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フォレスタ歌謡曲における「こぶし」是非論

-「こぶし」には、歌の情感を高め、メリハリをつけ盛り上げるなどの効果あり-

 本テーマにつきましては、直前の『フォレスタの「星の流れに」&「東京ブルース」』で触れるつもりでした。しかし少々長くなりそうなので、別記事にすることにしました。ということで、今回はフォレスタ歌謡曲において「こぶしは是か非か」について、考えてみたいと思います。

 『星の流れに』や『東京ブルース』が恰好の例だと思いますが、およそ歌謡曲または演歌というものには独特の節回しがまゝみられます。それを名づけて「こぶし」と言うわけです。これは我が国独自の歌唱法かと思いきや、どの民族音楽でも多かれ少なかれ見られるようで、西洋音楽でこぶしは「モルデント」と呼ぶのだそうです。

 「こぶし」には、その歌の情感を高め、歌にメリハリをつけ盛り上げるなどの効果がありそうです。それは歌謡曲におけるレッキとした技法の一つだと思うのです。

 さて懐しの名曲を歌ってくれているフォレスタは、当然のことながら懐メロとしての歌謡曲・演歌も多く歌っています。私はそれらのすべてをじっくり聴いたわけではありませんが、おおむねフォレスタはこぶしを出来るだけ使わないで歌う方針のようです。

 それは、クラシックの高度な音楽理論を身につけている音楽大学出身のフォレスタにあって、こぶしをつけて歌うのは適切ではないというフォレスタ企画サイドの判断によるものなのかもしれません。
 確かにガンガンこぶしを利かせて歌う歌謡曲・演歌の中には、安っぽく聞えることがなきにしもあらずです。

 しかしそれでも、と私は思うのです。
 『星の流れに』や『東京ブルース』がいい例です。菊地章子と西田佐知子の元歌は、例えば両歌の終りのフレーズを「こんな女に誰がした」の「だァ~れがしたァ~」や、「恋の終りの東京ブルース」の「とうきょうォ~ブルースゥ~」のようにこぶしを利かせた歌い方で締めくくっています。
 この歌い方が耳なじんだ者には、ポイントとなるフレーズでこぶしを使わないと、歌がどうしても平板(へいばん)に聞えてしまうのです。

 フォレスタ歌謡曲において「こぶしは是か非か」については、ファンの間でも意見が分かれるところでしょう。それを示すように、あるフォレスタ曲(『湯の町エレジー』です)動画コメントで、「こぶし」をめぐってちょっとしたバトル(?)が起きています。
 参考まで、それを以下に転載してみます。なお順序は時系列の古い方を上に並べ替え、便宜上番号を付しました。またハンドルネームなどはカットし、コメントのみとしました。

(1)いいですねえ!感情を排ししっかり率直に唄ってるからその分十分詩の情感が心に伝わってきます。しかしピアノが少しうるさい。せっかく榛葉さん以下の名唱をじっくり聞きたいのに邪魔してる。それから楽譜にはなかったかも知れませんが「こぶし」(モルデント)も入れてもらったらもっと良かった。こういう演歌には不可欠と思いますが。
(2)こぶしをとのことですがフォレスタにこぶしはいりません。フォレスタの歌はそういう演歌的なところがないのがすがすがしくて良いのです。私はフォレスタにこぶしなんて絶対NOです。
(3)こぶしは要らないですね、この人たちの歌声を聴くと遠い学生時代に戻り音楽教室から聞こえてくるようです。


 「フォレスタはもっとこぶしをつけて歌ってほしい」という1番の人のコメントが囗火となった恰好です。それに対して、2番、3番の人は「フォレスタにこぶしはいらない」と反論しています。ちなみに私は、「ピアノが少しうるさい」の部分を除いて1番の人に全面的に賛成です。

 そこで反論の反論です。申し訳ありませんが、2番の人のコメントは突っ込みがいがありますのでそちらに対してー。

>フォレスタの歌はそういう演歌的なところがないのがすがすがしくて良いのです。

 はぁっ?そうはおっしゃっても、演歌というものは本来、マグマのようにドロドロした情念や情動の奔りの歌であり、日本人の心の底からの叫びの歌なんです。それにフォレスタが現に歌っているのは演歌でしょうに。「演歌でありながら演歌的なところがない」とはこれいかに。

>私はフォレスタにこぶしなんて絶対NOです。

 「絶対」と言う言葉を安直にお使いになるのはいかがなものか。この世(3次元相対現象世界)に「絶対」などあるわけがないんですから。それに議論をする上で「絶対」と言い切ることは、それより先の反論を封じ込めてしまいますよね。

 以上のような次第で、私は「フォレスタはもっとこぶしをつけて歌ってほしい」派ですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?

 (大場光太郞・記)

関連動画
『フォレスタ 星の流れに HD』
http://www.youtube.com/watch?v=K4sY_X0IVxQ
『フォレスタ 東京ブルース HD』
http://www.youtube.com/watch?v=id-M3e3j_tI
『フォレスタ 湯の町エレジーHD』
http://www.youtube.com/watch?v=QXqfHEyPlrw
関連記事
『フォレスタの「星の流れに」&「東京ブルース」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-a950.html

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コメント

こぶしは必要ないです。戦前の歌手の藤山先生や東海林先生など声楽出身の歌手が多いので、フォレスタもそれを目指して欲しいです。たまにはスタンドマイクで歌っている映像なども観たいです。今の演歌は野暮ったくて品がないです。その頃の歌の方がすっきり歌っていてとても好感が持てます。

投稿: 東海林太郎 | 2013年12月21日 (土) 18時59分

東海林太郎様
 いつもありがとうございます。

 そうですか。やはりフォレスタにこぶしは必要ありませんか。本文で見ましたように、こぶしはレッキとした歌唱法の一つなんですがねぇ。こんなに邪魔者・日陰者扱いされて、こぶしは泣いてるんじゃないでしょうかねぇ。

 しかし「こぶし」に罪はないと思います。問題なのは、こぶしを必要以上に乱用している演歌界だと思いますね。ご指摘のとおり近年の演歌には、大仰なこぶしの他に、うなり、ド派手な身ぶり、手ぶりなど、目にあまるほど品がない歌い方が多いですから。

 ところで貴コメントの中に、フォレスタが目指すべき目標として、藤山一郎、東海林太郎という大歌手の名がありました。そこで申しますがー。

 例えば藤山一郎の『酒は涙か溜息か』。この歌は出だしから終りまでたっぷりと「こぶし」を利かせて歌い込んでいると思われるのですが、いかがでしょうか?

 この歌だけでなく、『影を慕いて』『長崎の鐘』といった藤山一郎の代表曲、そして東海林太郎の代表曲の『名月赤城山』『異国の丘』などなど。多かれ少なかれ皆こぶしが入っていると思われるのですが・・・。

 もし「それは違う。あれはこぶしなんかじゃない」ということでしたら、納得のいくご教示をお願い致したいと存じます。

関連動画
『酒は涙か溜息か 藤山一郎&アントニオ古賀(ギター)』
http://www.youtube.com/watch?v=Xd5mF2RKN38
『東海林太郎 名月赤城山』http://www.youtube.com/watch?v=D2rqtqCF0zo

投稿: 時遊人 | 2013年12月22日 (日) 00時02分

確かによくよく考えるとそうかもしれません。こぶしは軽めにした方がいいと思います。効かせ過ぎると曲の景観を損ねます。最近FORESTAは益々レベルアップしていますね。女声陣が益々綺麗になっているような気がします。女声陣の美しい歌唱が昭和歌謡に良くマッチしています。男声陣は力強い歌声で軍歌や歌謡曲がマッチしています。小笠原さんと矢野さんが復帰をすれば磐石の構えになると思います。

投稿: 東海林太郎 | 2013年12月22日 (日) 16時04分

 私の青くさい反論に、大人(たいじん)の風格で歩み寄っていただきまことにありがとうございます。
 ところで最近出色のフォレスタ曲を聴かせていただきました。『湯島の白梅』です。分けても中安千皛さん。元歌にほぼ忠実な、(なおこだわるようですが)適度にこぶしを利かせた歌い方で絶品です。近く当ブログで取り上げるべく、どうまとめようかと思案中です。
 諸事情によりもっぱら動画のみ視聴の私は、最新のフォレスタ時流につい疎くなりがちですが、「凜&麗」、おっしゃるとおりかと存じます。時流に乗り遅れぬよう、今後しっかりニューフォレスタをウォッチしていければ、と思います。

投稿: 時遊人 | 2013年12月22日 (日) 23時12分

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