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2014年3月

フォレスタの「旅人よ」

    (「フォレスタ 旅人よHD」YouTube動画)
     https://www.youtube.com/watch?v=mXgLk0jS0Vo


  人生というこの比類ない旅 (ナポレオン・ヒル)

 今回は、(遠い昔になってしまった)高校卒業時の私にとっても懐しい思い出の歌『旅人よ』を取り上げてみたいと思います。後で見ていくことにしますが、『フォレスタの「旅人よ」』、男声フォレスタによるとっても良いコーラスです。

                       *
 既にご存知の方が多いかと思いますが、『旅人よ』は、「若大将」加山雄三の作曲作品(作詞は岩谷時子)です。この歌をはじめとして、加山雄三はこの頃(昭和40年代初め頃)、次々と優れた歌を作曲し、加山自身が歌って大ヒットさせていました。当時350万枚のレコード売上げを記録し「幸せだなあ」が流行語にもなった『君といつまでも』、『蒼い星くず』、『お嫁においで』そしてこの『旅人よ』などなど。

 当時の加山雄三(1937年4月11日~)はまだ20代後半の若さだったわけですが、本業の俳優でも加山主演の映画「若大将シリーズ」がこれまた大当りし、一躍東宝における若手トップスターの座を不動のものとしていました。当時の2大代表曲というべき『君といつまでも』(1965年12月)は同シリーズ中の『エレキの若大将』の、『旅人よ』(1966年10月)は『アルプスの若大将』の、それぞれ主題歌としてまず歌われました。

 どの曲も伸びやかなスケールの大きさを感じさせ、加山自身の声量豊かな歌唱力も相まって、大ヒットは当然だったな、と今でも納得させられます。なお加山雄三も芸名(本名は池端直亮)ですが、作曲に当っては「弾厚作」のペンネームを用いています。これは尊敬する二人の作曲家、圑伊玖麿と山田耕筰から取ったものでした。

 とにかく当時の加山雄三、本業では眩しいほどのスター性を輝かせ、作曲家としても類い稀な才能を発揮したわけです。それに慶応大学(法学部)卒の湘南ボーイにして超二枚目。その上家系がまた凄いのです。父は往年の二枚目スター上原謙、母は女優の小桜葉子で、母方は旧公爵家の岩倉家、加山は明治の元勳の一人岩倉具視の玄孫に当るというのですから。
 「いやはや恐れ入りました」という華麗な一族、華麗な経歴、華麗な才能です。

 「天は何物も与えた」ような加山雄三でしたが、その後大不運に見舞われます。1970年、一族が経営していた湘南の海にほど近いパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産し、父の上原と加山は23億円という巨額の負債を抱えることになったのです。また女優の松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚もスキャンダルとして騒がれ、映画「若大将シリーズ」は翌年中止となってしまいます。

 並みのボンボンならこの時点で人生お終いです。しかしさすが「若大将」加山はモノが違います。ナイトクラブやキャバレー回りをし、ギャラのすべてを負債返済に充てたのです。その頃1個の卵を夫婦二人で分け合い、卵かけご飯を食べたというエピソードがあるといいます。そんな不遇の時代を乗り切り10年で巨額借金を完済したというのですから、これまた「いやはや恐れ入りました」。

 その後の加山雄三の活躍はどなたもご存知のことでしょう。活動の主軸をテレビに移し、バラエティ番組やテレビドラマなど多く出演してきました。人気も徐々に回復し「理想の父親」と呼ばれるなど世間の好感度も高まり、3年連続(1986年~88年)でNHK紅白歌合戦の白組司会を務めました。

 思わず「現代の英傑」と呼びたくなる加山雄三ですが、今なお曲を作り、サザンの桑田圭祐やALFEEなどとコラボをしたりと、76歳の今日でも潑剌とした歌声を聴かせてくれているのは嬉しい限りです。

                       *
  夢は第二の人生である。 (フランスの詩人・作家 ジェラール・ド・ネルヴィル)

 さあここからは、“恒例の”私に引きつけたお話です。「何だ、またかよ~」とおっしゃらずに、お読みくださいましな(笑)。

 昭和43年(1968年)3月9日、私は山形県内の高校を卒業しました。卒業を間近かにした2月のある日、担任のS先生から「今月○日、卒業生への歓送会が催される。会の最後に、3年の全クラスが壇上でそれぞれの出し物を被露することになった。そこで、ウチのクラスは何かの歌の合唱にしようと思うのだがどうだろうか?」(注 実際はズーズー弁)というような話がありました。

 これは学校サイドが決めた催しであり、また出し物も不意のことで全員「合唱」を納得するしかありません。次にS先生は、「それじゃあ、どんな歌がええべが?」と、畳みかけるように聞いてきました。
「加山雄三の『旅人よ』がいいと思います」
 まっ先に手を挙げてそう発言したのは、学級委員長のN君です。
「今、N君から『旅人よ』という提案があったが、誰か他にあっか?」とS先生。
「『モスクワ郊外の夕べ』はどうだべ」
 よせばいいものを、何を思ったか、この私がそう発言したのです。

 いやあ、今思い出しても気恥しいし、『いくら何でも“モスクワ郊外”はないだろう』と赤面の至りです。しかしその時はやはり『モスクワ郊外の夕べ』だったのです。この歌は3年の1学期終り頃、音楽の授業で習い、ロマンチックな良い歌としてその頃の私の“お気に入り”の一曲だったからです。

 私の高校時代は勉強そっちのけの「乱読の時代」、特に『赤と黒』『嵐ヶ丘』『罪と罰』『春の嵐』『狭き門』など西欧文学がその中心でした。そういう西洋的ロマンチシズムへの憧れを3年時の音楽の授業が十分満たしてくれました。以前の『フォレスタの「花の街」』でも述べましたが、『シューベルトのセレナーデ』『(トセリの)嘆きのセレナーデ』『菩提樹』『白バラの匂う夕べは』そして『モスクワ郊外の夕べ』など。40数年後の鈍磨した感覚では味い得ない、打ち震えるような異次元的感動が得られたのです。

 だから、『モスクワ郊外の夕べ』を挙げたのは、その頃の私として至極当然なことだったのです。上に並べた歌曲の中で、この歌が合唱として相応しいと咄嗟に判断したのかもしれません。

 N君に続いて私が発言したのは、N君へのライバル意識からだったと思います。学級委員長の彼はなるほどリーダーの資質十分、学校のあった長井市内の時計店の子息で、170cm以上のスラッとした長身で目鼻立ちのキリッとしたハンサムボーイ。我がクラスは2クラスある就職コースの一つでしたので、男子15人ほどに対して女子30以上でしたが、女子に人気がありました。私とは多くの点で好対象のN君でしたが、(長くなるので今回理由は省略しますが)3年になってから私の人気も上昇し、N君と二分するくらいだったのです。

 ・・・他には誰も手を挙げず、S先生から「それじゃあ、『旅人よ』と『モスクワ郊外の夕べ』とどっちにするか、多数決で決めよう」とのお話があり、その運びとなりました。結果、2/3以上の挙手を得た『旅人よ』に決まりました。何せ上に述べて来たとおりの良い歌であり、しかもその頃の“旬の歌”だったのですから当然といえば当然です。むしろ私の推した『モスクワ郊外の夕べ』に1/3弱の支持があったのは驚くべきことだったのかもしれません。

 発表の当日、私たちクラスの全員が、いつも全校集会の行われる体育館の壇上に上り、横長の3列ほどに整列しました。指揮者は提案者のN君です。こうして『旅人よ』の合唱が始まりました。

  風にふるえる 緑の草原  たどる瞳輝く 若き旅人よ ・・・

 私は最前列の中ほど、指揮を執るN君がすぐ近くに見える位置でした。皆の歌声を聴き、沈着冷静に悠然と指揮棒を振るN君の姿を見て、『あゝやっぱりこの歌で良かったんだな』と心底思ったのでした。

                       *
  理想(ゆめ)見ることを忘れた時青春は終るのである。 (倉田百三)

 これもいつものことですが、私は音楽理論についてはまったく分りませんのでメロディについて語ることが出来ず、つい歌詞のみを述べることになってしまいます。この『旅人よ』もそうなるわけですが、岩谷時子の歌詞がまた秀逸です。
 青春性のエッセンスが心にくいまでに表現されています。

 「若き旅人」の心象(心意気)を表わすのに、「風」「緑の草原」「空」「雪」「雲」「夕日の草原」「鳥」「星」などの自然の事物・現象を巧みに散りばめた手法は見事だと思います。そのことが、この歌の叙情性をいやが上にも高めています。

  時はゆくとも いのち果てるまで  君よ夢をこころに 若き旅人よ

 この歌のメッセージは、人生というそれ自体がかけがえのない旅にあって、「いつまでも若き日の夢を保ち続けよ」いうことだろうと思います。この歌における「夢」とは、「理想」と言い換えてもいいものです。

  年を重ねただけで人は老いない。理想(りそう)を失う時に初めて老いがくる。
   (サミュエル・ウルマン-岡田義夫訳『青春』より)

 齢(よわい)幾十歳であろうとも、胸中に熱い「夢=理想」を抱き続けている限り、その人は「若き旅人」なのではないでしょうか。

                       *
  夢見る力のない者は生きる力もない。 (ドイツの劇作家 エルンスト・トラー)

 私自身とても懐しいこの歌を、男声フォレスタが歌ってくれています。大野隆さん、川村章仁さん、今井俊輔さん、楱葉樹人さん、横山慎吾さん、澤田薫さん、フルメンバーによるコーラスです。低音トリオの歌唱に高音トリオがかぶさっていくというように、自在な歌い方で、コーラスの醍醐味の味わえる、とっても良いコーラスです。

 中でも、途中独唱を担当している澤田薫さん。澤田さんは、いつもは絶叫型という印象ですが、この歌にあっては抑制の効いたやわらかい歌い方で、大変グット!です。わたくし的には、この歌を澤田さんの代表曲としたいと思います。

 コーラス全体を通して、「若き旅人」の心情がうまく表現し得ている、素晴しい『フォレスタの「旅人よ」』です。一人旅行く「若き旅人」の心象風景が、聴く者の心にくっきりと浮び上ってきます。こういう完成度の高いコーラスを聴くと、フォレスタはやはり日本を代表するコーラスグループだな、との感を深くします。

 ピアノ演奏は南雲彩さんでしょうか、吉野翠さんでしょうか。自己主張せず、男声コーラスをさり気なくサポートしている、もっと言えば旅行く「若き旅人」にひったり寄り添う見えざるガイドを連想させる、良い演奏です。

 あの卒業時の合唱により、『旅人よ』は、私たちのクラス全員にとって忘れられない思い出の歌になったはずです。「遠い故鄕にいる」N君、そして良い思い出を共同創造してくれたクラス全員に感謝したいと思います。

 そして今回、『フォレスタの「旅人よ」』をじっくり聴き直し、あらためて『旅人よ』を「今ここからの」私の人生の応援歌の一曲にしていこうと思います。男声フォレスタにも感謝です!

  信じる時夢は必ず実現する。 (ウォルト・ディズニー)

【追記】
 できましたら、今後男声、女声フォレスタには、本文で挙げました『モスクワ郊外の夕べ』以下の西洋楽曲も歌っていただきたいものです。

 (大場光太郎・記)

関連動画
『ヴィタスVITAS「モスクワ郊外の夕べ」2009』
http://www.youtube.com/watch?v=NGlbICaHfjA
(注 ヴィタスというロシア人歌手、初めて知りましたが、旧ロシア貴族のような端正なマスクで、シスターボイスのような高い声で、セクシーで、なかなか良い『モスクワ郊外の夕べ』です。)
関連記事
『フォレスタの「花の街」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-6dd3.html

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朴大統領もア然、韓国語で挨拶する安倍外交の支離滅裂

-何度でも言うが、末期的状況の国は三等星リーダーしか持てないのである-

 安倍晋三首相が、オバマ米国大統領の図らいでやっとこさ実現した日米韓首脳会談で、韓国の朴槿恵大統領に向かって「お会いできてうれしい」と韓国語で話しかけた件について、国内で異論、反論が噴出しています。

 「外国語を話すなんて、首脳会談ではありえない」(元外交官の天木直人氏)とはいいながら、首脳会談では相手国語での挨拶は絶対にタブーということもないのでしょう。しかし今回の場合は、安倍首相が政権出戻り後の日韓両国の冷え切った関係、というよりも険悪な関係、そう仕向けて来たのが安倍首相本人だったことからしてまず有り得ないことです。

 だから東アジアにこれ以上要らざる緊張を作りたくない米国オバマ大統領は、イヤがる安倍の首根っこを引っつかむようにして首脳会談の場をセッテングしたわけです。

 そういう深刻な実情を勘案すれば、「いきなりヘラヘラ韓国語で挨拶とは何事だ!朴大統領はソッポ向いてたじゃないか!(怒)」となるわけですよね、ネトウヨ諸氏。
 それとも何かな、朝鮮半島出身の安倍家の血筋が思わずうずいたのかな?(いずれもう少し詳しく見ていくことにしますが、事実です。)

 この者の頭は、一歩国際舞台に出ても、夜郎自大な「おれ様」の国内基準のままなのではないか。もっと言えば、オランダハーグでの核安保サミットに立つ直前、フジテレビ『笑っていいとも』にヘラヘラ出演したときの軽いノリのままの。

 いずれにせよ、かくも劣化したトップリーダーを世界に見せなければならない、そして秘密保護法や消費税増税などを押しつけられて、忍従しなければならない私たち国民は本当に不幸です。

【追記】
 本記事とは直接関係ありませんが、『ソフトバンク「お父さんは犬」CMに物申す』について一言。
 ソフトバンクCMは確かに問題大ありです。今後CM中止を求めて国民的コンセンサスも必要かもしれません。しかしこれはあくまでソフトバンク問題です。孫正義社長がいくら在日二世だからと言って、韓国問題に短絡させてはいけないと思います。
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-5995.html
 (大場光太郎・記)
 

朴大統領もア然…韓国語で愛想笑いする安倍外交の支離滅裂
http://gendai.net/articles/view/news/149017
2014年3月27日 日刊ゲンダイ


オバマ大統領にねじ込まれた日米韓首脳会談/(C)AP

 オランダのハーグで、ようやく実現した日米韓首脳会談だが、冒頭、ズッコケたのが安倍首相の韓国語の挨拶だ。朴槿恵大統領に向かって「お会いできてうれしい」と韓国語で話しかけたのである。もちろん、外務省が用意したものだが、愛想笑いを浮かべて語りかけた安倍に対し、朴槿恵は目も合わさず、何の反応も示さなかった。

 会談後、安倍は「極めて有意義だった」と強調、菅官房長官は「(安倍の韓国語は)自然で良かった。首相の人間性を垣間見ることができたのではないか」なんて語っていたが、国際社会は面食らったのではないか。やっぱり、コイツは引きずり降ろすしかない。国内の有識者もそう見たはずだ。

■外交上も非常識

 理由はふたつ。
 まず、「首脳会談は言葉と言葉の真剣の場ですよ。安倍首相は友好の情を見せようとしたのでしょうが、外国語を話すなんて、首脳会談ではありえない」(元外交官の天木直人氏)という外交上のヒジョーシキ。

 もうひとつは、安倍外交の支離滅裂だ。靖国に参拝し、従軍慰安婦をめぐる河野談話見直しを画策していたのは誰なのか? 教科書を書き換えさせ、竹島の式典に内閣府政務官を派遣したのはどういう意図か? イケイケドンドンで韓国を挑発してきたくせに、米に首根っこを押さえられて、会談の場に引きずり出されると、いきなり、韓国語で媚びへつらう卑しさ、さもしさ。しかも、その直前に韓国は中国の習近平国家主席と首脳会談をして、対日中韓共闘を確認し合っている。安倍のお友達、萩生田光一自民党総裁特別補佐官が語った「河野談話に代わる新しい談話」についても猛抗議をしている。それなのに愛想笑いとは、安倍の頭の中をノゾきたくなる。

「韓国サイドも<この人は何を考えているのか>と面食らったと思いますよ。<条件なしでなければ首脳会談は受け入れない>と突っぱねていたのは誰なのか。ペーパーを用意した外務省も含めて、やっていることはムチャクチャです」(天木直人氏=前出)

 こんな首相を放置したら日本は世界で相手にされなくなる。 」 (転載終り)

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ソフトバンク「お父さんは犬」CMに物申す

-ここ2年ほど無テレビ生活なので忘れていたが、ソフトバンクCMは確かにおかしい。私はコメントする余裕がないので、二人の人のご意見を以下に転載します-

当ブログ直前記事『電通によるテレビなどメディア支配の実態』への寒咲すみれさんのコメント
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-a96c.html

《ソフトバンクのCMについて》

犬の子は日本人に対する侮蔑です。

ソフトバンクのCMは
とても好きだったんですが、
「犬が父親」「黒人の長男」って
不思議な取り合わせな
気がしませんでした?

韓国語では、ケッセキ(犬の子)が
最大の侮辱用語で、
人種差別の酷い韓国で
黒人は最低ランクで
嫌われてますよね。

在日朝鮮人や韓国人は、
「日本人は犬の子」で、
「日本人の子供は黒人」と
喜んで見ている。

侮辱されてるとも知らずに
喜ぶバカな日本人を
喜んで見ている。

在日朝鮮人である孫社長が
それを知らない筈はありません。

ソフトバンクのCMは、
日本人を侮蔑する目的で
作られたCMです。(転載終り)

父親が犬のコマーシャルは、日本人の家族観を愚弄している (ダークネス)
http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/363.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 3 月 24 日

テレビばかりを見ていると馬鹿になるというのは、テレビの番組がくだらないということもある。

しかし、それだけではない。コマーシャルもまた洗脳に次ぐ洗脳で構成されていたり、良識を疑うようなものが大量に放映されていて危険だ。

テレビのコマーシャルで、ずっと日本人の家族観を愚弄し続けていると言われているのは、父親が犬の設定になっているコマーシャルである。

日本人家族が出てくるのだが、「父親が犬」なのである。

このコマーシャルは「好感度ナンバーワン」と多くのメディアで自画自賛されている。しかし、数年前からこのコマーシャルの家族観に疑問を呈している人で満ち溢れている。

「なぜ、父親は犬畜生なのか?」
「子供たちは犬の子供ということなのか?」

今まで日本のコマーシャルの多くは一貫して日本人の父親を愚弄するような設定だったが、今や日本人の父親は「犬扱いが当たり前」になっている。

■父親を犬扱いするコマーシャルで洗脳される

日本人の父親が犬扱いされることに納得いかない人々はたくさんいる。そういった人々の意見は、検索で調べれば山ほど出てくる。実際に検索して調べてみて欲しい。

「父親が犬 コマーシャル」

これで検索すると、いかに多くの日本人がこのコマーシャルに関して疑問を持っているのかが見て取れる。

このコマーシャルはおかしな点は多い。たとえば、構成する家族は人種すらもバラバラである。よく知らないが、母親は犬と交わった上に、さらに不倫でもしたという設定にでもなっているのだろうか。

テレビを見るというのは、このような不快度100%のコマーシャルを強制的に見せつけられるということだ。

見せつけられるだけでなく、何年も渡って日本人の父親を犬扱いするコマーシャルで洗脳されるということでもある。

大人は単に「不快だ」で済むかもしれないが、こんなコマーシャルを子供のうちから見せられる子供たちはどうなるのだろうか。子供たちは洗脳された結果、無意識にこう思うのではないだろうか。

「お父さんは、犬だ」

コマーシャルとは洗脳であり、洗脳とは意識を超えた無意識への刷り込みである。根本的なところで、「父親は犬」という感覚が刷り込まれていく。

これがどんなに危険なことなのかは、考えるまでもない。「父親は犬」という刷り込みがなされて、日本人の子供たちは健全な家族観を持つことができるだろうか。

■家族観をズタズタにするようなコマーシャル

犬が「かわいい」かそうでないかという話を問題にしているのではない。

本来であればペットとして出てこなければならない犬が、「日本人の父親は犬」という設定で刷り込みが行われている非常識を問題にしている。

非常識であると共に、常軌を逸していると言える。

この企業は、莫大な金を投下して「日本人の父親は犬」という徹底的な宣伝をしているのだから、どう考えても感覚がおかしいとしか言いようがない。

こんなコマーシャルを平気で流しているテレビも企業も、感覚がどこか普通ではない。

「なぜこんな設定にしたのか」、あるいは「批判がある中で、それを執拗に粘着的に続ける理由が何なのか」は、この会社のトップしか真意が分からないことだ。

私たちに分かるのは、日本人の家族観をズタズタにするようなコマーシャルが、あたかも日本人の子供たちを洗脳するかのように行われているということである。

「日本人女性が結婚する相手は犬だ」
「日本人の男は犬だ」

その暗喩に侮蔑的な意味を感じる人は少なくないし、薄気味悪い感覚や、底知れぬ不快感を感じる人もたくさんいる。

このような刷り込みを続けるコマーシャルを、何年もかけて大量に流し続ける企業は本当に有益な企業なのか、私たちはもっと深く考えなければならないときが来ている。

決して放置してはいけないものであるし、見過ごしてもいけないものでもある。

■コマーシャルの持つ影響力は非常に大きい

日本人の父親を犬扱いするコマーシャルは、どうしても子供たちが見る。見せないわけにはいかないほどの物量でコマーシャルが大量投下されている。

だから、私たちは子供たちに、「父親を犬畜生扱いしたコマーシャルを見せない」という選択ができない。

そうであれば、このコマーシャルが出たときに、子供を持つ父親、母親は、子供たちにきちんと教えなければならない。

「このコマーシャルは、お父さんを犬扱いしているけど、この会社はひどいね。お父さんは犬じゃないのにね」

父親を犬扱いしているコマーシャルが出るたびにそうやって子供たちに教えていると、子供たちもきちんと「これは悪いコマーシャルだ」「この会社は悪い会社だ」と理解できるようになる。

コマーシャルが出るたびに、その家族観が間違っているということを子供たちに教育できる。

世の中には「得体の知れないもの」もあるということが分かるようになり、無意識に刷り込まれる前に、意識的に排除することができるようになる。

「お父さんを馬鹿にしているコマーシャルはひどい」と、たったひとこと教えるだけで、それは意識として残り、無意識の刷り込みが減らせる。

たかがコマーシャルだが、コマーシャルの持つ影響力は子供たちには非常に大きなものであり、無意識に刷り込まれる影響は計り知れないものがある。

子供たちが無意味なものに感化されないようにきちんと守るというのは、それ自体がとても重要な教育である。

しかし、子供に「おかしなコマーシャルがある」と教育するためには、最初に大人自身が「これはおかしい」という感覚をすぐに持てるようにならなければいけない。

日本のコマーシャルの多くは、一貫して日本人の父親を愚弄するような設定になっているのだから、気を付けた方がいい。そういったコマーシャルが大量に流された結果、日本人の家族観はすでに崩壊してしまっている。(転載終り)

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電通によるテレビなどメディア支配の実態

-電通問題一つ取っても、「戦後日本の闇」は底知れず深い-
 
 この国の新聞・テレビが「マスゴミ」と蔑まれて久しいように、腐敗・墮落の極みにあることは、心ある国民の誰しもが実感するところでしょう。ただ、この腐敗・墮落メディアの根っこに広告代理店「電通」の存在があることを、どれだけの国民が知っているでしょうか?
 
 新聞社、そして(クロスオーナーシップという先進国に類を見ない悪しき制度によって)大新聞が資本投下している民放テレビ局は、言うまでもなくスポンサー企業による広告収入に大きく依存しています。そのスポンサーエージェントとしてメディアに権勢を振るえるのが電通、博報堂という大手広告代理店です。
 
 今回は、広告市場の50%のシェアを誇るというモンスター電通におけるメディアコントロールの実態を明かした阿修羅掲示板投稿記事を、以下に転載します。
 
 なお、電通には別の顔もあります。
 それは電通の前身を見てみれば分ります。電通の前身は、戦前の満州鉄道調査部、里見機関配下の「満州国通信社」だったのです。つまり謀諜のプロ集団が本土に引き上げて創設されたのが電通なのです。電通はGHQに入り込み、その関係から(GHQ諜報局が母体となって創設された)同じ穴のムジナのCIAとの関係を深めて今日に至っているとみられています。
 
 つまり電通は日本におけるCIAエージェントなのです。そのため「米国代理店」とヤユされているわけですが、米国は電通を通して日本のメディアを間接コントロールしている図式にもなるわけです。
 
 また電通は山口組など暴力団と深い関係にあると言われており、電通はさらに自民党の公諜活動にも長年関わってきました(顕著な例は、小泉政権下の「やらせタウンミーティング」)。 (大場光太郎・記)
 

電通テレビ局が絶対触れたくないタブー。http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/489.html
投稿者 岡田イオン 日時 2012 年 11 月 01 日

 
電通支配はこうして原発報道を歪めてきた

神保哲生

2012年10月28日 00:01

最近よく「スポンサーの圧力」という言葉が乱れ飛んでいる。今やそのようなものがあること自体は、誰もが薄々知るところとなったが、それが具体的にどのようなもので、その圧力がどのような形で行使されているについてはは、意外と知られていない。実態を知らなければ、問題を解消することができない。そこで今回は、スポンサー圧力なるものの実態に光を当ててみたい。

 原発事故の後、マスメディアによる事故の報道がおかしいことに多くの人が気づいた。マスメディアはあれだけの大事故が起きた後も安全神話に依拠した報道を続け、後に御用学者と呼ばれるようになった原発安全論者や原発推進論者を起用し続けた。

 また、原発報道に関しては、事故前の報道にも大きな問題があることも、われわれは後に痛いほど知ることとなった。安全神話は言うに及ばず、まったく現実味のない核燃料サイクル事業に兆円単位の税金を注ぎ込んでいた事実、電力会社社員の保養所維持費や広告宣伝費、御用学者を飼い慣らすための大学への寄付金まで電気料金として徴収することが認められていた総括原価方式と呼ばれる料金方式等々、なぜわれわれはこんなことも知らなかっただろうか。不思議なほど原発を巡る腐敗や癒着構造について、メディアは報じてこなかったことが明らかになった。

 原発に関する重要な事実が報じられてこなかった背景には、それが国策であったことや記者クラブ制度と報道機関内部の縄張り争いなど多くの要素がある。しかし、その中でもスポンサー圧力の問題は大きな比重を占めていた。何せ東京電力一社だけで年間260億円、電事連加盟10社で合わせて1000億円が、広告宣伝費として使われてきたのだ。そのすべてを一般消費者が電気料金として負担していたのかと思うと腹立たしい限りだが、そのスポンサーとしてのメディアに対する影響力は群を抜いていた。

 大半のマスメディアが広告宣伝費に依存した経営を行っている以上、この1000億円のパワーは、あらゆる批判や抵抗を無力化して余りあるだけの威力を持つ。

 そして、そのエージェント(代理人)として、スポンサーに成り代わって実際にその影響力を行使しているのが電通を始めとする広告代理店である。

 博報堂に17年間勤務した経験を持つ本間龍氏は、特に業界最大手の電通がクライアント(広告主)の意向を体現するためにいかにメディアに圧力をかけていくかを、実例をあげながら具体的に証言する。それは氏自身もかつて博報堂でやっていたことでもあった。

 本間氏によると、マスメディア業界は電通の支配力が圧倒的で、特にテレビ、とりわけ地方局は電通なしにはやっていけない状態にある。そのため、放送局の営業は電通の担当者からの「要請」は聞かざるを得ない。その関係を利用して、電通の営業マンは自分のクライアントにとって不利益となる情報や報道が出ないように、常にメディアと連絡を密に取り合い、必要に応じて報道に介入できる体制を取っていると本間氏は言う。つまり広告代理店、とりわけ電通の仕事の大きな部分は、単にCMを制作したり、広告主を見つけてくることではなく、広告主を「代理」して広告主の意向をメディアに伝えそれを体現することにあると言うのだ。

 実際、電通1社で4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の広告市場のシェアは5割に及ぶ。博報堂を合わせて2社で7割を超えるという異常な業界だ。

 本間氏は、広告主や広告代理店がメディアの報道内容に圧力をかけることが違法になっている国も多いと指摘する。また、通常は利害衝突や情報漏れを避けるために一業種一社ルール(広告代理店は一つの業界で1社しか代理できない)が徹底されているため、電通のようなガリバー代理店は生まれにくいという。その制度があれば、他に代わりのスポンサーを見つけてくることが容易になるので、メディア側も「報道内容に注文をつけるならスポンサーを降りて貰って結構だ」と圧力を突っぱねることができる。ベンツが文句を言うのなら、他の代理店を使ってアウディなりBMWなりを代わりのスポンサーに入れることができるということだ。しかし、力が極度に電通に集中している日本では、あくまで喩えだが「ベンツもアウディのBMWもすべて電通」といった状態にあるため、それがほとんど不可能に近いのだと本間氏は言う。

 また、メディア側にも大いに問題がある。報道内容への代理店やスポンサーの介入を許している背景には、報道機関の中の報道部門と営業部門のズブズブの関係がある。スポンサーがメディアに介入するためには事前に報道内容を知る必要があるが、本来、報道前に報道内容を営業部門が知っていることはあってはならないことのはずだ。また、もし事前に報道内容を知らされているのであれば、営業部門はそれが報道されるまでは守秘義務に縛られていなければならない。これはインサイダー取引にもつながる重要な問題で、事前に報道内容を知り金融商品の取引をすると法に触れるが、報道前情報が代理店やスポンサーには筒抜けというのは明らかに報道倫理上問題がある。

 要するに、代理店側は政治的な理念やら社会的な責務だのはほとんど全く考えることなく、単に億円単位で広告費を払ってくれるスポンサーの意向に忠実に動いているだけだし、メディア側はスポンサー圧力を受けにくいような工夫や努力を十分していないために、現在のような「スポンサー圧力はあって当たり前」の状態が続いているのだと本間氏は言う。

 ずいぶん馬鹿馬鹿しい話だ。一業種一社という利益相反を避けるためには当然あって然るべきルールがあれば、電通のみにこれだけ力が集中することもなく、よって特定のスポンサーの意向(とそれを代言する電通の力)で報道内容が歪められるリスクは大幅に低減する。更に、メディアの側も、これまた当たり前すぎるくらい当たり前な「報道前情報に関する報道部門と他の部門間の壁」をしっかりと設ければ、少なくとも報道内容が報道前にスポンサーや代理店から介入されるリスクは回避できる。そうしたごくごく当たり前のことが行われていないために、日本は今もって「メディアへのスポンサー圧力があって当たり前の国」に成り下がっているというのだ。

 しかし、そこでもまたメディア問題特有の「カギのかかった箱の中のカギ」問題が顔を覗かせる。そうした問題をメディアが報じることはほとんどないため、そもそもそのような問題が生じていることを一般社会は具体的にはほとんど知らない。知らされていないから、政治家や官僚も世論を後押しに制度変更を主張することができない。世論の理解ないところで、あえて電通やメディアを敵に回すような発言をする政治家や官僚、言論人がほとんどいない理由は、今更説明の必要もないだろう。記者クラブ問題やクロスオーナシップ問題、再版問題などと根っこは同じだ。実際、共産党議員などによって、独禁法との絡みで電通の一極集中問題が国会で取り上げられたことはあったが、いつの間にか立ち消えになっている。

 こうなってくるとなんだか身も蓋もない話に見えるが、このような「終わっている」状況にもようやく変化の兆しが見える。インターネットの普及によって、新聞、テレビ対する抜群の支配力を誇っていた電通の力が相対的に落ちてきていると本間氏は言う。また、電通が新聞やテレビ報道を押さえ込んでも、ネット上に情報が出回ってしまい、マスメディアの報道を押さえたことが、かえって逆効果になるような事態も頻繁に起きている。そもそも戦前から活字媒体に強みをもっていた博報堂は、テレビ時代に乗り遅れて、その波に乗った電通の後塵を拝することとなったという。テレビ時代の支配者電通の権勢は、ネット時代にどう変わっていくのか。  自ら博報堂の営業マンとしてスポンサーの「代理」をしてきた本間氏と、スポンサー圧力によって報道が歪められる舞台裏を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

<ゲスト プロフィール>
本間 龍(ほんま りゅう)著述家
1962年東京都生まれ。85年獨協大学法学部卒業。ぺんてる勤務を経て89年博報堂入社。2006年退職。06年詐欺罪で有罪判決を受け栃木県黒羽刑務所に1年間服役。07年より現職。著書に「「懲役」を知っていますか?」、「電通と原発報道」など。

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必見 ! ドイツ公共放送ZDF制作番組『フクシマの嘘』

-国内に敵なしの安倍晋三だが、実態は内弁慶外ミソのぼんぼん野郎だ。靖国問題などで世界的非難の声が挙がると急にシュンとなったように、海外メディアを通して福島原発の真実=アベの嘘をどんどん暴き立ててもらうに限る-

   (「フクシマの嘘 其の弐(隠ぺい・詭弁・脅迫) 翻訳全文」YouTube動画)
    http://www.youtube.com/watch?v=F2UU2nD44tE



 欧州:日本の生活圏の27%が「徹底的な放射能監視地域」に
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2659.html
2014.03.04 『カレイドスコープ』より

 それまでは新聞・テレビ報道に一定の信を置いていた人々も、福島第一原発事故後の「真実隠し報道」に気づき、新聞・テレビと距離を置き出した人がけっこういるようです。大メディアの真実隠し報道は何も今に始まったことではありません。がしかし、福島第一原発事故は広範囲の人々の生存に関わる極めて重大な情報です。なのに知り得た情報を隠し報道しなかったがために、被曝を避けられた人たちが被曝したとすればそれはもう犯罪的レベルです。

 大メディアも広義の「原子力ムラ」の一員だから自ずとそうなるわけです。いな米国の指令を受けて1950年代、日本テレビを使って「原子力の平和利用」を吹聴し、原発建設の先鞭をつけたのが読売のポダム正力だったことを思い起せば、大メディアは原子力ムラの重要な一角を占めているのではないか、とすら思われてきます。

 国内はおろか地球全体に大きな迷惑をかけたのに、メディアのみならず、日本政府も、東電も、経産省も、原子力関係機関も、どこもかしこも国民に真実を伝えようとしていません。安倍首相に至っては、東京五輪招致のために、昨年の9月7日のIOC総会で「フクシマの状況は統御されている」と世界に向って大嘘をつきました。

 もう国内関係機関のどこからも真実は伝わってきません。しかし海外メディアは違います。ドイツ公共放送ZDFが、「フクシマの状況は統御されているというのは本当か?」と、取材クルーが福島第一原発に乗り込んだり、関係者にインタビューしたりと大変ディープな検証ドキュメンタリー番組を作りました。その結果ZDF番組『フクシマの嘘』は、「フクシマの状況は統御されていない」と結論づけているのです。

 情ないながら私たち国民はこうした海外メディア情報を通してしか、福島原発の真実を知ることができなくなっています。ちなみに私は個人的に、例えば3号機は「(部分)核爆発」だったのであり、それによって私が居住している神奈川県県央地区よりさらに広い範囲まで被曝したのではないか?との疑いを捨てきれないのです。

 以下は、『植草一秀の「知られざる真実」』の関連記事(阿修羅掲示板投稿)の転載です。なお最初の当該動画は、影響力の大きい植草氏記事後速攻で削除されました。冒頭動画お早めにご視聴ください。 (大場光太郎・記)


独公共放送ZDF制作番組『フクシマの嘘=アベの嘘』(植草一秀の『知られざる真実』)
投稿者 笑坊 日時 2014 年 3 月 17 日http://www.asyura2.com/14/senkyo162/msg/885.html

昨年の9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスでIOC総会が開催された。

この総会で2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まった。

このIOC総会に安倍晋三首相が出席してプレゼンを行った。

「フクシマ」について安倍晋三氏は、

“The situation is under control.”

と述べた。

「フクシマの状況は統御されている」

これが、安倍晋三氏が全世界に発したメッセージである。

このメッセージを真に受けて、IOCは2020年オリンピック・パラリンピック開催地を東京に決めた。

上記の安倍晋三氏発言の前後を含めると次のようになる。

「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」

しかし、日本の国民のほぼ全員が、この安倍首相発言に違和感を持った。

フクシマはコントロールされていない。

“The situation is out of control.”

これが、すべての日本国民が知る「フクシマの真実」である。

この総会で同じくプレゼンを行ったJOC理事長の竹田恒和氏は、

「東京は福島から250キロ離れていて安全だ」

と述べた。

この発言は、安倍氏発言とはニュアンスが異なる。

竹田氏の発言は、

「フクシマは安全でないが、フクシマから250キロ離れている東京は安全だ」

と発言したように受け取れるのだ。

安倍首相は、

「フクシマは、東京にいかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはない」

と述べたが、これも事実ではない。

東京の多くの地域で放射線量が著しく高い「ホットスポット」が発見されている。

神奈川や静岡で産出された茶葉からも、規制基準値以上の放射線量が観測された。

どこが、「いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはない」

ことになるのか。

メルマガの読者が、海外で制作された貴重な動画映像を紹介くださった。

制作したのはZDFというドイツの公共放送局である。

日本で取材を行い、43分のドキュメンタリー番組を制作した。

その日本語字幕を付した動画映像がYOUTUBEに投稿されたというのだ。

タイトルはずばり「フクシマの嘘」である。
http://www.youtube.com/watch?v=m2u-9eR-hC8&feature=youtu.be
(大場注 この動画は削除されました。)

と日本の首相が、

「フクシマの状況は統御されており、これまでも、そして、これからも、フクシマは東京にいかなる悪影響を及ぼしたことがなく、これからも、及ぼすことがない」

と国際社会に断言したことに対して、これを真っ向から否定するドキュメンタリー映像が制作されたのだ。

ドイツの正統な公共放送局が制作したドキュメンタリーであり、恐らく、これから全世界の人々が、このドキュメンタリーを閲覧することになるだろう。

安倍晋三氏に対して、IOC発言の疑惑が突きつけられるのは時間の問題である。

理化学研究所のプロジェクトチームはSTAP細胞作製の論文を発表して、一時的には賞賛を浴びた。

しかし、時間が経過するなかで、論文の内容が精査され、賞賛は糾弾の嵐に変化しつつある。

安倍晋三氏のIOC総会での発言は、東京招致を決定する要因の一つになっただろうが、その発言内容が精査されてゆけば、やはり賞賛は糾弾の嵐に転じることになるのではないか。

ZDFの制作したドキュメンタリー番組は、極めて正統な制作手法を貫いている。

関係者への丹念な取材を基礎にして、事実を誇張することなく、正確に伝えている。

それだけに、極めて強い説得力を有している。

世界中の人がこの番組を閲覧しているときに、日本人がこれを見ていずに、「フクシマは統御されている」と馬鹿の一つ覚えのように発言していたのでは、日本は世界から見放されることになるだろう。

まずは、日本のすべての市民がこの番組を閲覧して、流布するべきだろう。

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ストッフ・ザ・巨大防潮堤長城

-こんな愚かなハコモノを残せば、塩害でボロボロに劣化した姿をさらし、万里の長城以上だと、後世「世界大バカ遺産」にまっ先に登録されるんじゃないか?-

 今回は、既に建設が始まっている巨大防潮堤など無用の長物でありかつ税金のムダ遣いであるから、即刻建設中止にすべきだという問題について見ていきたいと思います。

 やたらトンチンカンなスローガンばかりが踊る安倍政権にあって、なるほど「国土強靱化」とはこういうものかと、恰好の見本のようなトンデモ事業が本格化しつつあります。東日本大震災復興、大津波対策にかこつけて、高さ10m、総延長約370Kmにも及ぶ巨大防潮堤建設が本格スタートしているのです。

 総延長約370Kmということは、青森県から千葉県の太平洋沿岸がこんなグロテスクなコンクリート擁壁で覆い尽くされる、ということなのでしょう。リアス式海岸も九十九里浜もどこもかしこも。そのさまをイメージしてみてください。巨大な「バカの壁」がいつ果てるともなく続くのです。美しい太平洋の海や松島など完全にシャットアウト。景観もへったくれもありゃしません。

 思い出しましょう。09年の民主党による政権交代のスローガンの一つは、「コンクリートから人へ」でした。政権交代は官報複合体の「小沢潰し」という大謀略によりズタズタにされてしまいましたが、この方向性は正しかったはずです。1000兆円超の財政赤字を抱えるこの国にあって、ムダの親分のような巨大ハコモノなど造ってはいけないのです。

 なのに、不正選挙で安倍自民党が政権を奪取するや、旧自民党以上の土建政治の復活です。巨大防潮堤の予算は8000億円超。この大血税を国交省などのお役人が天下っている大手ゼネコンが分捕るわけです。もちろん安倍自民党にも3%の240億円超が政治資金として還流されます。震災を食い物にした鬼畜の所業です。
 
 こんなベラボーな予算を使わずとも、ずっと低予算で、しかも景観を損わない遥かに優れた防潮対策があるのです。「日本一木を植えた男」宮脇昭横浜国大名誉教授の次の提言をお読みください。

「瓦礫で害のないものは穴を掘って、土と混ぜて埋め、その上に土をかぶせて丘をつくる。そこに、大きくなる力を持った多種多様な常緑広葉樹の苗を混植・密植するのです。瓦礫と土壌の間に空気層が生まれ、根は深く地中に入り込んで瓦礫を抱くように伸びていきますし、土地本来の森(潜在自然樹)の多くの樹種を混ぜて植えれば、管理費不要で自然の森と同じように自然淘汰で枯れたものは肥やしになる。こうすれば、自然の掟にしたがって、20年で20㍍近い防災・環境保全の多彩な力を何百年、何千年も果たし続ける。命と地域経済を守るふるさとの森になるのです」
 
 上は昨年9月公開の『宮脇昭博士、「森の防災力」を語る』で紹介した、宮脇名誉教授によるインタビューのごく一部です。関心がおありの方は同記事全文をお読みください(末尾URLから)。
 なお宮脇名誉教授の防災構想に共嗚してでしょうが、先月の都知事選に出馬して注目を集めた細川護熙元首相は現在、公益財団法人『瓦礫を活かす森の長城プロジェクト』理事長を務めています。
 
 以下に『SPA!』の関連記事を転載します。なお同記事は安倍昭恵首相夫人を持ち上げていますが、話半分に聞いておいた方がいいと思います。昭恵夫人は確か脱原発派のはずですが、ダンナのアベノヒットラーはどこ吹く風、原発再稼動はおろか憶面もなくトルコ辺りに欠陥原発の売り込みに行っているくらいですから(昭恵夫人同伴じゃなかったっけ?)。 (大場光太郎・記) 

 
防潮堤建設に高まる批判の声「不必要な場所に・・・、地盤沈下の可能性も」
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20140314-604387/1.htm
(SPA! ) 2014年3月14日(金)配信

 
 「今年になって、ようやく防潮堤の問題が話題になるようになってきました。必要としている防災方法は地域ごとに違うというのに、約370kmにわたって一律に巨大防潮堤を造るという計画が、そもそもおかしかったのだと思います」

 こう語るのは、NPO法人「森は海の恋人」副理事長の畠山信氏。安倍晋三首相も3月10日・12日の参議院予算委員会で、防潮堤建設の見直しに理解を示す答弁を行った。防潮堤見直しに積極的に取り組んでいる安倍昭恵首相夫人の存在が、首相の答弁に影響したのだろうか。

 2月6日、畠山氏は気仙沼市本吉町野々下に建設中の巨大防潮堤に昭恵夫人を案内した。海岸にそびえ立つ高さ10mの防潮堤を見たとたん、昭恵夫人は「これはないですね!」と思わず叫んだという。畠山氏はこう話す。

「この地区は工事が始まった時期が早く、防潮堤が海岸を破壊している現場を目の当たりにできるんです。この防潮堤は誰も人が住んでいないところに建設されていて、守るものといえば海岸林や畑ぐらいしかない。工事をしている業者でさえ、『俺たちは仕事だからやっているけれど、防潮堤で何を守るのかね』と首を傾げています。この工事は、建設業者や地主のためのものとしか思えません。三陸海岸の美しい景観を壊すだけでなく、海と陸が分断されることで漁業への悪影響もあるでしょう」

 畠山氏は、宮城県気仙沼市で牡蠣養殖を営んでいる。’13年9月の防潮堤シンポジウムに参加した昭恵夫人に防潮堤のさまざまな問題について説明、それをきっかけに意気投合した。

 今年2月7日に畠山氏らが主催したシンポジウム「東北の美しい未来を考えるフォーラムin気仙沼」にも昭恵夫人は来賓として出席。そこでは高校生を含む住民150人から「気仙沼は海とともに生きてきた。高すぎる防潮堤はその生き方を変えてしまう」「海の見えない気仙沼は想像できない。森の養分が海へ流れなくならないか不安」といった声が噴出した。それを受けて、昭恵夫人は「行政の施策に魅力がないと若い人が離れてしまう。見直すべきところはあるので主人にも伝えたい」と発言していたのだ。

「防潮堤についてマジメに考え、覚悟を持って取り組んでいる人は昭恵さん以外、僕は知りません。何人もの国会議員が被災地の視察に来て防潮堤問題に理解を示してくれましたが、具体的な動きにつながるわけではありませんでした。『被災地のために頑張っています』との自己アピールにすぎなかった。それに比べて昭恵さんは何度も足を運びながら、防潮堤問題のシンポを主催したり、自民党環境部会など公の場で見直し発言をしたり、積極的に行動しています」(畠山氏)

 畠山氏と一緒に防潮堤見直しに取り組む三浦友幸氏(宮城県気仙沼市)は、「拙速な防潮堤の建設には、奥尻島(北海道)の教訓がまったく活かされていない」と語る。

「’93年の北海道南西沖地震で津波の被害を受けた奥尻島に視察に行くと、地元の方が『防潮堤建設はいちばん後で良かった』と悔やんでいました。奥尻島には巨大防潮堤ができたのですが、地域振興策が後回しになって、人口減少に歯止めがかからなかった。三陸沿岸の被災地も同じ失敗を繰り返そうとしています」

 防潮堤建設にはさらなるリスクもある。陸前高田市の防潮堤予定地である高田松原海岸は、広田湾奥に流れ込む気仙川が運ぶ土砂で出来た干潟で、数十mの軟弱地盤となっている。その上に重量のある防潮堤を作ることから「豆腐の上に針を突き刺すようなもの」(畠山氏)で、地盤沈下の危険性があるという。軟弱地盤を固めるために立板を打ち込むなどの地盤改良が不可欠で、工事費が予定よりも大幅に増える事態は十分に考えられる。

 防潮堤建設が高台移転をする住民の安全を脅かす危険性もある。米崎小学校仮設住宅の自治会長の佐藤一男さんは、こんな警告を発する。

「高田松原海岸の軟弱地盤には防潮堤を支えるために干潟に立て板を打ち込むことになっていますが、その結果、地下水(伏流水)の流れが止まり、一帯が沼地のようになる恐れがあります。高台の盛り土部分が土砂崩れをしたり、地震で被害を受けた千葉県浦安と同様、宅地が液状化する危険性があると考えられます。このことを市の担当者に言っても『国が認めたから』『液状化に関するデータはない』などと言って、まともに検証しようとしていません」(佐藤氏)

 仮設住宅暮らしを終えた被災者がようやく建てた新居が、地震で液状化の被害を受ける――こんな事態は何としても避けなければならない。 <取材・文・撮影/日刊SPA!取材班> (転載終り)

関連記事
『宮脇昭博士、「森の防災力」を語る』)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-1b73.html

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(諷刺詩) 白カラス族

今年の冬も寒かった。
余寒は3月になっても続いている。
そのためか、街の中でマスクをした人をやたら見かける。

あっちにもこっちにも、マスク族がゾロゾロ、ゾロゾロ
老いも若きも男も女も、マスク、マスク、マスク・・・。
ある日など街行く人の半分ほどがマスク族かと思われた。

ついぞマスクなどしたことのない俺には、
それは実に異様な光景に映る。

ある日の午後電車に乗った。とある駅で、
俺のいる車両の扉が開いて7、8人が乗り込んで来た。
老婦人、OL、女子校生、女の子を連れた若い母親。すべて女だ。
そして全員申し合わせたようにマスクをしているではないか!

『すわっ、女白カラス族の襲来か!』
ぎょっとして、一瞬総毛立つ思いがした。

当今はカラスの尖った口ばしのようなヤツが流行りだ。
だからその時、俺が咄嗟に思ったように、
マスク族をこれからは「白カラス族」と呼ぼう。

「今年の冬はインフルエンザが大流行しています」
テレビがそう言ったらしい。

この時代、おテレビ様のご託宣効果は絶大。
「そりゃ、大変だ」
魔素直な大衆はすぐさま白カラス族に変身だ。

白カラス族は自分の内なる力が信じられず、
「外には恐いものがいっぱいある」
本気でそう思い込んでいる。

マスクをするのは心の弱さの表明だ。
マスクでインフルエンザウィルスを防御しているつもりが、
実は、自らの生きる力を弱くしているのだ。

白カラス族の大量発生を見て、
マスク製造会社、販売店、テレビ局は、
「しめしめ。この冬の恐怖商売もまんまと当ったわい」
貰かって貰かって。笑いが止まらないことだろう。

              (大場光太郎)

【注記】
 この詩はもっと寒かった1週間ほど前に着想したものです。最近諸事情により記事更新がままならず、本日の作成、公開となりました。その間少し寒が緩み、マスクをしている人が減ってきたようです。

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フォレスタの「まほろば」

-このコーラス曲は、3・11で深く傷ついた日本再生の祈りの歌のようだ-
  
    (「フォレスタ まほろば」YouTube動画)
     http://www.youtube.com/watch?v=fNGJbDrdSB0
 
 
 今回は、数多(あまた)あるフォレスタコーラス曲の中でもユニークな曲を取り上げます。「ユニーク」というのは、この『まほろば』は、フォレスタのスタンダードスタイルである「懐しのメロディ」のリバイバルではなく、フォレスタコーラスのオリジナル曲であるからです。

 しかもお聴きになればお分りのとおり、詞曲(作詞:一条貫之、作曲:杉本龍之)ともに優れ、なおかつコーラスとして完成度の高いフォレスタコーラスとなっています。私個人としては、『汽車・三部作』や『流浪の民』などと並んで、混声フォレスタの代表的一曲ではないか、と思っています。

 既にご存知かと思いますが、『まほろば』は、『フォレスタ通信』サイトを開けると少しして流れてきます。また冒頭掲げましたように「k naitou」さん提供によるYouTube動画でも視聴できます。
 いずれも歌声(+別画像)だけなので、実際にこの歌を歌っているフォレスタメンバーの姿が見られないのが残念です。ただこのように歌声だけの場合、「コーラスそのもの」を純粋に味わえる良さがありますね。

                       *
 ここからは、歌のタイトルとなっている「まほろば」のことなど一。

 「まほろば」とは、「素晴しい場所」「住みやすい場所」という意味の我が国の古語です。漢字を用いて表記すると、確か「真秀呂場」だったでしょうか?(注 但し古事記原文では「麻本呂婆」であり、また日本書紀、万葉集式には「まほらば」となり「麻保良婆」か?)

 一言で言えば「理想郷」ということなのでしょう。そうなると、古代中国の「桃源郷」、西洋の「ユートピア」や「エル・ドラド」などにも相通じる言葉であるように思われます。

 「まほろば」が用いられている代表用例は次の和歌です。

 倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(こも)れる 倭しうるはし (『古事記中巻・景行天皇』より)

 古事記神話中の英雄である倭建命(ヤマトタケルノミコト)は、苦難を極めた東征を終えて大和に帰還の途次、病を得ます。病いよいよ重篤となり、今の三重県鈐鹿郡の能煩野(のぼの)というミコト終焉の地で詠んだ、辞世の和歌の一首とされています。なお、三重という地名は、ミコトの「我が足は三重の勾(まがり)の如くして甚(いと)疲れたり」に由来します。

 なぜか父の景行天皇に疎まれ、16歳にして九州の熊襲(くまそ)討伐を命じられこれを討ち果たし、続いて出雲を平定し、「国のまほろば」で寛ぐ間もなく、さらに東征に赴くことに。
「父は私に死ねとおっしゃるのか」 途中立ち寄った伊勢神宮でミコトは、斎宮で姉の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に涙ながらに訴えます。

 倭姫は天照大神の御杖代(みつえしろ)として、長年かけて「フトマニの法則」に則り20数ヶ所も大神をお遷しし、「美し処の良き処」との神言(みこと)を賜り、漸くこの伊勢の地にご鎮座いただくことにした人なのでした。伊勢神宮の開祖とも言うべき倭姫は、弟ヤマトタケルを不憫に思い、「危急の際はこれを使いなさい」と袋と一振りの宝剣を授けます。

 これが、相模の小野(今の静岡県焼津市)の草原で、敵軍から火攻めにされた時の助けになりました。袋の中の火打ち石と宝剣によって敵軍に火を返し、危うく難を逃れることができたのです。この時の剣は実は、その昔須佐之男命の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治のみぎり、オロチの腹中から取り出した天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という神剣なのでした。ヤマトタケルがこの剣で草を薙いだことから、以後「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)と呼ばれることになりました。

 走水の海(今の神奈川県横須賀市)を航海中大荒れで船が転覆しそうになり、海神の怒りを鎮めるため愛妃・弟橘媛(オトタチバナヒメ)が人身御供として入水する、という痛ましい出来事もありました。
 そして倭建命自身も、「国のまほろば」である大和への帰還を果たすことなく薨(みまか)り、その身は八尋白智鳥(やひろしろちどり)という大白鳥と化(な)って、天に上っていったのでした。

 悲劇の皇子(みこ)倭建命の、「倭しうるはし」という望郷の想い、いかばかりだったか。その事蹟を馳け足で見てみました。

                       *
 上掲の倭建命の和歌がそうであるように、まほろばには「故郷(ふるさと)」という意味もありそうです。ミコトは自身の故郷である大和盆地を、当時の都があり中心地だったことから「国のまほろば」と美称しています。が、「まほろば=故郷」とするなら、まほろばは独り大和盆地のみに限定されるものではなく、全国どの地にも普遍化し得るように思われます。

 一条貫之氏の『まほろば』の歌詞も、そのような解釈に基いて作られたようです。

 誰にでも等しくある故郷。そのままずっと住み続けているにせよ、遠く離れて暮しているにせよ。幼少の頃の宝物のような思い出が詰った故郷は、まこと「心のまほろば」です。

 「よみがえれ 故郷」

 このコーラス曲を初めて聴いた時(2012年1月)、私はこのフレーズやこの歌全体の感じから、前年の東日本大震災&福島第一原発事故後に作られた歌だろう、と思いました。それによってヒドく傷ついた日本の再生を願って作られたのだろう、と。

 しかし実際はそうではなく、3・11前年の2010年発表(同年秋頃?)だったようです。でも3・11を経験した今となっては、その痛みを受け止め、かつそれを乗り越えようとする「祈りの歌」であるように思われてならないのです。
 
 あまり踏み込んだことを言うべきではありませんが、時の首相がアピールするように、満3年が経過し、宮城、岩手両県の被災地復興はスムーズに進んでいるのでしょうか。福島原発は本当にアンダーコントロールされているのでしょうか。今なお避難生活をしている方々が27万人、仮設住宅暮しの方々が10万人。故郷は一変し元の場所には戻れず、高台に移住して老若問わず一から故郷を作り直さなければなりません。

 それでも近くに帰れる人たちはまだしも、福島原発危険地域から離れ県内外に移住せざるを得なかった方々はいつ故郷に戻れるのでしょう。1~4号機の燃料棒取り出し、汚染水処理、土壤の除染、そして廃炉・・・。気の遠くなるような工程。そもそも本当に戻れるのでしょうか。

 空が山が川が田畑が往宅地が海が地下水が、広く汚染されてしまった日本。それでも切なる祈りを込めて、「よみがえれ 日本」「よみがえれ 故郷」

                       *
 繰り返しになりますが、感動的なこの『まほろば』を歌っているのは混声フォレスタです。中安千晶さん、矢野聡子さん、白石佐和子さん、小笠原優子さん、吉田静さんの5女声。澤田薫さん、横山慎吾さん、榛葉樹人さん、今井俊輔さん、川村章仁さん、大野隆さんの6男声。かつてのフォレスタフルメンバーによるコーラスだったのでしょう。

 コンサートにおけるポジション順にメンバー名を並べてみましたが、実際聴いてみますと女声は左の方から、男声は右の方から聞こえてきます。女声も男声もそれぞれに「誰の声」ということではなく、渾然一声として融け合った見事なまでに純度の高いコーラスです。

 作曲はフォレスタ総指揮の杉本龍之氏です。各メンバーの特質を知り尽した杉本先生による、心にくいばかりに行き届いた曲であるように思われます。

 『フォレスタ通信』の中に、
   清々しい「吟遊詩人」を目指して
 というキャッチフレーズがあります。この『まほろば』は、まさにそれに相応しい一曲です。「現代の吟遊詩人」フォレスタ、出来ましたら今後とも、新たな優れたオリジナル曲も歌っていただきたいものです。

(大場光太郎・記)

関連サイト
『フォレスタ通信』
http://foresta.music.coocan.jp/main/foresta.html
関連記事
『フォレスタの「汽車・三部作」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e894.html
『フォレスタの「流浪の民」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-15bd.html
『白鳥は哀しからずや』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-fa3f.html

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ただ今「ネトウヨ」増殖中

 9日、お二人からコメントを頂きました。それぞれ別の記事ですが、奇しくも共に「憲法9条」がらみのコメントです。そして共に右系の人のようです。私の返信も併せて、以下に転載してみます。

                       *

歴史認識には納得できます。がだから9条護るという方向には反対です。家の中に泥棒が潜入して来ない様に防衛するという考えになぜならないのか不思議です。世界はならず者だらけですよ。

投稿: キコ | 2014年3月 9日 (日) 19時38分

 だから、「家の中に泥棒が潜入して来ない様に防衛する」ための自衞隊が、現憲法「9条」の下で既に長いこと機能してきたわけでしょう。それに我が国の防衛予算は現在、世界3位か4位ですよね。自国防衛のためには、現状の自衞隊による個別的自衞権で十分ではないですか。その上あなたは一体何がお望みなのです?

                       *

中国、韓国の歴史を知れば、9条平和憲法などと掲げる戯言は普通日本人なら発言しませんよ。

投稿: ium | 2014年3月 9日 (日) 19時44分

 この記事はどこにも「9条平和憲法など」について言及していないので、筋違いとして無視してもいいのですが、あまりにも捨て置けない戯言・暴言なので―。

>中国、韓国の歴史を知れば

 中国、韓国とも何千年もの歴史があり、両国は我が国とも千数百年の近隣交流関係にあります。さてそのうちのどの時点の歴史断面を指しているのか、私には分りません。ご教示願いたい。
 貴殿は多分「歴史的に見て両国は侵略国家だ」と言いたいのでしょうが、歴史的に両国が我が国を侵略しようとしたのは元冦のただ一度だけだと思います。対して我が国は、和冦、朝鮮征伐、韓国併合、満州事変、日華事変などで何度も両国に侵略していますよね。それらを「自尊自衞の戦い」などという屁理屈は、侵略された両国民には通用しませんよ。

>9条平和憲法などと掲げる戯言は普通日本人なら発言しませんよ。

「語るに落ちた」とはこのことです。「9条にノーベル平和賞を」ネット署名運動には既に数万人の署名が集まり、なお増え続けています。また最近著名人、文化人が中心となって、「戦争をさせない1000人委員会」が発足し注目を浴びています。
 なのにこういう戯言・暴言を平気で吐くから、「ネトウヨはロクに勉強せず極論に走るバカウヨだ」などと言われるんですよ。 (転載終り)

                       *
【重ねて私のコメント】
 なお、その後再確認したところ、ハンドルネームが違うので別の人かと思っていましたが、上の2つのコメントは同一人によるもののようです。

 当ブログを定期訪問の方は先刻ご承知かと思いますが、私は「9条護憲派」です。その立場からすれば、「9条の精神」を踏みにじるようなコメントに思われ、つい荒っぽい返信になってしまいました。2番目の返信では「ネトウヨ」という現代用語を使いましたが、この人が本当にその定義にあてはまる人なのかどうかは分りません。

 そこで「この人が」ということではなく、一般論として「ネトウヨ」について簡単に述べてみたいと思います。

 ネトウヨは「ネット右翼」の略称です。インターネットの電子掲示板(2ちゃんねる)上などで、右翼的、保守的、国粋主義的な意見を発表する人たちを意味しています。ただし、きちんとした保守的主張を発表する人たちではなく、単に自尊自大で排外的な表現を用いる人たちを指す場合が多いようです。

 一例としてこういう人たちは、日本という国の優位性を心理上保とうとするあまり、自国を脅かす存在としての中国や韓国を過度に嫌う傾向にあります。そのため「シナ」や「第三国人」という侮蔑的な言葉を瀕繁に使ったり、「在日は半島に帰れ」というようなことを叫びます。そうではないでしょ、これ以上近隣国関係を険悪にしないために中国・韓国をもっと理解すべきではないのですか、などと言おうものなら、「在日が何を言う」という一言で片づけられてしまいます。

 こういう人たちはまた、「戦争ができるように今すぐ9条を変えろ」「中国と戦争をして結着をつけよう」「日本も核武装すべきだ」などという危ない極論を、短絡的かつ安直に述べたりします。
 先月の都知選で田母神俊雄氏が61万票獲得したことから顕著なように、こういうネトウヨ的な人たちが今確実に増えています。それに田母神氏の場合20代、30代の得票が多かったというからさらに驚きです。

 この際はっきり言っておきますが、どの国とであれ次に日本が戦争をするとしたら、それが日本にとっての「ハルマゲドン」(最終戦争)です。今回理由は述べませんが、「日本は戦争をしてはいけない国」なのです。だからこそ、世界に誇れる「平和憲法」が与えられているのです。戦争をして日本が勝つことは決してありません。

 「それでも・・・」という人たちは、安倍首相を筆頭に、「邪神、邪霊」に憑依(ひょうい)されている人たちです。 

 (大場光太郎・記)        

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シマチッチ、大雪後20日ぶりで姿を見せる

  猫の子のあくびも堂に入りし頃   (拙句)


 

 ウクライナの緊迫情勢、それを巡り親露から一転対決姿勢を強めていた米オバマ政権にすり寄る安倍“物笑い”外交、スッタモンダの末PC遠隔操作事件冤罪の片山氏を保釈せざるを得なかった毎度のダメ検察、安倍お友達人事の暴走により受信料不払い増加が深刻なNHKなどなど。

 取り上げるべき大問題が幾らもあるのに。今回は、私だけの超ローカルかつ超私的なニュースをお届けします。

 最近の『フォレスタの「冬の星座」』で、当市内の野良猫5匹のことを紹介しました。そのうちの一匹のシマチッチが、2月14日の二度目の大雪以降安否不明となり生存が絶望視されていましたが、今月5日夜、20日ぶりで無事な姿が発見され、「♪死んだはずだよ、シマチッチ。生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏の、シマチッチ」(『お富さん』のもじり)というニュースです(笑)。

 いやあ、無事だったから笑い話で済まされますが、仮の飼い主のつもりの私は、今回ばかりは『ダメかぁ』とマジで思いましたよ。だって、他の4匹グループは、稀に見る大雪が止んだ2月15日の夜にミケニャンニャン、アクニャンチャン、コクロシマの3匹が元気な姿を見せ、その2日後にオオクロシマの無事が早々と確認されたのですから。なおオオクロシマは、大雪がこたえたか、当座だいぶ重い喘息(ぜんそく)症状が見られ気がかりでしたが、3日ほどでおさまり今は元気に走り回っています。

 (『フォレスタの「冬の星座」』で簡単に述べましたが)シマチッチは上の4匹グループとは別の所で、いつもポツンと一匹だけでいる子猫です。昨年夏生まれに違いなく、4匹グループはだいぶ成猫の大きさに近づいていますが、この子だけはまだまだ子猫そのものです。

 冒頭掲げた画像は、当ブログで使用中のブログパーツ「日替リ今日のにゃんこ」の過去分をお借りしたものですが、シマチッチはだいたいこんな感じです。よく似ています。もう少し細かく言ば、眉間は白くありません。鼻の周りの薄模様はソックリですが、ただし右の片側だけです。さらに背中から両側面半ばまで黒縞模様が覆っているようです。

 シマチッチは“猫”一倍警戒心が強く、「大丈夫だから気にすんなよ」と言っても、近くを通る人など周囲を絶えず気にしているようすです。かれこれ5ヶ月くらいの付き合い(?)なのに、私も未だに1メートル以内には近づけません。だからこの画像の猫ちゃんのような、ゆったりくつろいだポーズなどついぞ見たことがありません。

 とは言ってもシマチッチ、まだまだ子猫でもあり、どうもオス猫のようですが仕草がけっこう可愛いいのです。それより何よりどういう事情だったのか、親兄弟の身寄りのない“一匹子猫”の不憫さも手伝って、どの猫よりも気に掛けて見守ってきたのでした。

 猫好きだった亡母が「(猫の)夏子は育だねなだど」と言っていましたが、なるほどこんなか細い体で・・・。でも切角生まれてきた命、(他の4匹もそうですが)寒さに向う折りから『何とか冬を越さしてやりたい』と、出会った昨年9月末頃からずっとそう願ってきたのです。

 これまでのさらなる仔細はいずれまたご紹介するとして―。
 ともかく昨年の12月、1月そして突如の2月8日の大雪も無事乗り越え、『もう大丈夫だろう』と思っていた矢先の2月14日の前回を上回る大雪。4匹グループがいる所から2,300メートルほど駅寄りの、広い意味で駅街区の外れの一角がシマチッチの出没する場所です。

 そこは分けても雪がどっさり積っており、とても立ち入られる状況ではありません。だから『こりゃシマチッチ当分出てこないゾ』とは思っていました。でも気になって、4匹グループへの往きや帰りなどに立ち寄り、その場所周辺をそれとなく探しても、いつになっても姿を見せる気配がありません。
 1週間経ち10日経ちし、さしもの雪も融け出し、もういい加減現われてもいい頃なのに・・・。

 雪があらかた消えた2月末になっても現われません。もともとシマチッチは気まぐれなところがあり、3~5日くらい姿を見せないことがよくありました。1月には13日もの“大穴を開けた”こともあります。しかしもうその時点で15日、最長記録更新です。なにせ「大雪」と言う大ごとがあっただけにとにかく心配なのです。
 その頃から『こりゃ、もうダメだな』と諦めました。凍死したのやら、雪で圧死したのやら、餓死したのやら。しかし手塩にかけて世話して来た(?)だけに、可哀想だし、悔しいし。

 もうすっかり諦め切っていた今月5日の夜9時頃、その辺りを通りました。シマチッチが最近たむろしているのは、広い駐車場敷地の向こう端にある大きなタンク施設です。そのずっと手前の駐車場の中ほどの所を、小走りで横切ろうとしている猫の姿が見えました。そこは公共の駐車場ですから夕方の閉庁後閉められて、駐車している車はまばらだからよく見えるのです。

 この辺をうろついている猫はシマチッチしかいないはず。『まさか』と思いながらも少し早足で近づいてみました。背面が黒っぽい模様になっていてあの猫のようでもあります。あと少しで横切り終える手前で追いつき、しっかり確かめました。やっぱりシマチッチではありませんか!

「おい、シマチッチ。お前大丈夫だったのかよ!」
と声をかけたところ、向こうも立ち止り、「ニャ~」とひと嗚き返してきました。俗に「猫は3日で恩を忘れる」と言いますが、そのまま行ってしまわずじっと立ち止っているところを見ると、そうでもないようです。

 私はシマチッチの警戒ラインを測りながら1.5メートルほど離れた所で腰を下ろし、「お前、今までどこで何してたんだよ。心配してたんだぞー。もっと早く顔を見せなきゃダメじゃないか・・・」というようなことを、1分ほどこんこんと言って聞かせました。

 シマチッチはさすがにバツが悪そうに、また申しわけなさそうに、心もち首うなだれて神妙に聞き入っていました。と言うのはウソで(笑)、「なにいってんだニャ~」とばかりにキョトンとした面持ちで、黒目がちなつぶらな目で私の方をじっと見ているばかりでした。

 (大場光太郎・記) 

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フォレスタの「どこかで春が」

    (「フォレスタ どこかで春が」YouTube動画)  http://video.fc2.com/content/20120219LtPcPx3P/&otag=1&tk=T1RreE5qUTJPVFU9&start=71.095
     
(新バージョンは削除されました。しかし貴重な旧バージョンが見つかりましたので掲げます)

    どこかで春が    

         作詞:百田宗治、作曲:草川信

   どこかで春が 
   生まれてる
   どこかで水が 
   流れ出す

   どこかで雲雀(ひばり)が
   鳴いている
   どこかで芽の出る
   音がする

   山の三月
   東風(こち)吹いて
   どこかで春が
   生まれてる

 2011年3月3日公開の『どこかで春が』に少し修正を加えた一文を、以下に転載します。

                       *
 私のような世代には、何とも懐かしい「春告げ歌」です。昭和も30年代半ば頃まで、この歌のような昔からの童謡や唱歌を学校でも教え、子供たちも真素直に歌っていました。
 百田宗治の歌詞は子供にでも分かる平易でありながら、詞を支える草川信のメロディとあいまって、「どこかで春が」の頃の季節感をあますところなく伝えています。

 今冬は例年にない寒い冬の日々が続きました。クリスマス寒波以来今年の1月までは、東日本も西日本も、連日気温が例年を下回る日々だったようです。

 厳しい寒さの中でも、近所の水路道の入り口の小ぶりな梅の木は、1月半ば過ぎ頃から白い花をチラホラ咲かせはじめていました。また同じ頃から、近くの空き地やとある家の庭には、これも小ぶりな乳白色の「春告げ花」水仙が咲き出しました。
 2月は一度半ば頃低い“谷”があったものの、うって変わって例年を上回る暖かい日が続き、水路道途中の地面からは「春告げ草」フキノトウが可愛らしい小さな芽を出していました。

 こういう何気ないことの一つ一つが、「どこかで春が 生まれてる」徴し(しるし)になるものです。どんな厳冬であろうとも、自然の植物はきちんと「春の時」を感知し、花を咲かせるべき時には花を咲かせ、芽を出すべき時には芽を出させるのです。
 何とも霊妙な自然の摂理よ、と思わずにはおられません。

 私にとって『どこかで春が』を聴いたり口ずさんだりすると、真っ先に郷里の春先の情景を思い浮かべます。この歌を歌っていたのは子供時代、そして当時は郷里に住んでいたからです。
 当時の思い出を、08年4月『二木紘三のうた物語』のこの歌にコメントしたことがあります。以下にその主要部分を転載します。(なお適宜段替え、一部修正をしています。)
                       *
   少年が春の大陸発見す

 
 我が山形(私が子供時代を過ごした山形)で『どこかで春が』といえば、根雪がすっかり解けきった、4月初旬頃の感覚だったでしょうか。それでも、この歌のように3月、雪が方々で解け出して、日を浴びてきらきら輝きながら土の上を流れるさまを見て、『あヽ春が来た』と思ったことがあったような…。

 小学4年の前後のこの歌の感じの頃。近所のある先輩が、望遠鏡なるものを初めて覗かせてくれました。もちろん本式のものではなく、子供用のものだったとは思いますが。そんな望遠鏡でも、何百メートルか先の、普段見慣れた景色の一点に照準を当てて覗きますと、まったく見たこともない別世界に出会ったようなワクワク感を感じますから、子供とは何とも幸せなものです。

 雪は既に解けていて、春先の淡淡(あわあわ)した草が、やけに鮮明に目に飛び込んできたことを覚えています。
 それは、アメリカ大陸を遂に発見し、遠くの船上から望遠鏡でかの大陸を覗き込んだコロンブスの興奮にも匹敵するものではなかったろうか?そう思って作ったのが冒頭の句です。(かなりオーバーですね。)  (以上転載終わり)

                       *
 『どこかで春が』は大正12年に発表された、「童謡黄金期」である同時期を代表する名童謡の一つです。その後今日まで根強い人気を保ち、2007年(平成19年)、「日本の歌百選」の一曲に選ばれました。

 今回フォレスタコーラス曲として取り上げたのは「NEWバージョン」です。歌っているのは、白石佐和子さん、吉田静さん、内海万里子さん、中安千晶さんの4女声です。1分30秒弱と短い歌ですが、聴き応え十分、いかにも「春告げ歌」らしい清々しいコーラスです。

 出だしは画面右の白石さん、吉田さんお二人の歌唱から始まりますが、特に吉田さんの歌唱が光っており、中安さん、内海さんが加わった全体を通してもこのコーラスに安定と奥行きをもたらしているように思われます。

 ところで「NEWバージョン」ということは、『元々のバージョンもあるはず』と思って探しましたが、どなたも動画アップされていないようです。以前のどなたかの動画で聴いたことがあったような、なかったような。初代女声によるものだったのでしょうか?

 最近同じ歌の「撮り直し」が増えたことにより、新旧両方聴き比べながら、『うん、こっちの方がいいぞ』とか『いやあ、あっちの方がよかったなぁ』と言う、勝手な一人批評をする楽しみができました。
 と言うことばかりではなく、この歌の「旧バージョン」是非聴いてみたいものです。もし動画アップ出来る態勢にある方がおられましたら、よろしくお願い申し上げます。

 さて「NEWバージョン」、4女声のゴージャスなコーラスもさることながら、皆さん「麗」そのもののピンクのドレスで、その上画面背景はパステルカラー調で。「どこかで春が」どころか、「どこにも春が」のような華やいだ雰囲気です。
 お陰様で視聴した私も、春真っ盛りを先取したかのようなウキウキ気分にさせていただきました!
 
 (大場光太郎・記)

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