カルメン・マキ「戦争は知らない」
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『戦争は知らない』 いやあ、懐かしい歌が動画アップされたものです。
アップしてくれたのは「enka no ojisan」さん。この人は別に「uta no ojisan」さんとも名乗っておられますが、いずれも「フォレスタ動画」をけっこうアップしてくれており、その関係でよく存じている人です。
「enka no ojisan」というくらいですから、ずい分な数の演歌曲をアップしています。しかし今の私の関心はこの人のアップしてくれているフォレスタコーラス曲を聴くことであり、演歌は申し訳ないながらほとんどスルー状態でした。
しかしたまたまこの歌がアップされているのを見つけ、『おっ!』となって思わず聴いてしまいました。
この歌が最初に歌われたのは1969年(昭和44年)だったようですが、当時私はちょうど20歳。あの頃は若者たちが中心となった「フォークソング」が爆発的な大ブームになりつつあった時代でした。
ちなみにこの年ヒットしたフォークソングには、『時には母のない子のように』(カルメン・マキ)『フランシーヌの場合』(新谷のり子)『白いサンゴ礁』(ズー・ニー・ヴー)『真夜中のギター』(千賀かほる)『白いブランコ』(ビリー・バンバン)『風』(はしだのりひことシューベルツ)『或る日突然』(トワ・エ・モア)などがあります。
今振り返ってみれば、「フォークソング大収穫の年」といってもいいような壮観さです。その中で『戦争は知らない』はこれらの歌ほどにはヒットしなかったようです。が、私自身は結構“お気に入り”で当時よく口ずさんでいました。
そういう懐かしさもあり、およそ四十数年ぶりに聴いたこともあり、聴くほどにジーンとなり不覚にも涙がこぼれてしまいました。
野に咲く花の 名前は知らない
だけども野に咲く 花が好き ・・・・・・
著作権法の関係で残念ながら全部の紹介はできませんが、まずもって詩がいいです。それもそのはず。当時は知りませんでしたが、作詞したのは寺山修司なのです(作曲:加藤ヒロシ)。
当時寺山は、単に俳人、歌人、詩人であることから何歩も踏み出し、評論『書を捨てよ、町へ出よう』(後に演劇や映画化もされた)、アングラ映画『初恋地獄編』の脚本(監督:羽仁進)、アングラ劇団『天井桟敷』結成&活動など、当時の若者へのアジテーターとしての面目躍如たるものがありました。ちなみに『初恋地獄編』、今となってはどんな内容だったか皆目覚えていませんが、封切り当時新宿に観に行きました。
上に列挙したフォークソングの中には甘ったるいラブソングが無きにしも非ずです。その点『戦争は知らない』は、そもそも日本でのブームのきっかけとなった、『風に吹かれて』(ボブ・ディラン)『花はどこへ行った』(ジョーン・バエズ)などアメリカの骨太のベトナム反戦フォーク直伝のようなしっかりしたメッセージ性を感じます。
当時は世間知らずな洟を垂らした青二才の私でしたが、そういう事を直感的に感じてよく口ずさんでいたのかもしれません。
なお寺山修司自身歌が好きだったようです。当時売れていたカッパブックスだったかと思いますが、『私の好きな歌』というような本を出しました。私も一冊買いましたが、開いた2ページに一曲で、右に寺山のコメント、左に楽譜と歌詞が載っており、わが国の懐かしの歌謡曲・唱歌・童謡、昭和30年から「歌声喫茶」などでよく歌われたロシア民謡、アメリカ民謡などが取り上げてありました。とうに処分してしまい、大変残念です。
これは余談ですがー。
同じようなテーマでジローズの『戦争を知らない子供たち』というも歌ありました。
こちらは作詞:北山修、作曲:杉田二郎で、『戦争は知らない』より少し遅い1971年(昭和46年)の歌です。タイトルからして『戦争は知らない』に触発されて作ったのだと思われますが、結果的にこちらの方が大ヒットとなり、「戦争を知らない子供たち」は、以後私ら“団塊の世代”を形容するキーワードの一つにもなりました。
さてこの『戦争は知らない』を歌っているカルメン・マキについても触れないわけにいきません。この歌がそうだったように、カルメン・マキの名前を聞くのも久しぶりなのです。
上の昭和44年フォークソングにも出ていた『時には母のない子のように』で一躍注目されました。長い髪にエキゾチックな顔立ちの少女、それもそのはずで(アイルランドとユダヤの血を引く)アメリカ人の父と日本人の母とのハーフなのです。そして何より驚かされたのは、暗く沈んだ感じのこの歌を切々と歌い上げているその歌唱力です。
今回知ったことには、この歌も寺山修司の作詞だったのです(作曲:田中未知)。たまたま天井桟敷舞台を見に行き、感激して即入団ということから寺山との縁が出来、カルメン・マキが初舞台の『書を捨てよ町へ出よう』の中で歌っているところをCBSソニーの人に認められ歌手デビューに至った、という事のようです。
たまにその名を思い出すことはあっても、その後の消息は知らず、もうとっくに歌手活動はやめたのかな?と思っていました。が、どっこい現在でも全国のライブハウスを精力的に回っているとの事です。
カルメン・マキにとって恩師といってもいい、故・寺山修司が作詞した『戦争は知らない』をとあるライブハウスで歌ったのが今回の動画だと思われます。
私ごときが言うのも何ですが、『時には母のない子のように』の当時もなかなか歌唱力があるなと思っていましたが、年輪を重ねてさらに歌唱に磨きがかかり、歌が格段にうまくなっていると感じられます。
元々この歌を歌ったのはわが国フォークソングの草分け的グループであるフォーク・クルセダースでしたが、今回のカルメン・マキの歌唱は説得力があり、しっとり、しんみり聴かせてくれます。
申し遅れましたが、加藤ヒロシ作曲のこの歌のメロディも素晴らしく、心にしみとおる名曲だと思います。
(大場光太郎・記)
関連動画
カルメン・マキ『時には母のない子のように』
https://www.youtube.com/watch?v=uHCxfTtUrXE
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