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【天皇家】南朝と北朝の関係

-日本人である以上「天皇問題」は避けて通れない重大かつ深刻な問題である。好き嫌いは別として、一般国民の預かり知らぬところで厳然と天皇家は存在していたし、皇室は現にあり続けているのだ。天皇家神話では伝説の初代天皇・神武が国を開いてから今は皇紀2672年になるのだそうだが、神武天皇の実在性は今日の歴史学では疑問視されている。が、実在が確実視されている応神天皇、仁徳天皇という親子の天皇以降の上古の天皇の出自が朝鮮半島であった事は、今や定説になっている。だから神話中の高天原もわが国ではなく半島のどこかであった可能性が高いのだ。以来半島出身の天皇が代々この国を知ろしめてきたことになる。しかも一筋縄でいかないのは、同じ天皇家が南朝と北朝という二つの別の系統に分かれていることである。歴史的にも北と南とに分裂しそれぞれが正統性を主張した南北朝時代があったほどである。以後50数年して室町時代初期の頃、北朝系に統一されて江戸末期まで続いたのである。現皇室も建前では北朝系とされているが、既に何度も見てきたとおり、明治天皇は英国ロスチャイルド了承の下、その手下の薩長による替え玉であり、実は南朝系とみられるのだ。それでは「南朝と北朝の関係はどうなっているのか?」という問いについて、朝鮮半島にその解を求めたのが今回のテーマである。 (大場光太郎・記)-

【参考図】
216

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2162


南朝と北朝の関係
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=312274
るいネット 16/02/13 PM09 

南北朝と東国と西国と田布施
リンク

「天皇はどこからきたのか?」
「天皇=仏教だったのに、なぜ天皇=神道になったのか?」

普通の人に説明する時は、この2つの視点が一番わかりやすいかな?

・歴史上は「北朝が正統なのに、なぜか明治以降の皇室は南朝を正統としている」こと。
 
ようは、すり替え=明治維新=南朝復興であって、そのために仏教=天皇から、キリスト教の三位一体を作り変えた国家神道を設立し、反対した奴らは廃仏毀釈で叩き潰したということがあったこと。
 
後者の視点に対する説明は、これ以外に説明はつかない。
そもそも、グラバーなどの海外勢力と連携して「尊皇攘夷」なんて、「傀儡政権を作る」以外の目的では、ありえんだろうと。
攘夷が佐幕でなく、討幕になるっておかしいだろと。
 
(中略) 
 
その傀儡を作る上で一番簡単でありふれた話が、暗殺による摩り替えである。
 
北朝を7度生まれかわっても倒すという皇居の楠木正成、南朝崇拝のためクーデター首謀者でも崇められる西郷隆盛、南朝崇拝教育の元祖、水戸学派の副将軍(そんな役職はない)=水戸黄門の権威主義。
昔の人なら、戦前までは国賊として敵視された足利尊氏の事は知ってるだろう。
今だって教科書を開けばいい。
すり替えがないとした場合の正統である北朝を掲げたはずの武将、足利尊氏が、なぜあんな無精ひげで、毛むくじゃらの「ひどい」挿絵になっているか。
 
南朝は崇拝されて、北朝は貶められる。
これが明治以降の日本の天皇教の根幹である。
現皇室の言うとおり、南朝正統であるというのなら、真言立川流でも崇拝してろと言いたい。後醍醐天皇の正統宗教である。
 
おっと、「なぜ天皇=神道になったのか?」の答えがこれ以外では説明できない。
 
この視点の説明から、前者の視点、「天皇はどこから来たのか?」、天皇の起源を理解する事に繋がる。
 
それには、今出てきた区分け、南朝と北朝の区別、理解も必要になってくるわけ。  
 
その結論が、北朝=高句麗、南朝=百済である。
今日は、そこらへんの補足。
 
世界ではユダヤ教の識字率が領土統治の要になったように、日本で昔は、中国の漢文が使われてたように、中国の朝鮮統治支局ともいえる高句麗との関係が、日本で果たした役割は大きい。
 
天皇と仏教で国を統治しようとした=聖徳太子の仏教の先生も高句麗の出身である。
この高句麗と百済を大量に招き入れるきっかけになったのが、660年の白村江の戦いである。
 
唐+新羅 VS 高句麗+百済+日本の戦いであり、唐と新羅の連合軍に日本側が負けることで、百済、高句麗の戦争難民を日本が大量に迎える形になる。
 
天皇自身が百済の血を混じってるという発言をして韓国でTOP記事になっても、日本ではマスコミが完全スルーなわけで、ここらへんは日本のタブーである。  
 
ここからが今日の本文。
北朝=高句麗、南朝=百済、この日本の南北朝の表現も中国の南北朝からきている。
日本の南朝と北朝、それぞれは、大覚寺統とか持明院統とかの読み方の違いが判断基準でもなく、吉野と京の違いでもない。
 
北朝と南朝に別れる前に、東国と西国という派閥に分かれていた時期が日本にはある。
 
 
東国(長野、新潟などを含む、愛知や三重などより東)→ 北朝
西国(地域というより反東国だが、主に九州北部、山口県などの地域)→ 南朝
 
南朝の武将、楠木正成が東国からの出身という説もあるように、綺麗に分かれるわけではないが、まあ基本的には「南朝=西国、北朝=東国」で間違いはない。
 
白村江の戦い以前の6世紀から、高句麗から長野や新潟に多く渡来し、豪族を形成していた。
大昔の漢文=統治手法としての字、高句麗からの渡来人。
これが、東国=北朝=高句麗勢力の基盤である。
 
逆に、白村江の戦いの本営があった場所=北九州を中心に、百済難民が後の南朝となる西国の基盤となる。  
 
新潟、長野への朝鮮(高句麗)からの移民は、続日本記などでも確認できる。まあ今の北朝鮮(高句麗)と新潟の関係も、この大昔からの延長である。
逆に、西国の基盤は、南朝を経由して、周防国(山口県東部)などの大内氏の勢力(毛利家もその一つ)、で、出来上がった「すり替え天皇=明治維新」の構図は、田布施という特別な地域を作り上げ、現在にも繋がる薩長支配に繋がるわけである。

田布施=山口県南東部=周防国=西国。
 
そして周防国の支配者=大内氏は、別名=多々良=百済の日本語読みである。山口県の旧多々良学園とかもそうだよ=百済。
ね、西国に多数に亡命したのが百済なわけだよ。  
 
ね、簡単でしょ?
多々良浜ある福岡も薩摩も長州も、大内氏の勢力地域、まあ南朝=西国=百済の簡単な構図。
 
(中略)
 
西国と多々良、そして現在の田布施にまで繋がる話。
毛利とグラバーと南朝にも繋がる事。
 
逆に、北朝=高句麗=中国の朝鮮半島統治支部から漢文のわかる貴族を朝鮮から招き入れて「天皇=渡来人」、新潟などを含む東国=北朝を作ったこと。
統治に字が必要だったこと=西洋と共通の話や、聖徳太子の仏教の先生などの話でも整合性が取れるわけね。
 
で、その北朝の天皇から、西国である薩長が南朝にすり替え、天皇自身が韓国=百済の血を引いていますよと発言し、日本では隠蔽されるという形になってるわけ。
だから、こんなもんがあるわけで。
 
広辞苑より
からのかみ【韓神】 朝鮮から渡来した神の意。守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという

(転載終わり) 

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