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親鸞の時代、墓に葬られる者は極めて稀だった

私は葬式を、葬儀場を、墓場を放棄します。 
    (『アセンションするDNA』-「聖なる自己」より)

 本日13日はお盆(旧盆)の中日です。ご存知のとおり、お盆はインド仏教の盂蘭盆が起源ですが、「お盆」は日本的に止揚された、「死者たちを偲ぶ事によって生の意味を見つめ直す」優れた文化装置であるように思われます。そんなお盆にちなんで、以前見つけておいた、興味深い阿修羅掲示板投稿記事を以下に転載します。

                       *
親鸞の時代は、墓に葬られる者は極めて稀っであった。西の鳥部野、東の蓮台野といえば、そこは死体を遺棄するための場所なのだった。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/256.html
投稿者 TORA 日時 2011 年 3 月 02 日 14:46:36

◆無縁 2月12日 今様つれづれ草
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/61658503.html#61666692

最近、テレビや新聞で“無縁”という言葉に出会う。
特に「無縁社会」という言葉が巷を駈け巡っているように思える。

そもそも「無縁」という言葉は、紛れもない仏教語である。
即ち、「仏法を聞く縁のない者」という意味で「無縁」という言葉が用いられたが、
それが転じて、「無縁仏」や「無縁墓」といった、
後見が存在しない亡者に関する意味へと変わっていった。

それが今、社会を席巻する言葉となっている。
孤独死、独居老人、社会に順応できない若者…それが「無縁」という社会の実相なのか。

或いは、他人に対する過剰な“無関心”が、そうした現実を生んでいるのかも知れない。
天下の悪法と思しき「個人情報保護法」も、
結果として国家が「無縁社会」の蔓延に拍車をかけているのではないか…。
果たして、こういう社会状況にあって、誰しもが「無縁社会」の中に入り込んでもおかしくない。

名古屋には独居老人の生活をサポートするNPO法人があり、
全国から反響が寄せられているそうで、中にはちゃんと親族が存在する人ですら、
サポートを受けるべく名前を登録しているというのだ。

親子や夫婦関係ならば、まだお互いを見守ることも可能であろう。
(もっとも、そんな間柄であっても希薄な状況は否めないが…)
ところが、親戚関係になってくると、余程の利害関係でもない限りは、最早他人同然のようだ。

拙寺へ葬儀の依頼に来る家庭にも、そういうケースがままある。
荼毘に付した後の遺骨の引き取り手がないとか、
親族がいるにも関わらず、後見がないという理由で墓地を撤去するなど…である。

結局は人間関係を保つのが煩わしく思う時、それが「無縁社会」の出発点なのかも知れない。

ところで、「無縁社会」という言葉の対極が「ムラ社会」であろう。
こと、私が浄土真宗のお育てに与った“真宗地帯”は、典型的な「ムラ社会」である。

稲刈りが一段落すると「御取り越し」という、
在家の仏壇で宗祖親鸞の忌日(報恩講)を勤める習慣が、ほぼ全国の真宗の多い農村では存在する。

滋賀県辺りなどは、いついつ誰それの家で報恩講が勤まるというと、
向こう三軒両隣は言うに及ばず、通り沿いの半径50メートル圏内の家々から人が集まる。
八畳二間ぶち抜きの仏間は、それこそご近所さんで“満堂”ななる訳だ。

そこへ僧侶が来て装束を改めて仏壇の前に座れば、
全員で『正信偈・和讃』を唱和して、引き続いて僧侶の説教を聴聞する。
終わって、全員に供物が配られ解散となるのだが、家によっては参加者に酒の接待もする。
浄土真宗の仏事を通して、地域の繋がりを確かめ合うのが江州辺りの「御取り越し」である。

しかし、こうした繋がりも世代交代を重ねる内に、煩わしさが目立つようになり、
衰退の一途をたどっているのかも知れない。

確かに、現代人からすれば何と前近代的な集いと思われるかも知れない。
付き合いとはいえ、時間を割いてその家へ参詣に行くのも煩わしければ、
特に受け入れる側は物心ともに大変だ。
参詣者に配るお供物も用意しないといけないし、仏間の大掃除も念入りにしないといけない。
「無縁社会」の対極が「ムラ社会」であるならば、「ムラ社会」の人間関係とはそういうものである。(後略)

◆続・無縁 2月13日 今様つれづれ草
http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/61666577.html

その記事中の一節は圧巻であった。
少しく引用しておきたい。

   なんでも、孤独死し身寄りのないものが沢山増えているそうな。
   それがどうした?と言いたい。
   そんなことを大上段に「無縁社会」などという頭を疑う。
   NHKというメディアが賞をもらって調子に乗っているそうな。
   島田某という似非宗教学者がさっそく商売をしているもんな。

   要するにそのことは、
   ①死体の処理に困るということ
   ②それにともなって後始末に公共のコストがかかるということ
   ③モノのように処理されていく「死」に対して何らかの畏れを感じている、
    ということではないのか?

   ①~③のことは、本人以外がかかわることになるから「問題」になってきたのでしょう。
   なら、ちっとも「無縁」じゃないじゃないか・有縁だ。

ややもすれば痛烈な内容ではあるが、完全“無縁”はあり得ないのは確かなようだ。
それこそ、“無縁”は何も現代社会だけの病理では決してない。

時代小説の主人公“木枯らし紋次郎”は上州新田郡三日月村出身の無宿者だ。
無宿者とは人別帳(現代でいう戸籍)に記載されない者のことである。
彼はひたすらに「あっしには、かかわりのねェことで…」を繰り返し、
積極的な人との繋がりを持とうとはしない。
ただひたすら、目的のない旅から旅への渡世人生である。

親鸞の時代に至っては、墓に葬られる者は極めて稀であった。
今も京都に地名として残る、西の鳥部野、東の蓮台野といえば、
そこは死体を遺棄するための場所なのだった。
蓮台野を通る千本通という広い道路の名前の由来は、
“無縁仏”の卒塔婆が千本立っていたという故実にちなむ。
近世・中世の人々は、我々の想像を遙かに超えた社会で暮らしていた。

もっとも紋次郎の“無縁”は、孤独としての無縁に加えて、
権力からの垣根を越えたところに存在する“無縁”でもあろう。 (転載終り)


【追記】
 上転載文タイトルと文中に、(親鸞の時代、死体を遺棄する場所としての)「蓮台野」という地名が出てきます。これは京都の古(いにしえ)の地名のようですが、確か柳田國男著『遠野物語』にも(112話)、「死者」というキーワードでリンクしそうな蓮台野という地名が登場します。京都と岩手県遠野と、大きな距離を隔てつつ、「文化の伝播」ということなのでしょうか。

参考文献 青空文庫版『遠野物語』
http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html

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