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米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?

-現人神と神格化され、国民は直接会う事が出来ずご真影を拝まされていた昭和天皇の、これが実像だったのか。戦前昭和、先の戦争、戦後日本に幻滅を覚える-

 本日8月6日は「広島原爆の日」です。昭和20年(1945年)のこの日人類初となる原子爆弾が投下されてから、今年で満68年となります。
 今回はこの広島原爆投下に関して、大変語りづらい「昭和史の真実」を見ていこうと思います。

 こと「日本史」に限ってみても、さまざまな新資料の発見などにより近年各時代に新たな光が当てられ、従前の定説を覆す学説や見方が現われてきています。
 その一つが上古に起きた有名な大化の改新です。従前はこれによって我が国は、より文明的な律令国家へと向かうことになったなど肯定的な捉え方が主流でしたが、それとは異なる負の側面が最近クローズアップされてきているのです(これについてはいずれ記事にするつもりなので、今回種明かしはしません)。

 また一昨年の『真実の近現代概略史(4)』で既に見たとおり、坂本龍馬をはじめとする薩長土肥の下級武士たちが原動力と教えられた明治維新は、実はユダ金ロスチャイルド(&フリーメイソン)が裏で糸を引いていたのでした。
 その構図は日清戦争、日露戦争、日米戦争まで変わることなく続いたのでした(ただし日米戦争頃から米国ロックフェラーが新たに加わった)。

 お断りしておきますが、私が今回のようなことを述べるのは、虚飾に覆われた偽りの歴史ではなく、あくまで「真実の歴史」を知りたいからなのです。
                       
 タイトルとした『米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?』は、実は2011年8月『昭和天皇の戦争責任(1)』記事の中で既に述べられていたことです。「述べられていた」と他人事なのは、この記事は私自身が書いたものではなく、あるサイト記事の転載であるからです。
 この記事には「昭和天皇の戦争責任は明白だ」としか思えないエピソードがふんだんに盛られていますが、今回はそのうち「広島原爆投下」に特化して見ていこうということです。 
                       
 その前に、昭和天皇は先の戦争に本当に関与していたのかどうかだけは簡単に見ておかなければなりません。

 これについては、極東軍事裁判における、日米開戦時の首相だった東條英機の「我々は、陛下のご意志に逆らうことは有り得ないのであります。」という証言がすべてを物語っています。
 なおこの証言を知った昭和天皇は、超A級の戦争犯罪人として処刑されるのではないか、と焦ったそうです。それから天皇は、キーナン主席検事に上流階級の女性を提供するなどの裏工作を必死で行ったというのです。

 終戦までの昭和天皇は宮中の書斎にナポレオン像を置いていたほどの大のナポレオン狂で、太平洋戦争はナポレオンの戦略・戦術をなぞったものだった、という指摘もあります。
 緒戦となる真珠湾攻撃「成功」の報に接した時は、欣喜雀躍したそうです。
 戦時中の天皇は十分聡明で、一つ一つの作戦に御前会議などで直接指令を発していた、というのです。
                    
 このような「戦争好きの馬鹿ロマンチスト」(戦後のある華族の昭和天皇評)という戦時中の天皇の実像の延長線上に、今回問題となる「原爆投下地広島」決定問題があるのです。

 広島に原爆が投下された8月6日の2ヶ月前となる6月、この時点で昭和天皇は原爆投下の情報を当時の実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていたのです。
 もちろんスティムソン陸軍長官から直々にということではありません。同長官はまずグルー駐日大使に伝えました。それから日本側の「ヨハンセングループ」に伝えられ、それを経由して宮中の天皇に届いたのです。

 ヨハンセングループとは何でしょう?これは当時の日本最大の米国スパイグループを意味しています。驚くべきことに「鬼畜米英」が叫ばれていた戦時中に、米国のスパイたちが暗躍していたのです。
 ヨハンセンとはある特定の個人を指す米国のスパイコードネームです。誰かといえば当時外交官だった吉田茂です。戦後名宰相とうたわれ最長政権を築いた吉田の戦前・戦時中の姿はスパイだったのです。

 中心人物の吉田茂のほかに、牧野伸顕、樺山愛輔、岡田啓介、米内光政ら外交官や海軍首脳がいました。当然のことながら彼らは戦後A級戦犯指定を免れています。

 余談ながらー。ヨハンセン吉田の孫が、今「ナチス容認」発言で国際的物議をかもしている麻生太郎副総理です。なお戦後A級戦犯指定を解かれ、首相となり60年日米安保条約を締結した岸信介は、戦後米国CIAのスパイでした。その“偉大な祖父”を尊敬しているのが安倍晋三首相なのです。
 今この国を牛耳る極右政治家二人の祖父が、共に米国の売国スパイだった。何ともグロテスクな構図ではありませんか。

 終戦直後の昭和天皇とマッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めていたのです。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。
 それを事前に知らされていた昭和天皇は、だからこそポツダム宣言も安心して受諾したのです。

 それはともかく。米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定するよう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。
 なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。
 その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想されたのが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかったからです。

 ついでに言えば昭和天皇は大の陸軍嫌い、裏を返せば「大の海軍びいき」でした。緒戦の真珠湾攻撃からミッドウェーなど各海戦がまず行われたように、日米戦争は海軍主導の戦争だったのです。
 しかし海軍の責任を追及することは天皇の戦争責任に直結するため、戦後その事実は隠蔽され、陸軍にすべての責任を押しつける「陸軍悪玉説」「海軍善玉説」が広く流布することになったのです。

 さて広島には陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部がありました。ここが壊滅すればクーデターが防止できる。そう読みきった天皇は、「広島」と米国側に伝えたのです。

 マンハッタン計画により史上初の原子爆弾を完成させることに成功した米国は、第2次世界大戦のどこかでその威力を確かめたくてうずうずしていました。しかし同じ白人種であるドイツ国民に対して使用するつもりはまったくなく、当初からターゲットは黄色人種の日本国民だったのです。
 歴史の皮肉として昭和天皇が介在し、人類初の原爆が「広島」に投下されました。しかし広島ならずとも、日本の主要都市のどこかに原爆が落とされるのは確定的だったと言えます。

 だから以上述べたことが史実だったとしても、今さらあの世の昭和天皇を責めても詮無いところがあります。しかしこれ一つ取っても、「昭和天皇の戦争責任」は大有り、言い逃れ出来ないはずです。

 それにしても米国の手口は巧妙かつ狡猾です。日本の天皇を人類初の原爆投下の共犯者にしてしまったのですから。以来68年経っても米国政府が日本国民に謝罪しないのは、それが大きな理由なのかもしれません。 

 (大場光太郎・記)

関連記事
『昭和天皇の戦争責任(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html
『真実の近現代概略史(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-ecc7.html

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コメント

日本が完全な独立国家を保っていたのは江戸260年間だけで、それ以降は、英米の属国です。もちろん、今もそうです。
しかし、明治、大正までは英米の言いなりでしたが、昭和に入り、満州事変あたりから国民が、特に陸軍が言うことをきかなくなってしまいます。結局、独伊を組んで英米を倒す!まで発展していまうのです。天皇家は困ったでしょう。
だから、圧勝できる大東亜戦争でわざと負けて、大空襲、原爆投下で徹底的に国民を痛めつけ、二度と英米に逆らえない親米英国家を作り上げたのです。

投稿: 小沢治三郎 | 2015年5月24日 (日) 13時23分

戦争に圧勝できてれば、原爆2発も落とされなくて済んだよな、ミッドウエー海戦で主力艦隊壊滅されなくて済んだよな、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、アッツ島で玉砕しなくても済んだよな、ポツダム宣言受諾で戦後70年間ずっと米国の植民地にならなくても済んだよな・・・
わざと負けたどころか、開戦前から必敗だった(工業生産力:日本1対米国10、戦車:日本4000両対米国2.5万両、航空機:日本6万機対米国26万機、砲弾:日本7600万発対米国400億発!!!)という事実に目をつぶるんでは、コミックの世界か?

投稿: 群衆 | 2015年5月25日 (月) 19時23分

群衆さんは、当時の世界情勢や、戦術、戦略と言うものを全く理解されていません。
当時の日本は、英米に対し、十分勝算があるから宣戦布告したのです。
真珠湾攻撃前のアメリカ国民の大多数は中立主義であり、戦う気は全く無し、そして、英国東洋艦隊は日本艦隊の敵ではなく、インド洋制圧は十分可能であり、そうなれば、英国の大補給線は完全に遮断され、ドイツは中東及びスターリングラードを陥落させたでしょう。
あと、原爆ですが、あれは昭和天皇の許可を得て投下されたのですよ。証拠は、原爆投下二日後に日本の調査団が現地入りし、原爆の威力、効果を調べ上げ、米国に英訳して渡されています。理由はどうあれ、早すぎるのです。

投稿: 小沢治三郎 | 2015年7月18日 (土) 00時34分

ヒロヒトが、てめえの延命の為に二種類の原爆実験を容認したって事だろ。実験を妨害しねえように 空襲警報すら鳴ってねえ。アメリカ人より国内の実態解明して責任追及位しろよ(;-_-+呆れた脳天気民族

投稿: 避難放浪民 | 2016年5月27日 (金) 07時45分

原爆は投下したのではありません
まだ空中で爆発させる技術は日本にもアメリカにもありませんでした
櫓を組んでその上に設置して地上起爆させたんです
広島のウラン型原爆は日本製、長崎のプロトニウム型原爆はアメリカ製です

投稿: SEVEN | 2018年12月15日 (土) 23時23分

SEVEN様

 貴重な情報ありがとうございます。貴コメントの発見が遅れ、返信が遅れましたことお詫び申し上げます。

 広島などの「地上起爆」は最近よく語られるうになりましたよね。私にはまだどれが真実なのかわかりません。お説はうががっておき、折りを見て確認してみたいと思います。

投稿: 時遊人 | 2018年12月18日 (火) 01時12分

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