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2013年8月

フォレスタの「赤とんぼ」

     (「フォレスタ 赤とんぼ 旧バージョン」Youku動画)
      http://v.youku.com/v_show/id_XMzI0MTc0Mjgw.html?from=y1.2-1-95.3.13-2.1-1-1-12 
     (「フォレスタ 赤とんぼ 新バージョン」YouTube動画)
      (この動画は削除されました。)
      


   赤とんぼ心の空を飛びしなり   (拙句)

 残暑はまだまだ続いているものの、間もなく九月の声を聞こうかという頃合い、ピーク時のような暑さは和らぎ、そこはかとなく秋の気配が感じられます。夕方ともなると秋風めく心地良い風が吹き渡り、方々の草むらでは涼しげな虫の声も聞かれます。
 西の方に傾いた夕日を浴びながら、透明な羽を日にきらめかせて飛ぶ赤とんぼの姿もちらほら見られます。



 初秋の風物詩である赤とんぼですが、都市開発のあおりを受け、当地でも市街化区域内の田畑はどんどん宅地化され、年々数が少なくなってきました。数匹群れて飛んでいればめっけもの、単独飛行を目にしただけで良しとしなければならない現状です。

 私の子供の頃はそうではありませんでした。
 それは、東京タワーができたオールディズ昭和の頃のこと(昭和33年秋)。花の東京を離れること何千里(実際は約400キロ)の北の郷里町では、その季節夕方の空低く赤とんぼの群れが飛び交い、空を覆い尽くさんばかりでした。
 地方出身のご年配の方なら同意していただけるものと思いますが、これは誇張でも何でもなく実際そうだったのです。

 ただ郷里町でも、その頃をピークとして赤とんぼの数は徐々に減っていき、空を覆い尽くすことはなくなりました。山形の内陸部の小さな町で当時大規模開発などありませんでしたから、あの頃さかんだった農薬散布が自然の生態系に深刻な影響を及ぼした結果だったのかもしれません。

                       *                      
 『赤とんぼ』を作詞したのは詩人の三木露風です。大正10年(1921年)、童謡集『真珠島』に発表されました。
 その頃夕暮れ時に飛ぶ赤とんぼを見て、故郷の兵庫県揖保郡龍野町(現・たつの市)での子供時代の思い出が甦ってきたのです。だから『赤とんぼ』の歌詞は、それにまつわる子供時代の回想と、現実の赤とんぼのさまとを交錯させた内容となっています。

 1番の「夕焼小焼の赤とんぼ」を人に背負われながら見たのも、2番の「山の畑の桑の実を 小籠に摘んだ」のも、幼時の露風自身なのでしょう。


 
 なお「桑の実」がピンと来ない世代の方がおありかもしれません。上はその画像です。露風は詩的にも「小籠に摘んだ」ようです。が、食糧難の幼時(昭和30年前後)の私は、太郎村のあちこちの桑の実を探して委細構わず摘み取っては、片っ端から口に入れて食べました。(トロッと甘酸っぱい乙な味なんだなあ、これが。)
 そんなことをしても、誰も「不法侵入だ」などと言わない良い時代でしたね(笑)。ただ食べ過ぎると果汁が唇や舌や指に染み付いて、しばらく紫色になったままなのが玉に瑕(きず)でした。

 この歌で最も印象深いのが3番です。
 「十五で姐やは嫁に行き お里のたよりも絶えはてた」

 この歌の「姐や」とは、露風の生家に住み込んで露風らの世話をしてくれていた人のようです。すると、1番で幼時の露風を負ぶってくれたのもこの姐やだったと推察できそうです。実の姉のように慕っていたであろう姐やはしかし、十五でどこかのお里に嫁に行ってしまい、いつしかたよりも絶えてしまった、というのです。
 後の『花かげ』にも通じるような追慕や哀しさが、3番の歌詞の裏側から伝わってくるようです。

 そこまで追憶が及んでハッと我に返った露風の現前に、赤とんぼが竿の先に止まっていた(4番)。
 ざっと以上のような大意となるのでしょうか?

 1927年(昭和2年)、三木露風の優れた歌詞に曲をつけたのが後に大作曲家と呼ばれることになる山田耕筰です。
 この詞にしてこの曲あり。山田耕筰のこのメロディは日本人誰しもの心の奥深くにしっかり届き、日本的郷愁が呼び起こされます。まさに詞曲一体の名童謡で、「日本・こころの歌」の代表的一曲と言えると思います。

 この歌は、2007年(平成19年)の「日本の歌百選」の一曲に選定されました。
 
                       *
 『フォレスタの「赤とんぼ」』。私はこれまで初代女声による歌だけとばかり思っていましたが、最近新女声メンバーもこの歌をカバーしていることを知りました。
 当然新旧バージョンを聴き比べてみました。結果によってはどちらか一方だけを取り上げるつもりでした。が、ウーン、どちらもそれぞれ良い持ち味があり、甲乙つけがたし。よって今回は「豪華二本立て」(笑)で、両コーラスを見比べてみることにします。

 まず初代女声4人(矢野聡子さん、小笠原優子さん、白石佐和子さん、中安千晶さん)による旧バージョンです。これについては「umeboshinb」さんご提供動画への、ある人のコメントがありますのでその主要部分を以下にご紹介します。

独唱、二重唱、それと合唱に、四人の特徴がよく出ている作品です­。 (転載終り)

 なかなか的確な評価で、私の出る幕がなさそうです。でも、それでは私の役目が果たせませんので(はぁ?何の役目だよ-笑)、屋上屋を重ねさせていただくとー。
 1番独唱の矢野聡子さん、いいですね。まるで天にまで達しそうな矢野さんの高い声は天性のもの、メルヘンチックで郷愁にかられる「矢野聡子版赤とんぼ」とでも形容したくなります。

 それから2番の白石さん、小笠原さんの二重唱、3番の小笠原さんの独唱ときて、4番の全体コーラスは圧巻です。
 余計なことながら、このコーラスは初代女声結成(2006年)から日が浅い頃の収録かと思われますが、皆さんお若くて、何ともみずみずしいですね !

 続いて「新バージョン 赤とんぼ」についてです。

 内海万里子さん、白石佐和子さん、吉田静さん、中安千晶さんの4女声によるコーラスです。この組み合わせは、少し前記事にした『宵待草』と同じですね。
 1番独唱は新人の内海万里子さんです。内海さんのソロもなかなかいいけれど、ウーン、やっぱり矢野先輩の方に軍配が上がるかな、という気がします。内海さんには、今後他の歌で『宵待草』のような本領発揮を望みたいものです。

 新バージョンは、おおむね旧バージョンにならった歌唱パターンのようです。
 最大の「聴かせどころ」はやはり「十五で姐やは・・・」の3番独唱です。旧では小笠原優子さんが受け持ちましたが、新では吉田静さんです。そこでおのずからお2人の歌唱の対比、ということになるわけですがー。
 弱りましたねぇ。私は小笠原さん、吉田さんどちらもファンなもので・・・。

 第一お2人は、小笠原さんはソプラノ、吉田さんはメッツォ・ソプラノと、声域・声質が違いそもそも比較のしようがない、と言えます。
 この歌の3番独唱について寸評すれば。小笠原さんは伸びのある澄明な歌声で、吉田さんは深くて奥行きのある歌声で、共にじっくり聴くに値する歌唱です。
 よって、この対決(?)は「優劣つけ難し」と判定させていただきます。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「花かげ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-e162.html
 (これをお読みのどなたか、この歌動画のアップをお願いします。)
『フォレスタの「宵待草」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-7037.html
 (最近この歌の動画をアップしてくださった「hskjik」さんには、この場をお借りして感謝申し上げます。)

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朗報か?安倍政権「集団的自衛権」に牽制の動き

-戦争改憲、福島原発、ТPP・・・。一つ一つ解決していかないと本当にヤバイ-

 安倍晋三首相は、(不正と思しき手段によって)衆参安定多数を確保したことに気をよくしたか、歴代総理として珍しいほどの長期休暇を取り、ゴルフ三昧で過ごしました。

 持病の内臓疾患もあることだし、平時なら何週間夏休みしようがまあ大目に見てもいいところです。しかし福島原発収束問題、ТPP交渉問題、異次元緩和というアベノミクスによっても一向に改善されない国内景気・国民所得・・・。
 日本は今、未曾有の難問山積状況です。

 特に福島原発は汚染水処理対策が緊急を要する段階です。早急に有効策を講じなければ、敷地内はおろか地下水や海に広範囲に流れ込み事態が深刻化するばかり、諸外国にも迷惑を及ぼす大問題です。

 なのに、落語の『目黒のさんま』のお殿様以上に世情に疎いバカ殿と思しき安倍首相は、休暇が明けるや、今度は中東諸国に外遊中です。安倍首相の「外遊」とは文字どおり「外国に遊びに行くこと」、それ以上の意味はありません。
 自分の国の方々から火の手が上がっている非常事態なのに、何と能天気な「火宅首相」か、こんなお粗末なリーダーしか持てないこの国の現状にガッカリしてしまいます。

 今や政治は絶対安定多数のオール与党状況、(官房機密費という毒饅頭で)定期的にトップが安倍と会食している大新聞は、安倍政権の太鼓持ちで提灯記事しか書かないから、安倍首相はやりたい放題なのです。
 それより何より安倍晋三は「戦争屋」。薄気味悪いほど戦前とウリ二つ、という状況です。

 以前何度か述べたように、私は日月神示の「同じ事二度ある仕組」という大預言を何より恐れている者です。これが成就するようだと、日本全体が、先の戦争&占領など比較にならないほど激烈深刻な事態に陥るからです。

 しかし以下に転載する『日刊ゲンダイ』記事(8月27日号2面)のように、戦前とは明らかに違う良い兆候も見られるようです。願わくば、これが本物の大きなうねりとなり、「アベノナチス」の邪悪な意図が粉砕されんことを。 (大場光太郎・記)
                       
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支持者もソッポ 「集団的自衛権」に4つの壁

冷ややかな霞が関

 支持者にも見放された。安倍首相が関心を寄せる集団的自衛権の行使に、自民党支持層もソッポである。共同通信が実施した世論調査で、「行使できないままでよい」が36・1%とトップになったという。憲法解釈の変更で行使容認を目指す安倍の考えは、味方にも届いていないようだ。

「憲法9条は、個別的自衛権まで放棄していない。だから、自衛隊は合憲である。これが自民党の保守本流の考えでした。彼らは、その解釈で60年安保を乗り切り、保守支配を成立、長期政権を築き上げています。自衛権の解釈変更は、自民党の歴史も否定することになる。そこに危うさを感じる支持者は多いのでしょう」(法大教授・五十嵐仁氏=政治学)

 安倍に立ちはだかる壁は、党支持者からの反発だけではない。官僚も冷ややかだ。

「安倍首相は、厚労省のトップ人事で、郵便不正事件で無罪を勝ち取った村木厚子氏を次官に抜擢しました。順番通りなら厚生省出身者となるはずが、人気取りで覆したのです。その上、法制局長官人事で政治的な意図を包んだ起用に踏み込んだ。前長官が会見で、『解釈変更は難しい』と言ったのは、憲法論だけの問題ではない。慣例を無視して人事に手を突っ込む政権に対し、霞が関を代表して牽制球を投げたのです」(事情通)

 連立を組む公明党も、解釈変更に慎重だ。なにせ平和と福祉を掲げる政党である。支持者の説得は難しい。

 さらに米国だ。

「アフガニスタンやイラクで戦争をしていたときは、“ショー・ザ・フラッグ”“ブーツ・オン・ザ・グラウンド”と日本にも協力を求めてきていましたが、いまは違う。むしろ、軍国化で中国を刺激されては困る、という立場。米国が日本の集団的自衛権の行使容認に本気で賛成するかは微妙な状況です。安倍首相は、まずは安保法制懇で答申を出させ、内閣としての統一見解をまとめた上で国会で答弁し、法制局長官も合憲だと認めるシナリオを描いているのでしょうが、簡単ではありません」(五十嵐仁氏 = 前出)

 越えなければならない高い壁は4つもある。それをクリアできる体力が、政権にも安倍本人にも、あるのだろうか。 (転載終り)

関連記事
『同じ事二度ある仕組?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-275c.html            

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昔、藤圭子さんからサインをもらったことがありました。

-あの時代のいな「あの時代だけの歌姫」に深い哀悼の意を表しつつこの一文を-

    (「圭子の夢は夜ひらく+京都から博多まで」1970・71年紅白版)
     http://www.youtube.com/watch?v=PpRthIn_IvM


 いやあ、驚きの訃報でした。歌手の藤圭子さんが22日、東京都新宿区内の高層マンションから飛び降り自殺したというのです。

 最近の藤圭子さん(本名:阿部純子-享年62歳)は歌手活動から遠ざかり、07年に宇多田照實氏と正式に離婚し、その後都内マンションで(元マネージャーの)30代後半の同居男性とひっそり暮らし、世間から忘れられた存在でした。
 そのため「藤圭子」と聞いても、若い人たちは「宇多田ヒカルの母親」くらいのイメージしかないかもしれません。しかし藤さんと同世代の私など(実際は私の方が2歳ほど年上)は、藤さんもかつては娘の宇多田ヒカルに勝るとも劣らない栄光の時代があったのだ、と証言したい気持ちに駆られます。

 1969年(昭和44年)、『新宿の女』で彗星のようにブラウン管に登場したのが藤圭子(以下敬称略)でした。まだ18歳のうら若き女性歌手の鮮烈デビューです。

 「♪バカだな、バカだな、だまされちゃって ・・・」
 それもそんじょそこらの歌い方ではなく、夜の巷に生きる女の情念を、心の底からしぼり出すようなドスの利いた声で歌ったのです。爽やか系・明るい系が主流のフォークソング全盛の中、私なども少なからず衝撃を受けたものでした。
 
 この年は東大安田講堂攻防戦のあった年で、全共闘による70年安保闘争が最も過激さを増した年でもありました。当時の若者誰しもが時代への閉塞感を感じ、ブルーベル・シンガーズの『昭和ブルース』やあがた森魚の『赤色エレジー』などの暗い歌も好んで歌われました。が、その極めつけが藤圭子の登場だったように思われます。
 『新宿の女』は20週連続でヒットチャート1位を独占し、続く『女のブルース』を含め37週連続1位という空前絶後の大記録を樹立したのです。

 「♪十五、十六、十七と、私の人生暗かった ・・・」
 時代が藤圭子の歌を求めていたと言えるのでしょう。3曲目となる翌1970年(昭和45年)の『圭子の夢は夜ひらく』によって人気は頂点に達し、藤は時代の寵児の地位を揺るぎないものにしたのでした。
 一世代前の60年安保の象徴歌が西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』だったとするなら、この歌は70年安保の全共闘世代の象徴歌といってもいいのかもしれません。

 作家の五木寛之は、藤圭子の歌を「怨歌(えんか)」と呼びました。五木はエッセイの中で、「歌手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」と記し、「それが(当時の)藤圭子だ」と言わんとしたのです。

                             *

 デビュー前の藤圭子は苦労したようです。若い頃映画のロケで先輩女優にジャムパンをもらい、「子供の頃食べたかったけど貧しくて食べられなかった」と涙を流したエピソードがあるといいます。

 藤圭子は1951年7月5日、岩手県一関市に旅芸人の子として生まれ、幼い頃一家は北海道旭川市に移り住みました。成績優秀だったものの貧しさのため高校進学を断念し、やがてスター目指して上京します。
 浅草で流しをしていた頃、作詞家の石坂まさを(今年3月逝去)の目に留りました。藤の育ての親である石坂自身も幼くして父を亡くし、母と2人の生活を送ったのでした。

 だから石坂まさをは、つぶらな瞳の少女に自らの境遇を重ね合わせ、この少女を「藤圭子」と命名し、『新宿の女』を作詞・作曲してデビューさせたのです。

                             *
 何でも私自身のことに引きつけて申し訳ありませんがー。
 『圭子の夢は夜ひらく』発表から少し経った頃だったでしょうか。私は藤圭子を間近にしてサインをもらったことがあったのです。

 サインをもらった場所は、コンサート会場などというありきたりな場所(?)ではありません。意外も意外、当厚木市の平塚市寄りの郊外部、東名高速のすぐ近くの田んぼの中だったのです。

 何でそんな所で?
 藤圭子の方の事情など私には知る由もありません。が、私の方の事情なら話せます。
 私は昭和43年(1968年)春に山形県の高校を卒業して、すぐ当市内の小さな測量事務所に勤めました。その日は近くの田んぼを実測するため、先輩と2人でたまたまその近くにいたのです。

 朝方作業車で現場にやって来てボチボチ仕事にかかろうか、という頃合い。周囲を回ってきた先輩が、「おい大場君、見てみろよ。あっちに藤圭子がいるぞ」と言うのです。「えっ?」と思ってそちらの方をみると、少し離れた所に確かにテレビで見ている藤圭子と思しき女性が、東名高速を背に立っています。
「行ってみようよ」と先輩が促すまま私もついていきました。

 その辺の記憶は曖昧ですが、藤圭子の目と鼻の先に近づいて先輩と一緒に挨拶したのだったかと思います。そして私は日頃隠しているミーハー気質がモロに出て、手に持っていた野帳(やちょう)の後ろのページを開いて、「これにサインしてください」と差し出したのです。
 「野帳」というのは、測量する現場の境界点や基準点、それに実測した角度や距離などを記録するための(胸ポケットにしまえる縦長、薄型の)手帳です。

 田んぼは刈入れがとうに終わった晩秋から早春にかけてのいずれかの季節でした。周りにスタッフなどはおらず、藤圭子はただ一人で田んぼの中にいたのだったと思います。
 確かオレンジがかった赤系統のセーターに黒いスカートといった装いでした。テレビどおりの華奢で綺麗な人でした。ただ場所が場所だけに、今をときめくアイドルスターとしてのオーラなどはあまり感じませんでした。

 藤は一瞬戸惑ったようですが、しかしそこは商売柄すぐに了解し、野帳を受け取ってくれました。そこではたと気がつきました。書く物を渡してなかったのです。「何か書く物持ってませんか?」と図々しくも私。こんな所でサイン会などするわけないのだから持ってなくて当たり前です。しかし藤はすかさず、
「あるじゃないですか」
と、私に鋭い一瞥をくれて作業服の胸ポケットを指差しました。

 さすがに少し上がっていたらしく、そこに鉛筆を入れていたことを忘れていたのでした。『鉛筆じゃなく、サインペンかボールペンで・・・』と思ったものの、無いものねだりしても仕方ないので鉛筆を渡しました。藤はそれでさらさらとサインしてくれ、野帳と鉛筆を返してくれました。
 私は礼を言って、先輩とともにその場を去ったのでした。

  藤圭子が何であの時あんな場所にいたのかは、今考えても謎です。

 しばらくはその野帳を大事に取って置いたかと思いますが、気がついた頃にはどこかに紛失してしまっていました。今となっては大変残念です。

                             *

 藤圭子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

関連動画
『藤圭子-新宿の女-』
http://www.youtube.com/watch?v=jqO0d-HiLXc

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福島原発と間もなく心中必至

 -指導者群の無能無策で祖国が人の住めない死国にならぬよう切に祈るのみ-

 私たち国民一人ひとりにとって緊急かつ最重要な問題なので、前回に引き続いて福島原発問題を取り上げます。

 事故各号機の冷却のため毎日400トンもの汚染水が発生し、今現在300トンもの汚染水が貯蔵タンクからダダ漏れしている。
 この汚染水問題は、むしろ国際的な関心の方が高いくらいだといいます。日本国内で大きく報道されるようになったのはつい1週間ほどのことですが、海外ではもっと早くから詳細に報道されていたのです。

 例えば、英国BBC放送は先月23日、ロイヤルベビー誕生ニュースの次に、「フクシマ」の汚染水が地下を抜けて海(太平洋)に流出している可能性を東電が初めて認めた問題を詳しく伝えました。
 さあ大変です。地球上の海は一つながり、汚染水は海流に乗って世界中の海水を汚染しかねないのです。BBCに続いて欧米各紙が「早期に収束できるのか?」と懸念を表明したのも無理からぬところです。

 汚染水も含めて福島原発の現状はどうなっているのか?問題が複雑なだけに私たちにはよく把握できていないところがあります。今回のような大問題がないと、原発再稼働一味のマスコミの情報操作・情報隠蔽にコロッと騙され、「あゝ福島原発は平穏に推移しているんだな」と能天気に構えてしまいがちです。

 しかし実はそうではなく、依然深刻な危機的状況にあることを伝えているのが、以下に転載する『日刊ゲンダイ』(8月23日)記事です。1~3面ぶち抜きの特集ですが、スペースの関係上そのうち福島原発の現状を伝えている1、2面の前半部のみの転載とします。(「東電は倒産している」以下の後半部は、末尾URLにあり)

【追記】
 今回「福島原発事故・原発問題」カテゴリーを新たに設けることにしました。切実なこの問題、過去記事も順次加えさらに新記事を追加していければと考えます。しかし一番望ましいのは、画期的な収束法によってこのカテゴリーが不要となることです。 (大場光太郎・記)

                       *
東京電力で滅亡するこの国 福島原発と間もなく心中必至
 

なぜこの深刻な問題から逃げているのか安倍政権とグルの大新聞

解決不能で先送りを続けているこれだけの難問が次から次へと発生しているが、国と国民の破滅まで傍観する以外策なしの恐るべき実情現状

 福島原発の汚染水問題に対する安倍政権と東電のドロナワ対応を見ていると、絶望的な気分になってくる。一体いつになったら、原発事故は収束に向かうのか。ハッキリしているのは、東電に任せていたら、この事故は永遠に収束しないということだ。

 ここは国が腹をくくって乗り出すしかないのだが、安倍政権はこの問題から逃げ続けている。そればかりか、海外に原発を売り込もうと躍起になっているのだから度し難い。

 政府や東電の発表を垂れ流す大手メディアも、コトの深刻さを本気で伝えようとしない。おそらく根本的な解決策はないのだ。だから、政府もメディアも、事故の現実から目をそらし、問題を先送りしている。我々は傍観するしか術がないのか。

 福島原発の収束には、この先100年、200年とかかるだろう。東電によって、日本の国土がむしばまれ、経済的にも破滅させられる。この国は、もう福島原発と心中するしかないのだろうか。

◆汚染水処理は永遠にできない

 今回、貯蔵タンクから300トンもの高濃度汚染水が漏出していた事故で突きつけられたのは、原発の汚染水処理は絶望的な状況にあることだ。
 福島原発は今も、1~3号機の核燃料を冷やすために注水をつづけている。
 ただ、原発建屋は地震や津波によって穴が開き、水がどんどん漏れている。1日に約400トンもの汚染水が発生している状況だ。

「東電はあちこちに掘った井戸から汚染水をくみ上げ、敷地内に設置した約1060基の貯蔵タンクにためています。その総量はすでに約33万トンにも達しています」(科学ジャーナリスト)

 核燃料を冷やし続ける限り、汚染水は無限に発生する。その処理に欠かせない貯蔵タンクが事故からたった2年余りで壊れ、いまだに漏出箇所や詳しい原因すら分かっていないのだ。

 貯蔵タンクは、鋼材をボルトでつなぎ合わせて内側に止水材を施しただけの簡単な構造。使われているパッキングの耐用年数は5年しかない。つまり、寿命を迎えるまで残り3年。3年後には大幅な改修が必要になるが、敷地確保など、何ひとつメドが立っていない。
 東電は貯蔵タンクを80万トンに増やす計画だが、いかにも場当たり的だ。

「今後、福島原発の敷地は、放射性物質で汚染された沼のような状態になっていくでしょう。汚染水は増え続け、漏出も続く。もはや、できることをやるという以外に方策はありません」(京大原子炉実験所助教・小出裕章氏)

 永遠に増えつづける汚染水を完全に処理することなど、できっこないのだ。

◆放射能は漏れ続ける

汚染水漏出事故について、原子力規制委員会は、国際原子力事象評価尺度(INES)を「レベル3」(重大な異常事象)に引き上げた。事故から2年余り経った今も、現場では大量の放射能が漏れ続けている。

 今回、漏れた汚染水には、ベータ線を出す放射性ストロンチウム90(法定基準は1リットル当たり30ベクレル)などが1リットル当たり8000万ベクレル含まれていた。規制委は、漏出量から放射性物質の総量は24兆ベクレルと推計。規模が大きすぎて実感がわかないが、その濃度は放出が認められている限度の数百万倍に達する。仮に1時間いれば、がん発生リスクが急上昇する値である。

 恐ろしいのは、こうした「超ホット・スポット」が敷地内のあちこちに出現している可能性があることだ。

「福島原発ではメルトスルーした核燃料がどこにあるかも分からない中で、大量の地下水が流れ、汚染されている。そんな高濃度汚染水が突然、あふれ出し、多くの放射性物質をまき散らせば、敷地内に立ち入ることもできなくなります」(ジャーナリスト・横田一氏)

 今回、汚染水が漏出した貯蔵タンクの近くも、放射線量が高く、作業員も長くいられない。その間に次々と貯蔵タンクが寿命を迎えれば、高濃度の汚染水がダダ漏れになる恐れだってあるのだ。
 最後には、高濃度の汚染水が大量に海に流れ出すだろう。再び日本の国際的信用は地に落ちることになる。

「福島原発は今、人類史上初の困難な状況に直面している。今後、作業員の環境はどんどん過酷になり、被曝のリスクも高くなっていきます」(小出裕章氏=前出)

 日本の空と海と大地は、どこまでも汚されつづけていく。

◆爆発した原発に修復対応策なし

 汚染水問題は底ナシ。加えて、現場作業員の被曝線量は限界に近づき、人手不足も深刻化しつつある。廃炉作業は、進展どころか悪化する一方だ。

 19日付の毎日新聞に衝撃的な記事が載っていた。「解体先進国」の英国でも、原発の廃炉作業には90年を要するというのだ。福島より小規模で、正常に停止した原発でも、それだけの歳月がかかってしまう。爆発を起こしてグチャグチャの福島原発の場合、途方もない時間がかかるのは間違いない。

「汚染水問題を見れば分かるように、『冷やす、止める、封じ込める』という当初のスキームは完全に破綻しています。このままでは、40年で廃炉どころか、何十年と汚染水を海へ垂れ流し続けることになる。メルトダウンした1~3号機は、線量が高いため作業員が近づけず、いまだに原子炉内の様子は分からない。計器類も壊れていて、現状把握すらできないのです。チェルノブイリ原発は、たった1基の事故で、廃炉までに100年以上かかるとみられています。福島原発は破損箇所の特定もできず、メルトスルーした燃料を取り出す策もない。事故処理は今後、何世紀にもわたって、将来世代に負担を課すことになります」(横田一氏=前出)

 溶け出した燃料は、扱いを間違えれば再臨界の恐れもあるが、取り扱う技術はどこにもない。原発の「安全神話」を妄信してきたツケだ。もはや人間の手には負えない事態になってしまった。事故の深刻さの前に、呆然と立ち尽くすしかない。  (以下省略)(転載終り)

引用記事全文
阿修羅掲示板『東京電力で滅亡するこの国 福島原発と心中必至(日刊ゲンダイ)』
http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/197.html
関連記事
『「福島」を早く収束させなければ東日本に人は住めなくなる』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-dbcf.html

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「福島」を早く収束させなければ東日本に人は住めなくなる

-真実をヒタ隠し再稼動を目論む安倍政権・東電は「懲役300年」相当の犯罪だ-

 福島第一原発が非常に深刻な状況にあるようです。今回判明したことには、貯蔵タンクから300トンもの放射能汚染水がダダ漏れになっているというのです。しかもこれを食い止める有効な手立てはなく、近い将来原発施設周辺は汚染水で一杯になり沼状態になり作業員ですら立ち入れなくなる、と予測されているのです。

 これは表面に見えたから発覚しただけで、1~4各号機原子炉建屋内部は皆目分からず、計器類も壊れているから原子炉内がどんな状態なのか正確には誰も把握出来ていない状態です。

 2011年暮れ、当時の(民主党)野田首相が「収束宣言」をしましたが、あれは、とにかく停止中の全国原発の再稼働を急ぎたい経産省、東電など各電力会社、原子力ムラの振付けによる真っ赤なウソだったのです。

 福島原発事故直後、当時の菅首相が側近に発したという言葉が物議を醸しました。
 「東日本には人が住めなくなる」
 菅元首相は東工大出身で、「オレは原子力には詳しいんだ」とも言ったそうです。それにしては菅直人本人&枝野官房長官など各閣僚の対応のまずさで、被害がどんどん拡大し、半ば以上菅政権による人災だったとも言えるわけですが・・・。

 何はともあれ、阿修羅掲示板原発記事の次の(33番)コメントをお読みください。
 http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/731.html

◆ {後悔しきれない点1}=2号機が【メルトスルー】さえしなければ!
 日本列島の地下水が、炉心と同じレベルにまで汚染され、
 日本人どころか太平洋諸国全域が放射能で永遠に被爆し続けることはなかっただろうに!
◆ {後悔しきれない点2}=3号機が【部分核爆発】さえなければ!
 東京がここまでひどく汚染されることはなかっただろうに!
{ほとんどの外資系企業スタッフは関西以西へ、戻ってこない!}!
◆ {後悔しきれない点3}=4号機プールに【1600本もの核燃料】がなければ!
 汚染水があふれ出し地面が傾いても日本が終わりにならないだろうに!
★ いずれにしても、汚染水があふれ出し、近づけなくなった時点で、
 一回でも冷却等のトラブルがあれば、日本というより太平洋諸国は終わりだ。

 これは根も葉もない風評被害などではなく、私も実際そのとおりだと思うのです。

 文中に、{ほとんどの外資系企業スタッフは関西以西へ、戻ってこない!}!
というのがあります。

 しかしもっとヒドイ連中がいます。事故発生当時の東電の最高責任者だった勝俣会長(当時)以下の役員連中です。この国が司法暗黒社会でなければ厳しく刑事責任を問われ、東京市中引き回しの上打ち首獄門が妥当なこの者たちは、のうのうと生き延び、億単位の役員報酬をせしめ、あろうことか現在海外移住中なのです。

 この連中は誰よりも福島第一原発の実情、惨状を知り得る立場だったわけです。でありながら国民には正確な情報を与えず、自分たちは「日本にいては危ない」と真っ先にトンズラした卑怯な外道連中です。
 勝俣らは都内に豪邸を所有していますが、福島が本当に安全になるまで日本には帰らないつもりなのでしょう。

 この外道連中の所業がすべてを物語っています。
 土壌、地下水、海洋、飲料水・米・野菜・魚介類、外部被曝に内部被曝・・・。為すすべなくこのまま放置すれば、福島を東日本をそして日本全体をさらに深刻な放射能汚染列島化していくだけです。

 現時点で既に福島県民全員を県外に移住させるべきだ、という説を唱える人もいます。今後事態がさらに悪化すれば、菅直人が口走ったように、東日本には人が住めなくなる危険性すら大有りなのです。

 福島第一だけでこの大惨状です。収束には無策な安倍政権以下政官財がこぞって目論む各原発の再稼働などもってのほかと言うべきです。

 (大場光太郎・記) 

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時の話題(12)

 広島原爆投下の日から終戦記念日まで「戦争と平和を考える季節」でしたので、だいぶ重いテーマの記事が続きました。今回は気分を変えて、『日刊ゲンダイ』に載っていた肩の凝らない話題をご紹介します。

 この「ペットも熱中症」記事を既に読んでいた先週土曜日夕方、居住地付近の小河川沿いの道を散歩しました。
 旧盆も過ぎさすがに徐々に秋が兆したか、夕方ともなると風も出て、日中の暑さもだいぶ和らぎます。対岸の田んぼには稲穂が青々と伸び、時折り風に靡(なび)いています。東空には早く満月になりたげな白い月が輝き、川原の草むらからは涼しげな虫の声も聞こえてきます。

 途中、犬を散歩中の人に何度も会いました。中にチワワの近種と思しきポメラニアン2匹がいたので、私は『こらっ。あんまり肉球ペタペタ地面につけて歩くなよ。熱中症になっちゃうぞ』と心の中で言ってやり、思わず「クックックッ」とおかしくなってしまいました。

 話はまったく変わりますがー。
 無テレビ生活とともに、こと「野球」にもとんと関心がなくなりました。プロ野球は例によってセは巨人がぶっちぎりですから余計そう。
 高校野球などなおさらで、夏の甲子園が始まっているのは知っていましたがまったく関心がありませんでした。

 しかし佳境を迎えて、おらが出身県の「日大山形がベスト4に入った」となると話は別です。山形代表のベスト4などもちろんはじめてです。外人部隊(他県選手)は2人だけであとは全員地元の子だそうですが、もうこうなったら準決勝も勝って同じ東北勢の花巻東との決勝を望みたいものです。  (大場光太郎・記)

【追記】
 ◇21日◇準決勝  前橋育英(群馬)が4-1で日大山形を破り初出場で決勝進出を決めた。(『日刊スポーツネット』より)
 日大山形の決勝進出ならず。ウ~ン、残念 !


ペットも熱中症 ANAに預けたチワワが死亡で大騒動

 全日空の飛行機に預けたペット犬のチワワが熱中症で死んだと、東京在住の飼い主の少女(15)がツイッターで怒りをぶつけ、ネット上で大騒ぎになっている。

 チワワが解剖されておらず、死因が熱中症とは断定できない。だが全日空によれば、客室とほぼ同じ空調の貨物室にチワワを乗せるまで10分程度かかったといい、乗せる際に外の熱気にさらされたことが、ダメージになったのは確かだ。

  (中略)

 猛暑で熱中症が心配なのはペットも同じだ。特に犬は熱中症になりやすい。全身が毛に覆われていて体温が放散しにくく、汗腺が肉球にしかないため、全身で汗をかいて体温を下げられないからだ。チワワのように鼻がペチャンコの短頭犬は、ことさら暑さに弱い。

 ペット保険大手のアニコム損害保険(東京)が、犬がどんな状況・場所で熱中症にかかったのか調べたところ、最も多いのが「散歩中・ドッグラン」(48%)。しかし、外が涼しくなった夜に散歩させるのも実は危険だ。

「アスファルトに残った熱気で、肉球にヤケドを負うことがあります。脚が短い犬は、アスファルトの熱気が伝わりやすく、人間が涼しいと感じても熱中症になりやすい。真夏に散歩させるなら早朝がベストですが、どうしても夜に散歩させるなら、専用のソックスをはかせてください」(ペットアシストクラブ・古賀桂子代表) 

  (以下略) (転載終り)

転載元
『日刊ゲンダイ』(8月16日号5面)                    

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フォレスタの「鈴懸の径」

    (「フォレスタ 鈴懸の径」YouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=AboT01l5kxc


 『鈴懸の径』は1942年(昭和17年)9月にビクターレコードから発表された歌謡曲です。同じ年に発表された(フォレスタの)『若葉』&『野菊』で述べたことの繰り返しになりますがー。

 発表された昭和17年は太平洋戦争の真っ只中、しかもこの年はミッドウェー、ガダルカナルなど戦争全体の帰趨を決する(我が国の敗北が決定的になった)大きな決戦が行われた年でもありました。
 にも関わらず(ということになるわけですが)、この歌は驚くほど澄明で、戦時色が微塵も感じられないのです。さりとて「なるようになるさ」式の捨て鉢な諦めの歌でももちろんありません。

 軍歌一色の当時にあっては、たとえば淡谷のり子の『別れのブルース』を戦地慰問では歌わないよう当局から言われたり(しかし淡谷は、「ならば慰問に行きません」と突っぱねた)、『上海ブルース』などのヒット曲のあったディック・ミネが「敵性音楽を歌うヤツ」と睨まれ活動の地を上海に移さざるを得なかった、というような難しい国内音楽事情がありました。

 佐伯孝夫の歌詞はともかく。灰田有紀彦(灰田晴彦)のメロディは斬新で、戦後のヒット曲かと見まごうほどハイカラで、一つ間違えば敵性音楽として発売中止になってもおかしくなかったように思われます。
 その意味で、戦争の真っ只中をスルーできた『鈴懸の径』は、幾重にも「奇跡の歌」と言ってよさそうです。

 この歌がハイカラなのは当然です。作曲の灰田有紀彦とこの歌を歌った弟の灰田勝彦は、元々ハワイ出身の日系二世で、兄の有紀彦は1928年(昭和3年)にハワイアンバンドを結成し、弟の勝彦はそこのボーカルとして活躍していたからです。
 言われてみれば、『鈴懸の径』のメロディはハワイアンがベースにあるような気もしてきます。

 敵性音楽を免れる上で大きかったのは、やはり佐伯孝夫という名作詞家のネームバリューと歌詞そのものだったのかもしれません。
 佐伯は戦争前既に、『無情の夢』や『燦めく星座』などのヒット曲を作詞していましたし、この歌のテーマは「学舎(まなびや)」なのですから。検閲のためこの歌を視聴した当局の人間も、懐かしさのあまり目頭が熱くなったとしても不思議ではありません。

 「友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街」
 この歌のモデルとなったのは、歌唱した灰田勝彦の母校である立教大学構内にある「鈴懸の径」であるようです。


                 現在の立教大学キャンパス内の「鈴懸の径」

 この歌は発表と同時にヒットし、今日まで歌い継がれています。特定の大学・学校というに限らず、広く誰の心にも普遍化し得る「学舎の歌」であるからではないでしょうか。
 その意味では、『学生時代』(歌;ペギー葉山)『高校三年生』(歌;舟木一夫)『美しき十代』(歌;三田明)など、後の学園ソングの元祖と言ってもよさそうです。

   鈴懸にポプラ並木に秋の風
   吹くが悲しと
   日記(にき)に残れり   (石川 啄木『一握の砂』より)

 ところで「鈴懸」とはプラタナスのことです。おそらく西洋近代化に真似た明治以降、主に洋化方式の街並みの街路樹として導入されたのでしょう。和学名を「スズカケノキ科スズカケノキ属」と言うように、当初から「スズカケ(鈴懸)」と呼ばれていたものと推察されます。
 プラタナスの大ぶりな葉は、(神社拝殿前に垂れ下がった太い綱を揺すって鳴らす)大きな鈴の親玉の形(の鈴なり)に見えなくもありません。私が勝手に想像するに、「鈴懸」という和名はそういう連想から名づけられたのではないかと思われます。(注 これにつきましては屋形船さんコメント参照のこと。)

 「やさしの小鈴 葉かげに鳴れば」
 このフレーズは、鈴懸という名からイメージしたのではないでしょうか?ここのフレーズの詞曲は、涼しげな風鈴の音(ね)のように心地良い感じがします。その音色に誘(いざな)われて、いつしか懐かしい学舎の追想に浸りきる・・・。

                       *
 『フォレスタの「鈴懸の径」』。最近この歌の男声バージョンが出たかと思います。元歌が灰田勝彦だったように、男声フォレスタ版も必聴かもしれませんが、今回は元祖である女声バージョンを採用しました。

 歌うは、小笠原優子さん、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんの4人の初代女声フォレスタです。
 出だしの「アーアーアー」のハーモニーからしてそうですが、音大卒コーラスグループらしく、随所にアレンジを凝らした聴き応え十分の歌唱だと思います。

 おそらく他のフォレスタ曲すべてに当てはまるのでしょうが、通り一遍で聴いたのでは聴き逃してしまう「プロの技」が、至るところに盛り込まれての一曲コーラス完成なのでしょう。
 聴く側もより耳を肥やし、また声楽理論のイロハくらいは心得ておくべきなのかもしれませんが・・・。

 この歌の皆さんの衣裳(ドレス?)、ゴールド基調の滅多に見られない衣裳です。何となく女子大生の制服のようにも見えますから、この歌専用として特注で誂えたものなのでしょうか?

 4女声の、涼風が吹き渡るような爽やかなコーラスから思いました。小笠原さんは東京音楽大学、白石さん・矢野さんは武蔵野音楽大学、中安千晶さんは国立音楽大学のご出身です。
 そこで、皆さんの「学校の街」はいかがだったでしょうか?どんな思い出がおありでしょうか?
 おひとりおひとりから、取って置きのお話をうかがいたいものですね。

 ピアノ演奏は南雲彩さんです。横顔しか映っていませんが、この時の南雲お姉さん(今現在3人の後輩ピアニスト加入しているので)、何とも「お若い」ですね。続いて鍵盤上の指の動きに移るわけですが、この長い指の動きを見ただけで、姿は映らなくても『南雲さんだ』と分かります。
 他の記事でも触れましたが、これぞ「恵まれたピアニストの手」、しなやかで芸術的な指の動きです。

【追記】 本曲とは関係ありませんがー。最近公開の『ラ・ノビア』、冒頭から2ゃんねるの「フォレスタスレ」を絡めてしまい、後になって『余計なことだった』と反省しました。そこでその部分を削除の上、なお一部修正を加えて短めの改訂『フォレスタの「ラ・ノビア』と致しました。
 深くお詫び申し上げ、訂正のご報告とさせていただきます。

 (大場光太郎・記)

関連動画
『フォレスタ 別れのブルース』
http://www.youtube.com/watch?v=5J0WpJpMN70
関連記事
『フォレスタの「若葉」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-c878.html
『フォレスタの「野菊」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-cc0f.html
『フォレスタの「ラ・ノビア」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-e40b.html

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狂乱安倍首相を辞めさせないと大変だぞ !

よりによって終戦記念日に“宣戦布告”

加害者責任も不戦の誓いもカット

 安倍首相は終戦記念日のきのう(15日)、全国戦没者追悼式で式辞を述べた。これは毎年恒例の行事だが、今年は大きく変わったことがある。歴代首相が必ず触れてきた侵略戦争に対する反省の弁が、そっくり抜け落ちたのである。安倍は中韓の反発に“配慮”して、靖国参拝は見送った。反省の弁が消えたのは、その腹いせにも見える。狭量、傲慢、幼稚な首相の危うさは目を覆いたくなる。

国民は道連れにされる

「先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省し、犠牲となられた方々とそのご遺族に、謹んで哀悼の意を表します」野田前首相、菅元首相は追悼式でこう述べて、周辺国への謝罪を明確にした。

 麻生副総理も首相当時、「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します」と言った。いやいや読んでいるような棒読みで、「心がこもっていない」と批判されたが、それでも反省の弁は一応口にしたのである。

 ところが、安倍は一切、アジア諸国への反省を口にしなかったばかりか、歴代首相が必ず、式辞に入れてきた「不戦の誓い」もカットした。
 もちろん、事務方は加害者責任も不戦の誓いも原稿に盛り込んだはずで、安倍が独断で「不要」と切り捨てたのである。

「官邸筋は首相が文言を外したことについて、『国内問題として、御霊に捧げるとの思いから省いた』などと言っていました。外国に向けた挨拶ではない、ということでしょうが、それでは歴代政権の式辞は何だったのか。首相に謝罪と反省の意図がないのです」(官邸関係者)

 政治評論家の森田実氏は「これは侵略戦争を認めた村山談話の否定だ」と言ったが、その通りだろう。安倍が今後、村山・河野談話見直しに動くのは間違いない。安倍は靖国参拝こそ見送ったものの、玉串料を届けさせた萩生田光一・党総裁特別補佐には「靖国への思いは変わらない」との伝言を託した。それを萩生田はペラペラしゃべった。中韓の神経を逆なでするような行為である。

「もともと、中韓との関係は冷え切っていますが、『屈するような交渉には応じない』というのが安倍首相の考え方です。靖国参拝を見送れば、譲歩したように受け取られる。だから、式辞では反省の弁を省き、強気の姿勢を見せたかったのでしょうが、あまりにも子供っぽい意地の張り方で、呆れてしまう。子供のケンカじゃあるまいし、周辺国は呆れている。もちろん、これでは外交になりません。おそらく、衆参の数を制したことで舞い上がっているのでしょうが、図に乗らない方がいい。権力者は常に謙虚さと相手への配慮が求められる。安倍首相にはそれが決定的に欠落しているのです」(政治評論家・野上忠興氏)

 侵略も認めず、不戦の誓いもしないのであれば、安倍は本気で戦争をする気なのだろう。それを終戦記念日に内外に宣言した。この狂乱首相をどうやってやめさせるか。国民は本気で考え始めなければいけない。  (転載終り)

転載元
『日刊ゲンダイ』(8月17日号3面)

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68回目の終戦記念日に

 まず冒頭、日本国憲法「前文」と「第9条」を掲げます。今日改憲が焦眉の急の問題として浮上していますが、現憲法は改憲が必要なほどの欠陥憲法なのだろうか。それを確かめるには是非とも現憲法の詳細な読み直しが必須です。おそらく日頃あまりじっくり読む機会がないことと思いますので、この機会に是非憲法全文をお読みいただければ、と考えます。

日本国憲法
(昭和二十一年十一月三日憲法)

(前文)


  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

   第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

                        *
 当ブログ恒例の「終戦記念日」所感ですが、今年に限って日本国憲法前文+第9条をはじめて引用しました。これには理由があります。
 一つはもちろん、凶暴かつ危険な「アベノナチス」(注 これは私の造語)を隠し持つ安倍晋三首相の再登場により、現憲法はもはや風前の灯、はっきりとこの国の前途にただならぬ暗雲が垂れ込めたように思われるからです。

 そしてもう一つは、そんな大げさなことではなく、身近なところでつい最近現憲法にまつわるちょっとした出来事に出会ったからです。その次第を以下にご紹介してみたいと思います。

 1週間ほど前のある日の午後、所用で駅方面に向かうべく地元からバスに乗り込みました。だいぶ混んでいて、前方横長のシルバーシートだけ三つほど空いています。約15分ほどかかるのでなるべく座ることにしている私は、その一席に座りました。
 左隣の人はだいぶ年配の男性です。見るともなしに見ますと、何やら書類のようなものを両手に持って眺めています。『何だろう?』 少し興味を覚えてそれに焦点を合わせたところ、「日本国憲法」と書いてあるではありませんか。

 なるほど私にも覚えがあります。今やネットは「情報の宝庫」ですが、憲法をはじめ民法、刑法、著作権法など日本の六法体系下の法律のすべてがネットからダウンロードして読むことができるのです。だからその人が手にしていたのもA4紙に印字したネット版憲法だったのです。
 頭はほぼ真っ白で、お歳は75歳以上くらいでしょうか。そんな人が真摯に憲法を読み直そうとしておられる。私は嬉しくもあり、また感銘も覚えたのでした。

 しかしよく考えてみますと、「戦争を知らない」若い世代ほど現憲法を読もうとしません。彼らにとって日本国憲法など有って無きがごときもの、改正せずとももはや形骸化した過去の遺物のようなもので、「憲法論議などダサい」という感覚なのです。
 もちろん一朝一夕にこういう状況になったわけではありません。

 私たちが青少年期を送った昭和30年代、40年代前半頃までは、現憲法は「世界に誇れる平和憲法」として大いに尊ばれ、学校でもその片鱗が教えられていました。昭和50年代前半頃でも、「自衛隊は違憲か合憲か」を巡って国会で自民党と日本社会党、日本共産党が白熱した丁々発止の議論を戦わせていました。

 「国防軍創設」「9条改憲」(安倍首相)「戦争に行かない人は(軍法会議にかけて)死刑」(石破幹事長)「ナチスの手口にならって、静かにこっそり憲法を変えたらどうか」(麻生副総理)。
 そんな前の時代でなく、(ソ連&ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦構造が崩れてだいぶ経過した)今から15年ほど前でも、上のような大放言のどれか一つでも口走れば、言った本人は即刻辞任、下手すれば政権全体が吹っ飛ぶような大問題になっていたはずです。

 このわずか15年以内に、改憲&戦争に対してユルユルな右傾化傾向に国民全体を持っていった「何か」があったのです。「何か」とは何でしょうか?
 ごく簡単に言えば、「911」(2001年)であり、それに続く「アフガン戦争」(同年)「イラク戦争」(2003年)です。我が国は小泉政権時に相当しますが、すべてアメリカの言うなりの従属姿勢、特にイラク戦争ではサマワに自衛隊を長期派遣させました。

 そのきっかけとなったのが「911」です。お人好しの日本国民ならいざ知らず、今では米国民の3分の2以上がブッシュ政権の911発表を信じていません。そのとおり、はじめからイスラム過激派のテロリストなど存在せず、すべてはブッシュネオコン政権(同政権内の首謀者はチェイニー副大統領)、米国関係機関(WTCビル崩壊の直接の実行犯はCIAとイスラエル諜報機関モサド)によって仕組まれた世紀の大謀略だったのです。

 当然「対テロ戦争」もでっち上げ。しかし「911」は確実に、世界なかんずく日本のムードを一気に嫌な方向に変えてしまいました。
 米国にヤバいプライバシーを握られていた小泉純一郎首相(注 いずれ公開するつもり)のもと、我が国の米国隷属の姿勢が一段と鮮明となり、大義皆無のイラク戦争報道以来大新聞も一気に米国寄りになっていったのです。

 揺るがせに出来ない副産物は、米国には卑屈なほどペコペコなくせして中韓には居丈高な小泉への新聞・テレビのヨイショ報道により、イラク戦争追随や靖国参拝あたりから我が国世論が急速に右傾化していったことです。小泉亜流で、小泉以上の「地獄の使い」が他ならぬ安倍晋三です。

 冒頭の日本国憲法前文と第9条をもう一度よくお読みください。
 国内だけでも戦闘員・非戦闘員合わせて310万人もの尊い犠牲を出した戦争の教訓の上に制定されたのが、現在の憲法です。改憲論者たちは「今の憲法はアメリカからの押し付けだ」とよく言います。しかしGHQ案をよく咀嚼した上で、憲法学者を中心とした我が国起草委員たちが自らの主体性をもって作成したことは、既に検証済みです。

 当時の起草委員たちの理念を端的に表しているのが、上に掲げた「前文」と「第9条」です。前文の(ということは日本国憲法全体の)出だしが、「日本国民は」で始まるのは感動的ではありませんか。冒頭から「主権在民」を明確に打ち出しているのです。
 
 安倍をはじめとした極右政権幹部らは、戦争放棄を謳った第9条とともに、この「主権在民」が目障りで仕方ないのです。で、彼らは自前の改憲草案を既に用意してあります。おいおい現憲法との対比をしていかなければなりませんが、「戦争のできる国」&「主権在国家」という明治憲法に先祖帰りしたファシズム的トンデモ草案で、とても「改正」などと呼べる代物(しろもの)ではありません。

 「12・16不正選挙で不当に政権奪取した、『正当に選挙された国会における代表者』に限りなく疑問符のつく連中がなに戯言(たわごと)を抜かすか」(独り言)というお粗末なレベルです。
 自分たちも、同草案を国民に広く知られれば具合悪いことがよく分かっているから、麻生副総理の「ワイマール憲法を骨抜きにしたナチスの手口にならえ」という放言になるのです。

 「日本国民は、(中略)、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(日本国憲法前文より)
 
 安倍政権の改憲には、国民の生命・財産の軽視と、この国の亡国がセットで組み込まれています。今後の改憲動向には目を爛々と光らせて注視していく必要があります。 
                        
 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日本国憲法』(全文)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
関連記事
『日本の右傾化は衰退の兆候だ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-06d6.html
『安倍晋三の国防軍は実は「国亡軍」だ !』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-82b8.html
『大変だ。石破幹事長「戦争に行かない人は死刑」と発言』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-6a34.html
『戦争屋安倍首相が遂に「9条改憲」を言い出したぞ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-94bd.html
『政権を揺るがしかねない麻生副総理の「ナチス容認」発言』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-2208.html
『「9・11」とは何だったのか(5)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-e2e8.html

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フォレスタの「海行かば」

    (「フォレスタ 海行かば」YouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=_LoOCreKEQc


 フォレスタファンなら先刻ご承知のとおり、男声フォレスタは軍歌もけっこう歌っています。その中でフォレスタ軍歌の代表曲となるのかどうか、今回は『フォレスタの「海行かば」』を取り上げ、併せて軍歌全般について少考を加えたいと思います。

 昨年の『叙情歌とは何か?』シリーズで見ましたとおり、優れた詞とメロディを有する軍歌なら、立派に叙情歌とみなしていいのでした。実はそう定義したのは、ダークダックスメンバーの喜早哲(きそう・てつ)氏でしたが、同氏は例えばこの『海行かば』の音楽性を特に絶賛しているようです。

   海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
   山行かば 草生(くさむ)す屍
   大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
   かへりみはせじ

 
ご存知の方が多いかと思いますが、この詞はもともと近代的軍歌として作られたものではありません。(今から1250年も前の)代表的な万葉歌人の一人である大伴家持(おおとものやかもち)の長歌の一節から採られたものなのです。
 出典はやはり『万葉集』巻十八の「賀陸奥国出金詔書歌」(「陸奥国に金を出す詔書を賀す歌)という大伴家持の長歌です。(末尾に掲げた当該『ウィキペディア』にその全文あり。)

 この詞に、類い稀なる荘重・悲愴のメロディをつけたのが作曲家の信時潔(のぶとき・きよし)です。昭和12年(1937年)、NHKの嘱託を受けての作曲です。当時の日本政府が「国民精神強調週間」を制定した際のテーマ曲となりました。なおこの年は、時あたかも日本が大規模な大陸出兵の足がかりを得た盧溝橋事件(同年7月7日)のあった年でした。

 『海行かば』に対する国民への印象を決定づけたのは、太平洋戦争(自虐史観を脱した人たち(?)いわく、こういう名の戦争はなく実際はやはり「大東亜戦争」だと)期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕を伝える際、必ず冒頭曲として流されたことだったといいます。(勝戦時は『敵は幾万』など)
 また出征兵士を送る歌としても愛好されましたが、やがて若い学徒までが出征するに及び、信時は苦しむこととなります。

 曲そのものは賛美歌風で、国歌として通用するほどの崇高な旋律です。事実、「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれ、敗戦までの間盛んに愛唱されました。(が、戦後は事実上の封印状態が続いた)

                        *
 男声フォレスタの『海行かば』。「お見事 !」の一言です。非の打ちどころのない完璧な歌唱です。
 大野隆さん、川村章仁さん、今井俊輔さん、榛葉樹人さん、横山慎吾さん、澤田薫さん。6人の男声フォレスタが横一列に勢ぞろいしたこのコーラスは壮観です。周囲の空気までピーンとはりつめたような、厳粛で荘厳な歌唱です。

 「ところで男声フォレスタの皆さん。軍歌はお好きですか?」
 男声陣はこの歌をはじめ軍歌をずい分歌っているわけですが、正直なところ本音はどうなのか、一人一人に聞いて回りたいところです。
 実は当ブログのフォレスタ記事に、「フォレスタの軍歌どうよ」「フォレスタはなぜ軍歌を歌うの?」「フォレスタは右翼?」というような検索フレーズが時折り見受けられるのです。

 以前『BS日本・こころの歌』関連サイトに、リーダーの大野隆さんへのインタビュー記事が載っていたかと思います(今回は見当たらず)。
 その中に、「日本の古い叙情歌や軍歌を歌うことをどう思いますか?」というような質問がありました。それに対して大野さんは、「どんな歌でも一生懸命歌わせていただいております。」というような、優等生的答えをしていました。

 大野さんの答えはともかく。その時私が疑問に思ったのは、「叙情歌や軍歌」と一くくりにした質問の方でした。おそらくBS日テレに「フォレスタはなぜ軍歌を歌うのか?」というような問い合わせが複数寄せられ、それに対する返答の意味合いのある質疑応答だったように思われます。
 だとしたらなおのこと、「軍歌も叙情歌の一部」とは言え、叙情歌と軍歌は分けて聞いていただきたかったな、と思います。

 男声フォレスタが軍歌を歌うのは、元はと言えばBS日テレ&日本テレビの方針であるわけです。同じフォレスタメンバーではあっても「軍歌」に対する考え方はそれぞれ違って当然です。仮に『軍歌はどうもなぁ・・・』と思う人がいたとしても、「次はこの軍歌ね」と言われれば、『こころの歌』出演が最重要なプロである以上歌わないわけにいかない、というような事情もあるのではないでしょうか?
                        *
 最近のこの国の右傾化傾向を受けて、以前より軍歌愛好家が増えているのではないでしょうか?現にフォレスタ軍歌愛好家もずい分と多いようですし。私自身は軍歌は原則聴きませんが、それは各自の好みの問題ですから、それについてとかく言うつもりはありません。

 ただ一つだけ指摘させていただきたいのは、先の戦時中を見るまでもなく、国威発揚の手段として「軍歌」ほど手っ取り早いものはないのだろう、ということです。

 私の中学3年時の国語教科書に、評論家の河盛好蔵(故人)のある随筆が載っていました。その中にある西洋の人の言葉の引用として、「すべての芸術は音楽にあこがれる」という印象的な一節がありました。耳から直接入ってくるある意味を有する音楽の力は強力です。いかに千万言の好戦的言論も、ただ一曲の『海行かば』には適わないはずです。とにかく音楽の人間の情感に訴えかける力は凄いものがあります。

 それを最大限利用したのが戦時中で、音楽と言えばほぼ軍歌一色でした。それを「他山の石」として、偏狭なナショナリズムや戦争賛美のセンチメンタリズムに陥ることのないよう、心して軍歌に接していくべきだと思います。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「海行かば」の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0#.E6.AD.8C.E8.A9.9E 

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凶暴な「アベノナチス」でこれからの3年間は最大の危機

 『日刊ゲンダイ』が、8月13日号1、2面で安倍政権の危険性について重要な指摘をしています。本来こういうことは「社会の木鐸」たる大新聞がすべきものですが、今や“安倍政権応援団”的な大政翼賛報道でまったく使いものになりません。
 それ自体が(オール与党化状況とともに)戦前と酷似していて不気味なわけですが、ともかく以下に同記事全文を転載します。少し長いですが、一読・熟読してみてください。(なおこれは阿修羅掲示板に投稿されたものの再転載です。)

                       *

◆有識者に聞いたフリして消費税増税を独断で決める

国会は閉会、安倍首相も夏休みに入った。地元の山口県と河口湖の別荘で優雅な夏休みを過ごす予定だ。

衆参で多数を握り、この先3年間は国政選挙もない。やりたい放題の独裁者になった安倍は、異例の長期休暇で牙を研ぐ。まず、手をつけるのが、庶民イジメの消費税アップだ。この政権は必ず実行する。

今月26日から、「消費増税有識者会議」が開かれることになった。座長は甘利経済再生相で、経済財政諮問会議の民間議員をはじめ、経団連など経済3団体のトップや経済学者、民間エコノミストなど約40人から意見を聞くという。

「そんなのはポーズに過ぎません。有識者会議を立ち上げ、多くの人の意見を聞いた上で、慎重を期して決めたというアリバイが欲しいだけですよ。安倍首相は来年4月の消費税アップを必ず実施する。なぜなら、早く増税の負担を国民に定着させ、次の選挙の前には痛みを忘れさせておきたいからです。選挙などのタイミングを考えたら、増税を決めるのは、この秋が最適だと考えているはずです」(政治評論家・浅川博忠氏)

8日の金融政策決定会合後の記者会見で、日銀の黒田総裁は「消費税を上げても成長が続く」と強弁した。しかも、上げなければ「金融緩和の効果に悪影響がある」などと脅しめいたことを言っていた。その黒田も、消費増税有識者会議のメンバーなのだから、何をか言わんやである。

このタイミングで、元経済企画庁長官の堺屋太一氏を内閣官房参与に起用することを決めたのも、ゴマカシの一環だ。

堺屋氏はかつて消費税率を引き上げた橋本政権を批判していた。つまり、増税反対論にも耳を傾けたというポーズを取るための煙幕ということ。ただのガス抜きである。

結論は決まっているのに、悩んだフリをしてみせるところがイヤらしいし、この政権の狡猾なところだ。

景気や庶民生活への影響を本気で心配していたら、「増税分はすべて社会保障にあてる」という約束を反故にして、福祉の大幅カットなんて話が出てくるはずがない。

まんまとパフォーマンスに乗せられていたら、気づかぬうちに国民はケツの毛までむしり取られることになる。

◆軍備はドンドン増強され自衛隊は国軍となる

「景気はちっとも良くなっていないのに、国民に消費税アップの負担を押し付け、1000兆円の借金があるからといって福祉をガンガン削る。そのくせ、軍事予算には惜しげもなくカネをつぎ込もうとしているのが安倍政権です。国民から巻き上げたカネで、軍事費を増やす。この軍事偏重路線こそが、この政権の危険な正体です。中国との対立をつくり出し、緊張感を高めることで、軍国化に突っ走ろうとしているのです」(政治評論家・森田実氏)

防衛省は、来年度予算の概算要求で1800億円以上の増額を見込んでいる。米軍基地再編のための経費が約200億円増、消費増税による装備品の調達経費が約200億円増、中国の太平洋上での活動に対する備えも増強が必要……といった具合。今年度予算で11年ぶりに増額に転じた防衛予算が、さらに大幅に膨張するのだ。

人事面でも着々と軍国化の布陣を敷いている。内閣法制局長官に集団的自衛権の行使容認派を据えたのに続き、内閣官房の安全保障・危機管理担当として自衛隊の長島純空将補を起用することも決めた。これまで自衛隊から内閣官房への出向は「2佐」が通例で、高級幹部の「将補」起用は初めてだ。

「総理の強い意向で実現しました。発令は22日付です。異例の人事だって? ホワイトハウスに軍人が入るのと同じですよ。これでようやく日本も『普通の国』になるということです」(官邸関係者)

安倍の周辺がよく口にする「普通の国」とは、要するに、戦争ができる国ということだ。

「憲法が禁じる集団的自衛権の行使を解釈変更で強権的に認めさせる。憲法改正という正式な手続きを踏まずとも、自衛隊を本格的な軍隊にしようとしているのです。まさにナチスの手法で、民主主義に対するクーデターというしかありません。本当に恐ろしい事態が進行しつつあります」(森田実氏=前出)

法治国家を否定してでも、軍国化に突き進むつもりなのか。安倍の場合、本当にやりかねないから深刻だ。

◆反権力の言説は取り締まられ逮捕投獄される

政府に逆らう言論活動を行うものは逮捕投獄――なんて書くと、「まさか、戦前の治安維持法じゃあるまいし」と思われるかもしれない。しかし、その「まさか」が公然と行われようとしているところが、この政権の恐ろしさだ。

政府は秋の臨時国会に「特定秘密保全法案」を出す気だ。公務員が秘密を漏らせば、厳罰に処する法案である。

この法案は、尖閣諸島の中国漁船衝突ビデオが流出したのをきっかけに、当時の民主党政権が検討開始。有識者会議が議論を進め、報告書を作った。しかし、日弁連らが猛反発したものだから、民主党政権は「お蔵入り」させるしかなくなったシロモノだ。

それを安倍は引っ張り出してきて、いよいよ、臨時国会に出すわけだ。

この法案の恐ろしさは、その土台となる有識者の報告書からうかがい知れる。

「国の防衛」「外交」「公共の安全および秩序の維持」にとって、重要なものを「特別秘密」に指定し、漏らせば、最高懲役10年と書かれている。国家公務員の守秘義務違反は1年だから、10倍の厳しさになる。

しかも、罰則の対象となるのは漏らした本人だけでなく、漏洩を教唆した側も含まれる。新聞記者が原発事故の真相を「教えてよ」と言っただけで、アウトになりかねない。さらに秘密情報を扱う人は日頃から渡航歴や通院歴、アルコールの影響などを調査し、配偶者も調べるべきだ、なんて書かれている。こんな法案が通されたら、プライバシーも何もない。

「安倍政権はなぜ今、秘密保全法を通す必要があるのでしょうか。尖閣のビデオが流出して、何か国民が困りましたか。結局、安倍政権がやろうとしていることは、米国と一緒になって戦争をするための地ならしなんですよ。集団的自衛権を認めれば、日米が一体となって軍事行動を起こすので、秘密保全法が必要になった。しかし、憲法改正は容易じゃないので、秘密保全法のような法律を通すことで、立法改憲し、言論・表現の自由を制限する。自民党の改憲草案でも同じようなことがうたわれています」(法大教授・五十嵐仁氏=政治学)

この国はあっという間に変わってしまうことになる。

◆大企業も中小企業も自民党にカネを取られる

安倍政権の経済政策は民主党政権時代から百八十度転換した。生活保護費を削る一方で、公共事業費は大盤振る舞い。10年間で200兆円というベラボーな金額を投じ、全国に道路や橋を整備する。「コンクリートから人」の時代は終わり、「人からコンクリート」に逆戻り。古い自民党が復活だ。

建設や土木、鉄鋼、セメント、建機など、公共事業関連で潤う企業は万々歳だろう。日本政策投資銀行によると、今年度の設備投資は前年実績から10・3%増えるという。ま、計画ベースの統計だから、どれだけ現実となるかは分からないが、バラマキの恩恵にあずかる会社は少なくないようだ。

企業へのアメは、これだけではない。安倍政権は法人税改革に着手する見込みだ。候補に挙がっているのは設備投資減税。ただ、経営者の多くが法人税の実効税率の引き下げを求めているという調査結果もあり、中身は変わる可能性もある。いずれにしろ税負担が減らされるのは確かのようだ。

もっとも、それで庶民の暮らしが良くなるわけではない。一党独裁の自民党が潤うだけだ。

政治評論家の山口朝雄氏が言う。

「企業の言い分をのんだら、相応の見返りを求める。それが伝統的な自民党の手法です。自民党は政権与党の立場を使って企業に仕事を振って税金で支払う。その代わり、企業には票やカネの支援をさせる。要望を聞いてやったんだからカネを持ってこい、というスタイル。我々が払った税金は回り回って自民党に集まるというわけです」

自民党の政治資金団体「国民政治協会」の2011年の政治資金収支報告書によると、ゼネコンの業界団体「日建連」から6600万円超の献金を受けていた。野党時代でこれである。国土強靱化を口実に公共事業をバンバン増やせば、さらに多くのカネが集まるのは明らかだ。実際、自民党は、今年2月に日建連に対し、4億7100万円の政治献金を要求している。

アベノミクスでウハウハなのは、企業でなく自民党なのだ。

◆人種階級差別が露骨になり純日本人が強調される

ヒトラーは、「ゲルマン民族は最も偉大である」と主張し、ユダヤ人を弾圧した。今のドイツで、こんな差別的な言動は許されない。ナチスを肯定すれば罰せられる。

ところが日本では、差別的な思想を持つ連中も野放しだ。それどころか、安倍首相と麻生副首相は、人種差別主義者からの支持を喜んで受け入れている。ナチス化を止める気はゼロだ。

日曜日の新大久保で毎週のように繰り広げられる嫌韓デモ。「朝鮮人を叩き出せ」と叫んでいるのは、もともとネットで他国を口汚く罵ってきた連中だ。既存の右翼からも煙たがられる「ネット右翼」(ネトウヨ)。現政権のツートップは、ことのほか彼らと相性がいい。

ネットでは、麻生のナチス発言を擁護する書き込みが多いし、安倍に肩入れする意見も目立つ。ネトウヨは、過去の首相時代に何もできずに無能のレッテルを貼られたダメ政治家に加勢しているのだ。

もっとも2人にとって、これほど心強いサポートはないだろう。ネトウヨの期待に応えるように2人は、昨年12月の衆院選で最後の訴えを連中に馴染みの秋葉原で行った。安倍は7月の参院選でも秋葉原で遊説を締めくくっている。両者は相思相愛の関係だ。

これでは差別主義者は減らない。ますます増殖する。人種階級差別は露骨になり、礼儀も品格も気にせずに他者を攻撃するのが理想の「純日本人」とされかねない。

「もともと日本では、隣国を下に見る風潮が強い。例えば福沢諭吉は、中国や韓国を『日本との精神的な隔たりは大きい』とさげすんで脱亜論を唱えた。侵略のシンボルとなった差別主義者ともいえる。そんな人物を1万円札に使っているのです。最近は、生活保護受給者への心ない発言や弱者イジメも目立つようになってきた。それでも政府は、彼らを戒めるような強いメッセージを発しない。世界からすれば、普遍的な常識が通じない国と映るでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)

日本社会は非常に危うくなっている。

◆この独裁政治に対抗する野党指導者が誰もいない

国民にとって不幸なのは、狂気の独裁者を止められる勢力が存在しないことだ。国会を見渡しても、野党は乱立した揚げ句に弱体化。しかも、テンデンバラバラなのだから、巨大与党に太刀打ちできっこない。

前出の浅川博忠氏が言う。

「この国の将来を託したくなるような、次のリーダーも野党に見当たりません。日本維新の会の橋下共同代表も、すっかり化けの皮が剥がれてしまった。本来は、野党第1党の民主党が政権与党を厳しくチェックしなければならないのに、海江田代表には、解散に追い込むという気概も覚悟も感じられない。みんなの党を見ても分かるように、野党が内紛でエネルギーを内向きに使っている。ますます弱体化するだけで、話になりません。それどころか、安倍首相が憲法改正を仕掛ければ、維新の会やみんなの党、民主党の改憲勢力が集結し、政権の補完勢力になる可能性がある。巨大与党がますます肥大化し、野党議員はいても、野党勢力は絶滅という状況になりかねません」

国会では自民の一党独裁、党内にも逆らう者はいない。大マスコミも安倍政権を批判しようとしない。これでは、暴走する安倍の“ナチス化”を止めようがないのだ。

こうなったら国民が監視するしかないのだが、政権から引きずり降ろすには、選挙で投票権を行使するしかない。国政選挙がなければどうしようもないし、野党がバラバラでは、政権交代も夢物語で終わってしまう。生活の党の小沢代表は「3年後のダブル選挙で政権交代が可能」と言っているが、独裁政権に3年間も与えたら、この国はどうなってしまうのか。破壊しつくされてしまうのではないか。

驕り高ぶった安倍は、どんな非道なことも平気でやってくるだろう。それを止める手立てがないことに気づいた時には、もう遅い。この狂暴政権を選んだのは国民なのだ。 (転載終り)

転載元
阿修羅掲示板『最大の危機にあるこれからの3年間 安倍政権は凶暴なナチス化必至(日刊ゲンダイ)』
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/433.html

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O・ストーン監督の傾聴に値する広島原水禁講演

 -新聞・テレビに魂を売った我が国の似非知識人よ。ストーン監督を見習え !-

 『ブラトーン』『JFK』などの作品で知られるアメリカの映画監督のオリバー・ストーン氏が、8月6日、広島で行われた2013原水爆禁止世界大会で講演しました。その内容の文字起こし文が阿修羅掲示板に投稿されましたので以下に転載します。

 「アメリカは(世界一の)いじめっ子なのだ」「米国は世界の歴史上最強最大の軍事国家なのだ」。
 世界に向かってこれだけ堂々と自国を告発できるストーン監督は凄いと思います。少なくとも日本の知識人には皆無です。安倍極右政権の怖さ、官僚支配のおぞましさ、原子力機関・東電のでたらめさなどを世界に向かって訴える者は誰一人いません。

 ストーン監督は親切にも「日本が今直面している恐ろしい龍は中国ではなく、アメリカだ」と注意を喚起してくれ、「日本は、(米国の)悪事に加担している」と鋭く警告してくれています。
 そして「(日本のみなさんは)繰り返し戦争を起こして日本と世界に痛みを与えてきたバカ者どもと戦ってほしいのです」と結んでいるのです。 (大場光太郎・記)

                        *
オリバー・ストーン「日本は悪事に加担している。恐ろしい龍は中国ではなくアメリカだ」
投稿者 パラサガン 日時 2013 年 8 月 08 日
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/281.html

今日ここにこられてうれしい。初めて広島に来たが、この2、3日、特に皆さんも出席されたと思うが今朝の(原爆記念)公園での式典を見て強く心動かされた。よくできた式典だった。日本人の良心を証明するような式だった。すばらしい記念式典は「日本人」の性質をよく表していたと思う。しかし、今日そこには多くの「偽善」もあった。「平和」そして「核廃絶」のような言葉が安倍首相らの口から出た。でも私は安倍氏の言葉を信じていない。

第二次大戦で敗戦した2つの主要国家はドイツと日本だった。両者を並べて比べてみよう。ドイツは国家がしてしまった事を反省し、検証し、罪悪感を感じ、謝罪し、そしてより重要な事に、その後のヨーロッパで平和のための道徳的なリーダーシップをとった。

ドイツは、60年代70年代を通してヨーロッパで本当に大きな道徳的な力となった。平和のためのロビー活動を行ない、常に反原子力であり、アメリカが望むようなレベルに自国の軍事力を引き上げることを拒否し続けてきた。2003年、アメリカがイラク戦争を始めようというとき、ドイツのシュローダー首相は、フランス、ロシアとともにアメリカのブッシュ大統領に“No”と言ったのだ。しかし、第二次大戦以来私が見た日本は、偉大な文化、映画文化、そして音楽、食文化の日本だった。

しかし、私が日本について見る事の出来なかったものがひとつある。それは、ただのひとりの政治家も、ひとりの首相も、高邁な道徳や平和のために立ち上がった人がいなかったことだ。いやひとりいた。それは最近オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人だ。みなさんに聞きたいのは、どうして、ともにひどい経験をしたドイツが今でも平和維持に大きな力を発揮しているのに、日本は、アメリカの衛星国家としてカモにされているのかということだ。あなた方には強い経済もあり、良質な労働力もある。なのになぜ立ち上がろうとしない?

第二次大戦後、米国はソ連を巨大なモンスターにしたてあげた。中国はいまその途上にある。つまり米国の「唯一の超大国」の立場を脅かすもうひとつの超大国にしたてあげられようとしている。今は大変危険な状況にある。

オバマはヘビのような人間だ。ソフトに語りかける。しかしオバマは無慈悲な人間だ。台湾に120億ドルもの武器を台湾に売り、日本にスティルス戦闘機を売る。日本は世界第4位の軍事大国になっている。それを「自衛隊」と呼ぶのはかまわないが世界4位の軍事大国だ。

日本より軍事費が多いのは米国、英国、中国だけだ。日本をそういうふうにした共犯者はアメリカにほかならない。日本は米国の武器の最大の得意客なだけでなく、アメリカの行なったクウェートやイラクでの戦争の戦費の支払をしてくれた。

よく聞いてほしい、アメリカは、こんなことを言いたくはないが、いじめっ子なのだ。日本が今直面している恐ろしい龍は中国ではなく、アメリカだ。4日まえ、私は韓国の済州島にいた。韓国は上海から400Kmのその場所に最大の海軍基地を作っている。韓国は済州島の世界自然遺産の珊瑚礁を破壊して巨大な海軍基地を作っている。そこは、中国に対しては沖縄よりも前線に位置する。その軍港には世界最大であらゆる核兵器を搭載する空母ジョージワシントンが停泊できる。そこから出て行って中国のシーレーンを制圧するのだ。

今年、戦争がアジアに戻ってきた。オバマと安倍は相思相愛だ(※大場注 ここだけは私の見方と違います。オバマは安倍を嫌っているのでは?)。安倍はオバマが何を欲しがっているか知っている。なかでも尖閣諸島について、私にはコメントしようがない。あんなものを巡って戦う気が知れないが、それなのに戦う価値があるように言われている。いま皆さんは核兵器廃絶が大切だとお思いだろう。しかしこのポーカーゲーム(危険な賭け事)はアメリカ主導で軍が展開して急速に進んでいる。アメリカは世界の73%の武器を製造しては売りさばいている。それには無人攻撃機、サイバー兵器、宇宙戦争用の武器も含まれる。

核兵器などは、アメリカが戦争に使う兵器のごく一部でしかない。米国は世界の歴史上最強最大の軍事国家なのだ。どう思いますか、みなさん。これに対して怒りを感じてほしいです。私が怒っているのと同じように、皆さんにも怒ってほしいのです。

米国は「唯一の大国」であろうとするために脅威を増大させ、世界中にアメをなめさせ、無実の人を刑務所に入れ、消し、ファイルを秘匿し、盗聴し、永遠の監視国家たろうとしている。ご存知かどうかわからないがジョージ・オーウェルがこのことをうまくいいあらわした。

これが今世界に起っている事だ。日本は、悪事に加担している。もう一度言おう。ベトナム戦争の後、みなさんは戦争のあぶなさにを知って、これがアジアで最後の大きな戦争になると思ったはずだ。でも、もう一度戦争がある。ここでみなさんにはドイツがヨーロッパでしたように、立ち上がって反対の声を上げてほしい。日本はかつて敗戦し広島長崎そのたでひどい目にあった。その悲しみを糧にして強くなり、繰り返し戦争を起こして日本と世界に痛みを与えてきたバカ者どもと戦ってほしいのです。 (転載終り)

関連動画
『原水爆禁止2013年世界大会での講演映像』
http://youtu.be/Gj1OaP83vNc

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フォレスタの「長崎の鐘」

    (「フォレスタ 長崎の鐘」YouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=GL90mhxzbkw


 『長崎の鐘』につきましては、2010年8月10日の『今も鳴り響く長崎の鐘』記事で大略を述べました。今回あらためて読み返しましたが、(手前味噌ながら)比較的まとまっているようなので、ほぼ全文を以下に転載させていただきます。
 どうぞ皆様、近年政治指導層の一部に9条改憲や核武装論を唱える者がいる中、平和の尊さを再認識し、核廃絶の誓いを新たにしながらお読みください。

                        *
  9日は「長崎原爆の日」でした。1945年(昭和20年)8月9日長崎に原爆が投下されてから65年目。この日爆心地にほど近い長崎平和公園で平和祈念式典が行われました。
 式典の詳細は省くとして、原爆が投下された午前11時2分参列者全員による、犠牲になられた方々への黙祷が捧げられました。

 私はそのようすをたまたまテレビで見ていました。黙祷に合わせて、同公園内に設置された鐘が鳴り響きました。画面に鐘が大きく映し出されます。前と後ろに振られるとともに、カァーン、カァーンと鳴る仕組みです。
 鐘本体の上部に縦書きで何やら書いてあります。よく見てみますと、それは「長崎の鐘」と読めました。

 「長崎の鐘」。そうなのです。それは、長崎原爆を語る上で欠かせない、シンボリックなものだったのです。ご存知の方も多いかと思いますが、その謂れはー。

 元々の「長崎の鐘」は「アンジェラスの鐘」とも呼ばれ、爆心地直近の浦上天主堂の鐘楼にあったものです。その鐘は原爆によって天主堂そのものと共に吹き飛ばされ、翌年30m離れた瓦礫の山の中から発見されたのです。それは長崎原爆の象徴として、以後現地で保存されてきました。
 ですから式典で聴いた鐘は、そのレプリカということになります。

 鐘が発見された直後、そのことに深い感銘を覚え、随筆の題名を『長崎の鐘』として発刊した人がいます。永井隆(ながい・たかし)です。
 永井隆は、原爆投下以前から長崎医科大学(現長崎大学医学部)の放射線科医師でした。永井博士は、我が国放射線研究の先駆者の一人だったのです。それが何の因果か、同大学はやはり爆心地直近。灼熱の熱風、猛烈な爆風と衝撃波。大学は凄まじい破壊をこうむり、永井博士も被曝してしまいます。

 永井博士自身も重症の身でした。しかし妻の勧めでカトリック信者となっていた博士は、そんなわが身を顧みず、次々に大学病院に運び込まれる、ケロイドで皮膚がはがれたような凄惨な被爆者たちの治療に没頭する日々でした。

 一段落して、ふと妻のことが思われました。急ぎ帰ってみると、浦上の我が家は跡形もありません。妻の姿も見当たらず、探し回った果てに台所跡付近で見たものは、妻がいつも身につけていたロザリオと、わずかばかりの骨と黒い塊りになった変わり果てた妻の姿だったのです。

 その後被爆による白血病が重くなった永井隆は、大学を退職せざるを得なくなり、旧宅近くに「如己堂(にょこどう)」というささやかな住まいを造り、疎開先から呼び寄せた二人のこどもと住むことになりました。住居の由来は、「己の如くに隣人を愛せよ」というイエスの教えから取られたものです。

 如己堂で重くなりゆく病と闘いながら、博士は原爆の悲惨さと平和の尊さを後世に残すために、執筆に打ち込みます。その第一作目が『長崎の鐘』だったのです。以後『この子を残して』『ロザリオの鎖』『生命の河』などを世に送り出します。

 随筆『長崎の鐘』は1949年(昭和24年)1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなりました。この年の4月には同名の歌が作られ、藤山一郎が歌って大ヒットとなりました。(冒頭の歌詞は、その1、2番)(注 同歌詞は今回省略)
 また翌年には、この歌を主題歌とする『長崎の鐘』が映画化されました。

 永井隆は、その過程で昭和天皇にお会いしたり、ローマ教皇の特使の枢機卿が見舞いに来たり、長崎名誉市民の称号を授けられたりします。しかし病状は重篤化していき、1951年(昭和26年)5月1日長崎大学附属病院にて永眠しました。享年43歳でした。

 平和祈念式典会場に鳴り響いた「長崎の鐘」は、どんな言葉より雄弁に「平和の尊さ」を訴えているようでした。 (転載終り)

                        *

                     現在の「長崎の鐘」

 実際の鐘の音とともに「平和の尊さ」を訴えているのが歌謡曲『長崎の鐘』です。

 サトー・ハチローの名歌詞、古関裕而の名メロディ、そしてこの歌が終生の代表曲と言っていいのだろう藤山一郎の名唱。『長崎の鐘』は、まさに詞・曲・歌手の三拍子揃った絶唱であり、鎮魂歌であり、祈りの歌であると思います。

 作詞したサトー・ハチローは、旧制一高寮歌『嗚呼玉杯に花受けて』の作詞者として有名な作家・佐藤紅禄の長男ですが、ハチローの弟も広島原爆の犠牲者だったのです。
 この詞は単に長崎のみならず、戦災を被(こうむ)ったすべての受難者に対する鎮魂歌であり、打ちひしがれた人々の再起を励ます意味を込めた詞でもあるようです。
 永井隆博士の実話を再現しつつ、「野の花」「ロザリオ」「気高く白き マリア様」などの山上の垂訓やキリスト教用語をさりげなく散りばめた歌詞の一つ一つに心打たれます。

 作曲の古関裕而については、フォレスタコーラスで既に見たとおり『フランチェスカの鐘』『君の名は』の作曲者でもあるのでした。戦前・戦後を通して我が国を代表するヒットメーカーの一人です。
 この歌の古関裕而のメロディは詞の心があますところなく表現されており、「この詞にしてこの曲あり」との感を深くします。

 藤山一郎は元々東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)を主席卒業の、クラシック音楽の声楽家でした。なおフォレスタでの直接の後輩は今井俊輔さん(しかも大先輩と同じく主席卒業)です。

 戦前の藤山一郎が「生活のため」に流行歌手の道に進まざるを得なかった時は、大変な心の葛藤があったことでしょう。しかしいつの頃か「流行歌こそが我が生きる道」と思い定めたのに違いありません。
 その結果、『長崎の鐘』などの名歌謡曲を歌唱し、(存命中の)歌手として初めて国民栄誉賞も受賞したのでした。

                        *
 私はだいぶ前テレビで、藤山一郎が歌う『長崎の鐘』を聴いた記憶があります。その感じでは藤山一郎の歌声はテノールと思しき高い声だったように思います。

 『フォレスタの「長崎の鐘」』。1番を大野隆さん(バス)、2番を川村章仁さん(バリトン)、3番を今井俊輔さん(バリトン)という低音トリオが独唱しています。
 でも、1番の「こよなく晴れた 青空を」の大野さんの低くて朗々とした渾身の歌い出しを聴いただけで、このフォレスタコーラスに引きこまれてしまいました。

 この歌のずしりと重いテーマを考えると、低音の3人が独唱パートを担当したのは大正解だったように思われます。重厚な『フォレスタの「長崎の鐘」』と言えます。
 それを支える、榛葉樹人さん、横山慎吾さん、澤田薫さんのテノールトリオのハーモニーも絶妙で「入魂の男声フォレスタコーラス」と評したいと思います。

 3番の今井さんのところで半音下がったのでしょうか?こういうケースは他の歌でもあるようですが、プロのさりげない隠し技という感じがします。
 ピアノ演奏がどなたかは不明ですが、コーラスの歌声にピタッと寄り添うようで、曲のラストが鐘の音のアレンジで、これまた素晴らしいです。

 大変感動的な「平和の祈りのコーラス」を聴かせていただきました。

(大場光太郎・記)

参考動画
『長崎の鐘 藤山一郎 1990』(NHKコンサート会場版?)
http://www.youtube.com/watch?v=3ZqJL9TtSF4
関連記事
『今も鳴り響く「長崎の鐘」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-08e2.html
『フォレスタの「フランチェスカの鐘」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-5da1.html
『フォレスタの「君の名は」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-db67.html

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米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?

-現人神と神格化され、国民は直接会う事が出来ずご真影を拝まされていた昭和天皇の、これが実像だったのか。戦前昭和、先の戦争、戦後日本に幻滅を覚える-

 本日8月6日は「広島原爆の日」です。昭和20年(1945年)のこの日人類初となる原子爆弾が投下されてから、今年で満68年となります。
 今回はこの広島原爆投下に関して、大変語りづらい「昭和史の真実」を見ていこうと思います。

 こと「日本史」に限ってみても、さまざまな新資料の発見などにより近年各時代に新たな光が当てられ、従前の定説を覆す学説や見方が現われてきています。
 その一つが上古に起きた有名な大化の改新です。従前はこれによって我が国は、より文明的な律令国家へと向かうことになったなど肯定的な捉え方が主流でしたが、それとは異なる負の側面が最近クローズアップされてきているのです(これについてはいずれ記事にするつもりなので、今回種明かしはしません)。

 また一昨年の『真実の近現代概略史(4)』で既に見たとおり、坂本龍馬をはじめとする薩長土肥の下級武士たちが原動力と教えられた明治維新は、実はユダ金ロスチャイルド(&フリーメイソン)が裏で糸を引いていたのでした。
 その構図は日清戦争、日露戦争、日米戦争まで変わることなく続いたのでした(ただし日米戦争頃から米国ロックフェラーが新たに加わった)。

 お断りしておきますが、私が今回のようなことを述べるのは、虚飾に覆われた偽りの歴史ではなく、あくまで「真実の歴史」を知りたいからなのです。
                       
 タイトルとした『米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?』は、実は2011年8月『昭和天皇の戦争責任(1)』記事の中で既に述べられていたことです。「述べられていた」と他人事なのは、この記事は私自身が書いたものではなく、あるサイト記事の転載であるからです。
 この記事には「昭和天皇の戦争責任は明白だ」としか思えないエピソードがふんだんに盛られていますが、今回はそのうち「広島原爆投下」に特化して見ていこうということです。 
                       
 その前に、昭和天皇は先の戦争に本当に関与していたのかどうかだけは簡単に見ておかなければなりません。

 これについては、極東軍事裁判における、日米開戦時の首相だった東條英機の「我々は、陛下のご意志に逆らうことは有り得ないのであります。」という証言がすべてを物語っています。
 なおこの証言を知った昭和天皇は、超A級の戦争犯罪人として処刑されるのではないか、と焦ったそうです。それから天皇は、キーナン主席検事に上流階級の女性を提供するなどの裏工作を必死で行ったというのです。

 終戦までの昭和天皇は宮中の書斎にナポレオン像を置いていたほどの大のナポレオン狂で、太平洋戦争はナポレオンの戦略・戦術をなぞったものだった、という指摘もあります。
 緒戦となる真珠湾攻撃「成功」の報に接した時は、欣喜雀躍したそうです。
 戦時中の天皇は十分聡明で、一つ一つの作戦に御前会議などで直接指令を発していた、というのです。
                    
 このような「戦争好きの馬鹿ロマンチスト」(戦後のある華族の昭和天皇評)という戦時中の天皇の実像の延長線上に、今回問題となる「原爆投下地広島」決定問題があるのです。

 広島に原爆が投下された8月6日の2ヶ月前となる6月、この時点で昭和天皇は原爆投下の情報を当時の実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていたのです。
 もちろんスティムソン陸軍長官から直々にということではありません。同長官はまずグルー駐日大使に伝えました。それから日本側の「ヨハンセングループ」に伝えられ、それを経由して宮中の天皇に届いたのです。

 ヨハンセングループとは何でしょう?これは当時の日本最大の米国スパイグループを意味しています。驚くべきことに「鬼畜米英」が叫ばれていた戦時中に、米国のスパイたちが暗躍していたのです。
 ヨハンセンとはある特定の個人を指す米国のスパイコードネームです。誰かといえば当時外交官だった吉田茂です。戦後名宰相とうたわれ最長政権を築いた吉田の戦前・戦時中の姿はスパイだったのです。

 中心人物の吉田茂のほかに、牧野伸顕、樺山愛輔、岡田啓介、米内光政ら外交官や海軍首脳がいました。当然のことながら彼らは戦後A級戦犯指定を免れています。

 余談ながらー。ヨハンセン吉田の孫が、今「ナチス容認」発言で国際的物議をかもしている麻生太郎副総理です。なお戦後A級戦犯指定を解かれ、首相となり60年日米安保条約を締結した岸信介は、戦後米国CIAのスパイでした。その“偉大な祖父”を尊敬しているのが安倍晋三首相なのです。
 今この国を牛耳る極右政治家二人の祖父が、共に米国の売国スパイだった。何ともグロテスクな構図ではありませんか。

 終戦直後の昭和天皇とマッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めていたのです。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。
 それを事前に知らされていた昭和天皇は、だからこそポツダム宣言も安心して受諾したのです。

 それはともかく。米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定するよう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。
 なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。
 その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想されたのが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかったからです。

 ついでに言えば昭和天皇は大の陸軍嫌い、裏を返せば「大の海軍びいき」でした。緒戦の真珠湾攻撃からミッドウェーなど各海戦がまず行われたように、日米戦争は海軍主導の戦争だったのです。
 しかし海軍の責任を追及することは天皇の戦争責任に直結するため、戦後その事実は隠蔽され、陸軍にすべての責任を押しつける「陸軍悪玉説」「海軍善玉説」が広く流布することになったのです。

 さて広島には陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部がありました。ここが壊滅すればクーデターが防止できる。そう読みきった天皇は、「広島」と米国側に伝えたのです。

 マンハッタン計画により史上初の原子爆弾を完成させることに成功した米国は、第2次世界大戦のどこかでその威力を確かめたくてうずうずしていました。しかし同じ白人種であるドイツ国民に対して使用するつもりはまったくなく、当初からターゲットは黄色人種の日本国民だったのです。
 歴史の皮肉として昭和天皇が介在し、人類初の原爆が「広島」に投下されました。しかし広島ならずとも、日本の主要都市のどこかに原爆が落とされるのは確定的だったと言えます。

 だから以上述べたことが史実だったとしても、今さらあの世の昭和天皇を責めても詮無いところがあります。しかしこれ一つ取っても、「昭和天皇の戦争責任」は大有り、言い逃れ出来ないはずです。

 それにしても米国の手口は巧妙かつ狡猾です。日本の天皇を人類初の原爆投下の共犯者にしてしまったのですから。以来68年経っても米国政府が日本国民に謝罪しないのは、それが大きな理由なのかもしれません。 

 (大場光太郎・記)

関連記事
『昭和天皇の戦争責任(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html
『真実の近現代概略史(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-ecc7.html

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政権を揺るがしかねない麻生副総理の「ナチス容認」発言

-ナチス容認発言などすれば、現世界システムを牛耳るユダヤ勢力が黙っちゃいないことぐらい庶民にだって分かるのに、総理経験者の麻生は知らなかったのか?-

 麻生太郎副総理(兼財務相)による、安倍政権の本性むき出しの暴言・放言が大問題になっています。
 29日、都内の講演会で麻生副総理は憲法改正について語り、
「ワイマール憲法もいつの間にかナチスによって変わった。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないで欲しい」
と言ったというのです。

 「ナチスの手口に学べ」とは何事か。語るに落ちたとはこのことです。
 いやはや最早つける薬はない、と言うべきか。既に見たように、これで安倍晋三、石破茂に続いて、現安倍政権を支える3人衆が揃いも揃って「戦争」「改憲」がらみの大放言をやらかした、ということになります。
 何とも呆れた「戦争屋三バカトリオ」です。

 安倍、石破の先行発言をごく簡単に見てみましょう。
 安倍総理「われわれは9条を改正し、その(自衛隊)存在と役割を明記していく」(7月15日テレビインタビュー)
 石破幹事長「戦争に行かない人は死刑、懲役300年」(4月21日BSTBS番組)
 それに今回、麻生副総理の「ナチス憲法に変わった手口に学べ」発言が加わったわけです。

 以前の自民党とて問題大有りでしたが、それでも保守穏健路線のバランス感覚は保たれていました。しかし今は、政権幹部が白昼堂々「戦争」「9条改憲」「ナチスドイツ容認」発言をするような「極右路線」になってしまったのです。
 これに異を唱えるには、古賀誠元幹事長が共産党の機関紙『赤旗』で憲法改正を目指す安倍政権批判を展開したように、党外に出て物を言うしかないのです。

 いずれにせよ、麻生副総理の上の発言から透けて見えてくることがあります。
 麻生氏の言うワイマール憲法は、当時としては画期的な開かれた憲法でした。第1次世界大戦の当事国のドイツが二度と戦争を仕掛けないために制定されたのです。それをさらに民主化、平和化したのが現日本国憲法だと考えれば分かりやすいかと思います。

 しかし安倍、麻生、石破ら安倍政権幹部や多くの自民党議員などは、現憲法の「戦争放棄」「恒久平和」「主権在民」「基本的人権」「思想・表現の自由」などの基本精神が邪魔くさくて仕方ない、だから何としても変えたいのです。
 ドイツ国民を塗炭の苦しみに追いやった)ナチスによる改正(改悪)後のワイマール憲法を日本国憲法に比定してみれば大変分かりやすいかと思います。付記すれば、ヒットラー出現直前のドイツの状況と、今日の日本の状況の酷似を指摘する専門家もいます。

 さしもの鈍感麻生も、あまりの反響の大きさに『こりゃヤバイぞ』と思ったか、1日に同発言を撤回しました。それも、囲まれた報道陣にいきなり謝罪文を読み上げただけの安直なものです。
 誤字混じり文なのは安倍同様知的レベルが低いのだから仕方ないとして、「私の真意と異なり、誤解を招いたことは遺憾である」と、まるで報道したマスコミが悪いと言わんばかりの支離滅裂なものなのです。

 しかし誤解も何も、講演会では「(静かにワイマール憲法を変えたナチスの)あの手口に学んだらどうかね」とはっきり語っており、紙切れ一枚で言い逃れできるレベルではありません。
 だが口曲がり&根性曲がりの麻生氏は議員辞職はおろか、副総理兼財務相の役職すら辞任するつもりは毛頭ないようです。

 よしんば右傾化国民やB層大衆がそれで納得したとしても、国際社会には通用しませんよ。なかんずく、昔から各国要人やマスコミの「ナチス発言」に過剰反応するユダヤ勢力は特にそうです。
 早速米国ロサンジェルスを本拠とする世界最大のユダヤ系人権団体『サイモン・ウィーゼンタール・センター』(SWC)が麻生発言に噛みつきました。

 30日(日本時間31日)、SWCホームページに『麻生副総理へ ナチスのどのテクニックを学べるというのか?』という声明文を発表したのです。
 そこにはSWC副代表で宗教指導者のラビ・アブラハム・クーバー氏の発言が引用され、次のようなことが書かれてあります。

「SWCは、麻生副総理兼財務大臣に対し、昨日東京で行われた講演の発言の意味を、速やかに明らかにすることを要求する」
「ナチス政権のどのやり方-民主主義をひそかに無能にするやり方-に学ぶ価値があるのか」
「麻生副総理は、ナチス・ドイツの支配力があっという間に世界を地獄に連れ込み、人類を第2次世界大戦の甚大な恐怖に巻き込んだことを忘れたのか。統治をめぐるナチスの第三帝国から引き出すべき唯一の教訓は、権力ある者はナチスのように振る舞うべきではない、ということだけ」

 SWCは、過去に我が国に対する「圧力実績」のある怖いユダヤ団体です(詳しくは末尾『「ユダヤにやられた」-田原発言』参照のこと)。この団体の背後には世界システムのすべてをコントロールしているユダヤ国際金融資本(ユダ金)の存在があるわけです。
 ユダ金がいかに非道(ひど)いかは、当ブログでもけっこう述べてきました。しかし(昔風の言い方ながら)西側先進国の一員を自認する我が国は、それを受容しなければ国際社会で生きていけないのも冷厳な事実です。

 日本の要人の発言や新聞、テレビ、主要月刊誌・週刊誌などは米国の某民間企業によって四六時中モニター・チェックされていて、筒抜けです。この企業に出資しているのがユダ金です。

 いずれにせよ、麻生副総理の謝罪文はSWCの要求にまったく応えていません。安直な幕引きでは済まされないのです。対応を間違えて日本が「国際的村八分」にでもなったらどうするのか。麻生氏&安倍政権はよくよく自覚して慎重対処すべきです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
最近の『日刊ゲンダイ』各号関連記事
関連記事
『戦争屋安倍首相が遂に「9条改憲」を言い出したぞ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-94bd.html
『大変だ。石破幹事長「戦争に行かない人は死刑」と発言』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-6a34.html
『「ユダヤにやられた」-田原発言』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-7dfb.html

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(大変いい話)松井、ピンストライプで引退セレモニー

 -私は以前「松井は将来の総理候補」と思ったが、母体は自民党だろうし・・・-

 以下、『日刊ゲンダイ』(7月30日3面)記事を転載します。

                       *
松井秀喜 ピンストライプでお別れ 「泣きそうになった」

 松井秀喜が28日(日本時間29日未明)、ヤンキースと1日限定でマイナー契約を結び、ヤンキースタジアムでレイズ戦の前に引退式に臨んだ。松井はゴルフカートでグラウンドを一周、ファンの大歓声を浴びた。

 本塁付近に設けられた机で契約書にサイン。主将のジーターから背番号「55」のユニホームを贈られた。ユニホームに袖を通した松井はマウンドから捕手スチュワートに投じて始球式。ヤンキースナインと記念撮影を行った。

「球場に入った瞬間から泣きそうになった。自分にとって憧れのユニホーム。最後にもう一度着てヤンキーススタジアムに立てたのはうれしい。言葉にならないくらいの感動。改めて幸せな野球人生だった。生涯忘れられない日になった」

 松井はヤンキースで7年プレーしているが、他球団(レイズ)で引退した選手が1日契約して引退式を行うことはヤンキースでは前例がないという。  (転載終り)

                       *
【私のコメント】
 まず最初に、「松井選手、長い間お疲れ様。その間、数々の名プレーを楽しませてくれてどうもありがとう」と言いたいと思います。
 野球人生の締めくくりが、ピンストライプのユニホームを着て、ヤンキーススタジアムで。やはり松井秀喜はそういう星の下に生まれたのかな、と思ってしまいます。

 最初に「松井秀喜」の名を強烈に印象付けたのは、1992年夏の甲子園大会での、星陵高校対明徳義塾戦(2回戦)で、連続5打席敬遠という前代未聞の出来事によってでした。この試合では1回もバットを振らせてもらえなかったことが、かえって「ゴジラ松井」が只者ではないことの証明になったのです。

 高校時代は阪神ファンだったという松井でしたが、ドラフトによって皮肉にも巨人に入団することになりました。かつての野球記事で“公言”したとおりアンチ巨人の私などは、プロ入りの1993年以来痛いところで松井に一発打たれた印象が強いです。
 しかし人徳というのか、『松井に打たれたらしゃあないか』と不思議に納得させられるところがありましたね。

 そして2003年、大リーガーとなり、ピンストライプの憧れの名門ヤンキースの一員となったわけです。巨人の残留要請を蹴って敢然と海を渡った松井に男気を感じ、もう「巨人の松井」でなくなったわけでもあり本式の松井ファンになりました。
 主に深夜に放送されるヤンキース中継もよく観ました。以来7年間、ジーター、A・ロット、ジアンビなどという錚々たるメンバーに混じって、主力として赫々たる活躍を見せてくれました。

 2006年5月には、本拠地ヤンキースタジアムでのレフト守備中左手首を骨折し、巨人時代から続いていた連続試合出場が途切れ、長期離脱を余儀なくされる痛ましいアクシデントもありました。

 試合を決める満塁ホームランやサヨナラ安打など、ここぞというところでいい仕事をした印象が強いです。中でも大金字塔となるのは、09年10月のワールドシリーズでのMVPを獲得した大活躍でしょう。これによってチームを9年ぶりの世界一に導いたのです。
 しかし皮肉にも、同シーズン終了後愛するヤンキースから解雇され、他球団への移籍を余儀なくされたのでした。

 以後エンゼルス、アスレチックス、レイズと渡り歩くことになりましたが、晩年は持病の左足の悪化などにより思うような成績が残せず、不本意ながら39歳での引退となったわけです。

 私などは正直、国民栄誉賞受賞には違和感を覚えました。同時に受賞した(日本プロ野球史に燦然と輝く)長嶋茂雄氏は当然として、松井よ、どうせ安倍政権PR見え見えのそんなものもらうなよ、と思ったのです。
 結局見せつけられたのは東京ドームでのセレモニーにおける、背番号「96」をつけた「アベノケーワイ」(安倍のKY)の見苦しいパフォーマンスではないですか。

 恩師の長嶋氏からの要請で断り切れなかった、という裏事情があったようです。松井氏本人は米国の大学、大学院でじっくり研究に没頭するプランなども持っているようです。が、人気凋落著しい読売巨人軍にとって、再建のため切り札の松井秀喜を自軍に再び取り込むことが焦眉の急なのです。
 ヤンキース入りの時はケンもほろろだったナベツネ御大まで、もみ手して「松井様々」だといいます。

 来年以降指導者として松井氏の巨人ベンチ入りほぼ確定という状況下、ヤンキースナインやNYファンと旧交を暖め合った今回のヤンキースタジアムでの引退セレモニー。何とも爽やかな清涼感がありました。  (大場光太郎・記)

参考記事
ネット版Newsweekjapan『松井秀喜氏はどうしてヤンキースタジアムを総立ちにさせたのか?』
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/07/post-578.php
関連記事
『おめでとう松井 ! シリーズMVP !!』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-adfe.html

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