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【必読】野坂昭如が死の4ヵ月前に綴った、安保法制と戦争への危機感「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」

-つい先日漫画家の水木しげるを追悼したばかりなのに、今また作家の野坂昭如の訃報を聞くこととなった。野坂といえば、(テレビ放映され)全国のお茶の間の感涙を誘ったアニメ映画『火垂るの墓』の原作者として知られている。私はこのアニメを映画館、テレビ放映、当市中央図書館ビル5階での上映会と都合3回観た記憶がある。『フォレスタの埴生の宿』でも触れたが、このアニメの4歳の女の子・節子は、(私自身が当家が零落の極みにあった年に3歳の下の妹を亡くしていることもあり)私にとって日本映画史上屈指のヒロインなのである。後に野坂の原作も読んだが、その独特の文体によって織られていく物語に映画とはまた違った感動を覚えたものである。この作品は神戸空襲、疎開先の福井で自分の腕の中で死んでいった妹など、野坂自身の体験が直接的に投影されているといわれている。リテラ転載文にあるとおり、型破りな行動で世間の注目を集めることも多かった野坂だが、それについては「平和だからこそ好き勝手が出来るんだよ」と言ったという。野坂にとって戦争体験こそが原体験、バックボーンとして終生貫かれていたのが「戦争否定、平和の思い」だったのだ。平成に入る前・昭和が終わる頃、ある月刊誌に野坂の『やわらかなファシズム』という一文が載った事がある。時は、「日本は(米国・米軍にとっての)不沈空母」発言が物議をかもした中曽根康弘政権末期。中曽根こそが今日の「ハードなファシズム」安倍政権の跳梁跋扈のお膳立てをしたのであるが、当時日本が危うい方向に向かいつつあることを一体どれだけの国民が感知していたことだろうか。時代の本質を鋭く見抜く嗅覚に優れた野坂はいち早く気づき、その頃から警告を発していたのである。祈御冥福。(大場光太郎・記)-

12101_2                野坂昭如『東京十二契』(文藝春秋)

野坂昭如が死の4ヵ月前に綴った、安保法制と戦争への危機感「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/808.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 12 月 10 日 19:45:05:
http://lite-ra.com/2015/12/post-1768.html
2015.12.10. リテラ

 12月9日、作家の野坂昭如が心不全のため都内病院で亡くなった。85歳だった。

 野坂昭如といえば、大島渚・小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで大島渚と大乱闘を繰り広げたり、ブルーフィルム製作を営む青年たちを主人公にした小説『エロ事師たち』(新潮社)を出版したり、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」(株式会社面白半分)に永井荷風『四畳半襖の下張』を全文掲載してわいせつ文書販売の罪で起訴されたりと、マルチな分野で才能を発揮しながら、つねに冗談とも本気ともつかぬ、軽妙かつ過激な言動で世間をアジテートしてきた。

 そんな野坂が人生を懸けて表現し続けてきたものがある、それは「平和」への願いだ。

 自身が体験した悲惨な戦争体験から、戦争の恐ろしさ・平和の大切さを発信し続ける姿勢は、最晩年になっても変わることはなかった。本稿では、そんな野坂昭如が最期に残した言葉を紹介したいと思う。

 野坂昭如、最期の平和へのメッセージ。それは、「サンデー毎日」(毎日新聞出版)2015年8月23日号に寄稿された文章「二度と戦争をしないことが死者への礼儀だ」であった。

 野坂昭如の代表作といえば、1967年に発表され直木賞を受賞し、88年に高畑勲によってアニメ映画化された『火垂るの墓』があげられる。この物語が彼の実体験をベースに書かれていることはよく知られている話だが、まず彼は『火垂るの墓』についてこのように綴っている。

〈ぼくは焼け野原の上をさまよった。地獄を見た。空襲ですべて失い、幼い妹を連れ逃げた先が福井、戦後すぐから福井で妹が亡くなるまでの明け暮れについてを、「火垂るの墓」という30枚ほどの小説にした。空襲で家を焼かれ一家離散、生きのびた妹は、やがてぼくの腕の中で死んだ。小説はぼくの体験を下敷きにしてはいるが、自己弁護が強く、うしろめたさが残る。自分では読み返すことが出来ない。それでも戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、ぼくは書き続けてきた。文字なり喋ることだけで、何かを伝えるのは難しい。それでもやっぱりぼくは今も戦争にこだわっている〉

 戦争とはどれだけ酷く、悲しいものなのか。野坂は次のように言葉を重ねる。実際に戦争を体験し、その悲しみを身体に刻み込んできた彼から放たれるメッセージには並々ならぬ重みがある。

〈戦争は人間を無茶苦茶にしてしまう。人間を残酷にする。人間が狂う。だが人間は戦争をする。出刃包丁で殺そうが、核兵器で殺そうが同じことである。戦場で殺し合いをする兵士が、家では良き父であり、夫である。これがあたり前なのだ〉
〈戦争は人間を人間でなくす。では獣になるのか。これは獣に失礼。獣は意味のない無駄な殺し合いをしない。人間だけが戦争をするのだ。今を生きる日本人は、かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと、どこがどう違うのか。何も変わりはしない。だからこそ戦争の虚しさを伝え続ける必要がある〉

「かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと今を生きる日本人は何も変わらない」。この夏、我が国が「戦争のできる国」へと大きく舵を切った後に読むと、より考えさせられる言葉だ。この一文が象徴しているように、強硬なプロセスで採決された安保法制と安倍政権のやり方に対し、野坂は怒りを隠さない。

〈安保法案は衆院で強行採決された。じゅうぶんに審議は尽くされたという。審議尽くされたはずが、国民の大多数は説明不十分だと受けとめている。国民、学者、専門家から批判の声があがるが、お上はこれを無視。安倍首相をはじめ、政権側は、衆院に送り、今後国民にしっかり説明していくとのたまう。だが国会は説明の場ではない〉

 続けて野坂は、表現・マスコミに関わる者として、今のメディアを取り巻く環境を戦前のそれと重ね合わせる。

〈安保法がこのまま成立すれば、やがて看板はともかく、軍法会議設立も不思議じゃない。これは両輪の如きものとも言える。すでに特定秘密保護法が施行され、さっそくの言論弾圧。そのうち再びの徴兵制へと続くだろう。
 言論弾圧が進めば、反戦的言辞を弄する者は処罰される。すでにマスコミにも大本営発表的傾向がみられる。これがこのまま続けば国民の国防意識を急速に高めることも可能。たちまち軍事体制が世間の暮らしの仕組みの上に及んでくる。戦争ならば覚悟しなければならない。往年の国民精神総動員令がよみがえる〉

 彼が主張する戦前と今の類似点は、報道に対する圧力だけではない。国民の声は無視、まるで独裁者のように振る舞う政府の姿勢も戦前そっくりだと野坂は語る。

〈かつて軍国主義は軍隊が専横をほしいままにし、頂点に立つ何人かが協議。制度を整え、戦争を準備した。強力な指導者の登場は挙国一致体制が前提。今は軍国主義の世の中ではない。だが、世間が反対しようと無謀であろうと、無理のごり押しを平気でする。決めたらひたすら突き進む。この政府の姿勢は、かつてとそっくり〉

 戦後70年の節目にして、戦前のような状況に戻ろうとしている日本。無論、このことは国民の我々にとって絵空事ではない。彼は次のように警鐘を鳴らす。

〈日本が戦争出来る国になる以上、戦争を想定した上での都市のあり方、疎開や備蓄、あらゆることを考えておかなければならない。積極的平和主義など姑息な言い方はやめて、安倍首相は国民にとって戦争というものが、どういうものかを、論理的に説明すべきだろう。本質を語らずうわべばかり〉

 死のわずか4ヵ月前、安倍政権による“戦争のできる国”づくりに対する危機感を訴えていた野坂。先の戦争を知っているからこその危機感だろう。11月30日に亡くなった水木しげるもそうだが、先の戦争を体験し、その悲しみを伝え続けた世代が次々と鬼籍に入っている。それにつれて、この国は戦争の恐ろしさ・悲しさを忘れつつある。

 戦争の犠牲となった人々、また、その悲しみを戦後70年間抱え続けた人々、そんな先人たちのためにも、いま一度「平和」への誓いを新たにしなければならない、と野坂は綴る。そんな野坂昭如の最期のメッセージをあらためて噛み締めたい。

〈戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか〉
〈どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ、顔向け出来ない〉

(新田 樹)

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(こんな名作アニメが2013年以降、つまり安倍政権になってから一度もテレビ放映されていないという。野坂昭如追悼としてどこか放映する局はないのだろうか?)

関連記事
『「火垂るの墓」ゆかりの地から悼む声 野坂昭如さん死去』
朝日新聞デジタル 12月10日(木)15時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151210-00000043-asahi-ent

(以下、阿修羅投稿のコメントより)

1. 2015年12月10日 20:09:09 : Bi1aHVVV3o : RnXDKnTxhOw[10]
それはそのとおり。安部は何しろ戦争前の日本は日本軍は何も悪いことをしていないとの認識なのだから。

南京大虐殺もなかったし従軍慰安婦に軍は関与していなかったし、戦争中は国民は一致団結し協力していたそうだ。

橋下徹も同じ考えだよ。君が代を歌わないものは売国奴、それを監視する立て込み組織がいるとか。これは憲兵に特高を持ち上げる考えと同じだよ。

2. 2015年12月10日 21:37:59 : aBA7iyMvJQ : sHm8IymUSdE[1]
威張り散らすを勇ましさと勘違いするヤカラが、戦前戦中を否定するは非国民だのGHQ史観に洗脳されたサヨクだのと阿修羅のコメ板でも喧しい。

もちろん、コメントした傍からアラシ削除される名物コメンテーターの幼稚な男のことだが、そんな取るに足らない無知で無能な小僧のタワゴトに綴られる昭和前史の嘘寒さとは異なり、野坂昭如が拘った昭和は実にアケスケで官能的で、徹底して軟派だった。
対を成す戦争への思いは日本人としての悔悟とアメリカへの複雑な思いと、同時にアメリカ文化への憧憬が入り混じった屈折に屈折した自己表出であり、最後の最後までそれを抱えながら逝った。

ほんの数日前、漫画家の水木しげるが逝った。
水木もとことん戦争に拘った。
水木は妖怪漫画を描き続けつつ、食うことと寝ることに常に貪欲で、人をおちょくるのが大好きで飄々とした生活を送っていたが、こと戦争体験について語る時だけはそれを漫画表現として余すことなく描き切りたいと語っていたそうである。

安倍晋三はヤクザ映画の「仁義なき戦い」シリーズのファンと聞いたことがあるが、あの映画の脚本を書いた笠原和夫も監督の深作欣二も、戦前戦中に青春を送った世代であり、根底には野坂や水木が抱えていた戦争への思いを同じように抱えつつ、一連のヤクザ映画に織り込んできたことをおそらくは知る由もないだろう。
政治劇として見るなら「仁義なき・・・」シリーズは、昔も今も変わることのない性懲りのない日本人をよく描き切っており、群集劇としても秀でており安倍のような凡愚な男にもわかりやすいのだろうが、あの映画は安倍のごとき人物がトップに立った時こそ多くの人が死ぬのだという暗示を読み取ることこそが、あの映画を作った人たちの思いを知るに至ることもわかりはしないだろう。

3. 2015年12月10日 21:38:12 : ElKraKmAUZ : rdvG7P2N6h8[4]
クセのある人だったけど何か信念がある人だった印象がある、いい人達が亡くなるのは残念です、悪人は堂々と嘘をつきマスゴミが宣伝する日本、もし戦争になったら昔のようにはいかない日本自体が難題だらけだ福島原発に列島各地にある原発にいざとなれば北朝鮮韓国中国台湾までも連合する可能性があるロシアもだ、アメリカだって真のトモダチでは無いし食糧石油も輸入だ、これらの事を考えてるのだろうか?ディズニ-やガンダムで釣ろうとしている程度の政治家は考えて無いと思う

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(前年の衆院選で対決した田中角栄元首相と上越新幹線の車中で鉢合わせし、握手をした=1984年6月6日 写真提供:朝日新聞社)

4. 2015年12月10日 22:17:16 : Y6pRcn2Sxc : YGYR6kdcKR0[9]
<野坂昭如さん死去>「戦後圧殺」に警鐘
毎日新聞12月10日(木)13時55分

 黒メガネの「焼け跡闇市派」--野坂昭如さんは戦後70年の日本の姿をその目に焼き付け、この世に別れを告げた。直木賞受賞作「火垂るの墓」では、少年時代に過ごした神戸市や兵庫県西宮市を舞台に、自身の戦争体験を色濃く反映したストーリーを展開。兵庫の人々らとの交流と平和への思いは、晩年まで途切れることはなかった。

 「火垂るの墓」の主人公は、太平洋戦争末期、1945年の神戸大空襲で母と家を失った兄と妹。親戚宅に身を寄せることになった2人は、戦局が悪化するにつれて邪魔者扱いされるようになり、家を出て防空壕(ごう)で暮らし始める。畑から野菜を盗むなど、必死に生きようとするが、妹は終戦直後に栄養失調で亡くなり、兄もやがて命を落とす。

 88年には、高畑勲さんの監督・脚本でアニメ映画として公開され、現在も多くの人に強い印象を残している。高畑さんは訃報を知り、「どう言っていいのか……。言葉にするのが難しいです」と言葉少なだった。

 野坂さんは、神戸大空襲で焼け残り、「火垂るの墓」に登場する御影公会堂(神戸市東灘区)の地下で食堂を営んでいた鈴木利裕さんとも親交があった。娘の鈴木真紀子店長(52)によると、利裕さんも少年時代に空襲に見舞われ、妹たちの手を引いて神戸の街を逃げた経験があった。そのことを知った野坂さんと意気投合した。

 95年の阪神大震災直後、交通機関やライフラインも復旧していない時期には、「インフルエンザがはやっているから」と、野坂さんが風邪薬を持って見舞いに訪れたという。鈴木店長は「『生きていてよかった』と声をかけてくれたのを覚えています。もう一度お会いしたかった」と話した。

 「神戸空襲を記録する会」の中田政子代表(70)=神戸市=は99年、講演を依頼するために野坂さんと電話で話した。講演は実現しなかったが、「野坂さんは『沖縄の戦争の問題に取り組んでいる』と話してくれた。ずっと平和のために熱心に活動を続けていることが分かった」と振り返る。「火垂るの墓」については「主人公の子供たちを助けられないほど、人々の心をすさませてしまう戦争の怖さが描かれている。神戸空襲を体験した野坂さんならではの作品だと思う」と話した。

 野坂さんは少年時代の一時期を大阪府守口市で過ごした。旧制中学時代の同級生という守口市の野坂久仁男さん(85)は「当時は食べ物がなく、弁当のおにぎりを分け合って食べた。寡黙で自分の本心を話さない風変わりな男だった」と話す。約30年前には講演で守口市に来た際に自宅を訪ね、久仁男さんの母親に「食べ物のない一番苦しい時期にもらった白い握り飯が本当においしくて助かりました」と丁寧にお礼を言ったという。

 作家の瀬戸内寂聴さん(93)は「最近、雑誌上での私との往復書簡では、政府の動きを受け『日本が非常に怖いことになっている。心配してても病気で体力が無いと何もできない』などと書いていた。どんどん私より若い人が亡くなり本当にさみしい」と悼んだ。【久野洋、井上卓也、田辺佑介、米山淳、川瀬慎一朗】

◇野坂昭如・黒田征太郎共著「教えてください。野坂さん」(スイッチパブリッシング、2015年)より◇

人間は長いものに巻かれやすい。

長いものに巻かれていた方が楽だからだ。

つまり、自分の頭で考えなくなると戦争は近寄ってくる。

自分の頭で考えるためには、想像力を身につけなければならない。

戦争などあり得ないと思い込んでいるうちに、

気がつけば戦争に巻き込まれている。

戦争とはそんなものだ。

戦争ははじまりそうかと問われれば、

いつはじまってもおかしくないと答える。

いや、戦争はすでにはじまっていると言ってもいい。

(黒田さんの「せんそうははじまりそうでしょうか?」という質問に対する野坂さんの回答)
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http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1210/mai_151210_6439132320.html

(以上、転載終わり)

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