« 山本太郎議員、「お金使うべきは原発収束」とただ一人五輪決議反対 | トップページ | フォレスタの「赤い靴」 »

杜甫『吹笛』

  吹 笛      (すいてき) 

      杜甫

吹笛秋山風月淸  笛を吹く 秋山 風月の清きに
誰家功作斷腸聲  誰家(たれ)か功みに作(な)す 断腸の声
風飄律呂相和切  風は律呂(りつりょ)を飄(ひるがえ)して相い和すること切に
月傍關山幾処明  月は関山に傍(そ)うて幾処(いくしょ)か明らかなる
胡騎中宵堪北走  胡騎(こき) 中宵(ちゅうしょう) 北走するに堪(た)えたり
武陵一曲想南征  武陵(ぶりょう)の一曲 南征を想う
故園楊柳今揺落  故園の楊柳(ようりゅう) 今揺落(ようらく)す
何得愁中卻盡生  何ぞ愁中に卻(かえ)って尽(ことごと)く生ずるを得し

…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……

 杜甫(712-770)。盛唐の詩人で李白と並び称せられ、中国詩史の上での偉大な詩人である。字は子美(しび)。少陵(しょうりょう)または杜陵と号す。洛陽に近い鞏県(きょうけん)の生まれ、7歳より詩を作る。各地を放浪し生活は窮乏を極め、安禄山の乱に賊軍に捕らわれる。律詩に巧みで名作が多い。湖南省潭州(たんしゅう)から岳州に向かう船の中で没す。年59。李白の詩仙に対して、杜甫は詩聖と呼ばれる。

(大意)
 秋の山の風も月も清らかにさえわたる夜、笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸(はらわた)をかきむしるように物悲しい音を吹きならすのだろうか。
 風は律呂の響きをひるがえして調和もとれ、月は関山によりそうて、幾つかの峰にさえわたっている。
 このような笛の音を聞けば、晋の劉琨(りゅうこん)の故事のように、手荒い胡の兵も悲しみに堪え切れず、夜中に北方の故郷へ逃げ去ったであろう。また後漢の馬援が武陵に遠征した時、部下の曲に合せて歌った「武陵深行」という曲もこのように悲しいものであったろうか。

 故郷の柳も秋になって葉も落ちつくしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の曲をきくと、愁いにふさがる私の胸の中に緑の柳の芽を出させ、その枝を折って別れのなげきをくり返すことが出来ようか。

《私の鑑賞ノート》
 杜甫晩年の作品です。
 以前の『登岳陽楼』で見ましたように、安禄山の乱(755年~)以降唐の国の蓑退にシンクロするように、杜甫の運命も激変します。以来、家族を伴って諸国を放浪する「漂泊の詩人」となるのです。

 定めなき放浪・漂泊の苛酷な人生によって、肺腑を抉るような悲嘆、悲愁の詩が生み出されました。お遊びの戯文調ではない、真実の心の叫びの詩が、杜甫によって切り拓かれたのです。

 杜甫一家は、蜀(しょく)の都・成都でやゝ安住を得、何年かを過ごしました。
 しかし(西暦)765年成都を去り、長江上流域にあたる三峡を下って768年、虁州(きしゅう=現在の奉節県)に移り、この地に滞在しました。その年のある秋の夜、哀れな笛の音を聞いてこの詩を作ったのです。杜甫55歳でした。『唐詩選』にも所収されています。

 漢詩はなべて、今の私たちには難解な語句が散りばめられているものです。この詩も例外ではありませんが、切りがありませんので一つだけ、「律呂(りつりょ)」について注釈します。

 律呂は、当時の音階です。全体を陰陽の二つに分けた十二音階から構成され、陰を呂(六呂)陽を律(六律)としていました。
 誰(た)が吹く笛か知らねども。(「・・今宵名残りの白虎隊」の名調子はこの詩をもとに作られたのでしょう、きっと)断腸の笛の音に合わせて、風さえ「律呂を飄して相い和」して吹き過ぎる、というのです。

 この詩の悲愁が極まると、この地から長江をなお下った岳州(現・湖南省)の洞庭湖畔の岳陽楼で詠んだ最晩年の『登岳陽楼』になるわけです。

 (大場光太郞・記)

関連記事
杜甫『登岳陽楼』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-a4f6.html

|

« 山本太郎議員、「お金使うべきは原発収束」とただ一人五輪決議反対 | トップページ | フォレスタの「赤い靴」 »

名詩・名訳詩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 山本太郎議員、「お金使うべきは原発収束」とただ一人五輪決議反対 | トップページ | フォレスタの「赤い靴」 »