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ギリシャ神話の中の薔薇(1)

  薔薇などはどこかつれない花なるに心惹かれて凝っと見ている  (拙歌)
  

 久しぶりの『ギリシャ神話選』です。

 関東・甲信はおろか東北までもが、あっと言う間に梅雨入りしてしまいました。北海道には梅雨がないそうですが、これで全国がしばらくは梅雨前線に覆われることになります。この季節はよく、「うっとうしく、じめじめして嫌だ」と言われます。確かにそういう面はありますが、私は特に嫌ではありません。

 きょう(6日)のような大雨でも傘さして、長靴履いて、ジャブジャブ街へと出て行きます。雨にけぶった街並みは常ならぬ叙情性がありますし、この季節の花の紫陽花は雨でこそ引き立つ「雨に咲く花」です。

 いや、今回の主役の花は紫陽花ではなく「薔薇」なのでした。
 薔薇は梅雨に先立つ初夏を代表する花で、神奈川県県央の当市では、5月中旬頃から色とりどりの美しい薔薇の花をよく見かけます。

 215.20白薔薇.jpg

  白ばらの匂う夕べは
  月も夢を見ている
  窓辺のまがきにもほのかに
  別れた友の手
  ひとりおもう ・・・

 今回たまたま思い出しましたが、これは『白ばらの匂う夕べは』というドイツ歌曲(作詞:不詳、作曲:ネーゲリ、訳詞:高橋博夫)の一部です。高校3年1学期の音楽の授業で教わり、詞曲ともにロマンチックで甘美な歌で当時“お気に入り”の一曲でした。「別れた友の手」というのは唱歌用としての訳詞だからで、おそらく原詞では「別れた女性(ひと)の手」なのでしょう。

 バラは、西洋の詩や音楽や絵画など芸術上の欠かすことの出来ない素材です。また「ローズマリー」と言われるように、バラは白百合と共に聖母マリアを象徴する花でもあります。「ローゼンクロイツ(薔薇十字)」が示すように、バラは秘教学的シンボルともなりました。さらに歴史上、イングランドの覇権を巡って、ヨーク家(絞章:白薔薇)とランカスター家(絞章:赤薔薇)が争った「薔薇戦争」(1455年~1485年)もありました。

 このように、バラは西洋を代表する花というイメージです。確かにバラは西洋において、品種改良が重ねられ、今日私たちも鑑賞できるような優美で華麗な多くの品種が生み出されて来ました。

 が、しかし、バラは西洋の専売特許というわけではありません。元々その原種は、北半球に広く自生する花だったのです。それを裁培するようになったのもずい分古く、数千年前の中国やバビロニア(現在のイラク)で始まったと言われています。

 近代美術館のバラ

 だからそれよりも時代が下った古代ギリシャでも、ニンフ(妖精)たちが遊び戯れる野やアテネ市民の家の庭先で、バラは咲き誇っていたものなのでしょう。
  ただ当時のバラは、今日私たちが見知っているバラとは違って、今よりもっと素朴で野性的だったのではないでしょうか。

 しかし何といっても、バラは「花の女王」です。当時から人を惹きつける美しさを持っていたようです。

 例えば―。ホメロスの大叙事詩『イリアス』で、劇的な場面でバラが登場します。
 『イリアス』は、BC15世紀頃だったとされる「トロイア戦争」を雄渾に描いた叙事詩です。両軍の衆人が見守る中での、ギリシャ神話の英雄アキレス(アキレウス)と敵将ヘクトルとの一騎討ちのシーンは、トロイア戦争中の名場面の一つです。これに見事勝利したアキレスの盾はバラの花で飾られ、一方敗れたヘクトルの亡骸(なきがら)はバラの油で清められた、と叙述されているのです。

 なお、「トロイア戦争」こそはギリシャ神話最大のイベントです。「これを書かずになんとする」。よって、いずれ当『ギリシャ神話選』でもシリーズ化するつもりです。首を長~くしてお待ちください(笑)。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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