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フォレスタの「真夜中のギター」

    (「フォレスタ 真夜中のギター」Youku動画)
 
     http://v.youku.com/v_show/id_XMzI0MTg0MzY4.html?from=y1.2-1-95.3.6-2.1-1-1-5

 
 
     

 
 今回は、私たち団塊の世代(と、一括りにされるのは、私自身は以前から抵抗があるのですが)にとって、懐しい青春ソングの一曲『真夜中のギター』を取り上げてみたいと思います。

 矢野聡子さん、白石佐和子さん、お二人による新しい感性でとらえて歌い直した「フォレスタバージョン 真夜中のギター」という感じがします。
 お二人の歌唱についてはのちほどあらためて見ていくことにして、まずこの歌のことや当時の時代背景などをざっと見ていきたいと思います。

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 『真夜中のギター』は、1969年(昭和44年)8月に発表されたフォークソングです。作詞は吉岡オサム、作曲は河村利夫。歌ったのは、この歌がデビュー曲となる千賀かほる(1948年9月25日~)でした。

 当時は高度経済成長が唸りを挙げて上空飛行していたような時代でした。とにかく世の中全体にエネルギー、活気が漲っていました。俗に「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、そんな時代ですから、流行歌でも今日まで歌い継がれるような名曲が数多く作られました。1969年に限ってみても、『夜明けのスキャット』(由紀さおり)『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ)『長崎は今日も雨だった』(内山田洋とクール・ファイブ)『港町ブルース』(森進一)『新宿の女』(藤圭子)『いいじゃないの幸せならば』(佐良直美)『三百六十五歩のマーチ』(水前寺清子)・・・。まあ、あるわあるわ(実際はまだまだある)。

 そんな中、『風に吹かれて』(ボブ・ディラン)『花は何処へ行った』(ピーター・ポール&マリー)『ドナ・ドナ』(ジョーン・バエズ)など、強い反戦的メッセージ性のあるアメリカン・フォークソングの影響を受けて、我が国でも「フォークソング」という新ジャンルが確立されていきました。1969年には、『時には母のない子のように』(カルメン・マキ)『フランシーヌの場合』(新谷のり子)『風』(はしだのりひことシューべルツ)『ある日突然』(トワ・エ・モア)そしてこの『真夜中のギター』。

 星の数ほどヒット曲がありそうなこの年、『真夜中のギター』は第11回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

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  街のどこかに 淋しがり屋がひとり
  いまにも泣きそうに ギターを奏いている。

 1969年は、一言で言って「物情騒然とした年」と記憶しています。
 前年あたりから活発化しつつあった70年安保学生運動がこの年ピークを迎えたのです。年が明けて間もなくの1月18日、19日、東大安田講堂に立て籠った全共闘学生たちとそれを包囲する機動隊が激しい攻防戦を繰り広げ、その一部始終がテレビ中継されました。この影響によって、この年の東大入試が中止という前代未聞の事態ともなりました。
 70年安保学生運動はこの年全国の大学に広がり、その締めくくりのように、10月21日の国際反戦デーには新宿駅の大騒乱事件が起きました。

 ただそんな騒乱をよそに、前に見たように、流行歌の隆盛など大衆文化は花咲り。この年の8月には、のちに大シリーズ(寅さんシリーズ)となる『男はつらいよ』第1作が封切られました。またこれものちに国民的バカ受け番組となったドリフターズの『8時だヨ!全員集合』(TBS系)がスタートしたのは、この年の10月4日のことでした。
 一方国外に目を転じますと、7月20日、アポロ11号が人類初となる月面有人着陸を果たしました。

 『真夜中のギター』が、当時の世相、ことに学生運動を反映した歌であるのかどうか定かではありません。ただ、山形の高校を卒業して就職のため首都圏にやって来て2年目だった私の記憶からしても、この歌は、当時の多くの若者の心情を代弁してくれた歌だったことは確かだと思われます。

 高度経済成長による大衆消費社会は、情報の発達、流通網の拡充によって、ステレオタイプ式に人々のライフスタイルも街のようすも均質化していきます。全国どの街も東京の街並みのミニチュア版のようになっていくのです。だからこの歌における「街」は、全国どの街でもいいわけです。極立った特徴などないごくありふれた街。その片隅に「淋しがり屋」がぽつんと一人いるのです。

 そこはどうせ安アパートに違いなく、街が街なら、この若者も無名性に紛れた、というよりその他大勢に一括りにされてしまいそうな、巨大な社会の小さな小さな歯車。求められるのはただただ経済的成果のみで、一人の人間としての価値や尊厳は蔑(ないがし)ろにされてしまいがちです。当時の学生運動はそういう社会への異議申し立ての側面もあったかと思いますが、とにかく「いまにも泣きそう」なほどこの若者の孤独感、寂翏感は深いのです。

 そこでたまらず、真夜中、傍らのギターを取って何かの歌を弾き語りするわけです。そのギターというのはフォークギター。これは当時の若者にとっての必須アイテムと言っていいものでした。このように吉岡オサムの詞は若者をトータルに深く省察し、それを歌詞としてさり気なく表現した、純度の高い「詩」であるように思います。「吉岡作品中の屈指の名作」という評価もうなずけるところです。

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  そっとしときよ みんな孤独でつらい
  黙って夜明けまで ギターを奏こうよ

 『真夜中のギター』が発表されてから早や40年余。「分離」や「差別」がますます強まり(と言うより極まり)、人と人とは互いが孤立した孤島のように没交渉的に生きています。「愛をなくして 何かを求めて」、内にひりつくような孤独を感じて・・・。しかし一体全体、「愛に変わる何か」などあるものなのでしょうか?

 そんな社会状況の中、やさしくて暖かいまなざしを持ったこの歌は色あせることなく、
いろいろな歌手によって歌い継がれてきました。そして嬉しいことに、我がフォレスタも歌ってくれています。

 歌うは、矢野聡子さん、白石佐和子さん、二人の女声フォレスタです。お二人のデュエット曲としては、(既に記事にしている)『浜千鳥』『赤い靴』の名唱があります。この2つの童謡とは違う、また元歌の千賀かほるの歌い方とも違った、なかなか味わい深い、癒しの『真夜中のギター』です。

 お二人とも、この歌のエッセンスをしっかり把握した上で歌っているな、という感じがします。白石佐和子さんの、いつもながらの、一つ一つの言葉を大切にした歌い方はもちろん素晴しいです。ただこの歌では珍しく矢野聡子さんの独唱で始まり、お二人の立ち位置も左右逆であるように、『矢野聡子の良さを前面に引き出そう』というプロデュースした人の意図があったのかな?という気がします。

 それが極立っているのが、白石さんの独唱にかぶさる、矢野さんの「ア~ア~ア~ア~ア~」のスキャットです(と言っていいのでしょうか?上で『夜明けのスキャット』を例に出したので使うのですが)。ウ~ン、いいねえ!これぞ「天使のスキャット」!
 デュエットならではの秀逸なアレンジで、このパートだけでモトは十分取れます(タダの動画を聴いてるくせして、何言ってんだか-笑)。

 (大場光太郎・記)

関連動画
『真夜中のギター』(懐しい、懐しい、千賀かほるの元歌です。)
http://www.youtube.com/watch?v=a_gglcyipLI
『島谷ひとみ/真夜中のギター』(2010年。初めて聴いたけど、歌うまいネ、この人)
http://www.youtube.com/watch?v=v7K6-7b4SpM
関連記事
『フォレスタの「浜千鳥」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-e365.html
『フォレスタの「赤い靴」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1918.html

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コメント

私は、所謂“団塊の世代”の少し前の生まれですが、育った環境はほぼ同じだった様に思います。
「真夜中のギター」の生まれた1969年当時は、学校を出て実社会に飛び込んで2年目だったように記憶しています、高度成長真っ只中、其製薬会社の大阪支店配属で先輩諸氏に鍛えられながら何とか仕事を覚えようと必死になっていた時代でした。
巷では、大阪万博を控え至る所で道路工事が行われ大阪の町は活気にあふれていました。
述べられているように世情では学生運動がピークを迎え騒然とした状況でした、ノンポリで過ごした学生時代(確固たる思想が無かったのです)を振り返り、熱気あふれる学生達の行動を応援しながらも、理想と現実は違う等と言い訳をしながらすごしておりました。
そんな時代背景の中、「真夜中のギター」を始めとする、時代に抵抗するフォークソングが若者の心に浸み込んだのは当然の結果なのでしょう!

>巨大な社会の小さな小さな歯車。求められるのはただただ経済的成果のみで、一人の人間としての価値や尊厳は蔑(ないがし)ろにされてしまいがちです。当時の学生運動はそういう社会への異議申し立ての側面もあったかと思いますが、とにかく「いまにも泣きそう」なほどこの若者の孤独感、寂翏感は深いのです。<
正に同感です、
この頃から日本社会が“人より物”に価値観を移す時代に変化したように思います。

時代と共に価値観は変化するものだと言う人が居ますが「価値観=真理」と置き換えれば軽々しく変化してはいけないものだと思います、人にとって大切なものは何時までも変わらない物であってほしいと願います。

年寄りの感傷的な思いはさておき
フォレスタの「真夜中のギター」について私感を述べさせていただきます。

数あるフォレスタ動画の中で、白石さん、矢野さん、お二人のデュエット曲は「浜千鳥」で初めて知りました、大場さんの過去ログを紐解くうちに数曲存在することが解りました。どの曲も素晴らしいハーモニーで聞き惚れてしまいます。
この曲は、おっしゃるように、いつもは控えめな矢野さんが前面に立っている構成のようです。 (控えめと言えども矢野さんの清らかなハイソプラノは、耳の良くない私でも、ハモリの中ではっきりと聴き取れます)
矢野さんのスキャット(?)も、本当に秀逸です。

私も同様に youtube で、薩摩の守を決め込んでいるファンですが・・・・・・

投稿: nonnta | 2014年5月28日 (水) 15時13分

 いつもコメントありがとうございます。

 nonnta様は私より年長の方かな?と思っておりましたが、やはりそうでしたか。でもいずれにせよ団塊の世代に近接しておられるわけで、この『真夜中のギター』をはじめとした当時のフォークソングには、私同様、ダイレクトな共感をお持ちだったことでしょうね。

 「南」とは大阪のことでしたか。おっしゃるとおり、当時の活気の象徴のような大阪万博、ありましたねぇ。翌年の昭和45年だったでしょうか。当時所属していた会社(小さな測量会社です)の旅行で、私も“おのぼりさん”気分で見に行きました。大勢の人でごった返して、人気の日本館やアメリカ館などとても入れたものではありませんでした。

 「学生運動」については、当時の私は冷やかに見ていました。こっちはマルクス主義も何もあったものではなく、目先の生活のことで精一杯、どうせいいとこのお坊ちゃんたちのお遊びだろ、くらいに思っていました。本文で述べましたように、今はまた違った視点でとらえていますが。

 「価値観=真理」。おっしゃるとおりかと思います。「不易流行」を唱えたのは松尾芭蕉でしたが、確かに、変っていいもの(流行)と変らざるべきもの(不易)とがあるように思います。ただ「今この時」は、旧来のパラダイムがガラガラと音を立てて崩れていっているような時代です。私たちがついこの前まで「絶対」のように思い込んでいた資本主義ですら怪しくなってきました。その面で私たちは、今後ともパラダイムシフトに柔軟であるべきなのかな?とも考えます。

 白石さん、矢野さんのデュエットは、以前の女声フォレスタにおける一つのフォーマットのようなものでしたね。今聴くと本当に懐しいです。

投稿: 時遊人 | 2014年5月29日 (木) 00時45分

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