フォレスタの「旅人よ」
(「フォレスタ 旅人よHD」YouTube動画)
https://www.youtube.com/watch?v=mXgLk0jS0Vo
人生というこの比類ない旅 (ナポレオン・ヒル)
今回は、(遠い昔になってしまった)高校卒業時の私にとっても懐しい思い出の歌『旅人よ』を取り上げてみたいと思います。後で見ていくことにしますが、『フォレスタの「旅人よ」』、男声フォレスタによるとっても良いコーラスです。
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既にご存知の方が多いかと思いますが、『旅人よ』は、「若大将」加山雄三の作曲作品(作詞は岩谷時子)です。この歌をはじめとして、加山雄三はこの頃(昭和40年代初め頃)、次々と優れた歌を作曲し、加山自身が歌って大ヒットさせていました。当時350万枚のレコード売上げを記録し「幸せだなあ」が流行語にもなった『君といつまでも』、『蒼い星くず』、『お嫁においで』そしてこの『旅人よ』などなど。
当時の加山雄三(1937年4月11日~)はまだ20代後半の若さだったわけですが、本業の俳優でも加山主演の映画「若大将シリーズ」がこれまた大当りし、一躍東宝における若手トップスターの座を不動のものとしていました。当時の2大代表曲というべき『君といつまでも』(1965年12月)は同シリーズ中の『エレキの若大将』の、『旅人よ』(1966年10月)は『アルプスの若大将』の、それぞれ主題歌としてまず歌われました。
どの曲も伸びやかなスケールの大きさを感じさせ、加山自身の声量豊かな歌唱力も相まって、大ヒットは当然だったな、と今でも納得させられます。なお加山雄三も芸名(本名は池端直亮)ですが、作曲に当っては「弾厚作」のペンネームを用いています。これは尊敬する二人の作曲家、圑伊玖麿と山田耕筰から取ったものでした。
とにかく当時の加山雄三、本業では眩しいほどのスター性を輝かせ、作曲家としても類い稀な才能を発揮したわけです。それに慶応大学(法学部)卒の湘南ボーイにして超二枚目。その上家系がまた凄いのです。父は往年の二枚目スター上原謙、母は女優の小桜葉子で、母方は旧公爵家の岩倉家、加山は明治の元勳の一人岩倉具視の玄孫に当るというのですから。
「いやはや恐れ入りました」という華麗な一族、華麗な経歴、華麗な才能です。
「天は何物も与えた」ような加山雄三でしたが、その後大不運に見舞われます。1970年、一族が経営していた湘南の海にほど近いパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産し、父の上原と加山は23億円という巨額の負債を抱えることになったのです。また女優の松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚もスキャンダルとして騒がれ、映画「若大将シリーズ」は翌年中止となってしまいます。
並みのボンボンならこの時点で人生お終いです。しかしさすが「若大将」加山はモノが違います。ナイトクラブやキャバレー回りをし、ギャラのすべてを負債返済に充てたのです。その頃1個の卵を夫婦二人で分け合い、卵かけご飯を食べたというエピソードがあるといいます。そんな不遇の時代を乗り切り10年で巨額借金を完済したというのですから、これまた「いやはや恐れ入りました」。
その後の加山雄三の活躍はどなたもご存知のことでしょう。活動の主軸をテレビに移し、バラエティ番組やテレビドラマなど多く出演してきました。人気も徐々に回復し「理想の父親」と呼ばれるなど世間の好感度も高まり、3年連続(1986年~88年)でNHK紅白歌合戦の白組司会を務めました。
思わず「現代の英傑」と呼びたくなる加山雄三ですが、今なお曲を作り、サザンの桑田圭祐やALFEEなどとコラボをしたりと、76歳の今日でも潑剌とした歌声を聴かせてくれているのは嬉しい限りです。
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夢は第二の人生である。 (フランスの詩人・作家 ジェラール・ド・ネルヴィル)
さあここからは、“恒例の”私に引きつけたお話です。「何だ、またかよ~」とおっしゃらずに、お読みくださいましな(笑)。
昭和43年(1968年)3月9日、私は山形県内の高校を卒業しました。卒業を間近かにした2月のある日、担任のS先生から「今月○日、卒業生への歓送会が催される。会の最後に、3年の全クラスが壇上でそれぞれの出し物を被露することになった。そこで、ウチのクラスは何かの歌の合唱にしようと思うのだがどうだろうか?」(注 実際はズーズー弁)というような話がありました。
これは学校サイドが決めた催しであり、また出し物も不意のことで全員「合唱」を納得するしかありません。次にS先生は、「それじゃあ、どんな歌がええべが?」と、畳みかけるように聞いてきました。
「加山雄三の『旅人よ』がいいと思います」
まっ先に手を挙げてそう発言したのは、学級委員長のN君です。
「今、N君から『旅人よ』という提案があったが、誰か他にあっか?」とS先生。
「『モスクワ郊外の夕べ』はどうだべ」
よせばいいものを、何を思ったか、この私がそう発言したのです。
いやあ、今思い出しても気恥しいし、『いくら何でも“モスクワ郊外”はないだろう』と赤面の至りです。しかしその時はやはり『モスクワ郊外の夕べ』だったのです。この歌は3年の1学期終り頃、音楽の授業で習い、ロマンチックな良い歌としてその頃の私の“お気に入り”の一曲だったからです。
私の高校時代は勉強そっちのけの「乱読の時代」、特に『赤と黒』『嵐ヶ丘』『罪と罰』『春の嵐』『狭き門』など西欧文学がその中心でした。そういう西洋的ロマンチシズムへの憧れを3年時の音楽の授業が十分満たしてくれました。以前の『フォレスタの「花の街」』でも述べましたが、『シューベルトのセレナーデ』『(トセリの)嘆きのセレナーデ』『菩提樹』『白バラの匂う夕べは』そして『モスクワ郊外の夕べ』など。40数年後の鈍磨した感覚では味い得ない、打ち震えるような異次元的感動が得られたのです。
だから、『モスクワ郊外の夕べ』を挙げたのは、その頃の私として至極当然なことだったのです。上に並べた歌曲の中で、この歌が合唱として相応しいと咄嗟に判断したのかもしれません。
N君に続いて私が発言したのは、N君へのライバル意識からだったと思います。学級委員長の彼はなるほどリーダーの資質十分、学校のあった長井市内の時計店の子息で、170cm以上のスラッとした長身で目鼻立ちのキリッとしたハンサムボーイ。我がクラスは2クラスある就職コースの一つでしたので、男子15人ほどに対して女子30以上でしたが、女子に人気がありました。私とは多くの点で好対象のN君でしたが、(長くなるので今回理由は省略しますが)3年になってから私の人気も上昇し、N君と二分するくらいだったのです。
・・・他には誰も手を挙げず、S先生から「それじゃあ、『旅人よ』と『モスクワ郊外の夕べ』とどっちにするか、多数決で決めよう」とのお話があり、その運びとなりました。結果、2/3以上の挙手を得た『旅人よ』に決まりました。何せ上に述べて来たとおりの良い歌であり、しかもその頃の“旬の歌”だったのですから当然といえば当然です。むしろ私の推した『モスクワ郊外の夕べ』に1/3弱の支持があったのは驚くべきことだったのかもしれません。
発表の当日、私たちクラスの全員が、いつも全校集会の行われる体育館の壇上に上り、横長の3列ほどに整列しました。指揮者は提案者のN君です。こうして『旅人よ』の合唱が始まりました。
風にふるえる 緑の草原 たどる瞳輝く 若き旅人よ ・・・
私は最前列の中ほど、指揮を執るN君がすぐ近くに見える位置でした。皆の歌声を聴き、沈着冷静に悠然と指揮棒を振るN君の姿を見て、『あゝやっぱりこの歌で良かったんだな』と心底思ったのでした。
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理想(ゆめ)見ることを忘れた時青春は終るのである。 (倉田百三)
これもいつものことですが、私は音楽理論についてはまったく分りませんのでメロディについて語ることが出来ず、つい歌詞のみを述べることになってしまいます。この『旅人よ』もそうなるわけですが、岩谷時子の歌詞がまた秀逸です。
青春性のエッセンスが心にくいまでに表現されています。
「若き旅人」の心象(心意気)を表わすのに、「風」「緑の草原」「空」「雪」「雲」「夕日の草原」「鳥」「星」などの自然の事物・現象を巧みに散りばめた手法は見事だと思います。そのことが、この歌の叙情性をいやが上にも高めています。
時はゆくとも いのち果てるまで 君よ夢をこころに 若き旅人よ
この歌のメッセージは、人生というそれ自体がかけがえのない旅にあって、「いつまでも若き日の夢を保ち続けよ」いうことだろうと思います。この歌における「夢」とは、「理想」と言い換えてもいいものです。
年を重ねただけで人は老いない。理想(りそう)を失う時に初めて老いがくる。
(サミュエル・ウルマン-岡田義夫訳『青春』より)
齢(よわい)幾十歳であろうとも、胸中に熱い「夢=理想」を抱き続けている限り、その人は「若き旅人」なのではないでしょうか。
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夢見る力のない者は生きる力もない。 (ドイツの劇作家 エルンスト・トラー)
私自身とても懐しいこの歌を、男声フォレスタが歌ってくれています。大野隆さん、川村章仁さん、今井俊輔さん、楱葉樹人さん、横山慎吾さん、澤田薫さん、フルメンバーによるコーラスです。低音トリオの歌唱に高音トリオがかぶさっていくというように、自在な歌い方で、コーラスの醍醐味の味わえる、とっても良いコーラスです。
中でも、途中独唱を担当している澤田薫さん。澤田さんは、いつもは絶叫型という印象ですが、この歌にあっては抑制の効いたやわらかい歌い方で、大変グット!です。わたくし的には、この歌を澤田さんの代表曲としたいと思います。
コーラス全体を通して、「若き旅人」の心情がうまく表現し得ている、素晴しい『フォレスタの「旅人よ」』です。一人旅行く「若き旅人」の心象風景が、聴く者の心にくっきりと浮び上ってきます。こういう完成度の高いコーラスを聴くと、フォレスタはやはり日本を代表するコーラスグループだな、との感を深くします。
ピアノ演奏は南雲彩さんでしょうか、吉野翠さんでしょうか。自己主張せず、男声コーラスをさり気なくサポートしている、もっと言えば旅行く「若き旅人」にひったり寄り添う見えざるガイドを連想させる、良い演奏です。
あの卒業時の合唱により、『旅人よ』は、私たちのクラス全員にとって忘れられない思い出の歌になったはずです。「遠い故鄕にいる」N君、そして良い思い出を共同創造してくれたクラス全員に感謝したいと思います。
そして今回、『フォレスタの「旅人よ」』をじっくり聴き直し、あらためて『旅人よ』を「今ここからの」私の人生の応援歌の一曲にしていこうと思います。男声フォレスタにも感謝です!
信じる時夢は必ず実現する。 (ウォルト・ディズニー)
【追記】
できましたら、今後男声、女声フォレスタには、本文で挙げました『モスクワ郊外の夕べ』以下の西洋楽曲も歌っていただきたいものです。
(大場光太郎・記)
関連動画
『ヴィタスVITAS「モスクワ郊外の夕べ」2009』
http://www.youtube.com/watch?v=NGlbICaHfjA
(注 ヴィタスというロシア人歌手、初めて知りましたが、旧ロシア貴族のような端正なマスクで、シスターボイスのような高い声で、セクシーで、なかなか良い『モスクワ郊外の夕べ』です。)
関連記事
『フォレスタの「花の街」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-6dd3.html
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