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「8・30国会10万人デモ」に参加して(2)

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 警視庁警察官の規制を振り切って向こう側歩道に走り、そこに集った人々に合流し、さらに一歩核心部に近づいたことを実感しました。今まで以上に身動きが取れなくなったからです。少し歩いては止まり、しばらくその状態で待機しているとまたのろの動き出す、その繰り返しでした。

 ここではあらためてのぼり旗の多さに驚きました。方々の各団体が競うようにのぼり旗を立てているのです。仔細には覚えていませんが、中に神奈川土建ののぼりもあり『おっ、やってるな』と思いました。

 先週のいつだったか仕事上で大和駅の相鉄出口に降り立った時、路上で50代くらいの女性数人が戦争法案反対の署名を呼びかけていました。私は署名に応じるとともに、「8・30全国デモ」には参加したいと思っていましたので、その情報を尋ねたところリーダー格の女性のところに導かれ、その人から大和市では同日2時から小田急江ノ島線の桜ヶ丘駅で実施すること、相模原市でも実施予定のこと、厚木市は不明であることなどを教えてくれました(後で調べたところ当厚木市デモの予定無しと判明)。

 聞けばこの人たちは神奈川土建所属だというのです。私の士業とはいわば商売がたきの旧知の団体です。しかしそんなことはどうでもいい話で、この名称から連想されるとおり建設業の土木分野の業者・会社を組合員として構成さてれている団体ですが、本来は自民党支持と推察されます。なのにこうして安保法案反対署名を繰り広げていることに、この運動の裾野の広がりを実感させられたのです。

 ・・・それに見れば神奈川土建だけではなく、千葉・埼玉土建などののぼりも翻っています。また団体名は違えどやはりいろいろな県のものがあり、関東を中心に各県のさまざまな団体が参集していることがよく分かります。
 
 交差点からやっと十数メートルくらい進んだ所に実行委員会関係の女性がいて、質問する人に丁寧に答えていました。私も「国会議事堂はどこなんですか?」と、もっとも基本的な事を聞きました。私は以前国会議事堂前駅で乗降していたとはいえ、そこを左折して対面に首相官邸のある坂を下り霞ヶ関信号を右折した共同通信社ビルに行くルートしか知らず、当時国会周辺を散策する余裕などなく今もって周辺の地理がよく分からないのです。

 それにこのたびはいきなりぐるっと大回りさせられたわけですから余計です。
「あちらが国会ですよ」「手前に見えているあの大きな建物が参議院、その奥が衆議院です」 女性は道路反対側を指差しながら教えてくれました。あっ、そうか。例の国会議事堂のシンボルの尖った塔のような中央の建物が見えなかったので気づかなかったが、目と鼻の先のあの区画全体がそうだったわけだ。ということは議事堂正面から見て、右側面道路にいることになるのか。「どうもありがとうございました」となった次第です。

 わずか2、300メートルほどのその区画歩道を抜けるのに40分ほどかかってしまいました。途中小雨が降り出したりしてとにかくムシムシします。そんな中、2人の小さな子供を連れた若いお母さんが向こうからやってきました。子供たちは頭からビニールカッパを着ており、蒸し暑くて大変だろうなろうなあと思いながらすれ違いました。

 国会議事堂前駅を降りた時から感じていましたが、参加者は年配の人たちがずいぶん多いようです。昭和30年代少年期だった私の記憶では、その頃「戦争の悲惨さ」「平和の尊さ」を直接・間接に教えられもし、また有形・無形さまざまの場面で自ら学び考えもしました。「戦争と平和」というテーマに、真っ先に敏感に反応するのが50代、60代以上の世代なのかもしれません。

 ところで、千代田線に乗っていると、ある駅から若い男女十人くらいがどっと同じ車両に乗り込んできました。見ると高校生くらいの年頃です。それが赤系と紺系二種のかもめの水兵さんもどきのチンケな服装なのです。『さては昔の竹の子族の末裔か?』と思いましたが、案の定原宿駅で降りて行きました。

 今回のデモにはシールズの弟妹分の「T-ns SOUL」(高校生グループ)も参加しているかもしれませんが、一方ではそんなことには無関心・無頓着な高校生たちもいるわけです。いやそちらの方が圧倒的に多いのかもしれません。近未来、戦争という現実がダイレクトに自分たちの身に降りかかってくるかもしれないのに。

 とはいえ、「デモ」などというものは原則としてあくまで本人の自由意志で参加すべきもの。他人が強制すべきものではありません。

 ・・・中には『この人はデモ慣れしてるな』と思うような人もいました。それらの人に混じって、「戦争法案絶対反対!」「安倍は辞めろ!」「9条守れ!」などと大声で叫んでいるうち、私もいっぱしのデモ闘士になった気分になりました。

 そうこうしているうちにその歩道をやっとの思いで抜け出し、そこと直行する超幅広の道路にたどり着きました。その道路反対側には十何台ものバスが連なっています(冒頭画像)。どちらかというと暗い色なのを見ると通常のバスではなく警視庁車両のようですが、印象としていよいよ物々しい警備態勢の雰囲気です。その道路の向こうには広い緑地公園が見られます。

 その時まだ完全に国会周辺図を頭の中で把握していませんでしが、その道路のどこかに本体の抗議ステージがあるらしいので、ここまで来たからにはあっち側の歩道にとにかく行ってみようとなりました。

 この歩道も先ほどと似たりよったりの状況でのろのろ牛歩状態です。歩道のみか大木が豊かに繁る緑地公園の中にまで人が溢れています。そんな中奥田君から「大先輩の坂本龍一さんが駆けつけてくださいました!」というような紹介があり、周り中そうでしたが私も思わず「ウオーッ!」とミーハーな声を挙げてしまいました。周囲全体地鳴りのような「ウオーッ!」でした。

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 上画像は当然後で知ったわけですが、坂本龍一氏、私より3歳ほど若いようですが、すっかり白髪で、失礼かもしれませんがいで立ちからして何やら「老賢者」といった趣きです。ただ病みあがりとのことで、その時の話は少しボソボソ声でよく聞き取れなかったのが残念です。(後で確認したところ、「、「憲法の精神、9条の精神がここまで根づいていることを皆さんが示してくれ、勇気づけられている。憲法や民主主義を取り戻すためのとても大事な時期で、僕も一緒に行動していきます」などと述べたとのこと。)



 その点少し後にお話になった作家の森村誠一氏の方がずっと高齢ながら声に張りがあり、しっかり聞き取れました。今大集会にも参加している大勢の女性を意識してか「戦争になって一番ひどい目に遭うのが女性です」から始まる話は説得力がありました。

 そうこうしているうちに雨が本降り気配になってきました。と、途中で規制のロープを上げて少人数ずつ車道に出られるようにしている箇所がありました。そこからさらに先に進んでいいというのではなく、車道を歩いて引き返してもいいということなのです。

 時刻は夕方4時頃。とうとうステージそのものには行けなかったけれど、だいたい見るべきものは見、聞くべきものは聞いたかな、それに雨も強くなってきたことだしちょうどいい頃合いかな、と判断し私もそこから帰ることにしました。

 帰り際一人の警官になおも「ステージはどこなの?」と尋ねると、「あの辺です」と何十メートルか先を指さして教えてくれました。後でじっくり周辺地図で確かめましたが、緑地公園が切れた先、本当に後少しだったわけです。そしてそこは冒頭の毎日新聞画像どおり、おそらく60年安保闘争以来の大群衆で覆い尽くされたのです(主催者発表;12万人)。

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 今回で完璧に国会周辺地図が頭に入りました。「今度」ということがあるかどうか分かりませんが、次に国会デモに参加する機会があれば、もう少し時間に余裕を持たせて「華の国会正面広場(道路)」の一角にしっかり陣取りたいものです。  - 完 -

 (大場光太郎・記)

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http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-3f8d.html

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