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深沢七郎『風流夢譚』と嶋中事件

 これを書き始めているのは12月23日夜ですが、この日は平成天皇の誕生日でした。そんな日にこんな記事を書いていいものかどうか思案の外です。その判断はこれをお読みになる読者の方におまかせするとし、とにかく書いていくことにします。

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 先頃の『野坂昭如と三島由紀夫』記事の作成過程ではウィキペディアなどをずいぶん参考にしました。特に「三島由紀夫」の項はけっこう長いものの途中までしっかり読みました。

 と、その中に『風流夢譚』が原因で引き起こされた「嶋中事件」と三島の関わりについての記述がありました。

 三島については前半生はあまりよく知らないところもあったので、確認の意味でその箇所までじっくり読んできたわけです。が、その後の後半生はある程度知っているつもりなのでそこで読むのを止め、やおら興味を覚えて「風流夢譚」の項に飛んでみたのです。

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 『風流夢譚(ふうりゅうむたん)』は作家・深沢七郎(ふかざわ。しちろう)の短編です。そしてこの作品がらみでかつて何か事件が起きたらしい事は漠然とながら知っていました。今回どういういきさつで事件が起きたのか詳細に知りたくなったのです。

 やはりドエライ事件が起きていたのです。
 1961(昭和36年)年2月1日、『風流夢譚』を出版した中央公論社社長(当時)の都内新宿区市谷にあった嶋中鵬二宅に右翼少年K(当時17歳)が侵入し、社長夫人と家政婦を殺傷して逃亡したのです。これが「嶋中事件」です(「風流夢譚事件」と呼ばれることもある。)

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(事件当時の嶋中鵬二宅)

 犯人の少年は翌日出頭しましたが、その前年の10月21日には日比谷公会堂で演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎に、やはり17歳だった右翼少年・山口二矢(やまぐち・おとや)が襲いかかり、刃渡り36cmの銃剣で浅沼の胸を二度刺して死亡させたテロ事件が起きました。当時私は小学校5年生でしたが、この浅沼暗殺事件は事件の状況がテレビでも大きく報道されしっかり記憶に残っています。

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 嶋中事件の方は当時まったく知りませんでしたが、山口二矢と少年Kという同じ17歳が犯した重大犯罪から、その頃雑誌か何かが「17歳は危険な年代」というような特集を組んだことを覚えています。

 いずれにせよ嶋中事件の発端となったのは『風流夢譚』だったわけです。その記述が「不敬」にあたると憤慨しての「右翼」少年の犯行だったのですが、それでは『風流夢譚』にはどんな事が描かれていたのでしょうか。

 『風流夢譚』の「夢譚」とは「夢の中のお話」というような意味です。私は今回この夢物語を初めて読んでみましたが、読みたてのほやほや坊主が安直な感想を述べるより、この物語について詳細に述べておられるサイトがありましたので、以下に引用させていただきます。

(引用開始)

 深沢七郎の『風流夢譚』は「中央公論」の1960年12月号に掲載された短編小説である。物語は、ある夜一晩の夢である。夢の中で、日本に革命が起きる。
 自衛隊も革命軍と行動をともにする。
 
 「自衛隊もみんな俺達と行動を同じにしていて、反抗するのは幹部だけで、下ッパはみんな農家の2、3男坊ばかりだから、みんな献身的に努力しているのだ」
 
 革命が起きたという夢の話だけなら、なんのことはない、ありきたりの左翼系の小説だが、次の一節が大問題になった。
 
 皇太子殿下と美智子妃殿下が仰向けに寝かされていて、いま、殺られるところなのである。私が驚いたのは今、首を切ろうとしているそのヒトの振り上げているマサキリは、以前私が薪割りに使っていた見覚えのあるマサキリなのである。私はマサカリは使ったことはなく、マサカリよりハバのせまいマサキリを使っていたので、あれは見覚えのあるマサキリなのだ。(困るなァ、俺のマサキリで首など切ってはキタナクなって)と、私は思ってはいるが、とめようともしないのだ。そうしてマサキリはさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった。(あのマサキリは、もう、俺は使わないことにしよう、首など切ってしまって、キタナクて、捨てるのも勿体ないから、誰かにやってしまおう)と思いながら私は眺めていた。私が変だと思うのは、首というものは骨と皮と肉と毛で出来ているのに、スッテンコロコロと金属性の音がして転がるのを私は変だとも思わないで眺めているのはどうしたことだろう。それに、(困る困る、俺のマサキリを使っては)と思っているのに、マサキリはまた振り上げられて、こんどは美智子妃殿下の首がスッテンコロコロカラカラカラと金属性の音がして転がっていった。首は人ゴミの中へ転がって行って見えなくなってしまって、あとには首のない金襴の御守殿模様の着物を着た胴体が行儀よく寝ころんでいるのだ。
 
 この部分が、不敬であるとして右翼の17歳の少年が、中央公論社社長の嶋中鵬二宅に押しかけた。少年は当初、作者の深沢七郎を襲うつもりであったのが,住所がわからず、発行元の中央公論社社長である嶋中との面会を求めた。
 しかし、嶋中は不在で、雅子夫人が重傷を負い、止めに入った50歳の家政婦が刺殺された。
 これが「嶋中事件」である。
 
 深沢七郎はその後この作品を封印し、『風流夢譚』は表舞台から姿を消した。
 
 僕はこの小説を、オリジナルの中央公論で読んでいる。回収前に父親が購入していていたのを読んだのだ。  (引用終わり)

引用サイト 『ひまわり博士のウンチク』
深沢七郎『風流夢譚』http://blog.goo.ne.jp/gallap6880/e/f5f865b3919168252f91fe08dc30088a

 引用筆者も述べていますが、斜め文字箇所が「不敬」に相当すると一部右翼勢力にみなされた代表的箇所なわけです。(なお少し後では、昭和天皇ご夫妻は既に首なしになっていたり、急に昭憲皇太后-明治天皇の皇后-が現れて山梨弁で悪態をつく場面も登場する。)

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 皇太子殿下と美智子妃殿下が、私(作中人物)の使っていたマサキリで首を切られ金属音を立てながらコロコロ転がっていったというのです。(今日では冷酷な「裏の顔」が動画アップもされ一部で「ご慈愛仮面」などと皮肉る向きもありますが)何しろ同作品発表の前年の昭和34年、皇太子ご成婚で空前のミッチーブームが起きた直後ですから、読んだ人の中には衝撃とともに大憤慨した人もいたであろうことは想像に難くありません。

 この作品を読み解くには、それとは別の社会背景も念頭に置いておいた方がいいと思います。

 その一つは(今回の戦争法案審議過程であらためてクローズアップされましたが)一審を翻して「在日米軍合憲」とした1959年(昭和34年)12月の最高裁「砂川判決」です。これは時の岸信介政権が米国政府の恫喝に屈した結果でしたが、その帰結が、この作品が発表された1960年6月にピークに達した日米新安保条約をめぐる空前の60年安保闘争です。

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 結果的に新安保条約は締結され、国内大騒乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職しました。新安保条約阻止を掲げて戦った学生たちは敗北し、自民党政権はすかさず池田勇人を首相とし、安保・戦争から高度経済成長へと路線を変更したのです。

 しかし学生、市民、国民の間には不満がくすぶり、一部に「革命願望」が伏流していたのだと考えられます。それは極論すれば、「革命」→「共産主義革命」→「天皇制廃止」→「天皇・皇族死刑」という図式です。

 深沢はそういう時代の一つの願望のようなものを鋭い感覚でとらえ、短編小説化したのだと思われます。ただこの作品をよく読めば、「私」(作者の深沢七郎自身?)は左翼を「左慾」と表現しているとおり、必ずしも共産主義革命や左翼思想に共鳴しているとはいえないようです。 

 ここで深沢七郎(1914年(大正3年)1月29日 - 1987年(昭和62年)8月18日)の略歴を簡単に見てみたいと思います。

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 深沢はとにかく異色の作家なのです。山梨県出身で、地元の旧制中学時代からギタリストを目指していたといいます。実際戦前に上京しギタリストとして長く活動し、1954年(昭和29年)、「桃原青二」の芸名で日劇ミュージックホールに出演しています。

 そんな深沢がいつから小説家を志したのかは不明ですが、1956年(昭和31年)に姨捨山をテーマにした『楢山節考』を中央公論新人賞に応募、第1回受賞作となったのです。

 この時審査員を務めていたのが当時35歳の三島由紀夫で、他の委員の反対を押し切って三島が『楢山節考』受賞を強力にバックアップしたのです。これは三島自身が随筆に書いていることですが、自宅で深夜『楢山節考』原稿を一気に読み終え、その晩は一睡も出来ないほどの強い衝撃を受けたというのです。

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 『楢山節考』は後に映画化もされ私は40代の頃原作を読みました。日本各地で実際に古くから行われてきた「姥捨て」という哀しい究極の人減らし習俗を題材にしているわけですが、このような泥くさい土俗性は三島文学とは異質なものです。それを題材に類稀れな小説として昇華させたわけですから、三島にとって大ショックだったことでしょう。

 深沢は「小説はほとんど読んだ事がない」と言っていたということですが、本当ですかねえ。もしそれが本当なら、深沢は「三島以上の天才」です!

 いずれにせよ深沢は、『風流夢譚』では「菊のタブー」に果敢にも挑んだわけです。

 この『風流夢譚』でも三島との関わりがあるのです。またしてもこの作品を三島が推薦したと疑われたのです。これについて三島は推薦云々を否定しましたが、(今となっては珍妙ですが)右翼から脅迫状が届き、一時期警察官が三島の身辺を護衛する事態となったとのことです。

                        *                     
 引用の後段は省略しましたが、引用した人はずっと後年『スキャンダル大戦争』(2002年、鹿砦社発行)という雑誌が無断でそっくりそのまま復刻転載したのを入手して読み直し、「改めて読んでみて、作品としては駄作である。」と切って捨てています。

 一つの作品に対する感想・評価というのは人さまざまで、それでいいわけです。多くの人たちの評価が高い作品が当世こぞって読まれもし、また名作として後々まで読み継がれていくわけです。

 さて私の率直な感想ですが、引用の人とは違って、なかなか面白い、というより優れた幻想短編だと思いました。

 作者の深沢七郎はこの短編の元となる夢を実際見たのかもしれないし、また深沢が本当に描きたかったことを、当時の社会の(あるいは日本というある種異様独特な)風潮からストレートに描いてしまうと相当な猛批判にさらされてしまう、そこで「夢物語」に仮託して綴ったのかもしれません。(「夢物語」にしてさえ、忌まわしい事件が起きてしまうわけです。)

 実際の創作の秘密は本人しか分からないわけですが、全体を読み通せばイマジネーションを自在に駆使した優れた短編だ、と私は率直に評価します。

 直後事件さえ起こらなければ長く読み継がれる作品になっていただろうし、深沢自身もその後長い潜伏生活をしなくても済んだものをと、フィクション(夢譚)に対してすらいきり立つ「日本の宿痾(しゅくあ-癒しがたい病)」を大変残念に思うのです。

 (大場光太郎・記)

参考
『風流夢譚』全文
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

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コメント

実在の人物、親族を実名で愚弄する小説はそりゃよくないよ。
作品としても駄作であるし。
フィクションと置けばなんでも許されると言うのならシャルリ=エブドも起こらない。
それらを日本の宿痾と一言のもとに切ってすてるのはいかがなものか。

あと左欲の一単語で共産主義思想、革命思想に染まっていないと判断するにはいくらか厳しいものがあるように思う。
右翼、天皇制を揶揄する文が延々と続くなか左翼側にたいしては左欲の一言しか見当たらない。
私にはこれは単なる予防線のように見える。

投稿: 軟膏 | 2016年1月22日 (金) 00時03分

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