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【加藤紘一の遺言】安倍・日本会議はいらない

-昨日に続いて加藤紘一氏についての2記事を転載する。1番目の天木直人氏記事は、2000年12月の「加藤の乱」がらみのものである。おそらく1955年創設の自民党史の中でも、加藤の乱は五大党内抗争劇の中に入るだろうが、天木氏が述べているように、加藤は乱さえ起こさなければ翌年結局退陣した森喜朗の後の総理になれたはずなのである。その点でさしものクレバーな加藤も当時の政局を読み違えた側面は否定できない。森内閣への野党不信任案に自民党内から同調しようとした加藤・山崎の姿勢は国民から圧倒的に支持された。それをバックに森を追い込めれば、おのずと次期政権は俺のものだ、という読みがあったのかもしれない。しかしそうはさせじと、その動きに待ったをかけたのが幹事長(当時)の野中弘務だ。寝業師・野中による加藤派と山崎派への執拗な切り崩し分断工作が始まったのだ。野中が呼びかけたのか、先方がそれに同調したのか、(宏池会の先輩の)宮澤喜一や橋本龍太郎などの総理経験者やYKK盟友だったはずの小泉純一郎までその工作に加担した。もっとも小泉は当時森派会長だったから、乱を沈静化させる立場にはあったのだが。山崎派は最小の脱落者で済んだが、特に宏池会主要メンバーの古賀誠が加藤と袂を分かった事が決定的だった。結局派閥のボスの加藤は孤立し乱は失敗に終わったのだった。なお経世会の実力者野中は、以前は「加藤総理」を強くアシストしようとしていた。ただし経世会のバックアップを加藤が嫌ったことにより野中は加藤と距離を置き始めたのである。漁夫の利を得た小泉が森の跡を継いで総理・総裁となり、今日の安倍増長に至る乱脈な清和会政権の基盤が創られた事は昨日記事で述べたとおりである。乱の失敗によって総理の芽を絶たれた加藤だったが、党内リベラルご意見番として小泉の靖国参拝を批判し、2006年8月15日、右翼の男の放火により鶴岡市の加藤宅が全焼する事件が発生した。また2番目に転載する本澤二郎氏文のように、まだ「け」もなかった頃に加藤は日本会議について警鐘を鳴らしていたのだ。加藤の慧眼は同会議の危険性についていち早く見抜いていたということだ。なのに、明日15日の加藤家・自民党合同葬の葬儀委員長を日本会議派議員頭目の安倍増長が務めるというのは、亡き加藤紘一氏にとってもこの国にとってもなんとも皮肉としか言いようがない。 (大場光太郎・記)-

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小渕恵三総理の急死を受け、この5人が密室に集まり森喜朗を新総理にすることを決めた。この不透明さが森内閣が国民から支持されず、加藤の乱にもつながったのだ。

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かつての加藤の乱では敵味方に分かれて争った3人の自民党幹事長を務めた重鎮が、昨年の戦争法案国会審議中揃って共産党機関紙「赤旗」に登場し、同法案反対の論陣を張った。安倍増長極右カルト一派の路線がいかに危険かということである。

加藤紘一の死去を悼む野中広務の言葉の偽善ー(天木直人氏)
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/730.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 13 日 20:00:05
http://www.twitlonger.com/show/n_1sp3nll
13th Sep 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks

加藤紘一が死去した。

 その訃報に寄せられた弔辞の中で、皆が一様に語るのが、「一度総理にさせたかった」という言葉だ。

 そして、誰もが口にするのは、あの「加藤の乱」さえなければという言葉である。

 確かにそうだった。

 加藤は、加藤の乱を起こさなければいずれ自民党の総裁・総理になっていただろう。

 しかし、加藤の乱が成功していたら、

その時は新しい政権の総理になっていた可能性が高かったことも事実だ。

 その加藤の乱を潰した張本人は野中広務だった。

 野中広務という政治家は自民党政権を守る事を最優先した男だ。

 小沢一郎をあれほど嫌ったのも、小沢一郎が自民党を分裂させようとしたからだ。

 加藤の乱を潰して加藤の政治生命を奪った野中広務が、発売中の週刊朝日で、

加藤紘一を一度は総理にさせたかったと悼んで落涙したと書かれていた。

 これほどの偽善はない。

 私が野中広務と言う政治家を信用しない理由は数々あるが、間違いなくそのひとつがこの偽善である。

(阿修羅投稿コメントより)

2.    2016年9月14日 00:13:11 : ZL7o43eS1o : dOhFRJJYtdE[275]
野中は単なる利権屋よ。それと古賀な。あいつが裏切ったのがトドメになった
あと、河野洋平やっかみな。結局、自民の穏健派なんてその程度の器

加藤の乱でいえば、加藤はまだ用意できてなかった。彼も臆病だからね、もう少し足場を固めたかったろう
これをリーク、大々的に騒いで加藤を追い込んだのはナベツネ

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加藤紘一の遺言<本澤二郎の「日本の風景」(2479) <安倍・日本会議はいらない> <民放キー局で警鐘>
http://www.asyura2.com/16/senkyo212/msg/665.html
投稿者 笑坊 日時 2016 年 9 月 12 日 12:42:27
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52149436.html
2016年09月12日 「ジャーナリスト同盟」通信

<安倍・日本会議はいらない>

 世の中の戦争には、常にカルトの宗教的指導者が存在している。日本人は「よそ様の事」と思い込んでいたのだが、日本政府もまた、カルトの宗教、天皇を神とあがめる日本会議が主導していた!そのことに元自民党護憲リベラルの加藤紘一が「おかしい」と警鐘を鳴らしていた。その事実をネットで確認することが出来た。「加藤さんの遺言」というのである。さすがは大平正芳の後継者だけあった。護憲リベラルの当然すぎる叫びなのだ。彼は天下人になれなかったが、彼を阻止した勢力を詳細に分析していたのである。

<民放キー局で警鐘>

 多くの国民は、日本会議の恐怖に気付いていない。新聞テレビがその恐怖で報道していない。欧米のジャーナリストは、戦後体制を否定する安倍・日本会議を本国に伝えているが、肝心の日本のメディアは報道しない。
 東京新聞と朝日新聞が1度報道したくらいであろう。日本の新聞から日本を研究している隣国の学者も、日本会議を知らない。中国・韓国・北朝鮮・ロシアで日本会議を大きく取り上げた報道を、いまだ確認できていない。
 秘密結社なのだ。秘密にしなければならない秘密の組織であることを、内外に誇示している。にもかかわらず、安倍内閣の大半の閣僚は、最初から今まで日本会議メンバーで構成されている。
 ネットを使えない古参のジャーナリストも、この怪しげな秘密結社を知らない。そんな場面で、危機感を抱いた加藤が、出演した民放キー局で日本会議政治は危ない、と警鐘乱打していた、というのである。

<政府筋が高く評価>

 筆者のネット取材能力はこのレベルだ。どなたか、この加藤の遺言がいつだったのか、どの民放での発言だったのか。教示してもらえないだろうか。
 確認した加藤発言は「政府筋」である。紹介者までが抽象的に逃げている。情報提供者も恐怖を抱いている様子をみてとれる。日本会議は恐怖の組織なのか。
 元自民党幹事長が、日本会議の存在に警鐘を鳴らした政治的意義は重い。そのために「政府筋」はネットに流したらしい。それをつかまえた筆者である。堂々と個人名で指摘出来ないところに、日本会議の恐怖を印象付けている。

<政府部内は反日本会議が存在>

 このことは、政府部内が日本会議一色でないことを裏付けてもいる。
 日本会議に抵抗するリベラルなグループが存在している証拠である。安倍内閣の外交防衛など国家主義が突出する部門では、日本会議が主導権を握っているだろう。だが、すべてを掌握はしていない。
 思うに、安倍・自公内閣は、野党の無力に助けられている。それでも、既に頂点を極めて、いまは坂を転がり落ちている。

 日本会議の目標は「明治に帰れ」である。日本の宗教は、国家神道でなければならない。信教の自由はない。家々の神棚、地域の神社、中央の靖国・伊勢・出雲などで、国民の精神を縛り付けようとするものだ。イスラム過激派も驚くカルトの天皇教であろう。さらに教育勅語、全体を大日本帝国憲法で抑え込む祭政一致の日本に回帰させようという計画のようだ。

 平均的な日本人は、間違いなく逃げる。だから蓋をかけている。
 生長の家の谷口雅春の狂信的心情を具体化させようというものだ。加藤が驚いて、執念の反撃をした。国民に警鐘を鳴らして、77歳の生涯を終え、大平のもとへと旅立った。

<岸内閣の60年安保闘争は生きていた!> 

 振り返ると、加藤は学生時代に60年安保闘争を経験している。連日、国会デモに参加した。勉強どころではなかった。A級戦犯内閣の日米安保改定に怒りを爆発させた。いまその孫の政権を日本会議がコントロールして、日本を戦前に引き戻そうとしている。
 護憲リベラルの最期の戦いが「日本会議」NOだった。すべての日本国民に叫んで逝った。

2016年9月12日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

(以上、転載終わり)

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