【納涼・ホタルの夕べ】幻想的な空間を作り出す日本のホタルのあまりにも美しい光
-嫌なことばかり続く政治記事を取り上げることに倦み疲れ、1回更新休みにするつもりだった。が、何日かぶりで『大摩邇』サイトをのぞいたらハッとするいい投稿があった。題材は「ホタル」。「蛍」は俳句でも代表的な夏の季語で、『俳句鑑賞』カテゴリーでは以前「ほうたるの窓辺に寄れば君も寄る」(黛まどか)を取り上げたことがある。がしかし残念ながら、私が当地(神奈川県厚木市)に来てもう50年近くなる(ただし一時成田や所沢に居住したことあり)が、蛍を見た記憶がまるでないのである。ずっと町場暮らしだったせいもあると思うが、年々市街化・宅地化が進む当地にあって、そういえば蛙の鳴き声もだんだん聞かれなくなっていった。私が蛍の光をふんだんに目にしたのは、やはり18までを過ごした山形県の郷里でだった。特に小学校1年の秋までを過ごした太郎部落の蛍は圧巻だった。同部落は吉野川を挟んで家が点在する山あいの村落だった。その頃の当家は同川の川側にあり、対面の淵辺りに日中は村中の子供たちが集まっては水遊びなどに興じ、夜ともなるとその辺を蛍が乱舞していた。蛍だけではない。村にはカブトムシもイモリもヘビもサワガニもわんさかいた。夏に山道を歩いていると、泉鏡花の『高野聖』ではないけれど、こんもり繁った木立からヒルが降ってきて首筋にベタッと吸い付かれ、慌てて払い落とすこともあった。豊穣な自然世界だったのである。秋もたけた頃には、イナゴが草むらでいっぱい飛び跳ねていた。ある早朝、母に連れられて川向こうの畑に行った。畑に着くと母はやおら草むらに持参の南京袋の口を当てた。すると袋の中にイナゴが次々に飛び込んできた。ものの十分ほどで袋はイナゴで満杯になった。6歳頃だったかと思うが、父は既に病に臥せりきりで家は極度に困窮、そんな中イナゴは滋養分溢れた貴重な食料だったのである。蛍からあらぬ方に話が行ってしまったが、以上幼い頃の宝物のような懐かしい思い出の一こまとして。 (大場光太郎・記)-
アニメ映画『火垂るの墓』より
幻想的な空間を作り出す日本のホタルのあまりにも美しい光
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1999539.html#more
大摩邇 2016年07月28日19:32 カテゴリ地球の記録
http://earthreview.net/wonderful-fireflies-lights-in-japan/
私はですね、北海道生まれで東京育ち、現埼玉在住ということで、基本的にホタルを見たことがないのです。
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