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フォレスタの「庭の千草」

小学唱歌集 第三編
作詞 里見義
アイルランド民謡

庭の千草も むしのねも
  かれてさびしく  なりにけり
あゝしらぎく 嗚呼白菊
  ひとりおくれて さきにけり

露にたわむや 菊の花
  しもにおごるや きくの花
あゝあはれあはれ あゝ白菊
人のみさをも かくてこそ


 9月26日、nonnta1944さんが『フォレスタ 庭の千草』をYoutubeにアップしてくれたおかげで、今年の秋は「庭の千草三昧」、ずいぶん視聴させていただきました。

 そこで、菊が旬となる11月中にこの記事をまとめる予定でいました。しかし諸般の事情により延び延びとなり、早やクリスマスどころか「♪もういくつ寝るとお正月・・・」の12月半ば過ぎとなってしまいました。上の『庭の千草』の歌詞どおりいくら寒さに強い菊とは言え、さすがに残菊の風情、ともすればすがれた無残菊の姿となってしまいました。

 しかしこのフォレスタ記事を年内に書いてしまわねば、どうにも年が越せない落ち着かない心持ちなもので、今回こうして取り上げることにした次第です(笑)。

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 『庭の千草』は、日本的な歌のひとつとして長く歌い継がれてきました。しかし既にご存知のとおり、日本で作られた歌ではなく、アイルランド民謡に里見義(さとみ・ただし-1824~1886)が日本語の訳詞をつけたものです。

 1884年(明治17年)6月、文部省音楽取調掛編纂『小学唱歌集 第三編』に掲載されました。

 しかしこれにはもう少し説明が必要です。「アイルランド民謡」と言うことについてです。

 確かに原曲は古くからのアイルランド民謡がベースにあることに違いはありません。が、この歌が世界的に広く歌われるようになったのは、18世紀アイルランドの詩人のトーマス・ムーア(1779~1852)が、エドワード・バンティング(1773~1843)のアイルランド民謡集に収められていた『ブラーニーの木立(The Groves of Blarney)』に自作の詩をつけて発表したことによってでした。

 トーマス・ムーアの詩は、それとは内容がまったく違う、『夏の名残のバラ(The Last Rose of Summer)』です。

 そして彼が作詩のもとにした『ブラーニーの木立』そのものが、『ハイド城(Castle Hyde)』というアイルランドの古い民謡を元にしており、それにリチャード・アルフレッド・ミリキン(1767~1815)が古い民謡を大きく書き換えた旋律をつけたのです。

 少し話がややこしいかもしれませんし、私も元々の『ハイド城』というアイルランド古謡がどんなメロディだったのか知る由もありませんが、いずれにせよ今日世界中で愛唱されている『The Last Rose of Summer(夏の名残のバラ)』は、トーマス・ムーア作詩、そしてリチャード・アルフレッド・ミリキンによる作編曲と言っていいものです。

 なおトーマス・ムーアは、日本でもこれまたよく歌われている名曲『春の日の花と輝く』の作詞者でもあります(原題「Belive Me,if All Those Endearing Young Chams」)。この曲については昨年春に『島田佑子「春の日の花と輝く」』を公開しましたが、その中でトーマス・ムーアについて少し述べましたので、参考に以下に転載・紹介します。

 アイルランドの首都ダブリンの裕福な商家に生まれたトーマス・ムーア(1779年~1852年)は、長じてロンドンで法律学を学び、後にバミューダ統治の責任者にもなりました。
 詩人としてのムーアは、この歌のほかにも日本でも愛唱されている『庭の千草』をはじめ後世に残るアイルランド民謡を次々に書いて文名を高め、バイロンやシェリーといった西洋文学史上の詩人らとも交友を深めました。

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 欧米にならう明治新政府は初等音楽教育の必要に迫られ、かと言って自前の歌もおいそれとは作れず、苦しまぎれに欧米の歌を翻案した日本語訳詞として、この歌を『小学唱歌集 第三編』に載せたものなのでしょう。似たケースとして、この歌より先、日本最初の音楽教科書である『小学唱歌集 第一編』(明治14年)に収めた『蛍の光』(スコットランド民謡)があります。

 それにしても、トーマス・ムーア『夏の名残のバラ』を、日本的に『庭の千草』に翻案した里見義の技量の冴えは見事です。(ただし、『小学唱歌集 第三編』初出のタイトルは「第七十八菊」でした。)

 
 『夏の名残のバラ』では、仲間のバラがみな散ってしまったのにただ一輪残って咲いている赤いバラに得もいわれぬシンパシーを感じ、慈しみながら、つまりはそれから、古い友人・知人たちがみな世を去ってしまったのに我のみ生きて何の生きがいか、赤いバラよ、そなたが散れば我また後を追わん、と言うような人生の哀歓にいたる趣旨の詩です。

 里見義は原詩のモチーフを踏まえつつも、バラを日本的に菊に変え、したがって季節も夏から晩秋に移しているわけです。この移し変えがどんぴしゃりはまっていて見事です。百年以上経った私などはすっかり、このメロディは晩秋にこそふさわしいと思ってしまうほどです。

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 ただ明治期のこれからを背負って立ってもらわなければならない少年少女たちに原詩の後半のような諦観はふさわしくなく、前半の「 ひとりおくれて さきにけり」に絞って謳いあげたわけです。晩秋であるだけによけい、凛として健気に咲く白菊のさまが胸迫ってくるように感じられます。
 それになお言えば、「菊花十六花弁」が天皇家の紋章であるように、菊は明治天皇をいただく明治国家をも連想させますよね。

 なお里見義は、『小学唱歌集』第一編から第三編まで計24曲の作詞をしていますが、中でも『庭の千草』は『埴生の宿』と並ぶ代表作と言えます。

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 さて、『フォレスタの「庭の千草」』についてです。

 これにつきましては、投稿主のnonnta1944さんご自身がコメントしておられますので、以下に転載します。

(引用開始)

フォレスタ元祖女声4名による構成、1番は矢野聡子さんのソロ、2番は矢野さんに、中­安千晶さん、白石佐和子さん、小笠原優子さんが加わり、四重唱になります、清らかに澄­んだ矢野さんのハイソプラノが美しく響きます。  (引用終り)

 
 実に簡潔で的確な短評です。毎度のことながら、この人のコメントにはすっかりお株を奪われてしまいます(汗)。

 nonnta1944さんには以前のフォレスタ記事の幾つかにコメントをいただきました。それによりますと、私などと同じく、2011年夏頃からのお二人(loveforestaさん、newminamiさん)によるYoutubeへの初めての動画アップによってフォレスタを知り、ファンになられた人のようです。

 その当時フォレスタ動画を視聴した人たちにとっては、その時の初代女声フォレスタ+吉田静さんの印象が鮮烈で、どうしてもあの頃の女声メンバーへの郷愁が(私も含めて)強いです。

 nonnta1944さんにとっては、分けても矢野聡子さん、小笠原優子さんのファンのようで、矢野さんがメーンのこの歌と『夕焼け小焼け』『白い色は恋人の色』、小笠原さんがメーンの『津軽の故郷』『ラ・ノビア』『君の名は』の計6本の動画をアップしてくれています。

 私はこの『庭の千草』、nonnta1944さんが今年春頃のあるコメントで絶賛されるまでほとんど聴いていませんでした。が、あらためて聴いてびっくり、この歌の矢野聡子さんの独唱は最高!とその時思わせられたのでした。『庭の千草』は、『浜千鳥』『真夜中のギター』などとともに矢野さんの代表曲のように思われます。

 ピアノ演奏はおそらく南雲彩さんなのでしょうが、矢野さんの独唱を際立たせるためなのか、初めはポ~ン、ポ~ンと単音のみ、1番の後半から徐々に本来の演奏になり、合わせて2番は中­安千晶さん、白石佐和子さん、小笠原優子さんが加わった全体コーラス形式で、この歌の叙情性を最高頂に盛り上げて終ります。

 『小学唱歌集 第三編』には、「第五十六 才女」(作詞者不詳、作曲;J・スコット)がありますが、皆さん白菊のような(華美ではない)白いドレスで、清らかな「歌う才女」の趣きです。

 とにかく、初代女声の童謡、唱歌、叙情歌は本当に素晴らしい!

【追記】
 最近のフォレスタ動画は少しずつ増えてきていますが、初代女声+吉田静さんの頃の動画はまだまだです。どなたか動画アップのお出来になる方、アップをお願いします。

 (大場光太郎・記)

参考
『近代デジタルライブラリー「小学唱歌集 第三編」より「第七十八 菊(庭の千草)」』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992053
(当時の原本の歌詞及び楽譜がごらんいただけます。ただし78番目ですから、上部の「次」ボタンをけっこうめくってください。)
関連動画
『The Last Rose of Summer in Kerkrade』
https://www.youtube.com/watch?v=WceIDpstGFQ
(世界的指揮者兼バイオリニスト、アンドレ・リューによる『庭の千草』です。オランダの炭鉱町カルクレードでのコンサートですが、ステージと観客が一体となって感動的です。)

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コメント

歌詞が「ひとりおくれて さきにけり」と表記されていますが、「遅れて」となっていない点で素晴らしいと思いました。原詩と比較すれば「後れて」と書くべきものを、ほとんどが「遅れて」と表記し、年の終わりまで遅くまで咲いているという意味に理解しています。しかし本来は愛する者がみな先に亡くなってしまい、独り取り残された、つまり後れてしまった哀しみをうたったものだからです。詳しくは「庭の千草の秘密」で検索して下さい。

投稿: nik3 | 2015年6月14日 (日) 20時55分

 コメントありがとうございます。

 早速、貴文中の「庭の千草の秘密」検索からそれと思しきサイト記事を読ませていただきました。里見義訳詞についての深い考察文ですね。
http://blog.goo.ne.jp/mayanmilk3/e/78b7d142377ec10a8c5cf1d4adc7ab3e

 サイト主様(もしかしてnik3様ご自身?)のわが国古文や和歌についての深い造詣がうかがわれますが、それはそのまま訳詞者の里見義にも言えるわけです。惜しむらくは、このような優れた伝統文化や教養を現代人の多くはじっくり学ぼうとせず、文化遺産の消滅が懸念されることですね。

投稿: 時遊人 | 2015年6月15日 (月) 00時33分

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