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【不滅のチャンピオン 】モハメド・アリ死去+「キンシャサの奇跡」でアリに敗れた後のジョージ・フォアマンの感動の軌跡

モハメド・アリさん死去 元ヘビー級王者 差別とも戦う
http://www.asahi.com/articles/ASJ643CTKJ64UHBI00M.html
朝日新聞デジタル ダラス=中井大助 2016年6月4日21時19分

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モハメド・アリさん=サン・テレフォト提供

 プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさんが3日、米アリゾナ州の病院で死去した。74歳だった。家族の代理人が「32年間にわたる、パーキンソン病との闘いの末に亡くなった」と明らかにした。アリさんは世界王者に3度なっただけでなく、リングの外でもベトナム戦争への反対や人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集めた、20世紀の米社会を代表する人物の一人だった。

 死去を米メディアはトップニュースで伝えた。オバマ米大統領は、困難な時にも信念を貫いた姿勢や、闘病中にも平和のメッセージを伝えた点をたたえ、「モハメド・アリは世界を揺るがした。そして、それによって世界はより良い場所になった」と追悼する声明を出した。

 1942年、米ケンタッキー州ルイビルで生まれ、旧名はカシアス・クレイ。12歳からボクシングを始めた。60年のローマ五輪でライトヘビー級の金メダルを獲得したが、自伝では米国へ帰国後に黒人であることを理由にレストランで食事の提供を拒まれ、メダルを川に投げ捨てたとしている。

 プロ転向後の64年にヘビー級王者に挑戦。前評判では不利とされたが、「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。同じころ、黒人指導者のマルコムXらの影響を受けてイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めた。

 プロとして無敗のままだった67年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に米軍への入隊を拒否。王座を剝奪(はくだつ)されたが、「私とベトコンの間に争いはない」との言葉が有名となるなど、世論に影響を与えた。

 70年にリングに復帰し、74年に当時無敗の世界王者だったジョージ・フォアマンに勝利し、7年ぶりに王者に返り咲いた。78年にレオン・スピンクスに敗れたが、同年の再対決で勝ち、3度目の王者となった。

 81年の引退後は人道的活動に力を入れ、国連の「平和大使」にも指名されたが、パーキンソン病を発症し、次第に活動が難しくなった。96年のアトランタ五輪では、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たした。近年は体調が優れず、入院を繰り返していた。(ダラス=中井大助

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【私のコメント】
 私らの世代からすればモハメド・アリは真に「偉大なるチャンピオン」である。

 実際のリング上での戦いはもちろんのこと、「反ベトナム戦争」の立場から断固兵役拒否を貫き、そのためヘビー級チャンピオンタイトルを剥奪された。わが国でも全共闘運動盛んなりし当時反ベトナム戦争に共鳴するところがあったから、そういう事すべてを含めてモハメド・アリは私らにとって偉大なチャンピオンだったのだ。

 率直に申せば、プロボクシングにはあまり興味のなかった20代の私には、強大な国家からの不当な兵役押し付けをはねのけたアリの強い信念の方にむしろ共感を覚えたのだ。

 リング上では無敵で、時に「ほら吹きアリ」とも言われたほどの大口たたきのモハメド・アリだった。その後しばらく彼の消息を聞かないなと思っていたが、長いことパーキンソン病を患っていたとの事。

 そしてこのたびは思いもかけずアリの訃報を聞く事となった。我が青春のヒーローがまた一人世を去ってしまった哀しさを感じる。

 さて何のシンクロニシティか、先月たまたまある自己啓発の本を読んでいると、そこに「キンシャサの奇跡」後の感動秘話が紹介されていた。深い感銘を覚え、折りをみて当ブログで紹介しようと考えていたのだった。

 キンシャサの奇跡とは、1974年10月30日、チャンピオンベルトを剥奪された後の32歳のアリが、当時のヘビー級チャンピオンだった若きジョージ・フォアマンに挑戦した試合である。戦前のフォアマン断然有利の予想を覆して、8ラウンドにアリのパンチが炸裂し、フォアマンをノックアウトしたのだった。



 この勝利がモハメド・アリの名声を不動のものにした。後々伝説化される事になるこの試合結果を私は、テレビ中継を観た当時の友達が身振り手振りで興奮しながら話してくれた事によって知ったのだった。

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 その時の敗者ジョージ・フォアマンのその後の消息はまるで知らなかった。しかしこの本ではむしろ忘れ去られたフォアマンにスポットライトを当てているのである。

(以下、当該部分転載)

『自分経営力の磨き方』(服部英彦著、KKロングセラーズ刊)より
(※ 画像は別)

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 ボクシングの歴史に名を輝かせる、世界ヘビー級チャンピオンだったジョージ・フォアマンの話をしよう。
 フォアマンが最初にチャンピオン・ベルトを巻いたのは26歳のときだった。45戦して一度も負けなかったのだから、史上最強と賞されたのも頷ける。彼の天下が長く続くことを、疑う者など1人もいなかった。
 しかし、そのフォアマンに挑戦状を突きつけた男がいた。モハメッド・アリである。
 アリはかつてカシアス・クレイと呼ばれ、世界ヘビー級チャンピオンだった。ベトナム戦争の徴兵を忌避したことでタイトルを剥奪され、奴隷名を捨て人間の尊厳を取り戻すために改名したのだが、ボクサーとしての最盛期を政治の力で封じ込められていた。
 ベトナム戦争も終わり、アリがリングに戻ったときには、すでにチャンピオンの座にはフォアマンが君臨していた。絶頂期の26歳のチャンピオンに対して、栄光の座を追われた32歳のチャレンジャーが挑むのだ。誰の目にも勝負の行く末は見えたかと思われた。
 試合は前評判通りに、フォアマンが一方的に攻め続けた。アリは常にロープを背にして、サンドバックのように打たれ続けた。2ラウンドか3ラウンドには決着がつくだろう。観客のそうした予想を裏切って、打たれても打たれても、アリはリングに沈まなかった。
 試合が動いたのは第8ラウンドだった。ラッシュを繰り返すフォアマンの一瞬の隙を見逃さず、アリのパンチが顔面に炸裂した。誰もが予想できなかった場面が、壮絶な戦いの中で現実に生まれたのだ。
 後日インタビューに答えたフォアマンは、
 「アリには、あのとき耐えるだけの理由があった。リングで死ぬだけの理由があった」
 と、語った。 同じ試合について一方のアリは、
 「自分が負けることは、全世界の虐げられている人が負けるに等しいことであり、絶対に負けるわけにはいかなかった」
 と、語っている。その言葉がどれだけ妥当であるかは別として、信念を胸に秘めている者の強さは実証された。最盛期を過ぎたアリが勝ったのだ。

 敗れたフォアマンは人知れずリングを去り、家庭生活も破綻して死んだ日々を送るようになった。流浪の果てに彼を救ったのは信仰だった。教会の牧師として、新しい人生を歩み始めたのだ。神に祈りを捧げながら、アリに砕かれた自我を、一つひとつ拾い集めた。世間がフォアマンとアリの死闘をすっかり忘れた頃に、彼はボクサーとしてカムバックすることを決意する。すでに38歳を迎え、誰もが無謀な冒険だと考えた。
 しかしフォアマンは真剣だった。地味なトレーニングを積み重ね、静かにチャンスを待ち続けた。彼が世界戦のリングに昇ったとき、実に45歳になってしまっていた。
 チャンピオンのマイケル・モーラーは26歳、奇しくもフォアマンがベルトを奪われた年齢だ。アリとフォアマンの試合の再現のように、フォアマンはサンドバックになって打たれ続け、奇跡はもう起こらないと思われた。
 運命の第10ラウンド、ドーベルマンのように牙をむくチャンピオンの顎を、フォアマンの20年の思いが打ち砕いた。たった一発のパンチが、世界を変えた瞬間だった。

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 「目的があれば人はどんな苦しみにも耐えられる。人間の持久力とはそういうものだ」
 かつてアリに贈った言葉が、今はフォアマンに向けられた。どんなに努力しても埋まらなかった心の空洞を、フォアマンは20年の歳月をかけて、自分自身の手で取り戻したのだ。どんなに打たれてもリングの中央に立ち、いつ死んでも良いと覚悟していたのだ。
(以下省略)  (転載終わり)

 今こうして文字起こしをしてみても新たな感動が沸き起こってくる。

 モハメド・アリは偉大なり。アリに打ち砕かれた自尊心を20年かけて、負けたアリを師として取り戻したジョージ・フォアマンも偉大なり。二人は世界ヘビー級プロボクシング史上「不滅の偉大なチャンピオン」と言っていいと思われる。

 モハメド・アリさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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