折り折りの短歌(12)
西空の希望の色の冬茜(ふゆあかね)地に生く命寿(ことほ)ぐ如く
長歩きすれば存外暑いほど小春川辺で一服するか
みなとみらい横浜港の上の雲白くふんわり浮いていたりし
クリスマスイヴ雑踏の駅通路左右掻き分け急ぎ歩めり
かの杜甫の名詩絶句にみならえば今年看(みすみ)すまた過ぐるなり (※1)
去年(こぞ)今年越えていまだに咲いている存外強きコスモスの花 (※2)
さすが厚高男子生女子に9条説いて歩めり (※3)
白鷺がゆらと翼をはためかせビルの狭空(さぞら)を飛びていたりし
禍々(まがまが)し蛇腹(じゃばら)のようなケムトレイル冬夕空に長く伸びたり
人溢れこの俺の価値減じるとある種の怖れ感じるひと時
雲間よりシリウス一つ瞬(またた)きて我に何かを告げるが如し
夕靄(ゆうもや)にうす煙せる遠近(おちこち)の景色を眺め川野辺の道
早春の気そこはかとなく漂わす曇り日の下のおらが街かな
うっすらと雪を被(かぶ)りし丹沢のけふは厳しき峰の連なり
日が暮れて川辺の道を行くときに冬の水音冷たかりけり
鉛色の冬空覆う電線に何の黙示か鳥連なるは
大寒の道辺(みちべ)に薄きクリームの小(ち)さき水仙早や咲いてるよ
雲割りてさやかなる月躍り出ず午後五時半の冬の刻(とき)かな
(大場光太郎)
【注記】
※1 杜甫の(五言絶句)『絶句』は高校漢文でどなたも習ったことでしょう。また当ブログ『名詩』カテゴリーでも以前取り上げましたから、詳しい意味などはここでは省略します。盛唐を突如揺るがした「安禄山の変」により、玄宗皇帝・楊貴妃らはもとより杜甫一家も都・長安を追われ、遂に長安に帰る能わず、最晩年の長江船中での死まで漂泊の生涯となったのです。という事はともかく。私ごとき凡人は毎年「やり残し感」いっぱいで年の瀬を迎えることになります。
※2 結局1月中旬頃まで咲いていました。
※3 「厚高」とは神奈川県立厚木高等学校のことです。日本でも有数の進学校ひしめく本県にあって、厚高はここ10年くらいで県内ベスト5、6番手くらいまで頭角を現わしてきました。他市の優秀な生徒がけっこう電車通学しており、当駅周辺でいかにも賢そうな同校生をよく見かけます。本拙歌は1月中旬頃のある夜の一こまです。駅近くの道で十数メートルくらいすぐ後ろについて聞いていて、『君凄いねえ。さすがよく勉強してるね!』と声をかけようかと思いましたが『恋路を邪魔しては』と止めました。厚高生にとって大先輩に当たる甘利明の今回の不祥事、現役の彼らはどう受け止めているのでしょうか?
※番外編 野良猫たちの四季
今回は野良ちゃんたちについての短歌はありませんが、消息だけ記しておきます。現在7ヵ所ほどで餌を上げ、顔なじみ猫ちゃんが10匹以上となりましたが(ワォーッ!)、中核のミケニャン、アクニャン、コクロ、メメクロ、アッチャカなど、おかげさまで全猫つつがなく冬を越せそうです!
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