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野坂昭如と五木寛之

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 9日、作家の野坂昭如が逝去しました。

 氏の訃報に接し、生前関係のあった人たちがそれぞれにコメントを寄せています。中でも注目は、同じ作家仲間の五木寛之が『日刊ゲンダイ』連載コラム「流され行く日々」で、金曜日に急遽『野坂昭如ノーリターン①』と題する追悼手記を出したことです。

 お分かりの方がおられるかもしれませんが、このタイトルは「歌手」野坂昭如が歌った『マリリン・モンロー・ノーリターン』(初演:1970年11月「合歓ポピュラーフェスティバル’70」)をなぞったものです。




 同コラムでの追悼手記は来週に続くわけですが、第1回目で五木寛之は次のように書いています。

「野坂さんと私は、ほぼ同じ時期に直木賞をもらった昭和ヒトケタ世代の物書きである。文芸ジャーナリズムに登場したのは、彼の方が早い。」
「『エロ事師たち』という卓抜な作品で一気に注目を集めた。」
「同じ放送作家だったキャリアもあり、野坂昭如、井上ひさし、そして私などはどこかに同窓生意識みたいなものがあったような気がする。」

 五木の記述を時系列的に整理すると、1963年に発表した小説『エロ事師たち』が野坂昭如の文壇デビュー作なのです。この作品は野坂の当時の自宅でブルーフィルム(今のアダルトビデオ、裏ビデオの走りのようなもの)を集めて上映することを趣味兼アルバイトとして行っており、その体験から書いたもののようです。

 「野坂さんと私は、ほぼ同じ時期に直木賞をもらった」とありますが、実際の受賞は、
第56回(1966年下半期) - 五木寛之「蒼ざめた馬を見よ」
第57回(1967年上半期) - 生島治郎『追いつめる』
第58回(1967年下半期) - 野坂昭如「アメリカひじき」「火垂るの墓」、三好徹「聖少女」
となり、文壇デビューでは遅かった五木寛之の方が1年早く受賞したことになります。(『ウィキペディア』より)

 「昭和ヒトケタ世代の物書きである」
 ちなみに二人の生年月日は以下のとおりです。 
野坂昭如 1930年(昭和5年)10月10日
五木寛之 1932年(昭和7年)9月30日

 「同じ放送作家だったキャリア」 
 放送作家は戦後も昭和30年代以降、ラジオそしてテレビの急速な普及とともに需要が生まれた「物書きの新ジャンル」といっていいと思います。一世代前までの物書きは「小説」オンリーだったわけです。特に芥川龍之介、太宰治というスター作家登場以降、作家・小説家は青少年憧れの職業でした。全国に数多(あまた)いる若い才能たちはこぞって小説家を目指したはずで、そこで抜きん出た作品を物するのはまこと「狭き門」だったはずです。

 そこに放送作家というジャンルが一つ加わったわけですから、物書き分野で飯を食っていこうとする卵たちにとっては大きな活路となったに違いありません。だから野坂も五木も井上ひさしも、我と思わん者は放送作家を目指したわけです。

 本題からは逸れますが、名前が出たので井上ひさしについても、少し述べておこうと思います。

 のちにNHK人形劇『ひょこりひょうたん島』の原作者や長編小説『吉里吉里人』や劇作家として知られた、井上ひさし(1934年(昭和9年)11月17日~2010年4月9日)は、何と私の郷里町の隣町出身(山形県東置賜郡旧小松町)なのです。もっともそれを知ったのは、私が当地にやってきて井上が有名になり出したからでしたが。なお井上も、『手鎖心中』で直木賞を受賞(第67回-1972年上半期)しています。

 さて野坂昭如と五木寛之にはもう一つ共通項があります。ともに早稲田大学「中退」なのです。野坂は第1文学部仏文科、五木は第1文学部露文科。

 と、『ウィキペディア』などを当たって調べているうち、面白いことに気づきました。「昭和ヒトケタ生まれ」「作家・小説家」「放送作家」というキーワードを並べていくと、早稲田大学出身者または中退者が圧倒的に多いのです。

 論より証拠、1930年(昭和5年)から1935(昭和10年)の5年間に絞って見てみましょう。

野坂昭如 1930年(昭和5年)10月10日 第1文学部仏文科中退
野末陳平 1932年(昭和7年)1月2日   第1文学部東洋哲学科卒業 
青島幸男 1932年(昭和7年)7月17日  第1商学部卒業 
五木寛之 1932年(昭和7年)9月30日  第1文学部露文科中退
小林信彦 1932年(昭和7年)12月12日 第1文学部英文科卒業
生島治郎 1933年(昭和8年)1月25日  第1文学部英文科卒業
永六輔   1933年(昭和8年)4月10日  第1文学部中退 
大橋巨泉 1934年(昭和9年)3月22日  第1政治経済学部中退 
阿刀田高 1935年(昭和10年)1月13日 第1文学部仏文科卒業 
寺山修司 1935年(昭和10年)12月10日 教育学部国文学科中退

 以上、代表的な10人をピックアップしてみました。どうでしょうか?野坂昭如を筆頭に、それぞれが一時代を築いた錚々たる人たちです。

 かつては「自由」「バンカラ」の校風として知られた早稲田でしたが、これらの名前を見ると「さもありなん」という気がしてきます。

 野坂、五木のほかに、野末、青島、永、大橋ものちに放送作家として大活躍いくわけで、この6人であの頃の放送作家の総括が完了するほどです。実に昭和30年代から50年代のテレビ業界は、早稲田出身者がリードしたといっていい状況だったように思われます。

 上に挙げた10人のうち、まっとうに卒業したのは野末、青島、小林、生島、阿刀田の半数のみ、野坂のようにあとの半数は中退というのも面白い現象です。五木の場合のように、昭和20年後半当時は今と違って簡単に稼げる生活の手段は少なく、学費未納で除籍(五木はのちに滞納分を払い「中退」扱いに)というやむやまれぬ事情があったようです。ただし寺山だけは、入学間もなく病気入院し学業続行困難となりそのまま退学しています。

 多才な野坂昭如は、一時野末陳平と「早稲田中退・落第」という漫才コンビを組んでいます。野坂の「早稲田中退・落第」はそのとおりとして、野末の名誉のために述べておきますが、野末は東洋哲学科を主席で卒業し、担当教授から大学院に残ってさらに研究するよう奨められるほど優秀だったそうです。

 しかし中退の5人はいずれも卒業者に負けぬ大仕事をしています。当時の早稲田には、中退というハンデなどものともしないほどの「真の才能」が紛れ込んでいたということなのかもしれません。

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 野坂昭如より2歳ほど若い五木寛之は、今も現役の物書きとして活躍中です。何年か前『親鸞』シリーズがベストセラーになりましたし、声がかかれば全国どこへでも講演に行き、その旅行中にあった出来事、見聞きしたこと、感じたことなどを日刊ゲンダイコラム「流され行く日々」にエッセイとして発表しています。

 なお『日刊ゲンダイ』は今年で創刊40周年を迎えたそうです。五木の同コラムはその時からスタートしたのです。当初は「どうせ半年くらいで廃刊になるから」と、当時の編集者も五木も思い気安く引き受けたそうですが、気がついてみると直近の野坂追悼手記①で「連載9823回」。これは世界中の新聞連載コラムの最長寿だそうで、今年ギネス認定を受けたそうです。

 年齢的なこともあり、「どこで区切りにしようか?」と現在の編集者と五木で話し合った結果、取り合えず1万回を迎える来年夏までは続けよう、ということになったといいます。

(『野坂昭如ノーリターン①』より転載)
 (昭和46年発行の野坂との対談本を)適当にパッとページを開いてみる。ホモ的な感覚についてあれこれ喋っている。稲垣足穂とキスをしたという話から、一転してこんな話になる。

五木「そういうところは今でもそうだろう。野坂は、女より男の友達にベタッとくっつくケースが多い。いつも誰かを可愛がってるというか」
野坂「本当はぼくは可愛がっている方じゃなくて、かなり可愛がられている方じゃないかと思うんだけどね(笑)。とにかく小説家で割に話をするのは五木、生島以外にはいないからね」

 その後、彼は、こんなことを言っている。

野坂「五木とぼくが信玄と謙信みたいになっちゃって、相争う友情みたいなものがあるでしょ。例えば訃報を聞いて箸をハッタと落として、『やあよき友、宿敵を失った』という感情があると思うな(笑)」 (転載終わり)

 五木にとって野坂はかつての同志であり同窓生であり良き宿敵であったわけで、「野坂昭如ノーリターン」の思い、格別に深いものがあることでしょう。

 五木寛之による野坂追悼手記は始まったばかりで、来週佳境を迎えるはずです。さてどんな裏話・知られざるエピソードが語られるのやら楽しみです。何か掘り出し物がありましたら、またご紹介したいと思います。

 (大場光太郎・記) 

参考記事
『トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」』
http://www.tapthepop.net/song/16475

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