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フォレスタの「赤い靴」

      (「フォレスタ 赤い靴」YouTube動画)
      https://www.youtube.com/watch?v=EgLIGCrRUZM       


      赤い靴   (作詞;野□雨情、作曲;本居長世)

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

 フォレスタ童謡『赤い靴』、『いずれそのうち・・』とは思いつつ、当面取り上げるつもりはありませんでした。しかしつい最近、『赤い靴』をテーマとした『時の話題(7)』(2010年4月)にアクセスして来られた人がいました。
 同記事は、横浜市の姉妹都市である米国サンディエゴ市に、『赤い靴はいてた女の子の像』が新しく造られた話題を紹介したものなのでした。

 滅多にアクセスのない記事ですが、久しぶりに読み返し、数年前の、童謡『赤い靴』や山下公園の『赤い靴はいてた女の子の像』への私自身の思い出が懐しく蘚って来ました。それにグットタイミングなことに、最近hskjikさんが、YouTubeにこの歌のフォレスタ動画をアップしてくれたではありませんか !
 と、少々回りくどい話ながら、それで今回急遽取り上げることにした次第です。

 なお例によってわたくし事に引きつけて申し訳ありませんが、「数年前の私自身の思い出」をここで述べさせていただきます。
 『フォレスタの「うれしいひなまつり」』でも少し触れましたが、事の起りは2008年3月2日、「二木紘三のうた物語」の『赤い靴』にコメントを寄せたことから始まります。

 『赤い靴』とはあまり関係ない話ながら、当家が零落の極みだった昭和31年、私が小学校に入学した4月に父が死去し、その葬儀直後3歳の下の妹・菊子が、福島県K市の叔母にひったくられるようにしてもらわれて行ったこと、その年の9月に流行り病であっけなく死んでしまったことなどを綴ったものでした。

 このコメントに早速感想をお寄せになられたのが、当時70代後半のれいこ様でした。れいこ様は横浜在住が長かった人で、その中で山下公園の『赤い靴はいてた女の子の像』に触れておられました。
 「近いうち赤い靴の女の子の像に会ってきます」と返信で約束し、事実「会いに行き」、その感想を『「赤い靴はいてた女の子の像」実見記』として追加コメントしたのでした。


              山下公園 『赤い靴はいてた女の子の像』

 『実見記』コメントはかなり長文のため、開設とともに当ブログに移させていただきました。私は、国民的音楽サイト「二木紘三のうた物語」に100くらいのコメントを残しています。他に秀逸なコメントが幾つもある中で(?)、『赤い靴』コメントのインパクトは断トツのようで、今でも同サイト『赤い靴』経由で『実見記』へのアクセスがチラホラ見受けられます。

 1年ほど前、当ブログの関係記事に「読んでおおいに心をゆさぶられました。・・・この大場さんの妹さんへの鎮魂の文章に対し感動した人は千人、万人いたでしょう。」というような、ありがたいコメントをお寄せになった「うた物語」ファンの人がいました。
 何のためにこの世に出て来たのか分らなかったような妹・菊子への手向けのため、当時こんな出来事を経験した家もあったのだというささやかな時代証言の一つとして、今後とも多くの人にお読みいただきたいものと考えます。

                        *
 以下に、『時の話題(7)』記事の中の、童謡『赤い靴』にまつわる話を転載します(一部修正、行替え、段替えを行っています)。

 童謡『赤い靴』は大正10年(1921年)野口雨情の作詞になるものです。翌大正11年に「近代童謡の創始者」本居長世が曲をつけました。
 ご存知の方もおられるかと思いますが、この童謡にはモデルがいたのです。「岩崎きみ」という少女です。

 岩崎きみは明治35年(1902年)7月15日、日本平の麓の静岡県不二見村(現静岡市清水区)で生まれました。きみは赤ちゃんの時、いろいろな事情により母親岩崎かよに連れられて北海道に移りました。そこで母親に再婚話が持ち上がり、かよは夫となる鈴木士郎と開拓農場(現北海道留寿都村)に入村することになりました。

 当時の開拓地の想像を絶する厳しさから、かよはやむなく3歳のきみをアメリカ人の宣教師チャールズ・ヒュエット夫妻の養女に出します。かよと鈴木士郎は開拓農場で懸命に働きますが、努力のかいなく開拓はうまくいかず、明治40年失意のうちに札幌に引き上げました。

 その後夫の鈴木士郎は北鳴新報という小さな新聞社に職を見つけ、同じ頃同新聞社に勤めていた野口雨情と親交を持つようになります。なお明治41年(1908年)小樽日報に移った士郎は、北海道時代の石川啄木とも親交を持ちました。

 ところで野口雨情は、明治41年に長女を生後わずか7日で亡くしています。そんな折り、かよは雨情との世間話の中で、お腹を痛めた女の子(きみ)を外国人の養女に出したことを話したものと思われます。この薄幸で数奇な少女きみちゃんにわずか7日間だけの命だった長女が結びつき、詩人野口雨情の中に「赤い靴の女の子」のイメージが着想され、『赤い靴』が生まれたのかもしれません。

   赤い靴はいてた 女の子
   異人さんに つれられて行っちゃった

 あまりにも有名な、1番の歌詞です。母かよは死ぬまできみちゃんがヒュエット夫妻に伴われてアメリカに渡り、かの地で元気に暮らしていると信じていたそうです。また「赤い靴はいてた女の子…」とよく口ずさんでいたといいます。
 
 しかし実は岩崎きみは、異人さんにつれられてはいなかったのです。
 というのも、ヒュエット夫妻が日本での仕事を終えて帰国する際、きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれていた結核に冒され、身体の衰弱がひどく長い船旅が出来ず、東京(麻生十番)のメソジスト派の孤児院(永坂孤女院)に預けられたのです。

 そして投薬治療などの甲斐なく、明治44年(1911年)9月15日、同院で一人寂しくわずか9歳の生涯を閉じたのです。きみちゃんは、青山墓地にある鳥居坂教会のお墓に埋葬されました。

   横浜のはとばから 船に乗って
   異人さんにつれられて いっちゃった

 薄幸の少女岩崎きみは、実際はアメリカに渡っていなかった。しかしきみちゃんをモチーフとした童謡『赤い靴』はその後日本全国で歌われ、「異人さんに連れられていった、赤い靴の女の子」のイメージは多くの日本人の心にしっかり定着していくことになります。
 それとともに、2番の歌詞のゆかりから、横浜港に接した山下公園にその像が建てられることになったのです。そして今度は、とうとう海を渡った米国サンディエゴ市にその像が建つ運びになったわけです。 (転載終り)

                        *
 『フォレスタの「「赤い靴」』。白石佐和子さんと矢野聡子さんのお二人のデュエットです。同じお二人のデュエット曲として、動画コメントである人が「白石さんと矢野さんの名唱」と絶賛しておられる『浜千鳥』があります。
 どちらも大正童謡黄金期の名曲ですが、「これを歌うには、この二人しかいない」ということでの人選だったのでしょう。

 こちらも『浜千鳥』に負けず劣らず素晴しいデュエット曲です。むしろ『赤い靴』の方が、プロならではの「アレンジの妙」においては勝っている、と言えそうです。

 たとえば1番の白石さん独唱の途中から矢野さんの高い声のハモリがかぶさったり、2番はその逆で、2番と3番の間奏部にはお二人の「アー、アー、アー」のスキャット(と言うのでしょうか?)が入ったり、3番は白石さんの歌唱に矢野さんが追いかける輪唱形式だったりと、とにかくプロの隠し技が随所に見られ楽しめるコーラスです。

 ところで、とこのコーラスからは離れますがー。
 コアな白石佐和子ファンならとうにご存知だと思いますが、今年の2~3月(ずい分前の事を今頃紹介ですみません)、白石さんはイタリアに1ヶ月ほど短期留学されたようです。白石さんの歌の原点はイタリア生まれの「ベルカルト唱法」という発声法だそうですが、その学び直しのため、ミラノに3週間ホームスティし、イタリアでも有名なオペラ歌手直伝のレッスンを受けられたとのことです。

 フォレスタ活動、ソロ活動と多忙な中、より高みを目指して本場イタリアに身を投じる向学心、向上心、チャレンジ精神には頭が下ります。それと、1ヶ月ものイタリア滞在、一流歌手のレッスンを受けられほどの「豊かさ」が羡しい ! 洩れ聞くところ、白石さんは東京下町(荒川区?)の良家のお嬢様とのことですが・・。

 続いて矢野聡子さん。
 全フォレスタメンバー中、矢野さんほどその後の消息が沓(よう)として知れない人はいません。ご自身で、ブログやツイッターなどで発信なさるわけでもなし。本当にミステリアスな人です。『フォレスタ通信』などでは、「結婚のため活動休止」「海外在住中」とのみ。
 「矢野聡子さんのご主人は外国人ですか」。えっ、まさか矢野さん、この歌のように「異人さんに つれられて行っちゃった」の?

 「矢野聡子さんの復帰はいつですか」。私の率直な感じでは、小笠原優子さんの復帰の可能性は高いと思いますが、矢野さんの復帰は無いのではないでしょうか?新女声メンバーによる旧バージョンの「撮り直し」がどんどん進められていますが、どうも矢野さんソロがメーンのようなのは気のせいでしょうか?
 他のフォレスタメンバーのブログで、矢野さんについて一言の言及がないのも気になるところです。

 この歌や『夏は来ぬ』『搖藍のうた』『浜千鳥』『赤とんぼ』などの、思わず涙が誘われる矢野聡子さんの名唱を新たに聴くことはもうないのかもしれない。だとしたら、本当に残念です。

 ・・余計なことながら、お二人の黒いドレスがシックで、この歌の雰囲気にとっても合っていますね。
 またピアノ演奏はどなたなのか、ハ短調(でいいんですか?)の哀切なこの曲の感じをうまく表現し得ている素晴しい演奏です。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『時の話題(7)』
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『フォレスタの「うれしいひなまつり」』
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『「赤い靴はいてた女の子の像」実見記』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2c19.html
『父と妹の死の頃』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-665c.html
『フォレスタの「浜千鳥」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-e365.html

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コメント

フォレスタの赤い靴なのですが、高画質(HD)版をアップしましたのでURLを変えていただけないでしょうか。(元の動画は削除済み)
http://www.youtube.com/watch?v=2Cxl1E0JpuA

投稿: hskjik | 2013年11月 5日 (火) 21時40分

 いつもご親切にありがとうございます。
 ご指定の新しいURLに変えさせていただきました。早速視聴させていただきましたが、画質がやはり格段にアップしていて、白石さん、矢野さんお二人の細かい表情のひだまで鮮明です。
 今後とも素晴しいフォレスタ動画のアップ、楽しみにしております。ありがとうございました。

投稿: 時遊人 | 2013年11月 6日 (水) 00時21分

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