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灘校「伝説の国語教師」橋本武先生、大往生

 すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる。   橋本武

 灘高等学校元教頭で国語教師、国文学者の橋本武(はしもと・たけし)氏が12日、神戸市内の病院で死去しました。101歳でした。

 橋本武先生については、当ブログでも過去に幾つかの記事で紹介してきました。以来私の橋本先生への敬愛の念は深く、大変惜しい人がこの世からいなくなったな、という気持ちでいっぱいです。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 橋本先生は1934年(昭和9年)から50年間にわたって灘校で教壇に立ち、その間先生の薫陶を受けた多くの俊秀たちを世に送り出して来ました。
 代表例として、『沈黙』などの作品で知られる作家の遠藤周作(故人)、現東大総長の浜田純一、日弁連前事務総長の海渡雄一、現神奈川県知事の黒岩祐治の各氏がいます。

 注目すべきはそのユニークな授業法です。
 教科書を使わず、中勘助の小説『銀の匙』(ぎんのさじ)1冊を3年間かけて読んでいく授業法でした。この方法を採用することになったそもそもは、終戦直後の方々黒く塗りつぶされた教科書にありました。
 「こんな教科書を子供たちに学ばせてはいけない」
 それでなくても当時人心は荒廃し殺ばつとした世情です。空襲を受けた神戸の街は特にそうでした。

 「日本の将来を担う子供たちには希望を持ってもらいたい」
 それが「銀の匙授業」の原点だったのです。
 黒塗り教科書の代わりとしてテキストに採用したのが、橋本先生自身が師範学校時代に読んで深い感銘を受け、以後繰り返し読んできた『銀の匙』だったのです。

 実際の「銀の匙授業」とはどんなものだったのでしょうか?灘高の卒業生のひとりが次のように話しています。

 「橋本先生の授業に受験対策は一切ない。“HOW TO”ではなく、“WHY”をとことん追究する授業でした。例えば、『銀の匙』にたこ揚げのシーンが出てきたら、実際にたこを揚げてみる。寿司屋が出てくれぱ、寿司の成り立ちや歴史を調べ、678ある魚偏の漢字をすべて調べるなど、どんどん脇道にそれるんですわ。ひとつの正解を押し付けるのではなく、考える過程を大事にしていたのと違いますか」

 冒頭掲げました、「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる。」は、橋本先生の口癖だったといいます。
 上の卒業生の話でいえば、「HOW TO」授業では真の学力、いな真の人間力は身につかない、真の学力、真の人間力を身につけるためには「WHY」(なぜ、どうして)をとことん追究する授業が必要なのだ、ということなのだろうと思われます。

 近年学校の授業は、上の学校に進学するための詰め込み式の「HOW TO」授業傾向がますます顕著です。その上さらに有名国大、有名私大を目指すのであれば学校の授業だけでは間に合わず、名だたる進学予備校に通わなければなりません。
 そこで教えられるのは、徹底した「HOW TO」授業としての受験合格テクニックです。

 よしんばそれで念願の大学に合格したとしても、それまで苦心して覚えた受験テクニック的知識がその後の人生にどれだけの役に立つのだろうか?当今の大学生、またその方式での厳しい受験戦争を勝ち抜いてきた知的エリートの見本である霞ヶ関官僚群などを見るにつけ、疑問に思わざるを得ないのです。
 橋本先生の「銀の匙授業」は、我が国戦後教育界全体へのアンチテーゼであり、鋭い問題堤起でもあったように思われます。

 私立の灘校では、一教科を一人の教師が6年間担当する中高一貫教育を行っています。その分教師の裁量に任せられる自由度が大きい代わりに、望ましい成果を挙げられない場合は厳しく結果責任を問われることになります。
 橋本先生の「銀の匙授業」の成果はどうだったのでしょうか?

 橋本先生が『銀の匙』を授業で使い始めた1950年(昭和25年)の生徒たちは6年後、東大に15人が合格しました。前年はゼロでしたから大躍進です。
 さあここから灘高(橋本式「銀の匙授業」)の快進撃が始まります。その6年後には39人が合格、さらに6年後の1968年(昭和43年)には132人が合格と、私立校で初めて東大合格者数が全国1位になったのです。

 昭和30年代前半までは無名私立校に過ぎなかった灘校は、こうして一躍全国有数の名門校となり、現在では開成高校(私立)、筑波大学附属高校(公立)に次いで不動の東大合格者数ベスト3の一角を形成しています。
 その原動力、推進力となったのが「銀の匙授業」だったことから、橋本先生の授業は後に「奇跡の教室」と称賛されました。

 上の卒業生の「橋本先生の授業に受験対策は一切ない」という話から分かるとおり、橋本先生の授業は東大合格を目標としたものではありませんでした。あくまでそれは「真の教育」追究の副産物とみるべきなのです。

 最後に「橋本武思想」の精髄をお伝えします。
 橋本先生は「国語は学ぶ力の背骨」とも話していました。他の教科の理解カも、社会に出てからのコミュニケーション能力も、基本は国語力で、その背骨がしっかりしていれば、どんな環境にも対応できる、というのです。
 だからこそ「国語力は生きる力」(橋本先生)であるわけです。

 (大場光太郎・記)

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『中勘助「銀の匙」』
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『「国語力は生きる力」考』
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