ、第一花嫁さんは終始うつむきっぱなしだったといいます。投稿者はその時司会をした人で、「今思うに、無理してでも1番だけで止めてもらうべきだった・・・」と。
それはそうでしょうね。あるいはこの男性に何か含むところがあったのかは知る由もありませんが、この歌がいくら世界的名曲でも結婚式で披露すべき歌ではありません。
「白く輝く花嫁衣裳に 心をかくした美しいその姿 」(1番出だし)
「祭壇の前に立ち いつわりの愛を誓う」(2番より)
この歌は、本当はほかに好きな人がいるのに、やむを得ない事情から別の人と結婚せざるを得ない女性の悲しみを歌った歌なのですから。
1、2番ラストの「私は知っている アヴェ・マリア」の「私」とは誰なのか?興味深いところです。歌詞の中ではっきり示されているわけではありません。だから幾つかのパターンが考えられそうです。余計なことながら、二つに絞って考えてみました。
一つ目は、花嫁から内心の真実を告解(こくげ)された神父、または告白された身近な人。二つ目は、いや彼女は苦しい胸のうちを誰にも言わなかった、だから「私」とはそれを知るただ一人の人、つまり彼女の本当の想い人。
どちらもありそうですが、よりドラマチックなのは二つ目のケースだと思われますがいかがでしょうか?ただ「一筋の涙」を見たということは、やはり神父さんか?
いずれにせよ「私」は、祭壇の前で偽りの愛を誓わざるを得ない花嫁になり代わって、「アヴェ・マリア」との祷(いの)りを迸らせているわけです。「憐れみの母」「慈しみの母」聖母の神への執り成しを請うて。
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フォレスタの『ラ・ノビア』。歌っているのは、小笠原優子さん、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんの初代女声フォレスタ4人です。皆さんこの歌にふさわしく純白のドレスで、その上「白く輝く」ような画面で。
その歌声は「偽りの愛」が浄化されたかのような気高いコーラスです。
白石さん、矢野さん、中安さんのコーラスは純真無垢な女性聖歌隊のようで素晴らしいです。が、この『ラ・ノビア』は小笠原優子さんの独唱に尽きると思われます。
小笠原さんの姿は本当に美しく気品があり、表情豊かに、感情を込めて独唱しておられます。この曲のイメージにぴったりマッチしていて、他の女声フォレスタの追随を許さないものがあります。
このコーラス曲全体としては、女声フォレスタによってはじめて可能となった『ラ・ノビア』の名唱と言えると思います。
(大場光太郎・記)
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