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「平和憲法をノーベル平和賞に」、日本はもとより韓国・中国でも

-当ブログでも何度か取り上げてきた「憲法9条にノーベル平和賞を」キャンペーン。昨年は有力候補に名を連ねながら惜しくも受賞を逃した。がしかし、ここに来て韓国の識者たちが同キャンペーンに賛同し、大々的な平和運動を展開してくれると言うのである。何とも心強い援軍であり、これ以上ないクリスマスプレゼントである(と言うようなことを書くと、ネトウヨさんたちはすぐ「親韓だ、在日だ、反日だ」と騒ぐだろうが)。以下に転載する記事で、作者の本澤二郎氏は、この運動は中国や欧州にも波及するだろう、と述べている。国内では改憲主戦主義の安倍政権をすべての権力が後押ししていて、平和憲法は風前の灯である。が、こうして平和のための国際連帯が築かれ、実際平和賞を受賞することが、「戦前日本トリモロフ症候群」安倍一派の亡国的暴走を阻止できる唯一の方途なのである。 (大場光太郎・記)-

平和憲法をノーベル平和賞に<本澤二郎の「日本の風景」(1864) <日本・韓国そして中国でも>
http://www.asyura2.com/14/senkyo176/msg/699.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 12 月 21 日
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52090565.html(元記事)
2014年12月21日 「ジャーナリスト同盟」通信

<韓国の識者が9条受賞運動開始>

 すばらしい知らせである。韓国の識者らが、日本の誇りである平和憲法を、2015年のノーベル平和賞にする平和運動を、大々的に開始するというのである。日本の市民運動に連帯する、初めての外国勢の参加である。改憲軍拡の財閥主導の、自公政権に対決する国際的包囲網といっていい。世の中には知恵者がいるものである。大いに推進する必要がある。

<日本・韓国そして中国でも>

 低投票率・低得票の12・14総選挙結果に打ちひしがれている日本の平和愛国家らの励みともなろう。そもそも、日本人の平和主義はいい加減なものではない。

 戦前の侵略戦争においても、自由主義者らの抵抗は強かった。国家神道による祭政一致という恐怖政治が、いうなればそれを可能にしたものである。21世紀の今日、神社信仰という幼稚なカルトに制圧される日本人ではない。たとえ新聞テレビが神社の祭礼を宣伝しても無駄なことである。
 神社・神棚信仰で日本人の精神を拘束することなど、もはや不可能であろう。そこに信濃町の新たな教団が関与しても、無駄なことである。
 日本で火がついた9条憲法をノーベル平和賞にしようという画期的な平和運動は、2014年の午年に欧米にも伝えられた。世界的反ファシズム勝利70年の2015年こそ、受賞に一番ふさわしい年であろう。
 平和を愛する人類はこぞって、このすばらしい平和運動の旗手になろうではないか。夢ではない。現実が目の前に迫ってきている。
 間違いなく、13億人以上の中国人民にも、運動は波及するだろう。もしも、中国で講演や執筆の機会があれば、このことを一番強く訴えて、賛同者を募ろうと思う。2015年の決意と目標である。

<アジア・欧米各国へ拡大>

 「安倍・自公内閣が推進している改憲軍拡政策は、半島と東アジア全体に緊張を招来させる。戦争の危険が間違いなく表面化する。この日本国家主義の再現阻止が、アジアと世界の責任である」という趣旨の発言を韓国の識者らは、明瞭にしている。これは心強い。
 日本国家主義を、全く批判できない日本の新聞テレビである。財閥批判の出来ないマスコミばかりである。信濃町さえも批判しない。それは自由なはずのブログ・ネット世界でも。しかも、改憲論者が政界の多数を占めている厳しい現状を考慮すると、日本と韓国の平和運動家の取り組む目標は正しい。
 戦争放棄の9条憲法は人類の悲願を基本法に明文化した、世界に冠たる最高の憲法である。これを破壊しようとする安倍・自公内閣の野望阻止は、したがって人類共通の悲願と使命でもある。
 「燎原の火のごとく」という表現がぴったりするような展開が、目に見えてくるのだが、まずは数千人の我が読者に賛同を求めたい。

<安倍・自公の国家主義封じの決め手>

 国家主義を封じ込める手段は、いまの日本では困難である。新聞テレビが正論を吐けないからだ。財閥(金)と集票教団が結束して支援する政府与党を追い込むことは、小選挙区制の下では絶望的である。
 日本国憲法は、風前の灯という状況に置かれてしまっている。「この国は落ちるとこまで落ちるしかない」とあきらめる識者も少なくない。典型的な敗北主義に気付こうとしない。
 日本国家主義を封じる手段は、国際連帯である。これしかないと常々考えていたのだが、9条ノーベル平和賞が、方法においても平和的で最善の道である。
「戦わずして勝つ」という孫子の兵法そのものであろう。

<反ファシズム戦勝70年に弾み>

 2015年は戦後体制の再構築をするための、重要な節目の年である。国際世論は国家主義を許さない。ドイツのナチスを封じ込めた欧米である。東アジアに台頭する国家主義・ナショナリスト政権に厳しい目を向け、容赦しないであろう。ワシントンの主も、残りの政権運営に開き直りの政策へと舵を切っているのも、心強い限りだ。
 安倍・自公政権に手を焼いている日本国民にとって、不幸中の幸いである。戦争で暴利を得るのは、死の商人だけである。財閥である。人類は、このことを肝に銘じるべきだろう。
 反ファシズム戦勝70年は、このすばらしくも美しい平和運動に弾みをつけてくれるだろう。署名運動に率先参加したいものである。本ブログ読者諸兄にも、筆者から強く要望したい。平和こそが人類の悲願、幸せをもたらす最低の条件なのだから。

2014年12月21日記 (転載終り)

関連サイト
『憲法9条にノーベル平和賞を』署名サイト
http://chn.ge/1bNX7Hb

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