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長州田布施部落出身の大室寅之祐(明治天皇)は果たして南朝の末裔か?

-今日の日本混迷の元凶は明治以降の「近代天皇制」にあった。この的を外してはいかなる犯人探しもナンセンスであろう。日本がここまでメチャクチャになってしまっている以上、我々は長い洗脳状態を自ら解いて、その事に深く思いを致すべきなのではないだろうか?-

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(左:幕末長州奇兵隊士時代の大室寅之祐、右:明治天皇)


大室寅之祐は果たして南朝の末裔か?
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2015/07/5108.html
日本を守るのに右も左もない 2015年07月10日

明治天皇が田布施の大室寅之祐であることは、もう一般的に知られている。

その大室の出自について解説してあるブログから、今回はそれを紹介したい。

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大室寅之祐が南朝光良親王の末裔なんて大ウソ
田布施町長と電話で質問してみたが大室寅之祐が南朝の末裔なんて大ウソらしい。町長の祖父は昔奇兵隊に出入りしてて奇兵隊明治天皇の話は小さい頃よくきかされたそうだ。

まず大室家といっても初代は大室寅之祐の曽祖父の代から。
(初代(父)大室文右衛門)2代目(息子)大室文右衛門のころ大室家が大庄屋になり文政時代ころから注目されこのころ南朝の末裔の自称するようになった。大室文右衛門の息子は早死ししかたがないので娘のハナと大室又兵衛の息子大室弥兵衛24歳を結婚させて養子をとることにした。

大室分家から大室本家の養子にはいった大室弥兵衛が3代目を継ぎハナとの間に2人の子ができたが2人とも早死し幕末大室家は弥兵衛の代で断絶した。

 

時を同じく1854年に地家河内作蔵(廻船業)とスヘが離婚。作蔵が3男朝平と長女ターケを引き取りスヘが長男地家寅吉と二男地家庄吉をひきとる。1855年1月スヘは大室弥兵衛と再婚。

 

長男地家寅吉は大室寅吉(のちの大室寅之祐に)次男地家庄吉は大室庄吉になりスヘは弥兵衛の2号となり1年後弥兵衛とスヘの間に大室寅助が生まれるがスヘが産後のひだちわるく肺結核で死亡。(西円寺池に入水自殺とも)ここで大室家は断絶し地家作蔵の息子地家寅吉大室寅之祐がぎりの母ハナに育てられる。
その後大室寅之祐は明治維新の1868年1月15日本物の明治天皇とすりかえられる。

 

以下

大正天皇・・・当時は大隈重信と岩倉が権力にぎっていて大隈の子が 大正天皇になる。岩倉の子は堀川辰吉郎となって御所を追放される。

昭和天皇・・・明治天皇の子で計画出産。明治天皇の権力で作られた。

今上陛下・・・当時は三笠宮崇仁と徳川(尾張)義知が権力握ってて 三笠宮の子を明仁に。尾張義知の子を常陸宮にした。

皇太子浩宮・・・昭和天皇と岸元総理の権力で大室庄吉の孫大室近祐の孫を皇室に養子にして浩宮にした。(安倍晋三の玉)

愛子さま悠仁さま・・・日本で一番権力持ってたのが橋竜と久美子。2番目が美智子皇后と正田巌。3番目が曽野綾子。
橋本龍太郎の孫を愛子さまにした。しかし橋竜が議員辞職しなくなって橋本家がナンバー1権力者から転げ落ち美智子皇后と正田巌が日本で一番の権力者
になり美智子皇后が紀子さんに「もう男の子作っていいよ」といわれ悠仁さまをつくった。

 

---------引用ここまで-----------

現在、皇居には南朝の英雄である楠正成の立派な像が配されてある。これは明治になってからなのだが、この行為が田布施出自の大室の存在をごまかすカモフラージュなのかも知れない。また、裏天皇と表天皇という表裏体制を取り入れたことによる南北合作をカモフラージュするものとも考えられる。

 

なぜなら、大室以降の天皇は上記のように、万世一系とは決して言い難い血筋となっているからだ。

補足(るいネットより)

山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない

 

つまり現在の天皇家は、古来万世一系による血統を受け継いだ神聖なる皇族ではなく、欧州貴族らと同様に金貸しとして、そして金主として君臨しているだけだのではないか。

(転載終わり)

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【私のコメント】

 もちろん正統な学説とはなっていませんが(仮にそうなったら、とっくの昔にてんやわんやの大騒動でしょう)、明治天皇は長州下級藩士・大室寅之祐で間違いないのだろうと思います。大室は当然急死した孝明天皇の子供などではなく、主に長州藩士らよって担がれて明治天皇に化けたのです。

 大室寅之祐は孝明天皇の子の陸仁親王を騙ったわけですが、その時まだ年端も行かず体も小さかった本物の親王が、身長170センチ余の堂々たる若き天皇として東京の江戸城(千代田城)に現われたのですから、もし本物の親王を知る公家が見たらさぞびっくりしたことでしょう。

 もっとも大室を担ぎ上げた長州藩士らは、すり替えの事実を公家たちに広く知られないためにも京都から東京に朝廷を移し、京都の公家や女官達のほとんどは連れていかず、女官などは現地(東京)で調達したといわれています。

 そもそも先代の孝明天皇の死自体がミステリーです。
 御歳35歳の若さで、それまで痔疾以外は特段病気もなく壮健だった天皇が、明治維新直前の1866年12月25日、天然痘にかかってあっけなく死亡したのですから。だから同天皇の死には毒殺説、謀殺説などが囁かれてきました。

 謀殺説としては、(やはり田布施部落出身の)あの伊藤博文が、側室の家に天皇が行くことを事前に掴み、同家の厠(便所)の下で待ち伏せし、用足しに入った天皇を下から槍で突き刺したというような話まであります。

 それというのも孝明天皇は頑なな「攘夷論者」で、(英国ロスチャイルドと気脈を通じていたというよりその手ごまとして使われていた)薩長などの志士たち、朝廷内の「開国論」公家たちにとって邪魔な存在だったからです。

 真相は不明ですが、後々大問題となりそうな「孝明天皇暗殺」はなかったのではないかと、私は考えます。

 で、どうしたか。とにかく天皇は死んだことにしていただくしかない。それが英米などの魔手から日本を守る唯一の道である。そこでお隠れになった形の孝明天皇は(もちろん死んではおらず)「裏天皇」に回っていただいくことにした、ということではないでしょうか?

 それまでの天皇家は「北朝」系統だったわけです(現天皇家も「表向きは」北朝系)。それではすり替わった大室寅之祐はどうだったのでしょうか?

 これが上転載記事のテーマだったわけです。北朝、南朝どちらの天皇系統にも属していない、つまり全くのニセモノ天皇が明治天皇(=大室寅之祐)だったのだ、というのが転載文の結論でした。

 これがもし事実だとしたら、近代日本史が根底から引っくり返るほどの大衝撃です。本当でしょうか?

 ここでも私は疑問をさし挟ませていただきたいと思います。

 明治天皇新体制を、公家方の有栖川熾仁親王や岩倉具視らが支持し協力もしたわけです。が、もし大室寅之祐が天皇家と縁もゆかりもないどこの馬の骨とも分からない長州田布施の部落民だったら、何より血筋を重んじるはずの公家たちが支持などしたでしょうか?

 大室家には南朝系血筋をうかがわせる何らかの物的証拠や家系図が残っており、それで有栖川熾仁親王らが納得したと見るのが妥当なのではないでしょうか?

 そもそも「南朝論者」の吉田松陰時代から、長州藩では藩内田布施に抱え込んでいる南朝系とみられていた大室家の者を天皇として担ぐことが考えられていたといいます。対して(水戸学で明治維新の先駆となった)「南朝論」元祖の水戸藩では、やはり自藩内の熊沢家を担ぐ事を考えていたのです。

 玉(天皇)を握った事により、旧長州藩が近代日本の実権を手にしたわけです。田布施出身の岸信介、佐藤栄作、安倍晋三一族に顕著なように、初代の伊藤博文以降長州(山口県)出身の総理大臣がダントツなのは一つの表われです。

 伊藤博文は鼻息荒く、ある時「誰のお陰で天皇になれたんだ!」とばかりに明治天皇を怒鳴り散らしたという話も伝わっています。

 そうそう、問題の靖国神社も元はといえば「長州神社」なのです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『山口県田布施町の怪 -近代日本国家の真相-(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-3837.html
『山口県田布施町の怪 -近代日本国家の真相-(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-e8aa.html

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コメント

私は田布施出身で、たまたま、田布施町の役場を検索していまして、このページを拝見いたしました。
これって、本当ですか?
大室君は普通の子で幼稚園で良く一緒に、泥団子を作って遊んでいました。
私の親父はお爺さんを見て、大室天皇と言っていましたが、当時は理解できずこのページを見てビックリです。
お爺さんは、普通の(髭をはやした)爺さんで、大室君が風邪をひいた時など、自転車の後ろに乗せて、幼稚園から帰っていました。
大室君元気かな?小学校の途中で転校したけど、とても良い人でした。
願わくば、そっとしておいてあげてください。

投稿: くぬぎ | 2016年11月14日 (月) 21時59分

くぬぎ様

 コメントありがとうございます。最近ネットで話題になっている「田布施町」のご出身との事。恐縮に存じます。

 大室寅之祐=明治天皇説、この記事や『山口県田布施町の怪 -近代日本国家の真相-(1)(2)』記事を公開した者としては、本当だと思います。

 その大室天皇家の御曹司と泥んこ遊びをされたというのは、得難い思い出ですね。その人のお爺さんの「大室天皇」は、寅之祐とはどういう関係だったのでしょうか。兄弟の子供ということなのでしょうか。興味が湧いてきますね。

 田布施町からは、ご存知かと思いますが、岸信介、佐藤栄作、松岡洋佑、川上肇、宮本顕治など、錚々たる政治家や学者を輩出しています。現在の安倍首相の安倍家も、元はといえば田布施町の出だったようです。これなども大室寅之祐=明治天皇説を裏付ける傍証となりそうです。

 同町ご出身者として、くぬぎ様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。

投稿: 時遊人 | 2016年11月15日 (火) 00時00分

>橋本龍太郎の孫を愛子さまにした。

しかし江頭豊と愛子さまがそっくりですが…

投稿: なぜなぜなあに? | 2017年3月 5日 (日) 20時16分

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