UFOの夢(2)
明易(あけやす)の夢を象(かたど)る浮船よ (拙句)
(最近とみに不快感を増す出来事の多い)浮世離れしたお話です。
以前『UFOの夢』(2012年5月1日)を出しましたが、今回またUFOの夢を見ましたので、忘備的にそのあらましを記しておくことにします。
*
ある日の明け方、UFOの夢を見た。
例によってその前段としてかなり長い夢を見ていたはずだが、まるで思い出せない。多分その夢の続きのシーンだと思われるが、私はどことも知れない丘の上にいる。そこの際(きわ)近くに立っているのだ。それから先は、傾斜が少しきつい崖になっている。
周囲は真暗な感じではない。と言って明るくもない。おそらく夕暮れ時なのだろう。
私はそこに立ちながら、前方に開けた空を見ている。と、斜め上空百メートルくらいの所に、ポッと円盤状の黒い物体が現われた。
私はすぐに『UFOだ』と了解した。
UFOはそんなに厚みがなく、底面が強調されて見えている。するうち、底面円周に沿って、一定間隔で赤いランプがいっぱい点いているのが確認された。
私の『UFOはかくあるべし』という思いに応えるように、そこから猛スピードですぐ近くまでやってきたかとみるや、ほんの数メートル上空でピタッと静止した。そうだ、この超物理学的運動こそがUFOだ。およそ地球上の乗り物でこんな運きが出来るものはないのだから。
すると、静止した円い底面から白くやわらかい光の帯が、私の足元近くまで静かに下りて来た。何やらずっと前に観たスティーブン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』のシーンのようだ。
『さあ、次に何が始まるのか?』
遂にこの私も第一種遭遇の時を迎えたのだろうか。そんな期待感とは裏腹に、ふいに『恐い』という思いが湧き上ってきた。
そこで夢は終ってしまった。
*
以上は、今月10日の明け方に見た夢の概略です。多少読み物風に修飾していますが、骨子はこのとおりです。

しかし、「光の帯」が見えたのは一歩前進のように思われます。
これが意味するものは、「向こうさん」はちゃんと、私とのコンタクトの道を開いてくれているということです。だが肝腎の私に、思いもよらず「恐さ」があったのでした。おそらくこれがある限り、(夢でも現実でも)コンタクトや中に入ること、ましてやUFOに同乗することなど無理でしょう。
思い起せば、私がUFOに関心を持つようになってから30年余になります。しかしそんな私ですら、夢の中でであっても、いざコンタクトできそうだとなると恐れを感じてしまうのです。まして、UFOにあまり興味もなく、その存在すら疑ってかかっているようなレベルでは。
多くの情報によれば、宇宙でも稀な今回の地球丸ごとの(第3密度から第4密度への)超変化にあたり、それこそ数多くの地球外生命体が地球に来ていて、上空から見守っているといいます。第4密度、第5密度以上の宇宙存在たちです。一部のネガティブを除いて多くがポジティブです。
サラス(悲しみの星)からアレス(喜びの星)へ。いよいよ私たち地球人類も「銀河市民」の仲間入りをする時なのです。これまでの「恐れ」をベースとした地球から、「愛、喜び」をベースとした地球へのステージアッフです。個人として「愛、喜び」に質的に切り換っている人は、地球外生命体とのコンタクトもどんどん起きているようです。そんなことはイルミナティ・マスコミの二ュースでは伝えられないので、一般人が知らないだけです。
「恐れ」をベースとしたネガティブ勢力は、大事な今この時に、「愛と平和」の憲法9条を骨抜きにし、集団的自衛権を行使できるようにして、自衛隊を海外に出して人殺しをさせようとしています。どんな屁理屈つけようと、以上見てきたことから宇宙潮流への逆行であることは明らかです。
それにしても。この私にも、まだまだ心の中に「恐れ」があるということです。恐れがあるということは、「戦う心」があるということです。十分心して、愛へ、平和へ、喜びへと切り換えていかなければなりません。
(大場光太郎・記)
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