フォレスタの「海行かば」
(「フォレスタ 海行かば」YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=_LoOCreKEQc
フォレスタファンなら先刻ご承知のとおり、男声フォレスタは軍歌もけっこう歌っています。その中でフォレスタ軍歌の代表曲となるのかどうか、今回は『フォレスタの「海行かば」』を取り上げ、併せて軍歌全般について少考を加えたいと思います。
昨年の『叙情歌とは何か?』シリーズで見ましたとおり、優れた詞とメロディを有する軍歌なら、立派に叙情歌とみなしていいのでした。実はそう定義したのは、ダークダックスメンバーの喜早哲(きそう・てつ)氏でしたが、同氏は例えばこの『海行かば』の音楽性を特に絶賛しているようです。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
ご存知の方が多いかと思いますが、この詞はもともと近代的軍歌として作られたものではありません。(今から1250年も前の)代表的な万葉歌人の一人である大伴家持(おおとものやかもち)の長歌の一節から採られたものなのです。
出典はやはり『万葉集』巻十八の「賀陸奥国出金詔書歌」(「陸奥国に金を出す詔書を賀す歌)という大伴家持の長歌です。(末尾に掲げた当該『ウィキペディア』にその全文あり。)
この詞に、類い稀なる荘重・悲愴のメロディをつけたのが作曲家の信時潔(のぶとき・きよし)です。昭和12年(1937年)、NHKの嘱託を受けての作曲です。当時の日本政府が「国民精神強調週間」を制定した際のテーマ曲となりました。なおこの年は、時あたかも日本が大規模な大陸出兵の足がかりを得た盧溝橋事件(同年7月7日)のあった年でした。
『海行かば』に対する国民への印象を決定づけたのは、太平洋戦争(自虐史観を脱した人たち(?)いわく、こういう名の戦争はなく実際はやはり「大東亜戦争」だと)期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕を伝える際、必ず冒頭曲として流されたことだったといいます。(勝戦時は『敵は幾万』など)
また出征兵士を送る歌としても愛好されましたが、やがて若い学徒までが出征するに及び、信時は苦しむこととなります。
曲そのものは賛美歌風で、国歌として通用するほどの崇高な旋律です。事実、「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれ、敗戦までの間盛んに愛唱されました。(が、戦後は事実上の封印状態が続いた)
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男声フォレスタの『海行かば』。「お見事 !」の一言です。非の打ちどころのない完璧な歌唱です。
大野隆さん、川村章仁さん、今井俊輔さん、榛葉樹人さん、横山慎吾さん、澤田薫さん。6人の男声フォレスタが横一列に勢ぞろいしたこのコーラスは壮観です。周囲の空気までピーンとはりつめたような、厳粛で荘厳な歌唱です。
「ところで男声フォレスタの皆さん。軍歌はお好きですか?」
男声陣はこの歌をはじめ軍歌をずい分歌っているわけですが、正直なところ本音はどうなのか、一人一人に聞いて回りたいところです。
実は当ブログのフォレスタ記事に、「フォレスタの軍歌どうよ」「フォレスタはなぜ軍歌を歌うの?」「フォレスタは右翼?」というような検索フレーズが時折り見受けられるのです。
以前『BS日本・こころの歌』関連サイトに、リーダーの大野隆さんへのインタビュー記事が載っていたかと思います(今回は見当たらず)。
その中に、「日本の古い叙情歌や軍歌を歌うことをどう思いますか?」というような質問がありました。それに対して大野さんは、「どんな歌でも一生懸命歌わせていただいております。」というような、優等生的答えをしていました。
大野さんの答えはともかく。その時私が疑問に思ったのは、「叙情歌や軍歌」と一くくりにした質問の方でした。おそらくBS日テレに「フォレスタはなぜ軍歌を歌うのか?」というような問い合わせが複数寄せられ、それに対する返答の意味合いのある質疑応答だったように思われます。
だとしたらなおのこと、「軍歌も叙情歌の一部」とは言え、叙情歌と軍歌は分けて聞いていただきたかったな、と思います。
男声フォレスタが軍歌を歌うのは、元はと言えばBS日テレ&日本テレビの方針であるわけです。同じフォレスタメンバーではあっても「軍歌」に対する考え方はそれぞれ違って当然です。仮に『軍歌はどうもなぁ・・・』と思う人がいたとしても、「次はこの軍歌ね」と言われれば、『こころの歌』出演が最重要なプロである以上歌わないわけにいかない、というような事情もあるのではないでしょうか?
*
最近のこの国の右傾化傾向を受けて、以前より軍歌愛好家が増えているのではないでしょうか?現にフォレスタ軍歌愛好家もずい分と多いようですし。私自身は軍歌は原則聴きませんが、それは各自の好みの問題ですから、それについてとかく言うつもりはありません。
ただ一つだけ指摘させていただきたいのは、先の戦時中を見るまでもなく、国威発揚の手段として「軍歌」ほど手っ取り早いものはないのだろう、ということです。
私の中学3年時の国語教科書に、評論家の河盛好蔵(故人)のある随筆が載っていました。その中にある西洋の人の言葉の引用として、「すべての芸術は音楽にあこがれる」という印象的な一節がありました。耳から直接入ってくるある意味を有する音楽の力は強力です。いかに千万言の好戦的言論も、ただ一曲の『海行かば』には適わないはずです。とにかく音楽の人間の情感に訴えかける力は凄いものがあります。
それを最大限利用したのが戦時中で、音楽と言えばほぼ軍歌一色でした。それを「他山の石」として、偏狭なナショナリズムや戦争賛美のセンチメンタリズムに陥ることのないよう、心して軍歌に接していくべきだと思います。
(大場光太郎・記)
参考・引用
『ウィキペディア』-「海行かば」の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0#.E6.AD.8C.E8.A9.9E
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