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フォレスタの「長崎の鐘」

    (「フォレスタ 長崎の鐘」YouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=GL90mhxzbkw


 『長崎の鐘』につきましては、2010年8月10日の『今も鳴り響く長崎の鐘』記事で大略を述べました。今回あらためて読み返しましたが、(手前味噌ながら)比較的まとまっているようなので、ほぼ全文を以下に転載させていただきます。
 どうぞ皆様、近年政治指導層の一部に9条改憲や核武装論を唱える者がいる中、平和の尊さを再認識し、核廃絶の誓いを新たにしながらお読みください。

                        *
  9日は「長崎原爆の日」でした。1945年(昭和20年)8月9日長崎に原爆が投下されてから65年目。この日爆心地にほど近い長崎平和公園で平和祈念式典が行われました。
 式典の詳細は省くとして、原爆が投下された午前11時2分参列者全員による、犠牲になられた方々への黙祷が捧げられました。

 私はそのようすをたまたまテレビで見ていました。黙祷に合わせて、同公園内に設置された鐘が鳴り響きました。画面に鐘が大きく映し出されます。前と後ろに振られるとともに、カァーン、カァーンと鳴る仕組みです。
 鐘本体の上部に縦書きで何やら書いてあります。よく見てみますと、それは「長崎の鐘」と読めました。

 「長崎の鐘」。そうなのです。それは、長崎原爆を語る上で欠かせない、シンボリックなものだったのです。ご存知の方も多いかと思いますが、その謂れはー。

 元々の「長崎の鐘」は「アンジェラスの鐘」とも呼ばれ、爆心地直近の浦上天主堂の鐘楼にあったものです。その鐘は原爆によって天主堂そのものと共に吹き飛ばされ、翌年30m離れた瓦礫の山の中から発見されたのです。それは長崎原爆の象徴として、以後現地で保存されてきました。
 ですから式典で聴いた鐘は、そのレプリカということになります。

 鐘が発見された直後、そのことに深い感銘を覚え、随筆の題名を『長崎の鐘』として発刊した人がいます。永井隆(ながい・たかし)です。
 永井隆は、原爆投下以前から長崎医科大学(現長崎大学医学部)の放射線科医師でした。永井博士は、我が国放射線研究の先駆者の一人だったのです。それが何の因果か、同大学はやはり爆心地直近。灼熱の熱風、猛烈な爆風と衝撃波。大学は凄まじい破壊をこうむり、永井博士も被曝してしまいます。

 永井博士自身も重症の身でした。しかし妻の勧めでカトリック信者となっていた博士は、そんなわが身を顧みず、次々に大学病院に運び込まれる、ケロイドで皮膚がはがれたような凄惨な被爆者たちの治療に没頭する日々でした。

 一段落して、ふと妻のことが思われました。急ぎ帰ってみると、浦上の我が家は跡形もありません。妻の姿も見当たらず、探し回った果てに台所跡付近で見たものは、妻がいつも身につけていたロザリオと、わずかばかりの骨と黒い塊りになった変わり果てた妻の姿だったのです。

 その後被爆による白血病が重くなった永井隆は、大学を退職せざるを得なくなり、旧宅近くに「如己堂(にょこどう)」というささやかな住まいを造り、疎開先から呼び寄せた二人のこどもと住むことになりました。住居の由来は、「己の如くに隣人を愛せよ」というイエスの教えから取られたものです。

 如己堂で重くなりゆく病と闘いながら、博士は原爆の悲惨さと平和の尊さを後世に残すために、執筆に打ち込みます。その第一作目が『長崎の鐘』だったのです。以後『この子を残して』『ロザリオの鎖』『生命の河』などを世に送り出します。

 随筆『長崎の鐘』は1949年(昭和24年)1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなりました。この年の4月には同名の歌が作られ、藤山一郎が歌って大ヒットとなりました。(冒頭の歌詞は、その1、2番)(注 同歌詞は今回省略)
 また翌年には、この歌を主題歌とする『長崎の鐘』が映画化されました。

 永井隆は、その過程で昭和天皇にお会いしたり、ローマ教皇の特使の枢機卿が見舞いに来たり、長崎名誉市民の称号を授けられたりします。しかし病状は重篤化していき、1951年(昭和26年)5月1日長崎大学附属病院にて永眠しました。享年43歳でした。

 平和祈念式典会場に鳴り響いた「長崎の鐘」は、どんな言葉より雄弁に「平和の尊さ」を訴えているようでした。 (転載終り)

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                     現在の「長崎の鐘」

 実際の鐘の音とともに「平和の尊さ」を訴えているのが歌謡曲『長崎の鐘』です。

 サトー・ハチローの名歌詞、古関裕而の名メロディ、そしてこの歌が終生の代表曲と言っていいのだろう藤山一郎の名唱。『長崎の鐘』は、まさに詞・曲・歌手の三拍子揃った絶唱であり、鎮魂歌であり、祈りの歌であると思います。

 作詞したサトー・ハチローは、旧制一高寮歌『嗚呼玉杯に花受けて』の作詞者として有名な作家・佐藤紅禄の長男ですが、ハチローの弟も広島原爆の犠牲者だったのです。
 この詞は単に長崎のみならず、戦災を被(こうむ)ったすべての受難者に対する鎮魂歌であり、打ちひしがれた人々の再起を励ます意味を込めた詞でもあるようです。
 永井隆博士の実話を再現しつつ、「野の花」「ロザリオ」「気高く白き マリア様」などの山上の垂訓やキリスト教用語をさりげなく散りばめた歌詞の一つ一つに心打たれます。

 作曲の古関裕而については、フォレスタコーラスで既に見たとおり『フランチェスカの鐘』『君の名は』の作曲者でもあるのでした。戦前・戦後を通して我が国を代表するヒットメーカーの一人です。
 この歌の古関裕而のメロディは詞の心があますところなく表現されており、「この詞にしてこの曲あり」との感を深くします。

 藤山一郎は元々東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)を主席卒業の、クラシック音楽の声楽家でした。なおフォレスタでの直接の後輩は今井俊輔さん(しかも大先輩と同じく主席卒業)です。

 戦前の藤山一郎が「生活のため」に流行歌手の道に進まざるを得なかった時は、大変な心の葛藤があったことでしょう。しかしいつの頃か「流行歌こそが我が生きる道」と思い定めたのに違いありません。
 その結果、『長崎の鐘』などの名歌謡曲を歌唱し、(存命中の)歌手として初めて国民栄誉賞も受賞したのでした。

                        *
 私はだいぶ前テレビで、藤山一郎が歌う『長崎の鐘』を聴いた記憶があります。その感じでは藤山一郎の歌声はテノールと思しき高い声だったように思います。

 『フォレスタの「長崎の鐘」』。1番を大野隆さん(バス)、2番を川村章仁さん(バリトン)、3番を今井俊輔さん(バリトン)という低音トリオが独唱しています。
 でも、1番の「こよなく晴れた 青空を」の大野さんの低くて朗々とした渾身の歌い出しを聴いただけで、このフォレスタコーラスに引きこまれてしまいました。

 この歌のずしりと重いテーマを考えると、低音の3人が独唱パートを担当したのは大正解だったように思われます。重厚な『フォレスタの「長崎の鐘」』と言えます。
 それを支える、榛葉樹人さん、横山慎吾さん、澤田薫さんのテノールトリオのハーモニーも絶妙で「入魂の男声フォレスタコーラス」と評したいと思います。

 3番の今井さんのところで半音下がったのでしょうか?こういうケースは他の歌でもあるようですが、プロのさりげない隠し技という感じがします。
 ピアノ演奏がどなたかは不明ですが、コーラスの歌声にピタッと寄り添うようで、曲のラストが鐘の音のアレンジで、これまた素晴らしいです。

 大変感動的な「平和の祈りのコーラス」を聴かせていただきました。

(大場光太郎・記)

参考動画
『長崎の鐘 藤山一郎 1990』(NHKコンサート会場版?)
http://www.youtube.com/watch?v=3ZqJL9TtSF4
関連記事
『今も鳴り響く「長崎の鐘」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-08e2.html
『フォレスタの「フランチェスカの鐘」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-5da1.html
『フォレスタの「君の名は」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-db67.html

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コメント

広島・長崎への原爆投下を「神の懲罰」と書いたのが韓国の嫌日紙「中央日報」である。

投稿: うなぎ | 2013年8月 9日 (金) 12時08分

 ええ、そのことは私も知っていましたよ。しかしだからどうだって言うんです?日本も負けずにこれまで以上に韓国を敵視しろ、と?
 そのような敵視からはさらなる憎悪しか生まれませんよ。そういう負の連鎖の行き着く果ては、韓国や中国を相手とした軍事衝突です。
 はっきり言いますが、そういう困った方向にこの国を誤導しようとしているのが、現安倍「極右」政権です。
 韓国紙『中央日報』がなぜ最近そのような過激なことを言い出したのか、じっくり省察してみなければなりません。安倍政権発足以来、「国防軍創設」「集団的自衛権行使」「従軍慰安婦容認」「軍法会議設置」「9条改憲」などなど政権内外から危ない発言がどんどん飛び出していました。これらは一々近隣国の韓国などを刺激しているのではないですか?
 「売り言葉に買い言葉」なのですよ。安倍政権幹部らがとことん改心して、東アジアの平和を心底願った言動を中韓に示してごらんなさい。韓国も中国もそれに感化されて、ヒドイ言葉は言わなくなりますよ。

投稿: 時遊人 | 2013年8月 9日 (金) 12時58分

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