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フォレスタの「星の流れに」&「東京ブルース」

 『星の流れに』と『東京ブルース』と、両曲には17年の歳月の距りがあります。がしかし、後ほど触れますが、両曲には共通点もありそうです。互いに聴くほどに心に泌みる歌で、私の“お気に入り”だったもので、過去のフォレスタ記事でそれとなくリクエストしていたのでした。

 これは私のみならず他にもそう要望していた人がおられたようですが、このたびそれが叶えられました。吉田静さん、白石佐和子さん、上沼純子さんの3女声によって両曲がカバーされたのです。
 同日收録の同じ形式のコーラスです。そこで今回は異例ながら両曲を同時に取り上げることにしました。

 まずは両曲についての概略を見ていきたいと思います。以下は、以前の『「星の流れに」から「東京ブルース」へ』(2011年8月)記事に修正を加えた一文です。

                        *
『星の流れに』

     (「フォレスタ 星の流れに HD」ユーチューブ動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=K4sY_X0IVxQ


 戦後しばらく、我が国の流行歌で「怨み節」というのが流行(はや)りました。女が男を、あるいは世の中を怨む内容の歌です。何と言ってもその先駆けとなったのが、昭和22年に大ヒットした『星の流れに』でした。
 当時この歌を歌ったのは菊地章子です。
 
 この歌は実に哀しい歌です。この歌のヒロインである女性とは、戦後大挙して進駐してきた米兵相手に体を売って世をしのいでいた女性の一人なのでしょう。しかし誰が責められましょうや。終戦直後の大食糧難、大就職難の当時、「女」が自身と家族を養っていくにはそれしか生きる手立てがなかったともいえるのです。

 以前の『映画「ゼロの焦点」』(09年11月)記事で触れましたが、この映画の中で『星の流れに』が流れているシーンがありました。広末涼子演ずるヒロインの鵜原禎子は、新婚間もない夫の失踪の真相に迫るべく東京から北陸金沢へと向かいます。その結果夫失踪に東京都下の米軍横田基地に手がかりがあることを突き止め、横田にやってきます。そこのきらびやかな夜のネオン街のシーンでこの歌が流れていたのです。

 やがて物語が進むにつれて、この推理サスペンスの鍵となる二人の女性(演じたのは、中谷美紀と木村多江)の哀しい過去が次第に明らかになっていく…。

 社会派推理小説の白眉と評される原作における「ゼロの焦点」とは、突きつめて言えば「日米戦争」の暗喩なのです。作者の松本清張はそのことを、この代表作の行間から告発しているようです。
 「♪こんな女に誰がした」
 このフレーズが当時流行語になった『星の流れに』もまた、同戦争を告発した歌であるといえます。


『東京ブルース』

     (「フォレスタ 東京ブルース HD」ユーチューブ動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=id-M3e3j_tI

 もう一つの代表的な「怨み節」である『東京ブルース』が発表されたのは昭和39年。東京オリンピックが開催された年です。この歌を歌ったのは西田佐知子です。『アカシアの雨がやむとき』と共に西田佐知子の代表作といっていいと思います。
 終戦から既に19年が経過し、日本はその痛手から奇跡的な復興を遂げ、経済大国の仲間入りを果たすべく高度経済成長が離陸し始めた頃の歌です。

 この歌と『星の流れに』は、曲調は違っていてもモチーフがよく似ています。「ルージュ」という共通のワードもそうであるなら、“怨み”を抱いた女が夜の街をさ迷い歩くのも同じです。

 巷には焼け跡も闇市もドヤ街もなくなり、ガード下の浮浪児たちももういません。もちろん米兵相手の女性もまた遠い過去の話になっていました。国民は皆その日住む家、食う物、着る物にも事欠く生活からは脱け出していたのです。
 だからこの歌は、戦争や貧困などという世の中全体への怨み節ではありません。

 「♪泣いた女がバカなのか だました男が悪いのか」
 既に衣食住足りて、この歌における「怨み」はだました特定の男に向けられています。

 「戦後女と靴下は強くなった」と言われる、男女同権を謳う戦後民主主義の世にあっても、戦前までの男尊女卑の社会規範を切り替えるのはそうたやすくはなかったわけです。東京オリンピック開催のこの頃でさえ、女による男への怨み節があったことに注目すべきです。

 (これは余談ですが)西田佐知子のこの歌から数年後の(東大安田講堂攻妨戦など全学連運動たけなわの)昭和44年、『新宿の女』で彗星のようにブラウン管に登場したのが(今年8月22日急逝した)藤圭子です。まだ18歳のうら若き女性歌手の鮮烈デビューでした。

 「♪バカだな、バカだな、だまされちゃって ・・・」
 それもそんじょそこらの歌い方ではなく、夜の巷に生きる女の情念を、心の底からしぼり出すようなドスの利いた声で歌ったのです。作家の五木寛之は、藤圭子の歌を「怨歌」と評しました。実に「怨み節」は藤圭子の出現によってピークに達した、と言ってよさそうです。

 それ以降女性の社会進出と自立は目覚しく、現在では肉食女子が草食男子を駆逐しそうな勢いです。そのせいか、その後「怨み節」の名曲は現われなくなったようですが、これは「大いにけっこう」と喜ぶべきことなのでしょうね、男性諸氏。

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 『フォレスタの「星の流れに」と「東京ブルース」』は共に、吉田静さん、白石佐和子さん、上沼純子さんの3女声によるコーラスです。両曲を聴き了ってしまえば、共に1番を独唱した吉田静さんの歌唱が強く印象に残ります。吉田さん自身、両曲とも心を込めて歌っておられるようで嬉しい限りです。

 ある人いわく、「メゾソプラノはソプラノより少し暗い声質」と。吉田さんご自身は「ネアカ」なようで大変失礼ながら、まさにこのような「怨み節」は、奥行き豊かでどこか憂いを帯びた吉田さんの声質がピッタリはまりますよね。

 それはもう『別れのブルース』『カスバの女』『女の意地』などのソロで十分実証されていて、吉田さんに対する「平成のブルースの女王」の称号は今やフォレスタの枠を超えたコンセンサスになりつつあります(と、いささか願望を込めて)。
 
 白石佐和子さんは言うまでもなく、女声フォレスタの中心的存在であり、童謠・唱歌などに数多くの名独唱があります。しかしこのような演歌(艶歌、怨歌)はどうかな?と思うところが正直ありますね。歌謠曲で言えば、『忘れな草をあなたに』『水色のワルツ』『あなた』などの純愛系の敍情歌は白石さんの独壇場なのですから、「モチ屋モチ屋」ということなのだろうと思います。

 上沼純子さんの独唱曲、申しわけありませんが今までじっくり聴いてこなかったのでコメントのしようがありません。上沼さんのソプラノの声質は良く言えば華やか、(ごめんなさい)悪く言えば少し尖った感じがします。「さてどんなジャンルがベストか?」と思案中(?)です。ただ『星の流れに』の元歌を歌った菊地章子の声質に何となく似ているところもありそうです。

 (大場光太郎・記)


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『「星の流れに」から「東京ブルース」へ』
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『昔、藤圭子さんからサインをもらったことがありました。』
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